なぜAIの時代に、ひとりで黙々とする時間が必要なのか


脳が、一秒も止まらない。

AIに指示を出して、返事を待ってるあいだに、別のAIに指示出しする。その返事をまた待ちながら、3つめのAIにプロンプトをわたす。

1つのAIが考えているあいだ、もうひとつのAIからの返事を読み込んでおく。意識の裏側で次のプロンプトを考えておく。つねにプロンプトを入力するか、出力されたものを読み込むか、どちらかの作業をしている。


もちろん、つかれてきたらAIが考えてくれているあいだに、椅子の背もたれに体をあずけることもあるんだけど、基本的には手が空くと、落ち着かない。

とは言っても、個人でAIを動かしていたころは、2つのAIを同時に動かすので精いっぱいだった。それが新しい職場ではたらくようになって、3つ、4つのAI Agentを扱うことが日常になって、最初は捌けなかった並行処理がいつの間にできるようになってきたから、慣れというものはおそろしい。

いつの間にか普通になっている。


働いているあいだ、私はほとんどの時間をAIとの対話に費やしている。AIに休む間を与えないよう、絶え間なく言葉を投げ続けている。

人間がタスクを処理していた時代、集中とは「深さ」のことだった。1つのことに深く潜る。雑音を遮断して、対象だけに意識を絞り込む。机に向かって、ほかのことは考えないようにする……

ところが、今日びAIがタスクを処理する時代になって、人間に要求されることが変わってきたような気がしている。深さではなくて「広さ」。

同時に動く複数のAIに目を配り、それぞれに違う指示を出し、返ってきたものを判断して、また次を投げる。深く潜る力ではなく、広く見わたす力。


深さと広さは、たぶん別の能力だ。

アンデシュ・ハンセン著『多動脳』に、こんな話が出てくる。著者が取材したある人物——ずば抜けて創造的な人なのだが——は、頭のなかの思考の流れが永遠に鎮まらないという。

「美しい夕陽を見ても、3秒後には『はい、きれいだったね。で、次は?』と思ってしまう」。周りの人は何分でも夕陽を眺めていられるのに、自分の心の平安は数秒しか続かない、と。

読んでいて、ちょっとわかるなぁって思った。東京に住んでた頃の自分はまさにそんな感じだったから。

どんなに素晴らしいことが、目の前で起きていたとしてもいつも心ここにあらずって感じで。このあとどうしようか? って考えてしまう。

今ここに集中することができない。それができないと致命的に人生を楽しむことができない。


ただ、アンデシュ・ハンセンはこうも書いている。

衝動を抑制できる人は、クリエイティブな考えも抑制している。落ち着かなさと創造性は、地続きなのだ。広さは、ただの散らかりではない。いくつもの考えが同時に弾けて、思いがけないものがつながる。多動は、創造の別名でもある。

だとすれば、広さに適応していく私は、新しい力を手に入れつつあるのかなぁ。どうなんだろう。


いっぽうで牛尾剛著『世界一流エンジニアの思考法』には、ポールという同僚が登場する。

著者が見たなかで最も優秀なエンジニアのひとりだという、そのポールは会議で自分に関係ない話が続いているあいだも、いっさいほかの作業をしない。チャットの返信すらしない。ただ、聞いている。


Microsoftで働くエンジニアってめちゃくちゃタスク多そうだけど、そんな人でも、会議中に別の作業をしない。

他方で日本のエンジニアって会議中に結構手を動かしていることが多い。

たぶん会議のクオリティーの差もあるんだろうけど。


徹底してシングルタスクであるべき。ひとつのことを深く理解するまでは、ほかの事に手を出さない。ポール氏が手放さないのは、速さでも量でもなく、理解の深さなのかもしれないね〜

確かに、私もAIを扱っているとき(アウトプット時)は並行処理だけど、インプット時はシングルタスクであること、逐次処理を心がけている。

誰かといっしょにいるときにはスマホを触らないようにするし、走るときにはイヤフォンで耳を塞がないし、本を読む時間はただ読むしかない。

戯曲を書く時間は、アウトプットだけれど、自分の意識の底に深く潜っていく感覚だからAIを介在させない。ひたすら自分自身と対話をする。

こういう時間があるおかげで、並行処理を要求されるときに、力を出せるのかもしれない。インプットもマルチタスクで、つねに並行処理で生きていたら自分は潰れてしまうだろうなって思う。絶対潰れる。


だから、もしかすると、深さと広さって必ずしも対立しているわけじゃなくて、共存させることも可能なのかもしれないな、って思った。

耳を塞がずに走る朝、本に潜る昼、スマホを置いて人と向きあう夜。

そのあいだに、私は自分の内側にあるものを鎮めている。パスカルが『パンセ』に書いている「人間の問題はすべて、部屋の中に1人で静かに座っていられないことに由来する」、あの静けさをどうにか取り戻そうとしている。


何もしていないように見えて、脳は記憶を編みなおし、ばらばらのものに意味を結びつけている。

その静けさで満たした分だけ、私の注意は散漫になる。深さは、広さの対義語ではない。

深さと広さを共存させる。




この記事を最後まで読んでくれた人へ。

ポッドキャストと読書のインプットの質の違いとか、タイトル通りAIに書かせたら書き手が何を失うのかを考察してみた記事。すべて人の手で書くのと、AIをつかって書くのとでは使ってる筋肉が違うと思う。だから鍛わる部分が違う。別種のトレーニング。


いいなと思ったら応援しよう!

宮澤大和 ( ぺぺぺの会 ) 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。