
【後編】なぜ傷つくと分かっていても誰かを愛したいのか|目の前の相手を知り、二人で「安心して帰れる場所」をつくること
前編では、「強くならなくても揺るがない自分」について考えてきました。
「男らしくあれ、強くあれ」
そう言われるたびに、
強くなれない自分を責めてしまう。
それでも私たちはどこかで、
誰かに愛されたいと願っています。
その願いに苦しみながらも、
大切なのは「絶対に揺れない強い男になること」はなく、
「揺れたあとに、自分自身へ戻ってこられること」
前編では、私はそれを「自分自身に戻ってこられる港」と呼びました。
では、自分自身と向き合えるようになったあと、
私たちは目の前にいる女性とどう向き合っていけばいいのでしょうか。
後編では、そのことについて考えていきます。
1.「女性に愛されたい」から、「この人を知りたい」へ
女性を「裁判官」から「一人の人間」として見る
誰かに大切にされたい、
認められたい。
そう願うこと自体は、
決して悪いことではありません。
ただ、その願いを「この女性に満たしてもらわなければならない」と思った瞬間、目の前にいる女性は一人の人間ではなく、「自分を評価する裁判官」のような存在に変わってしまいます。
女性から見て、
自分は魅力的なのだろうか。
選んでもらえるのか、
気に入ってもらえるのか。
そんな評価ばかりが気になってしまう。
いつの間にか、
目の前にいるはずの女性が見えなくなり、
「自分への採点結果」だけが頭を占めるようになっていくのです。
私自身もかつて、
女性を必要以上に大きな存在として見ていたことがありました。
着飾った姿を見てその美しさに惹かれると、
「自分とは違う世界の人」のように感じてしまう。
そして、「どうすれば選ばれるのだろうか」ということばかりを考え始めるのです。
しかし、
「選ばれるかどうか」に囚われていたとき、
私はもっとも大切なことを忘れていました。
彼女もまた、自分と同じ一人の人間であるということです。
彼女にも、彼女にしか分からない悩みや葛藤がある。
自分と同じように不安になり、傷つき、
誰かに認められたいと願いながら生きている。
女性は、男性を試したり成長させたりするために存在しているわけではありません。
自分とは違う人生を生きてきた一人の人間と向き合うからこそ、自分では気づけなかった一面が見えてくる。
そしてその気づきは、自分自身を深く知ることにもつながっていきます。
だからこそ、「この女性に愛されたい」という欲求から一歩踏み出し、
「この人はどんなことを感じ、何を大切にして生きてきたのだろう?」
と、目の前の相手そのものに静かな問いを向けてみる。
そこから、これまでとはまったく違う恋愛の景色が見え始めてくるのです。
2.「あなたが私を知ろうとしてくれたことが、たまらなく嬉しい」
愛するとは、「分かろうとする」こと
漫画『葬送のフリーレン』の中に、
こんな言葉が出てきます。
「あなたが私を知ろうとしてくれたことが、たまらなく嬉しいのです。」
この言葉に触れたとき、
私は恋愛に対する視点がふっと変わるような感覚を覚えました。
私たちは恋愛をすると、
つい「相手のことをすべて理解したい」と思ってしまいます。
けれど冷静に考えれば、私たち人間は、
自分自身のことすらすべて分かっているわけではありません。
ましてや、違う環境で育ち、
違う経験を重ねてきた他者を、
完全に理解することなどできるはずもないのです。
だからこそ大切なのは
「完全に理解すること」そのものではなく、
「知ろうとすること」なのだと思います。
分からない。
だからこそ、知りたい。
表面的な言葉や態度だけで決めつけず、
「今、この人はどんな気持ちでいるのだろう」
「これまで、何を大切にして生きてきたのだろう」
と、目の前の相手に思いを巡らせてみる。
その誠実な姿勢そのものに、
何よりの価値があるのです。
注意したいのは、「知ろうとする」ことは
「相手に媚びたり、何でも合わせたりする」こととは違うということ。
相手を思い通りにコントロールする必要も、
理想を押しつける必要もありません。
ただ、自分とは違う一人の人間として、
そのままの相手と向き合う。
恋愛が私たちに教えてくれるのは、
きっとそういうことなのだと思います。
恋愛とは、
勝ち負けを競うゲームではありません。
「どうすれば手に入るか、選ばれるか」
を計算し続けることでもない。
自分とは違う人生を歩んできた、
まだ何も知らない目の前の「この人」に、
静かに目を向けてみること。
そして、相手を知ろうとしていけばいくほど、
「自分は本当は何を大切にしているのだろう?」
「なぜ自分は、この人にこんなにも心を動かされるのだろう?」
という、自分自身への問いが生まれ始めます。
他者と深く関わるプロセスは、
そのまま自分自身と深く関わるプロセスでもあるのです。
「自分に戻れる港」があるからこそ、
相手に何かを満たしてもらおうとするのではなく、
目の前の一人をそのまま見つめることができる。
そして相手を知ろうとする旅の中で、
私たちはまだ見たこともなかった
「自分自身の新しい姿」にも出会っていくのです。
3.「うろこの下にいる、生身の人間」を知るということ
女性と接していると、
ときどき相手を「完璧な存在」のように見てしまうことがあります。
きれいに着飾っている。
自信がありそうに見える。
仕事もできて、
周囲からも好かれている。
そんな姿を見ていると、
「自分とは違う世界に住んでいるんだろうな」
「こんな女性に、自分が選ばれるはずがない」
と感じてしまう。
けれど、その姿が彼女のすべてなのでしょうか。
以前、私はある記事に出会いました。
人間の生々しい感情と真摯に向き合い、
その真髄を研ぎ澄まされた言葉で紡ぐメスマニアさんの記事の一節です。
彼女は、
女性たちが心の奥底に抱えている切実な本音を、
こんな美しい比喩で表現されていました。
「彼女たちは、誰もが自分だけの好きな色に塗ったうろこを身にまとい、世間の荒波から身を隠しながら、同時に剥き出しの自分で愛される瞬間を待っている。」
初めてこの一文を読んだとき、これほど的確に、
そして美しく女性の心を言い当てられるものかと、驚嘆しました。
「うろこ」という一つの比喩。
そこには二つの意味が込められているのではないでしょうか。
自分を美しく着飾ること。
そして、本心を隠すための鎧であること。
女性を神格化するのをやめ、
生身の人間として向き合うこと。
そして、お互いにまとう「うろこ」を一枚ずつ優しく解き明かしていくこと。
それこそが、「演じる恋愛」を終わらせ、
お互いに安心して生きていける関係を築くための最初の一歩なのだと教えられました。
最初は、女性についての言葉として読みました。
けれど読み返すうちに、
これは女性だけの話ではないと思うようになったのです。
私たち男性も、まったく同じではないでしょうか。
「強い男でいなければならない」
「自信のある男に見られたい」
「弱いところを見せてはいけない」
そんな思いから、
自分なりの「うろこ」を身につけて生きています。
女性が「完璧な女性」を演じるように、
男性もまた「強い男」を演じているのです。
けれど、
その「うろこ」の奥にいるのは、
決して完璧な人間ではありません。
不安になる自分も、
自信を失う自分もいる。
傷つくのが怖い自分も、
誰かに認めてほしい自分もいる。
そこには、いとおしくも泥臭い「生身の人間」が息づいています。
心理学者のユングは、
人が社会の中で身につける役割の顔を「ペルソナ(仮面)」と呼びました。
私たちは誰もが、
立場に合わせた仮面を被って生きています。
仕事での「しっかりした自分」。
友人の前での「明るい自分」。
恋愛での「自信のある自分」。
けれど、
そうした顔だけが、
自分のすべてではありません。
自分とは異なる存在と深く関わることで、
これまで気づかなかった自分の一面が浮かび上がってくる
——恋愛とは、まさにその最たるものです。
自分とは違う感覚を持つ女性と出会い、
理解できないことに戸惑う。
相手に惹かれながら、
己の弱さや不甲斐なさ、
生々しい感情につきつけられる。
その過程で、
私たちは否応なく「これまで見ないようにしていた自分自身」と向き合うことになります。
自分の中にある未成熟な部分を知り、
それでもなお、
自分とは異なる他者と向き合い続けること。
その経験を重ねることで、
人は少しずつ自分の中のさまざまな感情を引き受けられるようになっていきます。
「こんな自分ではダメだ」と切り捨てるのではなく、
「これも、自分の一部なんだ」と受け入れていくこと。
「自分自身を深く知る」とは、
きっとそういうことなのだと思います。
相手を理解しようとする視線は、
そのまま自分自身を照らす光になります。
自分の中にあるさまざまな部分を少しずつ引き受けられるようになったとき、私たちは以前よりも、自分自身と自然に向き合えるようになるのです。
4.恋愛とは、二人で「安心して帰れる場所」をつくること
愛されることから、愛することへ
ここまで、
私は「自分に戻れる港」と
「目の前の人を知ろうとすること」について考えてきました。
この二つが揃ったとき、
恋愛はようやく、
自分を満たすための手段ではなくなります。
恋愛とは、完璧な男が、
完璧な女性を手に入れることではありません。
それぞれに弱さや迷いを抱えた二人が、
そのまま出会うことなのです。
最初から何もかも分かり合えるわけではありません。
傷つくこともあれば、
すれ違うこともある。
自分の弱さを見せるのが、
怖いと感じることもあるでしょう。
それでも、
少しずつ自分のことを話し、
相手の話にも耳を傾ける。
言葉にできない気持ちにも、
想像を向けてみる。
そうやって時間を重ねるうちに、
「この人の前では、無理に強がらなくてもいい」
と思える瞬間が生まれてきます。
それこそが、恋愛における本当の「安心感」なのだと思います。
一方だけが相手に寄りかかるのではない。
どちらか一方が、
相手を救い続けるのでもない。
二人とも、
それぞれの人生を生きながら、
疲れたときには一緒に帰ってこられる。
そんな場所を、
二人で少しずつつくっていく。
それは、これまで私が考えてきた「港」という概念ともつながっています。
一人で自分自身に戻ってこられる場所があること。
そのうえで、
誰かと一緒にいるときにも
「ここなら、無理をしなくていい」
と思える場所があること。
そんな関係性のことを、
私は「成熟した愛」と呼びたいのです。
では、今日から具体的に何をすればいいのでしょうか。
難しいことをする必要はありません。
一つ目は、自分の「感情」と「事実」を分けて書き出してみることです。
日記のような大げさなものでなくて構いません。
心が揺れた日、
寝る前にノートやスマホのメモに1行だけ、
今の気持ちを書いてみてください。
「既読無視で不安になった。」
まずはそれだけで大丈夫です。
感情を否定せず、
ありのまま書き出す。
それだけで、
気づかなかった自分の気持ちが、
少しずつ輪郭を持ち始めます。
慣れてきたら、
もう1行だけ加えてみてください。
今度は、
「感じたこと(感情)」と、
「実際に起きたこと(事実)」を分けて書いてみるのです。
「不安になった」——これは感情です。
「既読がついてから3時間、返信が来ていない」——これは事実です。
「彼女は自分を嫌っている」—— これは、まだ確かめていないただの想像です。
こうして書き分けてみると、
不安の多くが事実そのものではなく、
事実に自分が勝手に加えた「想像」から生まれていたことに気づきます。
二つ目は、会話の「最初の質問」を1つ、決めておくことです。
私たちは女性と話すとき、
ついつい自分の近況や実績を真っ先に話してしまいがちです。
それは無意識のうちに、
「自分を評価してもらおう」としている証拠かもしれません。
だからこそ会話が始まったら、
自分のことより先に、
まず1つだけ相手に質問を投げかけてみてください。
ポイントは、
相手が「今、身につけているもの」や、
「目の前にあるもの」に目を向けてみることです。
ネイル、
バッグ、
アクセサリー、
お店で頼んだ飲み物
それらはすべて、
相手が意思を持って選んだ大切なものです。
例えば、
「そのネイル、季節に合ってて素敵ですね。いつも自分で選ばれるんですか?」
「その飲み物すごく美味しそうですね!よく頼まれるんですか?」
ただ褒めるだけで終わらせず、
一言添えてみる。
それだけで、相手のこだわりや人柄に少しだけ触れることができます。
目の前の人を品定めするのではなく、
相手が大切にしているものに気づくこと。
これも相手を「知ろうとする」ことの一番身近な形です。
そして相手が答えてくれたら、
そこでもう一往復だけ質問を重ねてみてください。
「なぜそう思われたんですか?」
「それを好きになったきっかけは何ですか?」
要点を聞いて満足するのではなく、
一歩だけ深く聞いてみる。
その一往復の中に「あなたに関心がある」という姿勢が一番具体的な形で表れます。
今夜、揺れた気持ちを1行書いてみること。
次に会う人に、質問を1つ多く投げかけてみること。
その小さな積み重ねの先に、
二人で安心して帰れる場所は少しずつできていきます。
そこから私たちは、
「愛されること」を求める段階を越えて、
「愛すること」へと進んでいけるはずです。
自分の弱さを否定せず、
そのままの自分を受け入れられるようになる。
そのうえで、
目の前にいる女性を見つめ直す。
自分の価値を決める存在としてでも、
自分を満たしてくれる存在としてでもなく、
自分とは異なる一人の人間として目を向ける。
その先にあるのは、
ただ愛されること(満たされること)だけを追い求める恋愛ではありません。
二人で、
安心して帰れる場所を育てていく
——それが、私の考える恋愛の形です。
