第16話 「蜊蛄物語」
二千年の初夏の或る日、舞ちゃんの手によって捕獲され、伯母の家で飼育されている蜊蛄を見ていた時の事である。西欧では蜊蛄を食す習慣があるのだと伯母に話し掛けると、偶々そこに居合せた孫である舞ちゃんに向って無勝手にも「この蜊蛄食べようか、舞ちゃん」などと言うもんだから、さあ大変。「ムカー」って、あいや「ダメー」などと絶叫する。いくら私が駄目人間であるからといっても其れはないであろう。伯母としては軽い冗談の積りでも、舞ちゃんにとっては一大事である。
「せつこおばあちゃんえ、まいちゃんわいえでおします。かえつてほしければてがみおかいてください」
と置手紙を残して、隣家の遊び友達の家に篭城してしまった。然し、よく見れば紙の端に健気にも小さな字で
「これわうそです」
と書いてある。が、引き攣った笑顔の裏にすっかり動顛した様子を隠しきれない伯母は、狼狽えた声で
「これ見て、はるちゃん。おっかしいわよー。ほら。あの娘、ほんっと、繊細だからねえ」
などと言うも目が潤湿している。おいおい。解っておるなら斯様な無神経な事を言うでないぞ。それにこれは嘘なんだし気にするなって。本当に粗忽者である。
さて、舞ちゃん逹は両親の元に帰って仕舞うが、数日後その蜊蛄逹はいなくなってしまう。話の展開からして調理して食べたのかというと、至極残念ながらそうではなくって伯母曰く、蜊蛄は夜行性らしい。夜中に何時もガサガサ音がするからだという。だが昨夜は葢もせずに外に出しておいたので、器の壁を登って逃げて仕舞ったらしいのである。「猫にでも獲られたんじゃないの」と言うと、伯母の指差す先には夜の逃避行に力尽きたのか、近辺の穴中で乾涸びて死んでしまった蜊蛄の塊がある。その黒い屍を見て思った。
「矢張り昨夜食す可きだったか」
残念無念。二人して悔しがってみせる。て、否々そうではなくって、それが日本蜊蛄かどうかという事である。それで辞典で調べてみる事にした。動物図鑑の様な気の利いた物は無いので、広辞苑で我慢する。
「伯母ちゃん、広辞苑ないかね」
「そこにあった様な気がするけど。どれどれ、これかね」
だー。出て来た物は大辞林であった。まあ良い。辞典には違いない。
大辞林第二版を引くと、ざりがにについて色々な事実が発覚する。
【蜊蛄】淡水産のエビ。
エビ。いきなりエビである。そうであったか。蝦、蛯、鰕、海老などと色々書くが、そのどれでもなくてエビなのである。イエービ。さて次なる記述は其の形についてであるが、これは極く有り触れている。体長6糎内外。鋏脚が大きい。然し普通であるからといって、ここで落ち着いていてはいけない。何故ならば次の記述には吃驚する事実が隠されているからである。
「食用になるが、肺臓ジストマの中間宿主になるので危険」
これは一体何たる事か。食べてもいいけど危険だよ、とはちょっと冷淡ではないか。「どくいりきけん。たべたらしぬで」の方がましである。このソフトな言い回しには毒入危険と警告する一方で、食べるなと云う温かいメッセージが隠されている。対する大辞林第二版は、温かく見守るどころか「食用です。食べてもいいですよ」と促す端から、肺臓ジストマの中間宿主になるので「危険」と言い放つのである。一体何方なのだ。食べるも死ぬも貴方次第。責任無添加という事か、大辞林。確かに無闇に添加物を混入するのは良くないけれど。更に驚愕する事には、
「日本固有種で、北海道、東北に分布」
と仰せなのである。惠、ゑ、ヱーっ、である。ちょっと待ってくれ。関東以西には分布しないらしいのである。そうだったのか。大辞林の人よ。その昔、屯田兵帰りや東京への出稼ぎの折りに、土産として関東以西に持ち込まれた食用エビ(危険)は、エビ煎餅、エビ天麩羅、エビ焼、エビ鍋、エビ餠、北海エビ汁、エビ入きりたんぽ、北海エビ雑炊、北海エビ味噌、等々に加工調理され数多食卓の上へと運ばれるに至った。そして肺臓ジストマの猛威を遺憾無く揮ったであろう歴史が、この記述から読み取れるのである。恐しいぢゃないか。日本政府はこの危機を一体どうやって乗り切ったのであろうか。次の記述に視線を運べば、何と頼もしいことに大辞林はちゃんと解答を用意してくれている。
「ザリガニ科の甲殻類の総称。在来種のニホンザリガニと輸入種のアメリカザリガニ・ウチダザリガニ・タンカイザリガニをいう」
むむ。どうやらこのエビには、ザリガニ科甲殼類と軟殼類があるらしいが、そんな事はこの際どうでも良い。肝心なのは輸入種が存在するという事である。ここから、幸運にも食卓へ登る難を遁れその後異常繁殖した喰用エビ(危険)を駆逐する為に「日本政府は米蜊蛄、内田蜊蛄、淡蟹蜊蛄を輸入した」という事実が浮上する。それにしても内田蜊蛄とは一体なんぞやである。
流石の大辞林もこれ以上は何も答えてくれぬので電網検索に頼ってみる。蜊蛄と漢字で入力してみると一件がヒットする。近年流行だけの事はあって、流石ピンポイントである。どうやら今年、小林一茶が松戸に滞在した時のスポンサーであった大川立砂の没後二百年を記念して俳句大会が催されたようである。佳作に選ばれた作品の中に蜊蛄という言葉を検出する。
「蜊蛄を釣って童子の走りけり」
そのまんまではないか。一体どういう事であるか。こんな句で良いのか。立砂俳句大会。不安に駆られて他の作品を見てみると、
「鷄頭の一本づつを六地蔵」
更にこんなのもある。
「側室の墓鷄頭の二、三本」
鷄頭って。妖怪人間ベムのシーンに出てくるあれである。怪音と共に血を滴らせながらつつーっと地面の上を走る鶏の頭。そんなモノを蜊蛄釣に興じる童子の隣で詠み、剰えそんな句を佳作に選ぶとは、かなりな事になってはいまいか。立砂俳句大会審査委員の人逹よ。私の頭の中はすっかり動顛して、れれれのれ。否、ゑゑゑのゑ、なのである。
それにしても墓だの地蔵だのと不気味ではあるが、童子とは日本蜊蛄を食して肺臓ジストマで死んだ子供の霊と考えれば首尾一貫するのであり、残る疑問は鷄頭供養と内田蜊蛄の関係である。一体どう繋がるというのだろうか。
不図、作者の名前を見ると内田であった。
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