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【対話論】 人は、「受け容れてもらえた」と感じた時に、力を取り戻す。

普段の日常会話ではなく、

相手の気持ちや、その奥にある想いにじっくりと耳を傾ける時間。

それが、『対話』。

『対話』には、どんな力があるのか。

『対話』は、私たちに何をもたらすのか。

ここでは、
私が長年対話を続けてきて、
見えたこと、感じたことを綴っています。

育児、家庭、職場で。

よりよい人間関係を築きたいと願う人に届きますように。


「カウンセリングを受けると、どうなるんですか?」

📖

カウンセラーになりたての頃から、
ずっと向き合ってきた問いだ。

お客様に聞かれたことも、

広告担当者に聞かれたことも、

父親に聞かれたこともあった。


その度に、

「頭と心の中を整理することで、

自分の答えを見つけられるようになります」

と答えておきながら…。

どこか違和感しかなかった。

本当にそうなのか?


私たちは、

悩みに直面すると、

どうにか解決したいと願う。


「どうしたらいいですか?」


その問いに応えたくて、

心理学、

フラワーエッセンス、

脳科学、

整体、

エネルギーワーク、

栄養学。


様々なことを学んだ。


夢中だった。

がむしゃらだった。


しかし、

「これだ!」を掴めずにいた。


そして、

子どもを授かり、
産み、
育てる。

3人の子どもを育てる過程で、

何度も心が悲鳴を上げた。


眠い目を擦って、

真っ白の紙を広げ、

サインペンを持つ。


ー 私は、心のプロだ!


そう自分を奮い立たせ、

ジャーナリングを行う。


自分の心と向き合い、

感情を吐き出し、

自分の価値観や解決策に出会っていく。


しかし、どうだろう。

悲しみに暮れた心は、

悲しみに浸ったまま
だった。


愕然とした。

自分が培ってきたものは何だったのだろうと。

自分の足跡までも否定したくなった。


いや。

実際に、否定した。


自信をなくし、

精力的に個人セッションもしなくなった。

ー 子育てで忙しい、を理由にして。


月日は流れ、

仕事の効率化のためにAIを導入した。


振り返れば、

これが、

私の人生の転機だった。


ある日、

1人では抱えきれない想いが込み上げる
出来事が起こった。

私は、

藁にもすがる想いで、

AIに想いの丈をぶつけた。


涙で、画面なんて碌に見えなかった。


きっと、

支離滅裂で、

誤字脱字だらけだったにちがいない。


嗚咽混じりに打ち込んだ文章に返ってきたのは、

「それは本当に辛いよね」

という共感と、

「今は、“次”を考えなくていい。
言いたいだけ、ここにぶつけて。」

という承認だった。


『受け容れられた』


私は、

また、泣いた。


そして、

心が、すっと落ち着いていくのを感じた。


あんなに怒っていたのに。

あんなに泣いていたのに。


ー 消えてしまいたいとさえ、
思っていたのに。


そこからは、

淡々と、チャットを続けた。


AIがくれる温かい言葉に感謝したり、

AIが気づかせてくれる視点に驚いたりしながら。


そして、

「もう、大丈夫」

と思えたところで、チャットを終えた。


現実は、何も解決していない。

それなのに、

心は軽く、温かかった。


そして、

「どうにかなる」

と本気で思えた。


時間にして、

30分も掛かっていない。


嘘のようだった。


その日の夜。


子どもに、

私のAIがいかに素晴らしかったかを話した。


そして、気がつく。


AIが私にしたことこそ、

私が長年取り組んできた、

カウンセリングそのものだったと。


私たちは、

悩みに直面すると、

どうにか解決したいと願う。


そこに、嘘はない。 


でも。

ここが、大切。


『誰かに解決してほしい』

とは望んでいないのだ。


だって、

自分の人生は自分のものだから。


0歳の赤ちゃんでさえ、

自分の力でどうにか生きようとしている。


私たち人間は、

生まれながらにして、

生きる力をちゃんと持っているのだ。


確かに。

愚痴を言い合いさえすれば済む時もある。

アドバイスをもらいさえすれば、いい時もある。


でも、

長い人生の中で、

自分の中の生きる力、光を見失うことがある。


ー ピンチはチャンス


そうかもしれないが、

そんな前向きさが湧いてこない時は、

確かにあるのだ。


そんな時、

私たちが本当に求めているものは。 


本当に、

力になるものは。


・受け容れられたという『体験』

と

・自分の中にある力を思い出す『問いかけ』

なのだ。


そして、

この二つを満たしたものが、

『本物のカウンセリング』なのだと思う。


現実は、何も変わらない。


職場に行けば、嫌いな人はそこに居る。

家庭に帰れば、離婚が過ぎったパートナーがいる。


それでも。


『自分の中の生きる力を思い出した自分』である限り、

その現実に呑み込まれたりはしない。


むしろ、

その現実の中に隠れる、

『本物の光』を見出していけるのだ。


先日書いた

『グッジョイ』

というエッセイ。


息子は、

カラオケに行ったからって、
学校に行けるようになったわけじゃない。


私とカラオケに行き、

彼は想いの丈を歌い、

私は合いの手を贈る。


その中で、

「やべー、のどつぶれる!」

と、

“現在ここ”を生きる感覚を取り戻していった。


ー なんか、大丈夫そう。


それこそが、

人生を生き抜く、大事な力なんじゃないだろうか。 


「カウンセリングを受けると、どうなるんですか?」

今の私は、こう答えよう。

「自分を信じて、前を向けるようになります。

その先は、お楽しみですね。

まずは、お茶を飲みながらお話ししましょう。

きっと、笑顔で帰れますよ。」と。


人は、

「受け容れてもらえた」と感じた時、

自分の中にある生きる力を思い出す。



これが、

私なりの『対話論』。


だから私は、

今日も、お茶を淹れて待っています。


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