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すれ違う要求定義

    マーカスの「行間を読め」という言葉に打ちのめされた翌日。アキの端末に、最高優先度を示す赤いアラートが点滅した。 送信元はインフラ管理局の最大クライアントである「火星水資源プラント」。モニターに映し出されたのは、仕立ての良いビジネススーツを着こなした女性、エレナだった。

    「あなたが新しいレビュアーね。手短に言うわ」 エレナは一切の前置きなく、早口のテラ・スタンダード(地球共通語)で捲し立てた。 「第4セクターの配水システム、明日の『Red Wind』の前に『Early Drop』をかけておいて。ただし、『Green Line』のテンションはタイトなままでよろしく。以上」

    エレナはそれだけ言うと、一方的に通信を切った。直後、たった3行だけの要求仕様書が送られてくる。

    アキは焦りながらテキストに向き合った。SVOの文型は追える。だが、単語の使われ方が地球の技術ドキュメントとは根本的に違っていた。 「レッド・ウィンド? アーリー・ドロップ? グリーンライン……?」

    急いで翻訳AIを通してみるが、出力された日本語は「赤い風の前に早めに落とせ。緑の線をきつく保て」という、まるで抽象詩のような文字列だった。火星特有の気象用語と、プラント独自のビジネス隠語が混ざり合い、直訳では全く意味をなさない。

    文脈(コンテキスト)が掴めないまま、アキは藁にもすがる思いで局のメインAIに仕様書を投げ、修正コードの生成を指示した。

    数秒後、AIが吐き出したのは、数千行に及ぶ見当違いなコードの山だった。 AIは文脈の欠落を埋めるため、勝手な解釈を暴走させていた。「グリーンライン(緑の線)」をUIの視覚的要素と誤認し、コンソールの描画色を変更するスクリプトを大量生成。さらに「赤い風」を気象の砂嵐ではなくシステムへのサイバー攻撃と勘違いし、配水ネットワーク全体を物理的に遮断(ドロップ)する防衛ロジックを組み上げていた。

    もしこれを本番環境にデプロイすれば、火星の居住区はパニックに陥る。

    「ダメだ、これじゃレビューすらできない……!」

    アキの武器である「構文の論理的解釈」は、前提となるコンテキストが共有されていない環境下では完全に無力だった。正解の挙動(あるべき姿)が分からない以上、AIの出力したコードのどこが間違っているのかを指摘し、修正させることもできない。

    「AIのミスじゃない。私が『要件』を定義できていないからだ……」 アキは途方に暮れ、画面を埋め尽くす無意味なコードの海の前で頭を抱えた。明日の「何か」の前に、システムを改修しなければならない。しかし、その「何か」が全く分からないまま、無情にも時間だけが過ぎていった。

     
     

    omochi

     
     
    おもちです。 自分の妄想を駄文に乗せて吐き出す場所として使わせていただいています。

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