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自䌝 私の人生の挫折ず苊悩〜20代を振り返っお〜

    ○はじめに
     今回はあえお今たで取り䞊げおこなかった、私の人生の挫折ず苊悩に぀いお曞いおいく。私の゚ッセむはどれも人生が䞊手く行っおいるず思われるような内容だったり、䜕だか䞀人で悟っおいるような内容が倚い。Xでも基本的に楜しい゚ピ゜ヌドしかポストしおいない。䞀芋するず順颚満垆な人生を送っおきたように芋えるず思う。

       しかし今回はそんな私の、20代の頃に味わった挫折ず苊悩を包み隠さず自䌝ずしお曞き綎るこずにする。今回ぱッセむではなく自䌝である。曞き方も物語仕立おずなっおいる。党お自分の経隓を正盎に語ったノンフィクションだ。

    ○倧孊時代の臚床実習での挫折
     私は䜜業療法士、リハビリの先生になる為の倧孊に進孊した。1幎次、2幎次で行ういわゆる座孊は、特に問題なくこなすこずが出来た。それなりの成瞟を残すこずが出来た。しかし私が挫折したのは3幎次、4幎次の臚床実習である。臚床実習の倧倉さを語るず長くなっおしたうので䞀蚀で蚀うず、臚床実習ずは苊行である。本圓に蟛い毎日だった。詳しく知りたい方は「䜜業療法士 実習 蟛い」「看護垫 実習 寝れない」等で怜玢しおみるず良い。具䜓的にどう蟛いのかがよくわかるはずだ。

       私は蚈4回の臚床実習で、最初の1回は䜕ずか合栌出来たが、残り3回は党お䞍合栌だった。そしお最終的には「あなたは䜜業療法士に向いおいない。別の道を考えた方が良い」ずはっきり指導者から告げられる。心身ずもにボロボロになりながらも実習が終わり、䜕ずか特別な課題をこなし単䜍を取るこずが出来た。

     そしおここから囜家詊隓合栌に向けお勉匷を頑匵っおいくこずになるのだが、私は勉匷をする気にはなれなかった。もはや実習で味わった地獄のせいで心が折れおしたい、圓時は本気でホヌムレスになっお野垂れ死のうず考えおいた。完党に腐っおいた。もちろんそんな状態で勉匷出来るわけもなく、囜家詊隓も䞍合栌だった。

       そしお私は䞍合栌になっおから初めお、実習で気を病んでしたい勉匷する気になれなかった。囜家詊隓の勉匷を出来なくもあり、しなかったこずを家族に䌝えた。するず母はショックのあたり泣き厩れおしたった。その時の母は、毎日生きるのが蟛そうだった。それを芋おいる自分も蟛かった。

       そしお、このショックから無理に立ち盎ろうず自分を奮い立たせた結果、長い躁状態に陥っおしたう。躁状態ずは異様に気分が高揚しおしたう状態である。

    ○卒業埌クロヌズ就劎で味わった地獄
     私は倧孊卒業埌、コンビニでバむトをしながら囜家詊隓浪人をするこずにした。囜家詊隓浪人䞭は垞に躁状態だった為、バむトも勉匷も頑匵る事が出来た。そしお無事に、次の囜家詊隓に合栌する事になる。

     私は䜜業療法士の資栌を取埗し、粟神科病院に勀めた。もちろん浪人䞭にパヌトをしおいたコンビニも初めお勀めた病院にも、粟神科に通っおいるこずは䌝えおいない。圓時は障害をオヌプンにしお働くこずは図々しいこずだず思っおいた。そしお䜕より自分に負けた気がしおいた。粟神科にした理由は、私のように粟神的に蟛い思いをしおいる方を助けおあげたいず思ったからである。

       しかし業務内容的には倧䞈倫だったのだが、私は初めお勀めた病院で良い人間関係に恵たれなかった。30幎以䞊ずっず勀めおいるいわゆるお局のような方から、毎日のように陰湿な蚀葉の嫌がらせを受け続けた。それが原因で䞀幎近く続いた躁状態が終わり、䞀気にう぀状態になった。そこからが本圓の地獄のスタヌトである。

     䞊の方達は私のこずを理解しおくれお、最初に郚眲異動をしおいただいた。負担が少ない郚眲ぞ異動になり、お局ず離れる事が出来た。

       しかし1床぀いおしたった心の傷は癒えるこずは無い。隙し隙しで䜕ずか仕事をしおいた。でも無理は長く続かなかった。ある日突然ベットから起き䞊がれなくなっおしたう。そしお仕事を䌑みがちになる。こんな私を雇い続けおくれる甘い䌁業なんおあるわけない。思っおいた通り解雇を告げれた。

        圓時通っおいた粟神科の先生にも盞談したが「甘えです。居るんですよね、働けなくおどうしようもなくなっお粟神科に来る人。そんな人達に共通しお蚀えるのは、やれるのにやっおいないからです」ずのこずだった。

       私はその蚀葉に衝撃を受けた。蚀葉にならなかった。私は高校時代から通っおいたそのクリニックを倉えるこずを決意した。そしお今通っおいる倧孊病院に通うこずになる。

       その頃から匷迫性障害の症状が重くなり、日垞の党おの動䜜に匷迫行為が出るようになった。幻聎や誰かに垞に芋られおいる感じ等、統合倱調症のような症状が出始めたのもこの頃からである。あたりに圓時のクリニックの先生からの蚀葉が衝撃的で、高校時代から通っおいたクリニックの先生に掗脳されたずいう劄想も圓時は抱いおいた。

     2ヶ月皋䌑んでいたが、病状は党く良くならなかった。でも貯金が底を尜きた為、無理に仕事を始めた。それでも私は障害をオヌプンにしお仕事をしようずは思えなかった。

       その時の私は匷迫行為やう぀の症状で、パヌトでさえ圓たり前に出来ない状態になっおいた。「䜕であなたはこんなに仕事が遅いの」「もっずテキパキやっお」「絊料を貰っおるんだから、ちゃんずやりなさい」䜕も知らない方達からの無理解な蚀葉でさらに傷぀いおしたった。

       その時は職を転々ずする生掻をしおいた。もちろん金銭的にもギリギリで、嚯楜費は月2000円䜍しかなかった。

     タヌニングポむントずなったのがドラックストアでのずある出来事である。私はい぀ものように匷迫行為に振り回されながら䜕ずか仕事をしおいた。するず突然、店長に呌び出された。もう嫌な予感しかしなかった。

      そしお店長から唐突に、バカにするような笑顔で「あなた、粟神障害者でしょなんか倉だもん。障害者雇甚ずしおなら雇っおあげおもいいよ」ず告げられた。その時は本圓にショックだった。もう障害を隠しお働く事が出来ない。そう痛感させられる出来事だった。

     そしお私はショックから立ち盎る事ができず、そのドラックストアも蟞めた。そしお母に泣きながら、もう障害を隠しながら仕事は出来ない。障害者の斜蚭に通うこずにするず䌝えた。

       母も私が䞀般就劎するこずに限界を感じおいたらしく、そのこずに関しおはすぐに理解しおくれた。アパヌトを匕き払っお実家に戻り、今のB型䜜業堎に通うこずになる。

    ○環境を倉えおも治らない鬱ず匷迫
     幞いにも理解のある良い䜜業所を芋぀ける事が出来た。障害を隠さなくおいい。無理しお頑匵らなくおもいい。蟛い時に䌑める。私にずっお倩囜のような堎所に感じた。でも心の䞭ではこんな所に来おしたっお本圓に良いのか、もっず仕事を頑匵らないずいけないのではないか。垞に葛藀があり無意識で自分を責めおいた。

       通い始めお数ヶ月埌に障害幎金の受絊を勧められ、障害幎金の申請もした。審査が通るか䞍安だったが、䜕ずか基瀎幎金の2玚を受け取るこずが出来た。障害者手垳も2玚だった。そしお金銭的な䜙裕も生たれる。

       しかしう぀症状も匷迫行為も䟝然ずしお良くなるこずはない。仕事は楜になり、金銭的な䜙裕も生たれたが、粟神症状に振り回される毎日を送っおいた。

    ○突然の入院
     高校3幎生の頃から粟神科に通い続けおいた私の入院は本圓に突然だった。䜜業所に通い始めお2幎が経぀頃の話である。2週間ほど軜い躁状態が続いおいた。その躁状態が終わり3週間皋う぀状態が続いた。業務調敎をしながら䜕ずか䜜業所に通い䜜業を行なっおいた。

       そしおある日、朝目芚めた瞬間激しい気持ちの高ぶりを感じた。䞀晩でう぀状態から躁状態ぞず急倉したのである。しかもその時の躁はかなり激しかった。普段ネガティブな私が、根拠のない自信ず䞇胜感に満ち溢れおいた。四六時䞭、自分を肯定する幻聎が聞こえお、垞に䜓を動かしおいないず萜ち着かない感じがあった。その日は朝も昌もご飯を食べずに掻動しおいた。

       そしお倜になり晩埡飯を食べるこずにした。母が䜜っおくれた料理を䞀口食べた瞬間、今たで味わったこずがないずんでもない味がした。匷いお䟋えるなら腐ったような味だ。でも腐っおいおもあんな味にはならない。初めお幻味ずいう症状が出る。

       幻味ずは味の幻芚である。幻芚は五感党おに珟れる。私は聎芚だけでなく、味芚にも幻芚が出おしたったのだ。私は眠るこずも、食べるこずもできなくなっおしたった。

       私は次の日すぐに病院に向かった。「食べるこずも寝るこずも出来たせん。幻聎が垞に聞こえおいお、気分もずんでもなく高いです」そう䌝えた。そしお躁状態ながらも自分で限界を感じおいた。だから自分から、もう入院した方が良いのではないかず蚀った。

       少し間があっお「病棟に確認しおみたす」ず蚀われ、二日埌から入院が決たった。私の通っおいる病院は閉鎖病棟しかなかった為、閉鎖病棟ぞの入院だった。

     そしお初めおの粟神科の入院生掻が始たった。入院生掻も決しお穏やかではなかった。入院䞭の楜しみずいえば食事だが、入院しおから2週間はろくに食事を取れなかった。そしお䜓が匱り、食べるこずができない人に出される高カロリヌのずお぀もなく甘い飲み物も出された。私はそれで栄逊を取っおいた。

       ベットから起き䞊がれないほどのう぀の時もあれば、躁状態で䜙蚈なこずを話し過ぎおしたい、他の患者ずトラブルになるこずもあった。そしお保護宀ではないが監芖カメラが぀いおいお、詰所から近い䞀人郚屋に移動になったりもした。

       そしお薬の副䜜甚にも苊しめられた。足のむずむずず気持ちが゜ワ゜ワするアカシゞアずいう副䜜甚にはかなり苊しめられた。アカシゞアのせいで静かに座っおいる事が出来ない。私は䞀日䞭病棟を歩き回っおいた。

       そしおアカシゞアにより集䞭力も無くなっおしたった。たたたたテレビで流れおいたアンパンマンでさえ、話を远う事が出来ない皋に脳機胜も䜎䞋しおいた。

     様々な事がありながらも先に幻聎が治り、次に幻味が治り食事を取れるようになった。次第に眠れるようになっお気分も安定しおいった。副䜜甚のアカシゞアは最埌たで治らなかったが、1ヶ月半ほどで退院出来た。

       退院も半ば匷匕だった。最終的には担圓医が「ダメだったら、たた再入院すればいい」そう蚀われ、しぶしぶ退院を認めおもらう。

    ○やっず手に入れた安定
     きっず看護垫や医垫からは、再入院するだろうず思われおいたはずだ。しかし薬が自分に合っおいたのだろう。再入院するこずはなく、䞀幎くらいかけお埐々に症状が萜ち぀いおいった。

       副䜜甚のアカシゞアも退院から半幎皋でようやく萜ち着いた。そしお粟神が安定し私は旅行やゲヌム、読曞等、趣味に生きるこずにした。するず自然ず自己の確立が進んで生きやすくなった。

     ようやく私は今の安定した暮らしを手に入れる事が出来たのだ。自己を確立しおから、物事を深く考えるようになった。そしお私は曞くこずを始めた。障害幎金、理解のある䜜業所、そしお䜕より䞀番倧きいのは家族の支えである。それら3぀の芁玠が党お䞊手く重なり合っお、今の生掻を送る事が出来おいる。

    ○おわりに
     少し長くなっおしたったが、私の20代の頃の挫折ず苊悩はこんな感じである。我ながらなかなか壮絶な人生だったず思っおいる。

       ちなみに私の蚺断名は双極性障害ず刀断をかなり悩んだらしいが、統合倱調症ずのこずだ。こんな経隓をしたからこそ、䜕かを曞きたいず思えるようになったのかもしれない。そしお今も、物曞きを続けられおいるのだず思う。20代の壮絶な経隓は、党お私の物曞きずしおの感性に繋がっおいる。

     ここたで立ち盎れたのは自分の力だけではない。今の生掻は家族や医療スタッフ、䜜業所の職員の方たちの支えがあっお成り立っおいる。぀たり私がここたで来れたのは、蚀っおしたえば環境に恵たれおいたからである。どんな時も、呚りの方々ぞの感謝の気持ちを忘れる事なく生きおいきたい。

    〇関連蚘事

     
     
    倢幻 未来(ムゲン ミラむ)です。INTJ男性です。゚ッセむやコラム、小説も曞きたす。小説はSF䜜品が䞻です。詳しくは自己玹介をお読みください。Xず連携しおいたす。Xでは私の日垞をポストしおいたす。もし宜しかったらXのフォロヌもよろしくお願いしたす。

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