ヒガンバナが、揺れるころ | 【短編小説】
最近、散歩道の一角に、赤い花が咲き始めた。スマホで写真を撮り、検索をしてみる。
ヒガンバナというらしい。
この花を見かけるようになって、なぜだか父のことを思い出すことが増えた。この花と父に何か関連があるのかと思いを巡らせてみたが、思い当たる節はない。
カメラを構えて、風に揺れるヒガンバナの写真を撮ると、ほんの一瞬だけ、父の声が聞こえたような気がした。
「これは、自分の願望…か。」
青年は、小さく息を吐きながら、立ち止まり、空を見上げた。息を吸った時に、とある場所が思い浮かび、向きを180度変えた。
nanohanacafeに行こう。
今日は、少し甘いものが食べたい気分だ。

黒猫が、突然そわそわと動き始めた。裏口から、店の外に出ていく黒猫の姿を目で追いながら、今は無人の店内のテーブルを急いで拭きまわった。
こういう時。常連ではない誰かが、お店に来る合図であることが多い。
連休中ということもあってか、会社が休みであることが多いビジネス街は、人通りが少なく、とても静かだ。キッチンカー営業をお休みして店にいたものの、客足がなく退屈していたところだった。
まもなく、15時。
カフェとしてはゴールデンタイムとなるはずの時間に向けて、準備をしていく。
夏の終わりに、ハマって食べていた水ようかん。実は作るのが大変ではないと知ってから、よく作っていた。
―さすがに、そろそろおしまいの頃か。
窓から外を見ると、道端で赤い花が揺れているのが見えた。外の世界が、夏から秋になりつつあることを知る。
季節の移り変わりを切なく感じるようになったのは、歳のせいだろうか。それとも、お彼岸の時期特有の雰囲気から感じ取っているのだろうか。「墓参りに来い」という祖父母の声が、聞こえてくるようだった。
そんなことを思いながらも、和の甘さに合いそうな白玉やみかんの果肉を準備する。
―そういえば、昨日、梨が届いていたっけ。
食材庫に確認しようと思ったその瞬間、ドア鈴が鳴った。
――カランコロン
「いらっしゃいませ。…あ。どうも、お久しぶりですね。」
「こんにちは。今日は祝日なので、さすがに公園にはいないかなと思って。ここ、いいですか?」
「もちろんです。お水をお持ちしますね。」
この青年は、近くのバーに行くついでに来店してくれるから、ギターを持ってくることが多いのだが、今日は持ってきていないようだった。
カウンターの端の席に座った青年に、水とおしぼりを届ける。
「今日は、何にしましょうか。」
「甘いの、あります?マスターのおすすめでいいのですが。」
「それなら、ちょうど今が旬のもの、ありますよ。和の素材を使ったパフェが、当店の新メニューなんです。自家製水ようかんをベースにして、秋の果物と一緒にお楽しみいただけます。苦みのあるコーヒーとのペアリングも良いです。」
「それ、いいですね。水ようかん、好きなんです。でも、この夏に食べる機会を逃してしまって。コーヒーと一緒に、お願いします。」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね。」
ようやく自信作を食べてもらえる日がきた。気に入ってもらえるか、ドキドキとワクワクの気持ちが交互にやってくる。準備をしながら青年の方へ目を向けると、何やらカメラを手にしていた。撮影してきた写真の確認をしているのだろうか。液晶画面をずっと眺めている。
「お待たせいたしました。本日のコーヒーとおすすめスイーツのセットです。コスタリカの豆を使っています。苦みがありながらも、すっきりとお飲みいただけるので、この季節にぴったりかと。こちらのおすすめスイーツは、初秋感じる和パフェです。水ようかんは、実は2種類の味が入っています。ひとつはシンプルな小豆、もうひとつはこのオレンジ色のものなんですが、何味か当ててみてください。それでは、ごゆっくりどうぞ。」
青年は私に向かって会釈をすると、カメラを構えた。テーブルに置かれたコーヒーとパフェに向かってシャッターを押した後、手を合わせてから、コーヒーカップに手を伸ばした。
元々ナチュラルな出で立ちの青年は、食べている姿も紳士である。コーヒーカップをソーサーの上において、スプーンを手に、まずは、バニラアイスと小豆の水ようかんを合わせて口に運んだ。顔がふと緩んだ、そんな気がした。
見つめられていたら食べにくいだろう。そう思っていたところに、黒猫のお戻りである。皿に水を入れていつもの場所へ置くと、すぐにこちらへやってきた。
「あのー」
青年が声を上げたことに気づき、急いで立ち上がって返事をする。
「このオレンジ色の水ようかん…もしかして、かぼちゃ味ですか?」
「よくわかりましたね。その通りです。お口に合いませんでしたか?」
「いえ。むしろ、和の食材にも、クリームやバニラアイスにも合うんだな、って驚いて。パフェに梨が入っているのも新鮮で、とてもいいですね。コーヒーとの相性も抜群でした。」
「ありがとうございます。」
たくさん褒められて、少しだけくすぐったい。
「ところで、今日は、ギターと一緒ではないんですね。」
「そうですね。今日散歩していて、急に思い立ってきました。」
「カメラのご趣味もおありで?」
「最近始めたんです。完全に自己流ですけど。切り取る場所によって、見え方が全く違って、楽しいですよ。」
「いいじゃないですか。極めたいものがあるのは、うらやましい限りです。今日は、どんな景色を撮ってきたのですか。」
「今日はですね。散歩中に見上げた空と、街路樹です。なんか…急に秋めいてきましたよね。」
―これです。
そう言って、撮ってきたらしい写真たちを見せてくれる。
「確かに、秋を感じるものばかりですねぇ。これは、ヒガンバナですね。今日お店の窓からも見えて、私も祖父母のお墓参りに行かなきゃな、と思ったところだったんですよね。」
「この花は、そういう存在を思い出させるものなんですかね。」
青年の話がまだ続きそうな気がする。そんな間がしばらく続いた。
青年はコーヒーをひとくち飲んで、再び話し始める。
「今日散歩していて、ヒガンバナを見かけた時に、父の声が聞こえたような気がして。そしたら、なぜかこの店を思い出したんです。なんだか甘いもの食べたいな、って。」
「そんな話をしていて、今ふと思い出したのですが…。小さい頃の夏休み、父方の実家に帰省した時によく食べていたものが、水ようかんでした。確か、祖母が、あんたの父ちゃんも好きだったのよ〜。最近食べてくれないけどねぇ。って言ってましたねぇ。小さい頃は、ケーキとかポテトチップスとかの方が好きだったので、頑張って食べていた記憶です。水ようかんの美味しさに気づいたのは、最近になってからのことです。」
笑みを浮かべながら話す青年からは、少しの寂しさも感じられた。黒猫が何かを察したのか、青年の近くへと歩いていく。
「会えますよ。いつでも。」
そう声をかけた次の瞬間、ハッとした表情の青年と目が合った。
「私も、リアルな声を求めていた時期があったんですよ。でも、求めていたものが、思っていたより近くにあることに気づいて。……それからですかねぇ。自分のことを、少し信じられるようになったのは。」
ヒガンバナが、風に吹かれてやさしく揺れている。
窓の外に目を向けながら、青年が小さくつぶやいた。
「今日の夜。実家に帰ろうかな、と思いました。父の部屋の音楽のスペースの片付け、まだ終わってなかったですし。」
「ぜひ、よろしくお伝えください。」
「そうさせてもらいます。今日も、お邪魔しました。」
みゃあ〜。
青年は振り返り、「ありがとう。」と小さく笑って、黒猫の頭を撫でた。
ドアが閉まり、カランコロン、という鈴の音が、静かに響いた。
その音の余韻が消えた頃、窓から入ってきた風が、カーテンをふわりと揺らした。道端では、ヒガンバナや木々の葉が風に揺れている。
「……また、いつでもどうぞ。」
誰に届けるでもなく、私はひとり、つぶやいた。
店の中には、コーヒーの香りと、ほんの少しだけ甘い秋の空気が残っていた。
ヒガンバナが、揺れるころ
《了》
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