
「自分らしく生きる」│病気の制限と矛盾の中で選ぶ僕の生き方
不安や制限を抱えながらも、
自分らしく生きたいと思うことがある。
その気持ちはずっとあるのに、
うまく言葉にできないまま残っている。
「自分らしく生きるってなんだろう」
そんなことを考える時間が増えた。
言葉にしようとすると、
余計に分からなくなる気がする。
だから今日は、
自分の中で大切にしている
「自分らしく生きる」ということを、
少し言葉にしてみようと思う。
可哀想だと思われたくなかった
実際の僕は、
もともとわがままで頑固で、
人が止めてもやってしまうようなタイプだ。
周りの心配を無視して、
ずっと好き勝手やってきた。
周りから可哀想だと思われたくない。
弱者扱いされたくなかった。
だから、
「自分の体のことは、自分が一番よく分かっている」
「やってみないと、実際この体でどこまでできるか分からないじゃないか」
そんなふうに思っていた。
だから自分の中に、
「病気だから何もできないんだ」 という感覚も、
あまりなかった。
気づかないうちに受け取ってきたもの
だけど、
そうやって自分のひねくれた部分を考えてみても、
やっぱり心から消えない事実がもう一つある。
僕は、
本当にたくさんの人に支えられてここまで来た。
特別な出来事をひとつひとつ思い出せるわけじゃない。
けれど、僕の人生には、
数え切れないほどの人の優しさが確かにあった。
家族や友達。
関わってくれた人たち。
命を繋いでくれた病院の先生や看護師さん。
そして、
こんな自分をいつもそばで支えてくれている妻。
数え切れないくらい、
いろんなものを受け取ってきた。
何かができるから幸せとか、
何もできないから不幸せとか、
そういうことじゃない。
「いつまで生きられるか分からない」
と言われたこの体が、こうして今を生きている。
そのこと自体が、
僕にとっては本当にすごいことなんだと思う。
この命をどう使うか
だからこそ、
もらってきたものをどう返すかというより、
この命をどう使うかの方に、意識が向いている気がする。
楽しいことも、しんどいことも、
ちゃんと自分の中で引き受けて生きていくこと。
それが、今の僕なりの“生き方”なんだと思う。
感謝とわがままの間で
でも、そこにもまた矛盾がある。
そう言いながら僕は、
相変わらず自分勝手に動いてしまうし、
人に心配をかけるような選択もしてしまう。
「いつまで生きられるか分からないから好きに生きたい」
そう言いながら、
ただ逃げているだけなんじゃないかと思う瞬間もある。
支えてくれた人たちのことを思えば、
もっと体を大事にした方がいいんじゃないかとも思う。
でも、それがうまくできない。
言っていることとやっていることが噛み合わない。
そのたびに、自分のことが少し嫌になる。
感謝したい気持ちと、わがままな自分。
体を大切にしたい思いと、
この命を使い切りたいという譲れないプライド。
僕はいつも、
そのグラグラとした矛盾の間で、
答えも出せずにぐるぐると迷っている。
いつもブレずに前を向いているような、
強い人間にはなれない。
それでも、
このめちゃくちゃな矛盾を抱えたまま、
僕は今、この体と生きている。
綺麗に折り合いなんてつけなくていいのかもしれない。
心配をかける自分を嫌になる日もある。
それでも、
自分で選んだ一歩なら、
どこかで「これも含めて自分なんだ」と思える。
それが僕にとっての、
不器用で、格好悪くて、
でも一番嘘のない「自分らしく生きる」ということなのかもしれない。
矛盾だらけの僕の姿を、
今日はそのままここに置いておこうと思う。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
僕は、この場所で
「限られた時間をどう生きるか」という
問いと向き合いながら、
日々の静かな内省を記録として紡いでいます。
もし、
あなたも日々の生活の中で
「普通」に疲れ、
誰にも言えない不安を抱えることがあるなら、
こちらの【案内帖】をそっとのぞいてみてください。
今のあなたの心に、
そっと寄り添うきっかけが見つかれば嬉しいです。
麗川アキ