
鎌倉時代、京都はどうなっていた? |勉強ブログ#3
学生時代に勉強した内容って意外と曖昧なままになっていませんか。このブログでは、京都好きのyasukeが気になったことを「浅く広〜く」整理します。
📝はじめに
前回のブログでは、平安京の機能や桓武天皇の目的について整理しました。今回は、鎌倉幕府が開かれた後、京都はどのようになっていたのかについて見ていきたいと思います。
📝平安時代から鎌倉時代にかけての京都

10世紀中頃には、慶滋保胤『池亭記』において「西京はいよいよ稀にして、殆ど幽墟にちかし」と記されるほど、右京の衰退が著しくなっていました。一方で、人々は左京へ移り住み、都は北側では一条大路を越え、東側では鴨川を越えて白河周辺まで広がっていきます。
平安時代末期から鎌倉時代にかけては、鴨川の南東部に平氏が六波羅第(ろくはらてい)を築き、その周辺には3,200余りの武家屋敷が立ち並ぶ武士の町が形成されました。
また、この頃になると「平安京」という呼び名は次第に使われなくなり、「京都(きょうと)」と呼ばれるようになります。
文治元年(1185年)に平氏が滅亡すると、京都の朝廷と鎌倉幕府による二重政権が成立しました。また承久の乱後には、鎌倉幕府が六波羅の地に六波羅探題を設置し、朝廷の監視や京中の警護を行うようになります。
※1 慶滋保胤『池亭記』
平安時代の漢詩人。前半では西京の荒廃と都の住居の様子について述べ、後半では理想の住居論を展開している。腐敗した政治への批判と、真摯な生活態度が綴られた作品として知られる。
📝京都と鎌倉の二重支配
鎌倉時代は、源頼朝が鎌倉幕府を開いてから滅亡するまでの141年間とされます。京都と鎌倉による二重政権は、どのように行われていたのでしょうか。
ここで、武士がどのように成長していったのかを簡単に整理してみます。10世紀頃、地方に土着した国司の子孫や地方豪族たちは、自らの勢力を維持・拡大するために武装化していきました。また、畿内近国で力をつけた豪族たちは朝廷の武官となり、貴族に仕えるようになります。彼らは兵(つわもの)、あるいは武士と呼ばれました。
鎌倉幕府は各国に守護を置き、荘園や公領には地頭を配置することで、全国へ支配を広げていきました。また、北条氏は将軍を補佐する執権として実権を握り、その権力を強めていきます。
一方、朝廷側でも検非違使庁が京都の治安維持を担い、民事から行政まで関与していたとされています。
この時代の京都には、朝廷や貴族、大寺社の力が依然として残っていました。そのため、政治面でも経済面でも、幕府と朝廷による「二重支配」が行われていたことが大きな特徴として挙げられます。
📝朝廷vs幕府の争乱
ここで、簡略年表に登場する争乱について、「誰が」「何のために」起こしたのかを簡単に整理してみます。

⚔️承久の乱
後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣を発し、討幕を図った兵乱。上皇方は敗れ、幕府の朝廷に対する優位が確立しました。
⚔️正中の変
後醍醐天皇が側近の日野資朝(すけとも),同俊基(としもと)と図った討幕計画。
⚔️元弘の変
後醍醐天皇による再度の討幕計画。密告によって発覚したものの、これを機に悪党や有力御家人の挙兵が相次ぎ、1333年の討幕へとつながりました。
※2 変
社会的に大きな影響を与えるような事件が、不意に起こること。
※3 乱 世の中の安寧が失われること。

そのような中、鎌倉幕府が滅亡した理由としては、次が挙げられます。
元寇による御家人の疲弊
北条氏(得宗専制政治)への不満の高まり
後醍醐天皇による討幕計画
鎌倉時代には、常に京都と鎌倉の間に緊張関係が存在していました。そして、後醍醐天皇による倒幕運動をきっかけの一つとして、鎌倉幕府は1333年に滅亡してしまいます。
📝鎌倉時代の京都文化
鎌倉時代の彫刻では、運慶ら慶派仏師による「東大寺南大門金剛力士像」が有名です。その量感豊かで力強い作風は武士に好まれ、慶派の仏像は関東や地方へと広がっていきました。
また、京都では現代にも伝わる多くの美術作品が生み出されています。その代表例をまとめます。
⚫︎似絵
神護寺「伝源頼朝像」、高山寺「明恵上人像」
⚫︎絵巻物
高山寺に伝わる「鳥獣人物戯画」
⚫︎浄土教美術
永観堂「山越阿弥陀図」、知恩院「阿弥陀二十五菩薩来迎図」
⚫︎祖師絵伝・社寺縁起絵巻
知恩院「法然上人絵伝」
⚫︎彫刻
三十三間堂「千体千手観音立像」、六波羅蜜寺「空也上人立像」
このように、鎌倉時代の京都は政治だけでなく、文化の中心地としても大きな影響力を持ち続けていました。
📝まとめ
鎌倉幕府は京都から距離を置きながら、その支配権を全国へと広げていきました。しかし、京都には朝廷や貴族、大寺社の力が依然として残っており、政治面や経済面だけでなく、文化面においても大きな影響力を持ち続けていました。
朝廷と幕府の緊張関係は続き、やがて後醍醐天皇による倒幕運動をきっかけの一つとして、鎌倉幕府は滅亡へと向かっていくのでした。
📝yasukeのひとりごと
鎌倉時代をまとめるにあたっては、深掘りしたくなる部分がたくさんあり、その内容の濃さに圧倒されました。最近、初めて『太平記』を視聴しているのですが、早くもハマりそうです。戦国時代や幕末は大まかな流れを知っているので、ある程度展開を想像できます。しかし、鎌倉時代から室町時代はほとんど守備範囲外なので、どうなっていくのかドキドキしながら観ています。
やはり時代が大きく移り変わる時には、さまざまな人物が登場し、新しい世の中を切り開いていくので、学んでいて楽しいです。
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