
第157話「アクマゲーム2」
深夜二時。本社ビルの役員フロアは、空調だけが無駄に元気だった。
大会議室の中央。長机の上に置かれているのは、資料でもPCでもない。
黒く、不吉で、どう見てもオフィス用品ではない鍵。
それが“悪魔のカギ”だった。
この会社では、どうしても事業計画がまとまらない時、「最終的に誰かが責任を取らされる」という、極めて昭和的な理由で封印されてきた代物である。
向かい合って座る二人。小野田照朝と西東初。
初「……久しぶりだな、この部屋」
照朝「感傷に浸るな。ていうか、なんでお前がここにいる」
初「言っただろ。DX推進補佐」
照朝「初耳だ。俺は今まで、この会社にお前がいたなんて一度も知らなかった」
初「それはそうだ。Slackでも発言してない」
照朝「存在感ゼロか」
初「“静かな即戦力”ってやつだ」
照朝「一番信用できないやつだな」
初は机の上の鍵を指で弾いた。
初「で、今日はこれを使う」
照朝「悪魔のカギか……て、おい。死ぬぞ。正気か」
初「俺も最初は、人事が暴走したのかと思ったよ」
照朝「用途、完全に間違ってるだろ」
初「だが便利だ」
照朝「その“便利”で何人消えてきた」
初「数名。主に新規事業担当。お前の部署だ」
照朝「やめろ」
初「始めよう。アクマゲーム《事業計画編》」
初が鍵を回す。
カチ、という軽い音とともに、会議室の空気が一段と重くなった。
煙が立ちこめ、天井から上半身だけの悪魔が降ってくる。
悪魔「呼んだ?」
照朝「軽っ」
初「思ったよりカジュアルだな」
悪魔「最近はコンプラ厳しいから。威圧感NG。もうできたのかな事業計画」
二人「ああ」
悪魔「了解。では審査を始めよう。まずは照朝から提出して」
照朝は分厚い資料をデスクの上に置く。
照朝「堅実な既存事業の横展開だ。数字も現実的だ」
初「真面目だな」
照朝「生き残りたいからな」
悪魔「ふむ……字が多い」
照朝「は?」
悪魔「多すぎ。読む気しない」
照朝「役員会なら評価されるぞ」
悪魔「俺、役員会嫌いなんだよね。じゃ、次は初」
初は一枚の紙を置いた。
悪魔「お、少ない」
照朝「中身は?」
初「“検討する”を中心に構成した」
悪魔「いいね。逃げ道が多い」
照朝「褒めるな」
悪魔は腕を組む。
悪魔「じゃあ評価基準を言うね」
照朝「ちゃんとあるのか」
悪魔「あるよ。三つ」
初「ほう」
悪魔「一、面白そうか」
照朝「事業計画だぞ」
悪魔「二、やりたくなさそうじゃないか」
初「重要だ」
悪魔「三、失敗した時に人のせいにできそうか」
照朝「最低だな」
悪魔「だって悪魔のビジネスでしょ?」
照朝「違う!」
悪魔は照朝の資料に目を通す。
悪魔「これは……真面目すぎる」
照朝「悪いか」
悪魔は初の紙を見る。
悪魔「こっちは…『全社AI活用による生産性向上』…か」
照朝「タイトルが怪しい」
初「中身が重要だ」
照朝「ほとんど見出しじゃないか!」
初「スピード重視だ」
照朝「全部“検討する”って書いてあるだけじゃないか」
初「柔軟性だ」
悪魔「最高。責任が霧散する」
照朝「だから褒めるな」
初「ビジネスは常に逃げ道を用意するものだ」
照朝「それを堂々と言うな」
悪魔はしばらく沈黙した。何かを考えているようだ。
悪魔「結論。引き分け」
二人「なぜだ!」
悪魔「どっちも地獄だから」
照朝「それで?」
悪魔「次は通常の役員会で頑張って」
そう言い残し、悪魔は煙になって消えた。
照朝「……結局、普通にやるのか」
初「そうだな」
照朝「最初からそうすればよかった」
初「それを言ったら、鍵の存在意義がなくなる」
照朝「どんな意義だよ」
二人は同時にため息をついた。
深夜三時。
悪魔のカギは黙り込み、事業計画は相変わらず宙に浮いたままだった。
だが一つだけ、確かなことがある。この会社で一番非合理なのは、
合理性を極めようとする人間そのものだ、という事実だった。
照朝「なあ初」
初「今さら退散はできないぞ」
照朝「違う。お前、知ってたんじゃないのか」
初「え、何を」
照朝「紙きれ一枚なんて普通じゃないだろ」
初「あ、それ。お前こそ何言ってんだよ。これは練習だってば」
照朝「練習?」
初「鍵箱の中にメモがあるだろ。ほら」
本日急用にて休会。予定が空くまで飽くまで悪魔で練習しておいて
担当役員 阿久 誠
照朝「なるほど」
初「おかしいと思わないか」
照朝「確かに、予定が空くまで飽くまで悪魔では可笑しい。うぷぷ」
初「そこじゃない。うちに阿久なんて役員はいない」
照朝「そうなのか?」
初「あそこを見ろ。ホログラム投影機だ。悪魔なんていないんだよ。
そしてこの俺も…」
照朝「え」
初「それでは検討を祈る。検討のポイントは先ほどの紙に書いてあるのでよろしく。計画に失敗しても当局は一切関知しないのでその積りで。猶、その紙もホログラムなので5分後には消滅するからメモを取っておいてくれたまえ。では」
照朝は慌ててペンを取り、自分の計画書の裏面にメモを取り始めた。
右肩には「計画コード MIP」と記されていたが、照朝はそれに気づく余裕はなかった。