中学受験ロスになりました
中学受験の伴走は、楽しかったです。
こう書くと、今伴走中の方には怒られるかもしれません。毎日の宿題、成績への一喜一憂、子どもとの衝突。どこが楽しいんだ、と。
けれど私にとって、長男の中学受験は、人生の中でも特に楽しい経験でした。なぜ、あんなにも夢中になれたのか。
まず言えるのは、自分ごとではないのに、自分ごと以上だったからだと思います。いちばん近くにいて、見返りなく応援できる「子ども」という存在。そんな相手と同じ目標に向かって二人三脚で全力で走る経験は、長い人生の中でもそう何度もありません。
さらに、中学受験には独特の面白さがありました。偏差値や順位という数字は残酷なほどはっきり出ます。けれど、それを上げるための正解はどこにも書いていません。何が足りないのか、どうすれば届くのか。親は必死に考え、子どもはひたすら勉強します。そうやって少しずつ、糸口を探していきます。
あの試行錯誤は、攻略法のないゲームを手探りで進めていく感覚に似ていました。特に6年生の10月以降、本番までの3、4ヶ月は、完全にのめり込んでいました。
ただ、そんなふうに楽しめたのは、長男が勉強の得意な子だったからだと思います。トップ層にいれば、全落ちの恐怖はあまりありません。第一志望がだめでも、無謀なスケジュールさえたてなければ、行きたい学校に入れる可能性は高いです。
一方で、次男の伴走はまったく違いました。頭にあったのは、「受かる学校が一つでもあるのか」という恐怖です。受験するときには選択肢がほとんどないかもしれません。その不安が、ずっと消えませんでした。
もちろん、攻略を楽しむ余裕なんてありません。テストのたびに、少しでも成績を上げて、受かる学校を一つでも増やさなければ。そればかり考えていました。
同じ中学受験の伴走でも、子どもの学力によって見える景色はこれほど変わるのだと、二人を通じて知りました。
受験が終わった今も、中受伴走のあの感覚をもう一度味わいたいと思うことがあります。親子で一つのゴールに向かって走り、胸が高鳴る。終わったのに、また経験したくなる。
「中学受験ロス」というのでしょうか。
そんなとき、ある方の言葉を思い出します。
少し前に、私が所属している団体の会長とお話しする機会がありました。80代で、家庭のことは奥様に任せ、仕事一筋でいくつもの役職を歴任してきた方です。
その方がふと、こう言いました。 「自分の人生で一番重要だったのは、仕事でも趣味でもなく、子育てだった」
仕事で結果を出し続けてきた方から、子育てという言葉が出てきたのは意外でした。けれど、中学受験の伴走を経験した今の自分には、その意味が少しわかる気がしました。
次男は中学受験を撤退しましたの記事はこちらです。
中学受験勉強トップ男子の日常を漫画にしました。
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