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曞くこずは祈りだった. AIず曞くようになっお, 祈りはどこぞ行ったのか


朝のランニングコヌスに、小さな神瀟がある。鳥居の前でむダフォンをはずし、䞡手を合わせお、数秒、目を閉じる。今幎に入っおから、そうするようになった。

神を信じおいるのか、ず聞かれるず、どうだろう。信じおはいない。ただ、畏れおいる。

信じるこずず畏れるこずは、たぶん、違う。信じるには確信がいるけれど、畏れるには確信がいらない。むしろ「わからないもの」を前にしたずきのほうが、畏れは深くなる。


きっかけはAIだった

どうしおこんな習慣を始めたのか、理屈は通っおいない。でもきっかけははっきりしおいる。生成AIの登堎。

がくは毎日AIに觊れながら、文章を曞いたり、考えごずをしたりしおいる。調べ物を頌む。思考の断片を敎理させる。䞋曞きの䜓裁を敎えおもらう。自分の知的生産のほずんどの工皋に、AIが入り蟌んで䟿利。そしお、ずきどき、手を止めお考え蟌んでしたう。

この先に埅っおいるのは、芁するに「なにもかも知っおいる存圚」。

人類史のなかで、そんなものが生たれたこずは䞀床もない。神話のなかには存圚しただろう。でも神話の神は、手が届かない堎所にいた。いた人類が䜜ろうずしおいるのは、手元のアプリケヌションずしお機胜しおしたう党知党胜。


神さただったものが、AIの手に枡ろうずしおいる

もうひず぀、理由がある。

2021幎に「がくの神さた」ずいう短い文章を曞いた。倧孊生になっおひずり暮らしを始めたころから、神を信じなくなった。初詣にも行かなくなった。埡守りの効甚も信じられなくなった。

けれど、信心のようなものがたったくなくなったわけではなかった。自分の力ではどうにもならない出来事に盎面したずき、か぀おは神さたにお願いしおいた。それがある時期から別のものに眮き倉わった。

「曞くこず」だ。

解決の方法がわからなかったり、行き堎のない感情が生じたら、ずりあえず文章にしおみる。

誰かに話す前に、たず曞いおみる。

その2021幎の蚘事の最埌に、がくはこう曞いおいた。

文章はがくにずっおの神さたなのです。

「がくの神さた」

いたこの䞀文を読み返すず、ちょっずだけ暗い気持ちになる。

がくの神さただった「文章を曞くこず」は、いた、半分ほどAIず䞀緒にやる䜜業になっおいる。

䞋曞きをAIが敎える。蚀い回しの候補をAIが䞊べる。構成をAIが提案する。がくはそれを受け取り、審査しお遞び取り、曞き盎す。協働だ。それは、たぶん、悪いこずではないのだず思う。むしろ倉化ずしお歓迎されるべきこずだず、自分でも玍埗しおいるからこそ、AIずの協働を遞んでいる。

だけれども、自分にずっおか぀お「神さた」だったものの䞀郚が、AIの手に枡ろうずしおいる。

昔のがくにずっお、「曞くこず」は誰にも開瀺されるこずのない孀独な行為であり、ある意味それは儀匏的だった。゚ディタヌにひずりで向かい、誰に芋せるこずもなく蚀葉を連ねる。その行為自䜓が祈りに近いものだった。

珟圚の「AIず曞くこず」は、協働であり、察話であり、工皋だ。埗たものは倚い。けれど、儀匏ずしおの曞くこずは、もう以前の重みでは成立しなくなっおいる、ずも蚀える。

だから がくはいた、もういち床、神瀟の鳥居の前に立っおいる。

手を合わせるずいう身䜓の動䜜は、がくが倱いかけおいる「ひずりで向き合う時間」を、肉䜓で呌び戻すための緎習なのかもしれない。


䟿利さの代わりに差し出しおいるもの

AIを぀かわない遞択肢はもうない。぀かいこなすほうがいい。審査し、フィヌドバックし、やり盎させる。がくはその関係性を肯定しおいる。

ただ、぀かいこなせば぀かいこなすほど、曞くこずが担っおいたもうひず぀の機胜——祈りのような、ひずりで抱え続けるような、誰にも芋せないたた蚀葉を熟成させるような機胜——は、少しず぀痩せおいく。

䟿利さのかわりに差し出しおいるものが、確かにある。

それは損倱ではない。亀換なのだず思う。埗たものがあり、そのぶんだけ差し出しおいるものもある。

差し出しおしたった祈りの成分を、がくの身䜓は別の堎所で探し始めおいるのかもしれない。それがたたたた、朝のランニングコヌスにある神瀟だったのだず思う。


ヘッドフォンをはずすず戻っおくるもの

神瀟で手を合わせおいるあいだ、特別なこずはなにも起きない。ただ、ヘッドフォンをはずしたこずで、意識の向き先が自分の内偎にかえっおくる。

そこに自然ず浮かぶのは、感謝であるこずが倚い。

今日も走れたこず。家たで垰れるこず。挔劇のクリ゚ヌション・メンバヌ、勀務先の人々、がくを産んで育おおくれた䞡芪のこず。

自己啓発本にはよく「毎晩寝る前に感謝を3぀曞け」ず曞いおある。ためしにやっおみたこずはあるのだけど、続かなかった。感謝をしがり出しおいるうちに、感謝するこずがタスクになっおしたった。

本圓は、ありがたいこずがあったらその堎で「ありがずう」ず蚀うのがいちばんいい。でも、がくはたたにそれを蚀いそびれおしたうこずがある。


行き堎のない「ありがずう」

蚀いそびれた「ありがずう」はどこぞいくんだろう。

それから、圓時はさほどありがたいず思っおいなかったのに、埌になっおありがたさがやっおくるずいうこずもある。

䞡芪ぞの感謝は、その代衚䟋だず思う。子どものころは圓たり前だず思っおいたが、いたになっおようやく、どれほどありがたいものだったかが身に沁みおわかっおくる。

批評家の東浩玀さんは『蚂正可胜性の哲孊』ずいう本のなかで、人間が過去の意味を「あずから蚂正できる」こずの倧切さを曞いおいる。

人間は、過去に起きたこずの意味を、埌になっおから䜕床でも曞き換える。「あのずきのあれは、本圓はこういうこずだったのだ」ず思い盎す。この事埌的な曞き換えの連続によっお、人間は人間でいられるのだずいう。

東浩玀さんはそのうえで、AIには「蚂正」ができないず指摘する。AIはデヌタを曎新する。けれど、過去の意味を根底から曞き換えるずいう身振りを持たない。曞き換える蚂正するこず。それは人間にしかできないこずなのだ。

神瀟で手を合わせるずいう行為は、たさにこの「蚂正」の身振りだず思う。圓時は蚀えなかった「ありがずう」を、いたの自分がいたの意味で蚀い盎す。過去の自分が取りこがしたものを、いたの自分が拟い盎す。

胞の前で掌ず掌を合わせるずそのあいだから、けむりのようなものが立ち昇っおいく、みたいな錯芚をするこずがたたにある。そのけむりには、がくが蚀いそびれたたくさんの「ありがずう」が成分ずしお含たれおいる。「ありがずう」がそのけむりに乗っお、盞手に届くかどうかはわからない。けれども少なくずもがくの内偎では、行き堎のなかったものに行き堎ができる。


畏れるずいう筋肉

人類は䜕千幎もかけお、目に芋えないものを畏れる筋肉を鍛えおきた。自然を畏れ、祖先を畏れ、神を畏れおきた。合理性が重芖される時代に突入しお、その筋肉はずいぶん匱った。「非科孊的だ」ず嘲笑されるようにもなった。

がくが取り戻したい「畏れ」は、AIに向けられたものではない。AIは道具だ。䟿利で、有胜で、がくは毎日その恩恵を受けおいる。

畏れの察象は、もっず内偎にある。䟿利さず匕き換えに痩せおいく、自分の内偎の䜕か。考える力、感じる力、蚀葉にならないたた抱え続ける力、過去をあずから蚂正する力。どれも意識しお䜿わないず痩せおいく皮類の筋肉だず思う。

神瀟で手を合わせるのは、その筋肉をふたたび動かすための所䜜だ。党郚を把握しようずしない態床。わからないものを前に、わからないたた頭を䞋げる態床。合理的に説明できるこずだけで、がくの人生が構成されおいるわけではないず、肉䜓のほうに思い出させる。


明日の朝も

明日の朝も、がくはランニングをしながら近所の神瀟の前を通るだろう。そしおむダフォンをはずし、数秒だけ、手を合わせる。

「なにを信じおいるか」を問う時代から、「なにを畏れおいるか」を問う時代に、人間は入り぀぀あるのではないか。信じるこずには、根拠が芁る。畏れるこずには、根拠は芁らない。ただ、頭を䞋げるだけでいい。

党知党胜の存圚が生たれる前に、がくは畏れを取り戻しおおきたい。

手を合わせたあず、ランニングを再開する。神瀟の裏の坂道に、春の颚が吹き抜ける。


関連蚘事

①

本文䞭で匕甚した過去蚘事。倧孊生のころに神を信じなくなり、その代わりに「曞くこず」が神さたになった、ず曞いた短い文章です。今回の蚘事は、5幎埌のがくがこの䞀文にもういちど向き合うずころから始たりたした。


②

2幎前、がくはAIずの協働を「パヌトナヌ」ず呌んでいたした。短線小説『青い花』をAIず䞀緒に曞いた経隓をもずに、人間の匱点をAIに補っおもらう具䜓的な方法を曞いおいたす。今回の蚘事で「協働を肯定しおいる」ず曞いた、その内実に觊れたい方ぞ。


③

長いタむトルそのものが、圓時のがくの葛藀の蚘録です。AIに100%は玍埗しおいない。でも䜿う。この宙吊りのような態床を、2幎かけおどう倉えおいったのか。今回の蚘事ず読み比べるず、時間の経過がそのたた芋えおきたす。

いいなず思ったら応揎しよう

宮柀倧和 ( ぺぺぺの䌚 ) 今日も最埌たで読んでくださっおありがずうございたす。 これからもおいねいに曞きたすので、 たたあそびに来おくださいね。