第66話 「それは秘密です」
今晩は。桂股金痔です。「それは秘密です」の時間がやって参りました。今日のお客様は齋藤隆臣さんで御座います。隆臣さんは60年前に生き別れた御両親を探しています。
小学一年生の時でした。学校から帰ってみると、家の中は蛻の空。
「おいらを置いて、母ちゃんは何処へ行っちゃったんだろう」
隆臣さんはそう思いました。
お母さんは、お父さんが捕虜になったと聞いて、港まで慌てて飛び出して行ったのでした。
お父さんは、当時、陸軍で軍医をしていました。正義感のある心優しい人でした。若僧の将校の命令も無視して、現地の人を治療しては何度も理不尽な懲罰を受けていました。
だが、英国軍に捕まって裁判にかけられ、人体実験の罪で死刑の宣告を受けた。
「何故だ。罪もない人を診てきた報いがこれなのか!」
そんな思いの中で溢れる涙を抑える事が出来ませんでした。
死刑執行の時がやってきた。お父さんは最早これまでと観念の臍を固めた。
だが牢獄から出されて連行されたのは、何と諜報員の訓練場でした。日本語、英語、ドイツ語の能力を買われて、MI6 の秘密諜報員になる事を求められた。
断れば死刑の執行です。死刑を失効するには書類に署名する他無かった。
漫然と読んでいては気が付かないかも知れない。
秘密諜報員と言えば戸籍は抹消、書類上は死人も同然です。情け容赦のない、命を賭した任務遂行が求められた。
だが一生懸命働いて、今やチームの主任を任されるまでになりました。
これまでに多くの仲間の命が露と消えて行きました。
モサドの合言葉を駄洒落と間違えてしまって命を落とした者。
下らない駄洒落を言って KGB に頭を撃ち抜かれた者。
暗殺者ゴルゴ十三(じゅうそう)の標的になった者もいました。
お忘れかも知れないが、コヨーガ・ナーイもそんな仲間の一人だった。
彼も騙されて諜報員になった口でした。
雇用が無くて諦めて死のうかと思った矢先に舞い込んできた求人。
応募したら実は MI6 だった。
困っている有能な人材を捜し出しては諜報員に仕立て上げる。
名門貴族出身の指導部は手を汚さず、下民に現場の仕事をさせる。
それが MI6 の手口です。
お母さんの行方です。
港へ出たお母さんは隆臣さんを連れて英国へ行く事を決心した。
お父さんを探す為です。
だがお金が足りません。小姑に資金援助を願い出ると、
「あんた金目当てで嫁いで来たんやろ」と、言います。
仕方無しに姑に相談すると
「とんでもない。金がいるんなら軆を売って稼いだらいい」
酒癖の悪い舅までが「隆臣は置いて行ってもらう。おまえには渡さん」
と言い出す始末です。
狭い田舎の一方的な噂の中で、自分だけが悪者にされました。
「みんな惨い人達ばかり…」
お母さんは家を出る決心をしました。
お父さんを探すんだ。必死の思いで節約しました。
重湯と沢庵のみの食事ですら贅沢な物でした。
野に生える蒲公英、大葉子(車前草)、蓬の葉を採ってきては、
磨ぎ汁で茹でて食べる日も多かった。
数年前の事です。人伝に聞きました。
お母さんに似た人が夜な夜なチャットに出没するそうです。
年齢も丁度同じころ。
パソコンを憶えてチャットで探そう。
隆臣さんは、そう心に決めました。
でもパソコンは難しい。
パソコンに触わったのは停年退職してから。
物心つく頃からパソコンをいじっている今の若者とは違います。
老人にも簡単に扱える様にと、マイクロウェーブ・ソフトがパソコンを使い易くしました。
これが大ヒットして、ウェーブ、つまりウェッブと呼ばれる様になった。
凄く単純な様に見えても、実はパソコンは物凄い2進法の計算をしている。
たった一言、げんきぃ〜〜いぇ〜い。と書かせるだけでも大変です。
人間が直に計算すると0と1の配列を見紛うたり、
書き違えたり計算間違いしたり、
あれー、どこまで書いたんだっけ、桁数合ってるのか、一、二、三、…、二十五、二十六、ん、これって何行目だっけ、ええい最初から遣り直し、だったり、一つの方程式が一枚の紙に収まらなかったり、もの凄く面倒だったりする。
たった一言伝えるために一週間計算に悩んだりする事も屡ゝです。
そんな苦労を知ってか知らずか、隆臣さんは夜も眠らずチャットに明け暮れた。
だが遅過ぎた。時の流れは非情なもの。
我々は掲示板の過去ログを遡って、お母さんが既に他界している事を確認しました。
無念です。もっと早くパソコンを始めていれば…
後悔の臍を噬む思いです。
辛いでしょう。本当に辛い。
ですが私たちはこの半年間、必死でお父さんを探し回りました。
そして遂に居所が判りました。
隆臣さん、今どういうお気持ちですか?
「…」(涙)
そうですか… それではあのカーテンの向こうにお父さんがいらっしゃいます。さあ、お父さん、と呼んであげてください。
「… う、ぐぇ、んお、っおどっあん…」(泣)
お父さんはね、あなたが自衛隊に勤めていると聞いて、立派になったと甚く喜んでいました。会いたいですか?
「… んぐ、あい」(吃逆)
どうしても会いたいですか。
「… うげうげ。あやくあわせて、くらさい」(餅)
仕方無いですね。ですが貴方の持つ機密情報との交換になります。機密を洩らして貴方の身に何が起ころうとも当番組は一切関しませんので、その積りで。ではご対面ーん。
「… あ、あげっ」(吃驚)
あれれ、お父さんは猿轡を噛まされて転がっております。
嗚呼、黒いスーツの男は一体何者でありましょうか。
「情報は確と頂戴した。死ね、股金痔」
え、何で私が。ちょ、ちょっと待って。聞いてないよ。し、師匠ぉー。
「バヒューン」
… ええ。ゴホン。桂小金治です。今日も固い絆で結ばれた親子が晴れて再開を果たしました。遠く離れていても心は一つ。遠い昔の痼りもいつしか消えて、和やかに語らえる日が屹度来る事でしょう。
あなたと私の合い言葉。それは機密です。また来週ーぅ。
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