メインコンテンツへスキップ
見出し画像

いまさらの Sigma BF 雑感

    康凱爾

    継続力が無いのが悩みである。瞬発力だけで生きているから、コツコツと積み上げるということができない。だからブログのようなものも続いたためしがないし、SNSでの継続的な発信なども、それを目的とする限り苦痛である。

    しかし、世の既成のサービスやシステムは、それが可能な、几帳面で真面目な人向けにできているので、私はそれらを持て余してしまう。WordPressなどを使ってタグやカテゴリで管理する必要があるほどの数のコンテンツを並べてみたいが、それが叶ったことはない。

    なので、先月、ポートフォリオや写真置き場を、不真面目で飽きっぽい私専用のシステムとして整備し直した。ポートフォリオは裏で私専用Twitterのようなシステムを動かし、ツイートと写真置き場の写真がぐちゃぐちゃと混ざって流れてくるようにした。このぐちゃぐちゃ具合が、私の整理できない頭の中みたいで気に入っている。写真置き場の方は前記事で紹介したものである。

    で、ここからが本題。このシステムはだいぶ自分の身体と馴染んでいて、自分で眺めていても楽しいので、写欲がむくむくと湧いてきたのである。

    写欲が湧いた中年男性がまずやることと言えば?
    そう、機材を買うことである。

    *

    というわけで、ここにSigma BFがある。

    画像
    レンズも衝動買い

    私は普段はM11を使っていて、これはもちろん大好きなカメラなんだけれど、まあ、やはり場所によっては目立つ(私がビゾフレックスなんぞをつけているからかもしれないが)気がする。これまで三度くらい、道端で「そのカメラなに?」と聞かれたことがある。生まれた時に社交性にパラメータを振り忘れた私は、そういうのが苦手なのだ。存在を消したいのに。そういえば、全聯(スーパー)の出口で待ち構えている、提携クレカの勧誘のお姉さんも苦手だ。私は外国籍だから、クレジットカードを作るのも色々面倒なんだ。放っておいてくれ。

    で、もっと目立たない、小さいカメラが欲しいよね。でもレンズ資産は活かしたいよね。そんなわけで、去年話題になっていたBFを思い出したのであった。目立ちたくなかったので、色は黒にした。黒いのもあるのを、買う段になって初めて知った。

    レビューを見ようと思い色々調べたが、発売直後の記事がほとんどだった。大勢がシルバーを買い求め、その美しいカメラ自体の写真を撮って絶賛するという、ガジェット的な消費をされているように見えた。一方で、最近の記事はあまり見当たらない。皆本当にこれで写真を撮っているのか、それとも飾り物として買われたに過ぎなかったのか?

    そう思いながら自分で2週間ほど使ってみて、なんとなくその理由がわかったような気もする。正直、道具としては色々と我慢を強いられる感じである。


    画像
    Sigma BF, NOKTON 40mm f/1.4 MC VM, Warm Gold


    まず、重い。

    金属の塊だから当たり前だが、体積が小さい分、なにかやたらと重く感じる。これをハンドストラップで手首にぶら下げて、軽快にスナップというのはちょっと無理がある。手首にぶら下げると、重さで手首が締め付けられて痛い。ぶら下げているこれを子供の頭にでもぶつけたら、大怪我になりかねない。GRはそういうスタイルも可能だったが、BFではつらい。

    次に、以外とかさばる。

    これも当たり前だが、レンズをどんなに小さい物にしたとしても、やはりそこそこかさばる。フルサイズミラーレスとしたら小さいが、コンデジのつもりで持つと、その大きさに辟易する。カバンにそのまま入れるのも躊躇する大きさだ。もちろん、ちょっと両手を使いたい時にポケットに入れて、なんてことは不可能である。散歩がてら、うっかりハンドストラップだけで持ち出して、キャットフードを買って持って帰ってくるのが大変だった。


    画像
    Sigma BF, NOKTON 40mm f/1.4 MC VM, Powder Blue


    次に、測光(というか露出補正?)に少しクセがある気がする。

    スポット測光モードと多分割測光モードがあるが、どちらもオーバーに転びやすいような印象がある。例えば、以下のような明暗差が大きいシーンの露出決定が苦手のようである。


    画像
    Sigma BF, NOKTON 40mm f/1.4 MC VM, Rich


    このような中央は明るく周りは暗いシーンでは、どちらの測光モードでも中央が完全に白飛びしてしまったので、自分でかなり露出を補正する必要があった。

    といった感じで、なかなかの曲者である。少なくともコンデジの手軽さはない。

    私は若い頃、ハマるとゾクっとする絵を出すものの、SDカードへの書き込みに3秒くらいかかるので有名なDP3 Merrillを使っていたことがあるので、何か懐かしい感じがした。Foveon機ほどではないにしろ、Sigmaのカメラという感じである。

    *

    そうかそうか、つまりきみはそういうカメラなんだな。

    わかりました。ちゃんと首から、肩からさげましょう。一点吊りしかできないボディなら、アンカーをつけてあげましょう。コンデジ扱いしてすまなかった。きみは立派なフルサイズミラーレスだ。

    するとどうでしょう。重さは気にならない(M11より軽い)し、やたらと小さく感じる。あれ?きみはどうしたんだい。急にコンデジのような顔をして。


    画像
    Sigma BF, NOKTON 40mm f/1.4 MC VM, Warm Gold


    両手が空くと、足取りも軽やかになる。雨の心配がなければ、カメラバッグも不要である。この身軽さが良い。このカメラはレンズをいくつも持ち出して取っ替え引っ替えして使うようなカメラではない。出かける時に1本だけ選び、その不自由を楽しむ。そんなカメラだ。

    ファインダーを覗くという行為が、物理的に取り上げられるのも良い。M11を持っている時に、背面液晶で撮ってしまうと「このカメラじゃなくてもいいのでは」という気がしてしまい、なんだか虚しくなってしまうのだが、BFではそもそもその撮り方しかできない。

    そして、今の世は、写真はそうやって撮る人の方が圧倒的に多い。今日びファインダーを覗くというのはある意味異様な動作で、それだけで場の空気を引き締める。スマホ的に撮る動作の方が、空気に馴染む。そんな気がする。


    画像
    Sigma BF, SUMMILUX-M 50mm f/1.4 ASPH. 11728, Warm Gold


    不自由は、ときに覚悟に繋がる。

    私はそのつもりなく台湾にやってきて、なぜか台湾の本まで書いたりしてしまった人間だが、それらも、ある種の不自由の産物である。

    なんでも、好きなところで、好きなことをしていいよ、という絶対の自由が与えられていたら、私は本を書いただろうか?台湾にまだ暮らしているだろうか?無限の可能性に振りまわされて、結局、なにも決められず、なにも為せていなかったのではないか?

    そんなことを思い出させてくれるこのカメラは、めんどうくさいところも含めて、私に少し似ているかもしれない。

     
     
     
    日本人。妻は台湾人。娘も70%くらい台湾人。 会社員しながら台湾で台湾の文化や思想を研究しています。 著書に『日本人のための台湾学入門』(平凡社新書)。 プロフィール: https://kokaiji.tw/ 台湾生活写真集: https://photo.kokaiji.tw/

    あなたへのおすすめ