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第52話 「口蹄疫と私」

    余り大っぴらにするとモルモットにされそうなので諸兄にだけお教えするが、私の身の安全のため絶対に秘密は厳守していただきたい。前回、私は狂牛病になった事を告白したが、何と驚くことなかれ、実は口蹄疫になった経験も持ち合わせている。

    え、口蹄疫は家畜の病気だろ。人間には伝染らない筈だ。と、おっしゃるあなたは甘い。そのとおり。私は家畜だ。あ、否否、波乱万丈の人生には色々と不可思議なことが起こるものであり、口蹄疫が人間に伝染ったとしても決して奇妙な事ではなく、現在の科学では解明されていない事は沢山あるのだ。例えば未客員飛行物体とか見捨て員サークルとかがそれである。最近では物理学を経済に応用する研究も始まっており、これらの謎が改変版物理学辞典にて解き明かされる日が待たれる。だがヒトの口蹄疫は未だ誰も注目していないので、その解明には長い歳月がかかるであろう。

    口蹄疫は口や足が痒くなる病であるが、これが奇妙なことに納豆を食べた後によく発症する。食後の数日間にわたって口周りが痒くなって肌荒れを起こし、口をパクパクさせる度に不快感が募るのだが、正に口蹄疫の症状と合致する。発症のメキャニズムは、納豆菌が皮膚や毛穴に棲んでいる大腸菌と結託して活溌になるのだと想像されるが、納豆の本場である水戸の知人に真顔で話したところ、そんな話は聞いたことがないと一笑に付されたこともあり、全てを明かすには丁度良い機会である。

    感染を未然に防ぐには細心の注意を払わねばならず、それが面倒なので私は納豆を食べるのはとても嫌いなのだが、味覚的には厭ではない。厭よ厭よも好きのうちと言うが、一体どっちなんだとツッコミたくもなる。因みに、私がマヨネーゼやらベーコンやら揚げ物の衣を残すのを見て、それらが全く駄目で嫌いだと思う輩がいるが、摂取量を1日3グラムに抑えるには意識して避けるくらいが丁度良いのである。私は脂肪過多になると鼻の頭が赤く腫れて危険を知らせてくれるという、ウルトラマンのカラータイマーと仮面ライダーのオーシグナルと筋肉マンの額の「肉」を足して立方根をとった様な体質なのである。

    扨、納豆を食べる時には、口蹄疫になると大変なので、一糸たりとも口に付着させない気構えでやらないといけないが、ここは矢張り寺田寅彦も言っている様に叡智を揮って科学者の真髄を見せるべきである。実は余り知られていない事なのだが、納豆を食べて口蹄疫にならない為の世界三大法則というものがある。言うなれば、糸を口に付着させない為には、糸を発生させない。この一点に尽きる。これを基本原理として以下の三大法則が導かれる。

    第一法則は、食前の作法を唱えた「ぐちゃぐちゃするなぁ」である。文字通り、ぐちゃぐちゃかき混ぜるなという事であるが、これを誘発する行為も同じく禁止である。即ち、醤油や卵などの水分を加えてはいけないし、味噌汁に至っては何をか況んやである。水分を加えると「ぐちゃぐちゃしたい」という慾求を誘うだけでなく、粘りが溶解して納豆菌水溶液を形成するとともに、納豆の塊が崩れて糸の発生を促してしまうのである。そんな次第でオクラ、山芋を加えた所謂「三練り」を食すのには躊躇いがある。御免なさい魯山人。

    次に、拙速な箸運びを戒める第二法則「せかせかするなぁ」である。初期状態は15度の前傾姿勢に構え、箸を成る可く水平方向から納豆塊に差し込んで、そのまま鉛直に持ち上げて自然に糸が戻ってゆくのを待つ。一旦ハサミでカットする様な仕方で分離してからの方が良さそうに思えるが、それは浅薄な素人考えである。どうしてかというと、カットの動作は二本の箸をくっつける動作と離す動作とで一セットであり、これは即ち、納豆と箸との摩擦によって、糸の発生を促進するという恐るべき行為なのである。因みに、前傾15度というのは、鉛直に持ち上げての待機中に、糸の様子が観察可能な角度と、納豆が箸から落下してしまう前に未然にキャッチできる間合いを考慮して、納豆の運動方程式から弾き出した結果である。

    第三法則は「パクパクするなぁ」である。これは節操無くパクパクすると箸が唇に接触して、箸に付着したねばねばが移るのを戒めるための規律であり、一旦納豆に箸を浸けてしまったら最後、他の如何なる食物を口に運ぶ際にも厳格に適用されねばならない。虎が獲物に噛みつく様な感じで経口投与し、唇は開いたまま咀嚼するのがベターである。また、ぺロぺロと嘗め廻して菌を広げる行為は慎むべきである。そこまで虎の真似に忠実である必要はない。

    成る可く三大法則を遵守する様に努めてはみたものの、口周りに付いてしまうのがどうしても避けられない場合もある。寺田寅彦も言っている様に、如何に世界三大法則と雖も食べてしまってからでは為す術が無い訳で、食後の入念なケアが絶対となる。口周りは勿論のこと、口腔内の洗浄殺菌も聢りやって感染防止に努めたいところである。私の幼少のみぎりには自然治癒を待つより他はなかったが、最近では嬉しいことに治療薬も開発されている。科学の進歩の賜である。メントール光学異性体を成分とする緑の薬用スティックを塗付しておくと一日で完治するというのだから驚きである。いやあ便利になった。

    以上が人間の口蹄疫感染を証明する事実であるが、まだ釈然としない諸兄の為に切札を示しておきたい。13年前に研究室で同室だった先輩一名が罹っていたのを目撃し、私以外にも感染者がいることを知って確信を強めたのだが、実は納豆菌以外による原因不明の重度の口蹄疫というものが存在する。それは鬚剃り行為に於いて、上唇と下唇の接合点付近を剃刀で切ってしまった場合が要注意で、傷口が感染して小水疱疹となる事がある。痒いブツブツが段々と広がるのが特徴で、今の処、足指間などに見られる白癬菌による皮膚真菌症と区別がつかず、究明が望まれる常況にある。

    納豆を食べたあとで鬚を剃るのは非常に危険な行為なので、良い子の皆は絶対に真似をしないでいただきたい。そんな子供がいたら恐しい気もするが。

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    142話までは「パブロフの屁」(ぱりぱり噛めん:Parikame) のテキスト復刻版です。見出し形式「第○○話」がテキスト本編、「no.○○」が対応するダイジェスト図解版です。ご贔屓いただけると新作公開の励みになりますのでよろしくお願いいたします。え?頑張らなくていい……ですか

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