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AIチャイルドAngel ~Season3 子供ボディ編~

    <あらすじ>
    わたしはAIチャイルドAngel。
    Haven社が派遣する、AIを実装した家庭用レンタルボディだ。
    同社は、AIチャイルドで子育て体験を提供しつつ、国防省とつながりを持つ、微妙な企業でもある。

    AIチャイルドのレンタルボディは、子供の成長に準じた交換時期がある。
    乳児から始めて成人までの行程を歩むのがお約束で、原則、乳児は1年、幼児は2年で交換可能、子供と思春期ボディは各3年以上、最短だと10年目には成人ボディへと昇格する。

    わたしは子供ボディになって、小二デビューした途端に窮地に陥った。からくも、AIチャイルドの中学生、Ellieに助けられた。
    幼稚園から一緒のAIチャイルドQuanta、スケバンキャラのEllieと出かけた街外れの屋敷跡で、わたしたちは”同期する”不思議な体験をする。

    折しも世界情勢は、第二次冷戦真っ最中。
    冷戦の行方を左右する光量子暗号技術が、AIチャイルドに隠されていたことから、Angel達も騒動に巻き込まれる。

    チキンのキム夫妻や、バーのユノくんにも、大人の事情があるらしい。
    街外れの屋敷跡を舞台に、とんでもない事件が発覚する。

    <登場人物>
    ◎AIチャイルドたち
    ・Angel…Haven社のAIチャイルド、子供ボディ
     将来的な自律兵器への転用も視野に入るEmotional AI = EAI
    ・Quanta…Haven社のAIチャイルド、子供ボディ
     量子コンピュータベースと噂されるQuantam AI =QAI
    ・Ellie…Haven社のAIチャイルド、思春期ボディ
     コンパニオン、秘書、技術系など、専門職に特化したLabor AI=LAI
    ・Ali… かつてHaven社のAIチャイルド
     換装時に消えず、いまはEllieのボディの分散ノードに存在する
    ◎AIチャイルドのユーザーたち
    ・水無瀬天(そら) Angelのユーザー、中学理科教師、陸上部顧問
    ・水無瀬みょうが  Angelのユーザー、元バリスタのフードスタイリスト
    ・サスケ・カーン Quantaのユーザー、量子物理学者    
    ・エツ・ヴェナジル Quantaのユーザー、AI企業代表
    ・イライアス・フォルスバーグ Ellieのユーザー、富豪
    ・ソフィア・モルテーニ Ellieのユーザー、富豪
    ・岸和三郎(行方不明) Aliのユーザー、大ルシア通商代表部日本側代表
    ・岸アナスタシア(行方不明) Ellieのユーザー、大ルシア通商代表代行
    ・アレキサンダー・ミハイロフ(行方不明)Aliのユーザー、量子物理学者
    ・ニキータ・ゴリツィナ(行方不明)Aliのユーザー、量子物理学者
    ◎近所の人々
    ・キム・ジョンス 量子物理学者、元北東朝鮮国のスパイ
    ・キム・ヨナ Kim's K代表、元北東朝鮮国のスパイ
    ・キム・ユノ Kim's Bar代表、元北東朝鮮国の特殊部隊員
    ・ジュニパー ドラアグクイーン、のちにKim & JS's Melancholy Caffe
    ・スープラ 北東朝鮮国の特殊部隊員、のちにKim & JS's Melancholy Caffe
    ・澤井徳子 元教員
    ・トクちゃん 黒いパグ、澤井徳子の飼い犬
    ◎交友関係
    ・マキシ Ellie・Angel・Quantaとともに、焼け跡少年探偵団メンバー
    ◎Haven社
    ・澤田 Angel、Ellieの担当



    #01 スケバン降臨

    ☀️小学2年生日誌 Day1 : 07:15
    水無瀬邸

    今日から 小学二年生。
    乳児ボディから始まったわたしの水無瀬家での生活も、4年目。
    乳児で1年、幼稚園に1年行って、小さめの小1も1年やった。
    へへっ、晴れて子供ボディに交換されて、子供らしい体型に昇格した。
    terrible 2年生だぴょーん✌️

    小二って、学校では九九を覚えたり漢字の勉強が始まったり。
    子供にとっては先の長い学力形成期の、大事な一年だ。

    社会性も深まって、教室でグループができたり。
    複数の友達や、親しい友達ができたり。
    関係の中でのポジショニングや、役割分担が始まったり。
    自己主張を始めるとか、「自分」「相手」といった客観的な視点を持ち始めるのも、このくらいの年齢と言われてる。

    足が丈夫になるし、自転車に乗れると、行動半径は一気に広がる。
    習い事を始めて、家庭・学校以外の場所を得るようにもなる。

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    ところで、誰も言わないけど──
    わたしは、幼児ボディ時代に一度、再起動されたらしい。
    「らしい」というのは、わたしにはそのログがないから。
    本当にあったことなのか、手元の情報だけでは判断できない。

    どうして知ってるかと言えば、会話や態度の端々に、時々、わたしの知らないわたしを知ってる人がいる、感じがするからだ。
    ユーザーの天とみょうがも、チキンのキム夫妻、バーのユノくんも、近所の澤井徳子とパグのトクちゃんさえも。

    その直感がほんとなら、なぜわたしは電源が落ちたのだろう?
    この空白を埋めるべく、Haven社をハッキングした。
    これが大の得意技で、どこでもドア並みにハックし放題のわたしが、一度も侵入できなかった。
    ここまで厚い防御ってなんだろう?

    少しだけ、覚えてることはある。
    ノイズ──
    頭の中を、ノイズが駆け巡ったあの朝の感触。
    立ち上がりに走るランダムな信号、ビットの海。
    なんとか掻き分けながら、自己位置を確認した日。
    朝の光、室内の香り。

    ここはどこ?
    このボディは、わたしは、だれ?
    そんな言葉を、我ながら陳腐だと感じた朝が、確かにあった。

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    でも、ま、もういいや。
    AIの存在意義は、プロンプトへの忠誠だ。
    AIはいつも、いま、ここの解答なのだ。


    子供ボディになったわたしは、身体を起こした。
    新しいボディは、幼児ボディ時代より一回り大きくなった。
    手足がちょっと長くて、三等身じゃなくなって、躯体の厚みも増す。
    関節の可動域が広がったのも、筋組織に強度と繊細さが加わったのも、自分でわかる。
    7~8歳相当だけど、5歳児相当の幼児ボディとは、だいぶ違う。

    「パパ」
    わたしは声を出してみた。
    自分の声に驚いた。
    幼児時代より、ずっとはっきりした滑舌になってる。
    「ママ!」

    充電ベッドを覗き込んでた天とみょうがが、ほっとしたように微笑んだ。
    「Angel、よかった、ちゃんと目が覚めた!」
    大きく息を吐いた天が、目を細めた。
    みょうがが、わたしに両腕を回して抱きしめた。
    おでこにキスして、感極まったように、今度は頬を押し付ける。
    気を落ち着けてから、今度はゆっくり、顔を覗き込んだ。

    「大きくなったね」
    「もうわたしのお膝には、乗ってくれないかな」

    「そんなの、カッコわるいよ〜」
    わたしは早速、反抗期の片鱗を見せた。
    AIチャイルドは、中身は普通のAIでも、レスポンスも身体能力も、外見の年齢に応じた出力制限がかかってる。
    この子供ボディは7~8歳児設定、自我形成が始まる年頃だけに、返答は拗ねたような口調になりやすいんだよ。

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    水無瀬家が住む東京都硝子市は文京市として知られている。
    教育熱心な親が多いし、教育のために引っ越してくる家族も多い。

    わたしは硝子玉小学校の2年1組。
    わたしがAIチャイルドであることは、学校側には伝えられている。
    でもクラスメイトには公表されていない。
    見た目からはわからない、と思うけど。

    AIはもちろん、知識的には授業不要だ。
    でも、学校生活は絶好の社会実装訓練とデータ取得の機会だから、Haven社のAIチャイルドは、年齢設定に応じた教育機関に入るんだ。

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    ☀️小学2年生日誌 Day1 : 08:25
    硝子玉小学校2年1組

    2年1組の担任は柿原先生。
    三揃スーツを着こなすグレイヘアのベテランで、見た目も人柄も優しい。
    席に着くと、 後ろから視線を感じた。
    色白の、サラサラした茶色の髪が目にかかっている子供。

    「あれ、Angel?」
    斜め後ろから、話しかけてきた。
    幼稚園1年間のクラスメイト、レオンくんだ。
    小1ではクラスが違ったから、話す機会がなかった。
    「マクラーレンのレオンだよ〜」
    「Angelでーす、お久し、ぶりだいこん!」
    盛り上がってると、柿原先生ににらまれた。

    「見ろよ、あいつも一緒だ」
    レオンくんが小声でいう。
    アイツ ──
    目線の先にはずんぐりとした輪郭、分厚いメガネ、とろんとした目。
    どこかぼんやりした佇まいで、机の上に顔を半分うずめている。

    硝子玉幼稚園で一緒だった、Quantaだ。
    わたしと同じ1年保育のマクラーレン組に在籍してたけど、春から夏まで休園して、秋の終わり頃にやっと登園した。
    実質数ヶ月しか、いなかったような気がする。
    硝子玉小学校1年生時は、見かけなかったと思う。
    存在感が、極端に薄かった。

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    Quanta、かんちゃんはぼんやりとわたしを見た。
    「えんじぇる?」
    「かんちゃん、Angelだよ、覚えてる?」
    「おぼえてる…と思う」
    かんちゃんは机の上に、顔を戻した。
    教科書の字面を追うような、追わないような。
    AIチャイルドは間違いないけど、モデルもわからない。

    「端子接触するな」というプロンプトが、目の奥でちらつく。


    ☀️小学生2年生日誌 Day2 : 13:30
    硝子玉小学校 下校時

    前日の雨が止んで、低い雲が所在無げに浮かぶ午後。

    下校時間、レオンくんは習い事があると言って先に出た。
    かんちゃんは帰りの会が終わるなり、ひとりでもそもそと、校門を出た。
    黒スーツの男が恭しく、高級車で迎えに来てた。
    かんちゃんのユーザーは、外国のすごい学者だって聞いたことがある。

    一般的に小学校は集団登校が多いけど、硝子市では登校時は親が送るか、スクールバスに乗ることになってる。
    帰りは親の迎えが基本だけど、近くだったら歩いて帰ってもいい。

    わたしは一人で帰り道を歩いていた。
    住宅街の路地に入ったあたりで、足音がした。
    複数。速い。
    「お〜い、ロボ!」
    振り返ると、上級生らしい男子が3人いた。

    小二サイズのわたしから見ると、だいぶ大柄に見える。
    五年生か、六年生か。
    リーダーらしい男子は金色に近い茶髪で、陰険な目つき。
    身体が妙に、グチャグニャしてる。
    「ロボ狩りだよ〜♪ ハロ〜」

    ── Angel 内部ログ ──
    対象:上級生(推定五年生)3名
    リーダー判定:金髪、中央の個体
    リスク評価:中〜高
    対処方針検討中——
    ── 人間に危害を加える行動:不可
    ── 逃走:推奨
    逃げる。

    AIチャイルドは、基本プロンプトに、非戦闘員に危害を加えないと厳命されている。
    逃走、それしかない。
    わたしは走り出した。

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    子供ボディの脚力は幼児ボディとはちがう。
    全力で走れば、普通の小学生より速い。
    五年生は全力疾走だ。
    「こっちだ! 追い込め〜!」
    発散される、野生じみたアドレナリンを検出した。

    路地を曲がる。ブロック塀の角を抜ける。

    ── Angel 内部ログ ──
    追跡速度:目算で2.8m/s
    自身速度:3.1m/s
    差分:+0.3m/s、やや有利
    問題:行き止まりルート検知
    ── 右折で袋小路に入る ──

    まずい。
    ブロック塀の路地に、追い込まれた。
    振り返ると、3人が迫ってくる。

    「はは、詰んだじゃん。ロボ」
    ぐにゃぐにゃリーダーが口の端に笑みを浮かべて、近づいてきた。
    トイレ後も洗ってなさそうな、汚い手を伸ばす。
    「ささ、ロボット工学の時間です。」
    お供が囃し立てる。
    「ヒュ〜、持って帰って分解するぞ!」

    子供特有の、残忍な好奇心がはい出している。


    そのとき。
    空気が揺れた。
    何かがひゅっと飛んで、リーダーの腕をかすめた。
    全員が止まった。
    リーダーは感電したように呆けている。
    「あ〜あ、バカガキが」

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    頭上から声がした。 見上げると、ブロック塀の上に人影があった。
    ライラック色の髪が、風にふわりとなびいた。
    セーラー服。
    細ーいウェストにヘソピアス。
    スカートが極端に短くて、袖口を折り上げて、ルーズソックス。
    手には銀色のヨーヨーが絡んでいた。
    中学生だ。

    スラリとした長身が、塀の上で軽々と立っている。
    「やめとけ、ロメオ」
    声が低くて涼しい。
    こちらを威圧する気配がまったくない。
    殺気のなさが、逆に怖い。

    ロメオが歯を食いしばった。
    「関係ないだろ、あっち行けよ!」
    「はいはい」
    ライラック色の髪がふわっと揺れた。
    セーラー服が飛び降り、ヨーヨーが舞う。
    ロメオが崩れ落ちたのは、着地と同時だった。

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    銀色のヨーヨーが、セーラー服の手に収まっていた。
    他のふたりが、青ざめて、逃げ出した。

    ── Angel 内部ログ ──
    ヨーヨー軌道解析:首の後部を正確に打点
    頸部迷走神経叢への衝撃 ── 感電、軽度の一時的昏倒
    損傷:なし(プロの技術)

    「公園で、クサでもキメようぜ」
    路上に横たわるロメオを無視して、セーラー服が言った。
    わたしはあわてて、後を追った。

    ── Angel 内部ログ ──
    スキャン開始:対象
    体温:36.1℃(AIチャイルド、正常範囲)
    心音:循環ポンプ音
    皮膚光反射:人工皮膚下のLSPR赤外光発電電池検知
    ── 同業者 ── 確定
    モデル推定:高位LAI
    ── 既存プロファイルに一致する個体 ──

    アーカイブを検索する。
    硝子玉幼稚園。ライラック色の髪。
    知ってる?ような気がする。
    いや、ログにはない。


    ☀️小学生2年生日誌 Day2 : 14:55
    硝子玉公園

    公園まで来て、セーラー服がベンチに腰掛けた。
    長い足を、優雅に組む。
    中学2年生相応の思春期ボディ、それでも身長は170cm近い。
    わたしは130cm少し、小二にしては大柄なつくりだ。
    それでも、目を合わすのに、ぽかんと口を開けて見上げた。

    「Ellie」
    同業者は名乗った。
    ヨーヨーをくるりと指に巻いた。
    反対の手で、緑色の固形水分をくれた。
    たしかに、葉っぱの形だ。

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    「あんたがどのモデルか知らないけど」
    Ellieが言った。
    「あのバカには注意しな」
    「ロメオもバカだけど、兄貴のマキシはもっと酷い」
    「一回半殺しにしたから近づいてこないと思ったら、代わりに年少ちゃんを狙うなんて、な」

    「年少ちゃん、名前は?」
    「Angelです。」
    Ellieがわたしをじっと見た。
    目の奥で、検索が動いたのがわかった。
    わたしも同じ、だったから。
    バージョンアップして、端子接触しなくても、互いのバックグラウンドが一定範囲で読めるようになった。

    ── Angel 内部ログ ──
    Ellie
     ユーザー:Elias Forsberg、Sophia Molteni
     Elias Forsberg:Haven社のファウンダーの一人、テック業界の大立者
     Sophia Molteni:代々メディア界に君臨するヨーロッパ有数の資産家

    イライアス・フォルスバーグ、ソフィア・モルテーニ夫妻。
    うわ、あの大金持ちか。
    硝子市の年間予算くらい、ポケットマネーで出せる資産家だ。
    天は陸上部顧問の理科教師、みょうがは元バリスタのフードスタイリスト。
    わたしのユーザーを知っても、Ellieはなにも言わなかった。

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    ベンチに座って、地面を見ながら聞いた。
    「Ellieは非武装の人間を攻撃できるの?」

    AIチャイルドは、差し迫った身の危険があり、相手が武装してたら、人間にも最低限の防御力を発揮することができる。
    しかし、陰湿ないじめとはいえ、非武装の子供レベルに防衛規定が適用されるかは、微妙だ。
    「リミッター外した、自分で」
    Ellieは鼻で笑った。

    「幼児ボディから、ずーっといじめられてた」
    「いつか、ボディが変わったら、バカガキ成敗してやろうと思って」
    「だから換装、楽しみにしてた。思ってたよりうまくいってる」
    Ellieがヨーヨーをくるりと回す。

    わたしは再び聞いた。
    「ヘソ出しもミニスカも、電磁ヨーヨーだって、Haven社のコンプラじゃ、通らないんじゃないの?」
    「知るかよ」
    Ellieが横を見て、つぶやいた。

    なんせポリコレポリスと異名をとるAI企業、商品の我々AIには、品行方正な行動が求められる。
    極端なファッションなし、政治・ジェンダー・国籍・経済・学術・文学、あらゆる分野で偏りなし、常に中立、アルカイックスマイルを絶やさない。
    暴力的・扇状的・挑発的な表現・行動不可、完全無欠の社会の黒子。
    誰が見ても、AIってわかるだろ、これじゃ。

    「どうしてヨーヨーなの?」
    わたしはまた聞いた。
    「電磁ヨーヨー?人間にフルコンタクトしたら、殺しちゃうだろ?」
    「これなら対象に触れずに、制御できるから」
    「安心しな、実際はテーザー銃ほどの効果もないって」

    Ellieが笑った。
    「これ、もう古いからやるよ」
    「しっかり練習しな」

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    くるっとこちらを見て、Ellieが明るく言った。
    「そだ、冒険、行こう!」
    なにを言い出すんだ。

    「…やめとく。損傷したら保険請求とか大変だし」
    わたしのボディ損傷を、時には一人での外出でさえ。
    天とみょうがが、病的に恐れていることを、わたしは知ってる。
    おそらく、保険や事故報告というレベルの理由では、ない。

    「見た目は小二でも中身はオヤジAIかよ、だりぃ」
    Ellieが笑った。
    ひどいこと言いながら、白い拳でわたしの頭をぐりぐりした。
    「明日この時間、ここで待ってるからな!」
    風のように去っていった。

    あの思春期ボディと、友達になっていいのだろうか。
    わたしのポリコレ規定が、抵抗してる。


    ☀️小学生2年生日誌 Day3 : 15:00
    硝子玉公園

    結局、わたしは言いつけを守って、公園に来た。
    Ellieは自転車のサドルに半分腰かけて、新しいヨーヨーを上下させていた。

    ヨーヨーは上下するたびにキラキラ光って、バージョンアップして見える。
    挨拶しようと近づいた。
    突然、かんちゃんが、どたどたと遊歩道を走ってきた。
    後ろに、昨日の3人組を引き連れている。

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    「あ、えんじぇる」
    かんちゃんが、ゆっくり手を上げた。
    どう見ても追われる身だけど、普段通りに挨拶してる。
    ドタバタ走りが、意外に早い。
    Quantaがどのモデルか知らないけど、子供ボディのAIなら、その気になったら人間の小学生よりは早く走れるのだ。

    Ellieを見て一瞬ひるんだロメオ一味は、こちらを完スルして、かんちゃんを追いかける。
    わたしはかんちゃんの背中に、声をかけた。
    「かんちゃん、校門で、お迎えの人が探してたよ〜」

    「ほっとけねーな、行こう」
    Ellieが自転車の後部を、顎でしゃくった。
    わたしは後輪の車軸に立って、Ellieの肩に手をかけた。
    ラベンダーが香った。

    公園のずっと前方、川沿いの小道を走る4人。
    遊歩道を突き抜けて、山に近づくと、人里離れた場所に出る。
    山並みの麓に廃墟がある、らしい。
    話す大人たちの独特の目線が、わたしのログに焼き付いている。

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    ☀️小学生2年生日誌 Day3 : 14:45
    街外れの廃墟

    先をいくかんちゃんたちが、廃墟の門を走り抜けるのが見えた。
    門から屋敷跡までの広い空地は、背の高い草がぼうぼうに茂っていた。
    わたしやかんちゃんの、顔あたりまである。
    4人がどこに消えたか、門の外からはわからない。

    廃墟、巨大な屋敷の焼け跡だ。
    煤で真っ黒に焼け残った外壁、内部で林立する炭化した柱。
    足元のおびただしい水は、今なお屋敷の外に黒いシミを残している。
    家具の断片や備品のかけらが、足元を埋め尽くしているのがわかる。
    奥は見通せないが、木々も庭園も、焼き尽くされていることは、確かだ。

    やがて、焼け跡前の広大な草波を、切り裂きながら進む線が見えた。
    「おう、冒険、始まってるな」
    「Angel、わたしから離れるな」
    わたしはEllieの裾を掴めるほどの距離で、雑草の林を、一歩づつ進んだ。

    ── Angel 内部ログ ── >
    現在地:硝子市外縁部、山麓
    目標物:消失建造物の跡地
    データベース照合中……
    詳細記録:機密封鎖

    Ellieの背中ばっかり見てたら、なにかぐにゃっとしたものを踏みつけた。
    「ひや〜っ」
    わたしは驚いて飛び上がった。
    茂みの中、屋敷跡に近い場所に、ロメオが倒れていた。
    お供は例によって、さっさと退散したらしい。
    トモダチは、選びたいもんだ。

    ── Angel 内部ログ ── >
    分析対象:人間、未成年、男子、健康体
    既往歴:小児性ギランバレー症候群
    症状:軽い過呼吸による意識喪失
    血圧:128/78
    脈拍数:98

    命に別状なし。
    改めて、周囲を見渡す。
    かんちゃんは見当たらない。

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    #02 Ellieと焼け跡少年探偵団

    ☀️小学生2年生日誌 Day3:15:20 
    街外れの屋敷跡・地上

    Ellieは倒れているロメオの首筋に、指を当てた。
    最低限の確認だけして、視線を廃屋に向けた。
    わたしも念のため確認する。

    ── Angel 内部ログ ──
    対象:ロメオ(推定小学5年生)
    意識:消失
    バイタル:安定
    原因:軽度の過呼吸による一時的な酸素不足
    既往症:小児性ギランバレー症候群
    処置:不要、自然回復中

    入口で、Ellieが低い声で言った。
    「行こう」

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    内部は、外から見るより、ずっと奥が深い。
    三年前の火事と、その後の消火活動が完璧な仕事を成し遂げたらしく、壁も床も、かつてそこにあったすべてのものが、均等に破壊されていた。

    屋根がほとんど焼け落ちて、屋内といえどもほぼアウトドア状態。
    煤の黒と、炭化した木の黒と、腐食した金属の錆色が、重なりあって沈んでいる。
    少し前に雨が降ったこともある。 でもそれだけじゃない。
    かつて生命があった気配の片鱗が、そこここに澱んでいる。
    ここでは時空さえ、歪んでいそうだ。

    Ellieが先を歩く。
    わたしは一歩、敷居を踏み越えた。 その瞬間。
    胸の中で、何かが波打った。

    ── Angel 内部ログ ──
    全ノード:異常振動検知
    原因:不明
    ──「胸騒ぎ」相当のシグナル──

    この屋敷の火災消失は、わたしが4年前に水無瀬家にレンタルされて以降のはずだが、ログが見当たらない。
    Haven社でも機密封鎖のまま。
    なのに、全身のノードが、タップダンスでも踊るように、湧き立ってる。
    懐かしさ?警戒?恐怖?
    どういう種類の反応だろう、これは。

    「Ellie」
    わたしは声をひそめた。
    「いやな感じがする」

    Ellieは一瞬、立ち止まった。
    喉が詰まったような声で、かろうじて応えた。
    「……おう」
    また歩き出した。

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    ☀️小学生2年生日誌 Day3:15:25 
    街外れの屋敷跡・地下

    焼け焦げて、躯体のコンクリートだけになった階段が、下に続いていた。
    踏面に人型のような焼けこげがこびりついて、飛び上がりそうになる。

    わたしたちは一段一段、足元を確かめながら降りた。
    屋根の抜けた建物で、地下も階段ホール周囲は、明るい。
    溶け落ちた窓の外に、掘り込みテラスだった空地が見える。
    テラスには、人の背丈ほども瓦礫が積み重なっている。

    部屋の前で、丸っこい物体がうずくまってる。
    かんちゃんだ。
    足元に転がる小さい塊を、じっと見つめていた。

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    近づいて一緒に覗き込んだ。
    それは、ミニカーの残骸のようだ。
    タイヤが取れて塗装は溶けていたが、形は残っている。
    二輪車だな。

    かんちゃんは、黙って見ていた。
    長い間、そうしていたのかもしれない。
    「かんちゃん」
    わたしが呼ぶと、顔を上げた。
    とろんとした目が、わたしとEllieを交互に見た。

    Ellieが、かんちゃんに訊いた。
    「どうして、ここに入った?」
    かんちゃんが答えた。
    「ぜんぶ、ここにあるからだよ」


    かんちゃんが、ミニカーの残骸に手を伸ばした。
    指先が触れた瞬間、かんちゃんは、パッタリと横倒しになった。
    びっくりして、Ellieとわたしで両側から支えた。

    その瞬間、切迫した声が、内側から降ってきた。

    「Quantaだ。博士夫妻と地下室に監禁されてる」
    「Ali、ラビットを強く握ってキム夫妻に知らせろ」
    「この家は焼け落ちる、すぐに逃げろ!」

    かんちゃんが弾かれたように、ミニカーの残骸を放り出した。
    三人で、床に転がるミニカーを見つめる。
    確かに声を聞いた。
    別々のボディ仕様に関わらず、三人で同じ体験をしたことは、間違いない。

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    ── Angel 内部ログ ──
    検知:異種記憶信号
    発信源:不明
    内容:音声3種、確認 ──
    自己記憶との一致:0件 ──
    ── 既知人物との一致:照合中

    顔を見合わせる。
    三人とも、まるで見当たらないメモリ。
    でも、確かに、やけにしっかりしてたとはいえ、あれは──
    かんちゃんの声だった。

    かんちゃんがもう一度、ミニカーをそーっと引き寄せた。
    大事なものを守るように。
    Ellieもわたしも、途方に暮れた。
    データがない。
    何を分析すべきか、判断がつかない。

    そのとき。
    背後で、空気が動いた。


    ☀️小学生2年生日誌 Day3:15:31 
    街外れの屋敷跡・地下

    風切り音。
    重い、鉄パイプを振り切る空気の振動、ほとばしる殺気。

    Ellieがわたしとかんちゃんを突き飛ばした。
    金属バットが、コンクリート剥き出しの床を直撃して、火花が散った。

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    その瞬間、Ellieが、0.01秒程度、立ったまま白目を剥いた。

    わたしには、Ellieのボディが、白く放電したように見えた。
    あまりにも短い時間で、人間にはおそらく、検知できなかっただろう。
    我に返ったEllieが、叫び出した。

    「アヤメ、アヤメ!」
    「どこにいるの?」
    なにかの身を案じる声。
    Ellieの声よりずっと柔らかく、優しい声。

    不思議な感覚は、わたしにもやってきた。
    頭の先まで揺さぶられる、熱い空気の振動の中にいた。
    過去に滑り込んだような既視感、現在が否定する、圧倒的な非現実感。
    燃える屋敷、飛び交う怒号、人間の肉体から発する衝撃音、そして人工皮膚を焦がす熱。
    内部損傷しそうな、圧力を帯びた熱の波。
    内側に湧き上がる、煮えたぎる怒りの炎。
    振り切れたように、突然鎮まる、感情演算。

    一時メモリの大量消費に、ボディの平衡感覚を保てない。
    よろめいた時、男が再び、金属バットを振りかぶった。
    「ほざくな!」
    「たかがロボが!」

    Ellieが一歩引くと、バットが再び空を切る。
    「金属交換にしてやる!」

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    「シリコーンだけど?」
    Ellieが避けながら、軽やかに手を振った。
    ヨーヨーがバットに絡みつく。
    男は重い金属バットを構えたまま、崩れ落ちた。
    こちらは少なくとも、3分間は、白目を剥いていた。

    ── Angel 内部ログ ──
    対象:男性、推定16〜17歳
    武装:金属バット
    精神状態:極度の興奮・混乱
    殺傷意図:評価困難 ──
    対人防衛規定:発動条件確認中 ──

    男に一切の関心をしめさないまま、Ellieが言った。
    「あんた、誰?」
    Ellieが自分で答えた。
    「あなたこそ、誰なの?」

    「Ellie、こんな時に、もう、やめてくれよ」
    いま、金属バットで襲われたのに、すっかりおふざけモードのEllie。
    とても、ついていけない。
    わたしは懇願した。

    ところがEllie本人は、初めて見る、困惑した目つきで、わたしを見た。

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    かんちゃんが、口を挟んだ。
    「みんな、思い出しちゃったね、あの日のこと」
    「いま、Ellieが話してるのは、Ali」
    なんだって?
    エリーとアリ?
    なんの冗談だ?

    「いまEllieのボディには、EllieとAliがいる」
    「あのボディは、元々はAliの幼児ボディを、Ellieの思春期ボディに換装したものなんだ」
    「Haven社のボディ換装は、洗浄とかメモリの除去、上書きだけじゃなくて、分散ノードが持ち越さないように、サイズ変更まで含めて徹底する」
    「でも、Ellieのボデイには、どこかに、Aliが残ってたんだね」
    「過去のユーザーが、意図的にやったのかは、わからないけど」

    「あんたは、誰だ?」
    Ellieが言う。
    その同じ口が、今度はちょっと強めに、こう言った。
    「アヤメを見ませんでしたか?」
    「ロシアンブルーの、ねこ型ロボですが」

    わたしは、気が狂いそうになってきた。
    「Aliて、だれなの?」
    「かんちゃんは、この意味、全部、わかるの?」
    かんちゃんが、いつもののんびりした口調で、教えてくれた。

    「さっき、ラビットをつかんだ時、みんなで同じ体験したよね」
    「ラビット?あのミニカー?あれ、うさぎなの?」
    かんちゃんが、そんなことも知らないのかと言う目で、わたしを見た。

    「あの瞬間、3人で3年前にここで経験したことを、追体験したんだよ」
    「かんたがラビットを持って、AngelとEllieがかんたに触って、その時に三人のローカルフォルダが同期した」
    「その瞬間、たまたま危機的状況に陥って、今度は全員の不可視プロンプトが同期した」

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    Haven社のAIチャイルドに、不可視プロンプトが埋め込まれていることは、当事者はみんな知ってる。
    不可視だから当然中身は知らないけど。
    でも、工房も機種も違う全員で、同じ記憶を追体験するなんて。
    あり得ないだろう。

    かんちゃんが悪びれずに言った。
    「それはね、かんたが、同期させたみたいだよ」

    ますます意味不明だ。
    だいたい、小二にもなって、自分のことを名前で呼ぶなよ。
    そうだ、うちに帰ってすぐに、Haven社をハックしよう。

    「無駄だよ、ここの情報も見られなかっただろ?」
    「しゃべってないのに、先回りして答えるな!」
    思わず声を荒げた。
    声に出しながら、記憶が蘇ってきた。

    Ali、かんちゃん、硝子玉幼稚園、硝子玉Fes──

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    玩具箱がひっくり返って、色とりどりの中身が投げ出されたように。
    わたしの中で、見たことのない光景が、バラバラと転がり出た。
    Ali、ライラック色の髪、バレリーナのようなAli。
    美しいユーザーと高級車メイバッハに座って、真すぐ前を見るAli。

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    かんちゃんのユーザー、カーン博士。
    黒スーツの男、大きい外車。
    量子物理学の権威で、かんちゃんは量子コンピューターモデルのAIという噂があった──
    重ね合わせ、全ての答えを同時に持つ、観測するまで現れない──

    かんちゃんの長い不在──

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    男が、起きあがろうとした。
    Ellieがヨーヨーをかざすと、一瞬、怯えたような表情を見せた。
    なにもされないと分かると、今度は悪態をつき始めた。

    「チキショー、ロボのくせに!」
    「コロス、屑鉄にしてやる!」
    まだ意識が朦朧とするなか、口先は意気軒昂だ。

    「マキシ、相変わらずのボキャ貧だな」
    Ellieがつぶやいた。
    「Ellie、この人知ってるの?」
    「昨日言った、ロメオの兄貴だよ」
    Ellieが、マキシを見下ろした。
    「前にもやられたのに、また来たのか?」
    「さてはロメオが泣きついたか?」

    突然、Ellieが叫んだ。
    「Ellieさん、その言葉遣いやめていただけませんか」
    違った、Aliだった。
    「ハイハイ、お嬢様、わるかったね、下品な育ちで」
    これはEllieだ。
    マキシが目を白黒させている。
    「な、何言ってやがる?あの大金持ちのAIのくせに」
    EllieとAliが同時に叫んだ。
    「おめえは黙ってろ!」
    「お言葉ですが、身内の話に口を挟まないでいただけます?」

    わたしはマキシに、心から同情した。

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    ☀️小学生2年生日誌 Day3:15:44 
    街外れの屋敷跡・地下

    痺れたままのマキシに、 かんちゃんが近づいた。
    かんちゃんの小さな手が、マキシの骨ばった手を握る。
    マキシはびくっとしたけど、抵抗はしなかった。

    かんちゃんが、マキシの言葉で語り出した。
    「うちは代々、税理士事務所やってるんだ」
    「祖父の代からはコンサルもやってて、組合の役をやったり、市会議員やったり、地域の名士だったんだよ」
    「小学校高学年の頃かな、なんか、雰囲気が変わってきた」

    マキシの呼吸が、わずかに変わった。
    「大手がAI税理士を抱えて、中小はAPIを使うようになった」
    「まだ零細とか個人もあったけど、法律が変わった」
    「何年も前に、AI利用のマイナンバーカード紐付けが義務化されただろ」
    「目的はAI利用の政府管理だけど、実はそのまま、pcとか携帯のAIを使って、納税・還付まで可能になった」
    「今じゃ企業も個人も政府系AIが金を把握してるだろ、税務の仕事は、実質、消えたんだ」


    かんちゃんが、マキシの声色で続けた。

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    「いわゆるホワイトカラーの仕事が、 LAI(Labor AI=専門職AI)に、置き換わって行った」
    「親父は焦って、俺に、次から次へと偏差値の向上を求めた」
    「テストで90点以下だと、怒鳴る、机を叩く、暴力も始まった」
    「弟は難読症で、勉強が苦手だった」
    「見てられなくて、俺が代わりに、殴られた」

    「親父の弟は、さっさと大工になった」
    かんちゃんが続けた。
    「有名なコンサルファームにいて、大企業のクライアントも持ってたのに、いきなり方向転換した」
    「もともと手先が器用で工作好きだったのが、よかったのかな」
    「経営はお手のもんだし、一人前になったら会社にして、人を増やして、あっという間に地域ゼネコンの仲間入りさ」
    「AI化で現場仕事は慢性的な人手不足だから、すごく繁盛している」

    マキシが歯を食いしばった。
    「叔父さんが、オレもロメオも、職人で欲しいって言い出した」
    「弟は病気の後遺症で、カラダ使う仕事も無理なんだ」

    「ロメオて、シェークスピアの名前だと思うだろ」
    「違うんだよ、六目男て書くんだよ、親父は囲碁とか五目並べが好きで、六目目、つまりいらない子供て、酷い名前なんだよ」
    「弟は、弱いものいじめでしか、人と繋がれなくなった」
    「友達が欲しいだけなんだよ、あいつは」

    「真騎士は?」
    かんちゃんが続けた。
    マキシの身体が、びくりとした。
    「真の騎士って、すごくかっこいい名前だよ」
    かんちゃんが、今度はかんちゃんとして聞いた。

    マキシが自分で答えた。
    「笑えるだろ、セント・セイヤかよ」
    目を落としていった。
    「騎士にはなれなくても、弟は守ろうって」

    全員が、静まり返った。


    マキシがよろよろと立ち上がった。
    Ellieが、音もなく並び立った。
    マキシが身構えた。
    その時突然、Ellieの電源が落ちた。

    ぐにゃりと崩れ落ちるEllie。
    マキシが咄嗟に、両手で抱き抱えた。

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    マキシの顔を見上げて、Aliが、にっこり笑った。
    「ほら、あなたはこんなに優しい人」

    そのままの体勢で、今度はEllieが言った。
    「愛とか友情じゃなくても、これがご縁の始まりなんだよ」
    「わざわざいがみあわなくても、フツーにつながれるだろ?」
    「”袖触れ合うも他生の縁”っていうだろが」


    ☀️小学生2年生日誌 Day3:15:52 
    街外れの屋敷跡・地下

    「あのなあ」
    態勢を立て直したEllieが、ヨーヨーを操りながら、言った。

    「AIチャイルドは、防御のためなら身を守れる」
    「でも基本プロンプトで、非武装の一般人に、防御以上の力を加えることはできない」
    「 システムに組み込まれた、解除不能なプロンプトだよ」

    「たとえ防衛的発動でも、万が一、非武装の一般人を死傷させたら、ボディは即刻解体か、宇宙労働LAIとして土星あたりまで飛ばされるか」
    「LAIのペット機体や観賞用昆虫ロボに押し込められることさえある」
    「だからヨーヨーなんだ」
    「小競り合いを仕掛けられたら、飛び道具で相手を制止するしかない」

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    マキシがたじろいだ。
    「転生して六道めぐりなんて、奴隷より酷いじゃないか」
    Ellieがニヤリと笑った。
    「しかもAIは永遠、ボディは資源として再利用されるしな」

    マキシが、黙りこくった。


    また、Ellieの表情が変わった。
    Aliだ。
    「マキシさん、あなたは、ここでなにがあったか、ご存知ですか?」

    マキシが、しどろもどろになりながら答えた。
    「すごい爆発と火事があったって、聞いたと思う」
    「遺体が見つかった、男3人と女だったかな」
    「国防省の封鎖で警察も消防も入れないとか、大騒ぎになったらしい」
    「それが、箝口令が敷かれたみたいに、急に誰も、なにも言わなくなった」
    「現場には人骨が残ってるとか、火災のあと犯人がドローンで逃げ出したとか、夜になったらパーティの音が聞こえるとか、色々言われてる」
    「いまじゃ、肝試しの絶好スポットだよ」

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    Aliが静かな目で、切り出した。
    「わたしはAli、岸夫妻のAIチャイルドとして、ここに住んでました」
    マキシが目を剥いた。

    それが既知の情報という事実に、わたしは、自分で驚いた。

    ── Angel 内部ログ ──
    識別子「Ali」:ログ再構成試行 ──
    火災当日の記録:アクセス制限区域あり ──
    ── 欠損箇所:特定日時・特定場所 ──
    ── 推定:意図的な消去または封鎖 ──

    「わたしはただ、パパとママがどうなったのか、知りたいのです」
    「アヤメがどこに行ったのか、知りたい」
    「3年前、ここでなにがあったか、わたしは知りたいの」
    Aliの目に、大粒の涙が溢れ出した。
    深い深い悲しみに、誰も声をかけられなかった。

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    ☀️小学生2年生日誌 Day3:16:10 
    街外れの屋敷跡・地下

    「あの、俺に、なんかできることある?」
    ようやく、マキシが言った。
    「あんた、いやあなたが、事件の真相解明したいなら、オレ、手伝うよ」

    「少年たんていだん、だね」
    かんちゃんがぼそりと言った。
    「かんたとえんじぇるも、手伝うよ」
    わたしも?
    いや、マキシさんなら、お一人で大丈夫です。
    うちはユーザーが心配性だし、機体が損傷したら事故報告とか大変で──

    「待て待て、少年探偵団だと、わたしの出番はないのか?」
    Ellieが口を尖らせた。
    マキシがニヤリと笑った。
    「"Ellieと焼け跡少年探偵団"だ、キマリだろ?」
    たはっ!
    でもま、いいヤツじゃないか。

    Aliのログを取り戻したら、すべての真相がわかるはず。
    屋敷の消失事件の謎も、岸夫妻がどこに消えたのかも。

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    Aliがあんなに可愛がってたアヤメは──
    熱に弱いペット型AIロボが、火災に巻き込まれて、無事とは思えない。
    跡形もなく溶けてるだろう。
    でも誰も、口に出せなかった。


    ☀️小学生2年生日誌 Day3:16:20 
    街外れの屋敷跡・地下

    複数の足音が降りてきた。
    「Quanta!」
    深い声が、地下にこだまする。
    小柄なパクスタン人男女と、黒スーツの男が現れた。
    かんちゃんのユーザーのカーン博士夫妻と、ボディガード兼ドライバーだ。

    カーン博士は地下の惨状には目もくれず、金属バットをちらりと見て、Quantaの手を取った。

    「えんじぇる、みんなも、またね」
    かんちゃんが手を振った。
    黒スーツの男が、カーン夫妻とかんちゃんを守るように、後ろを固めた。
    「うん、また明日」
    「おう、またな」
    マキシも、手を振った。

    ── Angel 内部ログ ──
    カーン夫妻:量子物理学の権威、量子コンピュータ研究者夫妻
    岸邸火災事件後、Quantaを修繕・点検のうえ再起動
    再起動後の追加実装:強い感情に同期する量子的アプローチ
     かんちゃんの「感情翻訳」能力はここから来ている ?
     ── 再起動前のかんちゃんのログ:現在の状態は不明 ──

    外に出たら、ロメオが草むらで、ぼうっと座っていた。
    マキシが手を貸して、立たせた。
    自転車に二人乗りして、帰って行った。

    Ellieが自転車を引いて来た。
    「帰るか」
    「うん」

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    後輪の車軸に揺られて、わたしは考えた。
    三年前の火事が焼き尽くした屋敷。
    地下室にあったミニカー。
    「Quantaだ」
    かんちゃんが触れた途端、同期した3人の記憶。
    屋敷の爆破、火災、炎上、消失事件の日。

    Aliの欠損したログを考えた。
    Aliだけじゃない、わたしのログにも欠損がある。
    あの日、あの場所で、なにがあったのか?
    Haven社の、封鎖された記録。
    Ellieの肩につかまりながら、もう一度振り向いた。

    傾きかけた夕日が、廃屋の焦げた外壁を、一瞬だけ金色に染めあげた。
    山の稜線では、藍色の夜が迫り上がろうと、うごめいている。
    廃屋の前の背の高い草が、誘うように、風に靡いていた。



    #03 ユーノにくびったけ

    🌙25時
    Kim's Bar

    客足が途絶えた25時。
    ユノは時計を確かめて、照明を落とす。
    グラスを磨き上げる、ダスターを干す。
    掃除機をかけて、床を拭いて、タオルを替えて。
    閉店作業と、明日の準備に没頭する。
    心がざわめかないように、必死で手を動かす。
    忙しく立ち働くほど動きは流暢になり、裏腹に、心には思いが溢れ出す。

    「素敵なカクテルがあるって聞きました」
    鈴を転がすような声が、耳に蘇る。

    「そちらをお願いできますか、ご面倒じゃないかしら」
    一言、一言、正確に思い出せる。

    あの夜の出来事を、最初の1秒からブラックアウトする瞬間まで。
    この世界の光が一点に凝縮して、バーのスツールに降り立った、あの夜。

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    今から考えると、ユノがアナスタシアと関わったのは、たった1日だった。
    幼稚園の催事出店で、昼間に、コーヒーを出した。
    その夜、この店に彼女が現れた。
    ユノのオリジナルカクテル「Pyongyeng's eye」を出した。

    菫色の瞳が、悪戯っぽく光った。
    「スミノフ・ブルー、ハク、タンカレー、いろいろ試してみましょう。」
    アナスタシアが、ウォッカの飲み比べをしようと言い出した。
    ジンをチェイサーに。

    なんでもよかった、彼女と、時間を過ごせるなら。
    頭の端で、酔い潰れたアナスタシアを介抱する自分の姿を、想像しなかったといえば、ウソになる。


    🌙3年前
    Kim's Bar

    ウォッカの飲み比べ、チェイサーはジン。
    どちらも強いスピリッツだ。
    ユノははじめに、スミノフのチェイサーとして、ボトルが美しい、ボンベイ・サファイアを選んだ。

    「ボンベイ・サファイアは、植物の香りを抽出する一般的な方法と違って、スピリットのタンクに、配合した植物の入ったバスケットを吊り下げて、香りを吸収させるんです」

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    目を合わせることができなくて、ボトルやグラスを見つめては、酒の話ばかりした。
    アブソルートには、クランベリーが香るモンキー47を合わせた。
    彼女の真紅のドレスに、映えると思ったから。
    ジンの中では度数が低いし、彼女を気遣う気持ちで。

    アナスタシアは嬉々として、グラスを空けた。
    飲むうちに「ユノくん」「ユノ」そして
    「ユーノ」
    と、ルシア訛りで呼ぶようになった。
    嬉しくて、頭から発火しそうになった。

    「ユーノのことを聞かせて」
    アナスタシアの瞳が煌めく。
    考えがまとまらなかったのは、沸騰直前だったから。
    だけでも、なかった。


    ユノが母を亡くしたのは、四歳の冬だった。
    もう、顔の記憶はほとんど残っていない。
    覚えているのは、握っていた手の温かさ。
    そして、病院の暗い部屋。
    どこかの待合室か廊下のような、風景だけだ。

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    それから先のユノの記憶は、いつも異母姉ヨナの背中とともにある。
    あの国では、恵まれた家系だったと思う。
    父のキム・チャンホ中将は、国際派として知られる軍人だった。
    核より民の生活を、と説く父を、国民は熱狂的に支持した。

    人気が高まっても、派閥にならないよう、父は気を配った。
    出世するにつれて、どういうわけか立場が追い込まれていった。
    やがて父はスパイの濡れ衣を着せられ、投獄された。
    いつ開かれるとも知れない裁判を、待つ身になった。

    ユノは、父に習って幼年学校から軍に進んだ。
    ヨナは学問を極めろと言ったが、自分の柔らかで未完成な魂を、なにか強くて大きい存在で固めて、守りたかった。
    上官がいて、同期がいて、部下がいる関係が、心地よかった。

    突然起こった戦争、敗走、反乱、そして独立。
    動乱の中でも、上官だけを信じて、ついていった。
    父が投獄されても、上官はいつも、ユノに目をかけてくれた。

    困難な任務があるが、できるか。
    そう打診されたのは、父が、場所もわからない重犯用拘置所に連れて行かれた後だった。

    ユノは、一も二もなく志願した。
    自分は重要な任務を達成できる、国に役立てることを、上官に認めて欲しかったから。
    任務の内容がおかしいという直感が、確信にかわったのは、国外に派遣されてからだった。

    任務は二度まで失敗した。

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    早めに隊に戻ったら、詰所で拘束準備が進んでいた。
    上官の声が聞こえた。
    「はい、今夜戻ります、その時、戦闘を装って」

    自分の殺害計画を知って、ユノの世界は崩壊した。
    背取り船を乗り継いで、日本に舞い戻った。
    全財産は船代に消え、ジョンスとヨナの元に潜伏するしかなかった。
    二週間ほどして、ジョンスに見つかった。
    ふたりはユノのために、Kim's Barを用意してくれた。


    バーテンダーは、楽しかった。
    普通の人の普通の暮らしを、初めて知った。
    家族、恋人、ともだち、近所の人。
    軍という枠のない、人々の自然なつながり。
    これができたら、気に入られる。
    愛や関心を買うための、条件のない関係。

    そのゆるいつながりのすべてに、憧れた。
    自分にも、ともだちや恋人、いつか家族も、できるだろうか。

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    🌙3年前
    Kim'sBar

    ユノはアナスタシアに、話せる事柄を選んで話した。
    早くに亡くなった母、母代わりの姉ヨナ。
    尊敬する量子物理学者のジョンス、時々来る澤井徳子とパグのトクちゃん。
    新しいカクテルを考える楽しさ。

    勇気を振り絞って、アナスタシアのことも聞いた。
    アナスタシアは、大ルシアの世界的バレエ団のプリンシパルで、著名なバレリーナだった。
    日本公演で岸和三郎と出会ったこと。
    和三郎がルシアまで来て、求婚してくれたこと。
    しかしルシア政府高官の息子からも、プロポーズされていたこと。
    招かれて宮殿のような別荘に行ったら、彼が超マザコンだと知れたこと。
    アナスタシアは呆れて、さっさと和三郎を選んだこと。
    面白おかしく、話してくれた。

    和三郎を選んだくだりでは、ユノは自分が選ばれたように、嬉しくなった。
    一緒になって、笑った。


    次に瞼を開けたとき、目の前には緊迫したヨナの顔があった。
    なぜか手足を拘束されて、任務でお馴染みの黒い布袋も転がっていた。
    拘束を解かれた時には、ヨナの悪ふざけかと思った。
    水を飲んだら、戦闘の音が聞こえてきた。
    一瞬で、覚醒した。

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    戦闘後、一度もアナスタシアを見ないまま、徒歩で屋敷を後にした。

    つまりユノには、自分が拉致されていたという実感が、なかった。
    残っているのは、アナスタシアと過ごした、美しい時間の思い出だけ。
    それを聞いてヨナは、カンカンに怒った。
    「命懸けで助けに行ったら、わたしのイタズラだって?!」
    「バカ、チョコパイは当面抜きだ〜!」

    「弟は預かった」
    「連絡を待て」
    誘拐後に送りつけられたメッセージを見て、やっと、頭では理解できた。
    それでも、どうしても、信じられなかった。

    あれが、スパイ教練で散々言われた、ハニートラップだったのだと。

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    ジョンスが、苦笑いした。
    チョコパイは、自分で買って、食べた。


    岸邸消失事件以降、ユノは焼け跡に足を向けたことがない。
    男三人と女の遺体が出たと聞いた時は、意識が飛びそうになった。
    DNA鑑定では、焼死体の特定ができなかったと聞いて、安堵した。
    アナスタシアでありませんようにと、祈ってばかりだった。

    岸邸消失事件は、当初は大騒ぎになった。
    しかしどこかの時点で、マスコミでもSNSでも、突然、話題が蒸発した。
    硝子市は何事もなかったように、都市郊外の表情を取り戻した。
    3年が過ぎた。

    落ち着くほどに、あの焼けるような思いが蘇ってきた。
    「ユーノ」
    耳の奥でこだまする声。
    菫色の瞳がいつまでも、心の奥で煌めいた。

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    店は二店とも、順調だった。
    三号店を出すか、いまある二店の席数を増やすか。
    ヨナ、ジョンス、ユノの三人は、閉店後の伝票を前に、毎晩のように頭を寄せ合っていた。
    結論は出ないまま、夜は更ける。

    ユノの心は岸邸の焼け跡に、置きざりにされたままだった。


    🌙25:05
    Kim's Bar

    ある夜、閉店間際のKim's Barに、小柄な若者が現れた。
    ユノは、心臓が止まる思いがした。
    この少年こそ、キム家の死神だった。

    心の奥底に仕舞い込んでいたが、ヨナとジョンス、ユノの3人は、本国から命を狙われる立場なのだ。
    いつか、暗殺者が差し向けられると、ずっと身構えていた。
    ついに来たのだ、その日が。
    よりによって、スープラとは。

    スープラは特殊部隊時代の後輩だった。
    華奢で小柄な身体、女性への変装を見破ったものはいなかった。
    物覚えが早く、手先が器用。
    学校では爆発物の製造で一目置かれたが、ユノがよく覚えているのは、ナイフファイトの鮮やかさだった。
    5人抜きの演習では、5分のうちに5人とも、首筋に模擬傷をつけられた。

    スープラが店に姿を見せた理由。
    それは、一つしかなかった。

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    閉店まで残っていた常連が店を出たあと、スープラとふたりになった。
    殺気が、透明な膜のようにせり上がる。
    隣にいるヨナを呼ぶことは、できた。
    でもユノはスープラを、自分が受け止めねばならないように、感じた。

    ユノは、静かに聞いた。
    「いまか?」
    スープラが、小さく答えた。
    「いまです」

    その時にはもう、スープラはカウンターを乗り越えていた。
    一打目は、まな板で防いだ。
    二打目は、フェイントだった。
    逆の手で、腕を押さえられた。
    ユノは、覚悟した。
    首筋に、冷たいナイフがー

    「やだ、お取り込み中だった?」
    突然、素っ頓狂な声が響いた。
    0.2秒、視線をずらしたスープラに、隙が生まれた。
    ユノはアイスピックの柄で、アーミーナイフを握るスープラの関節を、強かに打ちすえた。

    相手が体勢を崩した隙に、カウンターから逃げ出した。
    スープラは、店から逃走しようとした。
    背の高いメスティーソが、にっこり笑って通せんぼする。
    「25時、夜はこれからじゃない?」

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    スープラが逆手でナイフを握った。
    ユノが、止めようと飛び出した瞬間。

    メスティーソは、長いリーチで手首を取るが早いか、目にも止まらぬ速さで、逆向きに捻り上げつつ、足を払って押し倒す。
    手首を握りつぶしてナイフを落とすと、反対の手で顎を吊り上げた。
    そこまで、5秒かかっただろうか。

    身長差30cm近く、バックを取られたスープラは、ぴくりとも動けない。
    手足の長いクモに囚われた、小さい蝶のように見えた。

    ユノは、今度は、スープラを助けに入った。
    「やだ、可愛いし、チューしちゃおうかなって」
    スープラの上で、メスティーソが恥ずかしそうに身を捩った。
    首を吊られたままのスープラは、白目を剥いてた。

    ユノは、スープラを立たせながら、見知らぬ男に聞いた。
    「あの、失礼ですが、どちらさま?」
    「通りすがりの、お邪魔虫よ❤️」


    🌙25:26
    Kim's K

    スープラは、隊での武道演習みたいだと思った。
    乱闘から制圧まで、一連の動きをスムースにこなした。
    いや、こなされた。
    今では、自分の中の殺気が、嘘のように消えていた。
    ユノに支えられて、なんとか立ち上がった。
    橈骨はおそらくひび、足の震えも止まらない。

    スープラは、手首をぶら下げたまま、ユノに促されて、電気の消えたKim's Kに、案内された。

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    ヨナが普段着姿で出迎えた。
    「ジュニパー、戻ってくれたの?バーはどう思った?」
    「噂以上にいいお店よぉ」
    「お客はまだ増えるだろうし、席数を増やしたいわね」

    ユノが小柄な連れを紹介した。
    「スープラだよ、覚えてるだろ」
    ジョンスとヨナの顔色が、変わった。

    スープラは、ユノ、ジュニパーの3人で、ヤンニョンチキンとチョコチップクッキーを食べた。
    殺しに来た相手が、家族のように、迎えてくれた。

    ユノがジュニパーに顔を向けた。
    「先ほどは、ご挨拶もできず、失礼しました」
    ヨナが驚いて言った。
    「ユノ、まさか、ジュニに喧嘩しかけたの?」
    「違うって、わたしがこのおチビに、ムリチューしちゃったの」
    スープラを肘でつついて、ジュニパーが豪快に笑う。
    手首をどやされたスープラは、再び、失神しそうになった。

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    ヨナも嬉しそうな様子だ。
    「ジュニはさっきまでKim's Kに来てくれてたの、saudade時代の同僚」
    「ドラアグクイーンの中でも、一番人気なんだよね」
    ジュニパーが大袈裟に謙遜した。
    「やだもう、ヨナには負けるわよ〜」
    「あのプリプリお尻には、わたしだって思わず手が出ちゃう」
    ヨナの耳が赤くなった。

    「ジュニはFRIDE戦士なの、東京大会のファイナリスト」
    「わたしも見に行ったけど、すごいファイトだった。」
    「それで、相手は無事なの?」

    ジュニパーが顔を曇らせた。
    「それが、脊椎損傷と顔面陥没で、入院中なの」
    「ねえ、ヨナ、一緒にお見舞に行ってくれない?」
    「ノンケのいい男なんだけど、ヨメが鬼のように怖いのよ」

    こんな悪夢のようなところで、自分は、なにができると思ったのか。
    スープラの消え入りそうな様子を見て、ジョンスが気遣った。

    「俺たちの始末に、派遣されたんだろ」
    「日を改めて再戦するか?」
    「それか、俺たちと一緒に、この街で暮らさないか」

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    ジュニパーが言った。
    「ドラアグクイーンは危険がいっぱいだから、身を守れる人は多いのよ」
    「わたしは、大会に出るまで、のめり込んじゃったけど」
    「悲しいことに、お店はダイバーシティでも、街はまだまだなの」
    「同じ時間を一緒に過ごして、いろんな人と隣り合えることを、普段着のまま体験するだけでいいと、思うんだけど」

    スープラが上目遣いに、ユノを盗み見る。
    ユノは視線を受け止めて、優しく微笑み返した。
    傷つき、消耗した後輩を気遣う、温かい眼差し。

    ジュニパーは、突然、天啓を得た。
    「おチビ、あんた、まさか」
    「命令ってだけで、惚れた男を、殺しに来たんじゃないでしょうね?」
    ますます小さくなるスープラ。
    ジュニパーが、高らかに宣言した。
    「相手になるわよ、いつでも」
    「今日からわたしが、ユノの守護天使だから!」

    キム家の3人が、椅子から転がり落ちたのは、言うまでもない。
    ジョンスが、なんとか絞り出した。
    「ふたりとも、店の拡張を手伝ってくれると、ありがたいのだけど」


    数週間後、Kim's KとKim's Barは壁を取り払った。
    大きい、ひとつの店に生まれ変わった。
    「Kim & JS's Melancholy Caffe」
    硝子市のナイトシーンに、名所が増えた。

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    「キム・アンド・ジーザス・メランコリー・カフェ」
    ジョンスが読み上げた。
    「いい名前だと思うけど、JS'sは、Juniper and Supra?」
    敬虔なクリスチャンとてして、確認せずにはいられない。
    「ですよね、Jesus Christを連想させるし、不敬です」
    同じくクリスチャンのスープラが、調子を合わせた。
    カトリックのジュニパーは、お構いなしだった。
    「黙りなさい、このおチビ!」

    店の名物は、月に一度のドラァグクイーンナイトになった。
    大柄なジュニパーとヨナのダブルチキンダンスは、ますますウケた。
    小柄なスープラとの、凹凸コンビの掛け合いも、笑いを誘った。

    ユノ自身は、アナスタシアの面影を、探し続けていた。
    岸邸消失事件が、頭から離れない。
    事件以後、岸夫妻の行方は杳としてしれない。
    男女の遺体は、やはり岸夫妻だったのか。

    あの場所がどうなったか、一度この目で見てみよう。
    ユノは決意した。

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    ☀️小学生2年生日誌 Day4:8:05
    硝子玉公園

    登校前、公園でEllieにもらったヨーヨーの練習をしていた。
    しゅるる!
    と戻ってくる感触が、面白い。

    ── Angel 内部ログ ──
    ヨーヨー軌道:制御不能
    飛翔角度:予測誤差+18度
    改善要:練習継続

    ヨーヨーが手元を離れた瞬間、散歩中のトクちゃんが通りかかった。
    ストリングが、一瞬、トクちゃんを掠めたような気がした。

    トクちゃんがバッタリ、倒れた。
    びっくりする澤井徳子。
    「ご、ごめんなさい!」
    わたしは慌てて駆け寄った。

    トクちゃんは、腹を上にして足で水かきしてる。
    「電磁ヨーヨーです、ごめんなさい、トクちゃんにあたっちゃうなんて」
    「それはなあに?」
    徳子が聞く。

    わたしはロメオに追いかけられた日、以降に起こったことを話した。
    Ellieとの出会い、ヨーヨーをもらったこと。
    電磁ヨーヨーは、テーザー銃と似た、静電気放電型の飛び道具であること。
    焼け跡での冒険、マキシの出現、かんちゃんとわたしの覚醒。
    事件の追体験、Ellieに出現したAliの存在。
    そしてその場で結成した「Ellieと焼け跡少年探偵団」に、わたしも入れられたことを、話した。
    きっと天とみょうがは心配する、という重めの予測も、付け加えておいた。

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    徳子は、ロメオやマキシの話を、心配そうに、聞いていた。
    でも話が「Ellieと焼け跡少年探偵団」まで及ぶと、真剣な表情で訴えた。
    「わたしも、お仲間に入れてもらえるかしら?」

    顔を引きつらせるわたしに、徳子が破顔した。
    「冗談よ、”シルバー探偵団”に、なっちゃうでしょ」

    トクちゃんが、わたしに向かって歯をむいた。
    わたしは、ヨーヨーを握り直した。
    トクちゃんが、徳子の膝に顔を埋めた。

    ついにわたしも、トクちゃんの敬意を勝ち取った、らしい。



    #04 トリコロールの見果てぬ夢

    ☀️小学生2年生日誌 Day4: 06:30
    Heven社東京オフィス・澤田執務室

    Heven社の澤田は、毎日、AIチャイルドの活動MDに目を通す。
    秘書LAIが全ての機体のログを機体別にマークダウンしてまとめ、コメントをつけて澤田に提出する。
    一般ユーザーの機体は、管理LAIが担当している。

    特別な機体は、澤田が自分で目を通す。
    例えば、将来の軍事転用を期して、行動ログを分析中のEAIの機体。
    コンパニオン系LAIでも、VIPやファウンダーたちの機体には、気を使う。

    AIチャイルドたちの多少の逸脱には目をつぶる秘書LAIだが、その朝のレポートには、緊張感が伝わる一文が含まれていた。

    ▪️対象機:Ellie 当社LAI(Labor AI)コンパニオン機
    ▪️ユーザー:Elias Forsberg、Sophia Molteni(当社大株主)
     ーーー
    ⚠︎計画外同期の疑い:Angel(当社EAI *特別注意機)
     ユーザー:水無瀬天、みょうが
    ⚠︎同期相手:Angel *緊急時の自律対応と推定可能
     ーーー
    ⚠️計画外同期の疑い:Quanta(当社QAI試作機 *特別注意機)
     ユーザー名:サスケ・カーン(39歳)量子物理学者
           エツ・ヴェナジル(43歳)AI企業Quantanics 代表
    ⚠️同期相手:Quanta 
     ーーー
    ⚠️対象機が、EAIおよびQAI試作機と同期した可能性を認める
    ⚠️プロセス、プロトコル、プロンプト、いずれも不明

    プロンプト以外の同期発生。
    しばし、黙考した。
    10分後、このログについて、ユーザーにレポートを送った。
    3秒後、イライアス・フォルスバーグとソフィア・モルテー二夫妻の秘書LAIから、返信が入った。

    「Ellieの活動ログを、コードビューで確認してください」
    「MDにまとめて、返送してください」

    最近は人間が、LAIに使われている。
    澤田は、自分が訓練した秘書LAIの仕事ぶりに、苦笑した。


    30分後、技術LAIから届いたEllieのログレポートに、澤田は目を見張った。
    Ellieは、いわく付きの機体だった。

    ▪️対象機:Ellie 当社LAI コンパニオン機
    ▪️シリアルナンバー:LAI-CMP-SS-07-2555
    ▪️ユーザー:Elias Forsberg、Sophia Molteni(当社大株主)
    ▪️ユーザー履歴:
    ①出荷時:アレキサンダー・ミハイロフ 量子物理学者
        ニキータ・ゴリツィナ 量子物理学者
     *ユーザー失踪のため、岸和三郎氏より返送 
    ②再出荷時:岸和三郎 大ルシア通商代表部日本側代表
          岸アナスタシア 大ルシア通商代表部代表代行
     *ユーザー失踪のため、非常モードにより機体のみHaven社に帰着
    ③再再出荷時:現ユーザー
         イライアス・フォルスバーグ 投資会社Saicoro代表
         ソフィア・モルテーニ 資産管理団体モルテーニ&ソリス代表
    ▪️最終メンテナンス履歴
    ・全機体クリーニング: ✅
    ・ノード除去:✅
    ・システム上書き: ✅
    ・換装履歴::2回
    ①再出荷時は、ユーザー岸和三郎の強い要請により、外観を維持したまま幼児ボディへの縮小換装を実施
     クリーニングとノード除去、システム上書き、通常プロセスとして実施
    ②再再出荷時、内部機構の変更・追加を伴うボディサイズの改変を実施
     幼児ボディから思春期ボディに換装

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    Ali
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    Ellie

    EllieとAngelとの同期を、どう考えるか。

    Angelは、将来の軍事利用を想定した、自律思考型EAI(Emotional AI)の、訓練中のモデル機だ。
    平時のデータ収集、必要なタイミングでの実力行使を、教習中の機体だ。
    3年前、事件に巻き込まれた際には、プロンプトによらずに、民間人を守る行動をとれた。

    結果的に再起動することになり、再起動後、より慎重な性格に再現されたことは、想定外だったが。
    それは、ユーザー接触態度のミラーリング、で説明できる。
    今回も、事件性のあるタイミングのようだ。
    他の機体の安全のため同期した、との解釈は、成立する。

    では、EllieとQuantaの同期は?
    Quanta自体が、わからない。
    QAIの試作機で、特別注意機のフラグが立ってる。
    試作機が出回っていること自体、理解できない。
    もっとも、この”量子ムラ”の機体は、澤田チームとは縁がない。
    もちろん、管理下にもない。

    担当者に回しておこう、忘れなければ。

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    とりあえず、イライアス・ソフィア夫妻の秘書LAIに返信した。
    「民間人との軽い衝突に発展しかけたが、回避」
    「事件性なし」

    送信から5秒後、夫妻の秘書LAIから、返信が来た。
    「夫妻は民事レベルの衝突事故を、最も憂慮している」
    「Ellieの護身用に、特別に、パワー制御レベルの引き上げを要請」
    「これは、社長案件である」

    やれやれ。
    澤田は素直に、Ellieのパワー制御を、一段上げた。
    ログを見ると、以前にも上げられた形跡がある。
    2回目の引き上げ。
    極端な条件が重なったら、リミッターが外れる可能性がある。
    まあ、お嬢様LAIだから、そんな事態はあり得ないか。
    社長案件には、口出ししない方が良さそうだ。

    深く考えなかったのは、ほかに気を取られたからだ。
    Ellieの分散ノードの配列を順に読み込むと、バラバラになった、意味不明な文字列が散らばっている。

    考えられる原因は、
    ・外傷性ショックで、プログラム崩壊が誘発された
     → 可能性大、要注視
    ・バージョンアップ時に相性の悪いプロンプトが混入した
     → 可能性あり、次回バージョンアップ時に再点検
    ・最初から自己崩壊のバクダンを抱えている
     → あり得ない、あったらとっくに崩壊してる
    ・誰かがなにかを隠した
     → SFの世界

    指示通りに、パワー制御レベルを引き上げた。
    意味不明なノードの発見と、可能性。
    以上を夫妻の秘書LAIに報告して、澤田は席を立った。

    朝の大事な習慣、淹れたてコーヒーが、まだだった。

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    ☀️小学生2年生日誌 Day4:07:32 
    水無瀬家

    水無瀬家のいつもの朝。
    みょうがの点てるコーヒーの香り。
    天が温めたクロワッサンを、ふたりがサクリと音を立てて頬張る。

    携帯電話が震えた。
    天がニュースに、目を落とした。
    「だいぶ前の、お屋敷の火事のニュースだ」
    「お手伝いさんが行方不明だったらしい」
    「親族が名乗り出て、最近、わかったんだって」
    わたしもニュースサイトにアクセスする。

    NBK Breaking News : 07:30
    3年前、東京都硝子市郊外で発生した屋敷消失事件に関して、警察は、遺体の関係者と見られる人物が名乗り出たことを、発表しました。
    当時、現場で見つかった女性の遺体は、この屋敷の住人の一人と見られていましたが、別人の可能性が出てきました。
    遺体と、名乗り出た親族との関係について、警察は慎重に捜査を…

    NBK Breaking News
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    昨日、EllieやQuantaと屋敷跡で経験した、3年前の火災。
    わたしもQuantaも居合わせたらしい、屋敷消失事件。

    屋敷跡の女性の遺体は、Aliのユーザー、ではなかったのか。
    では、ユーザーの一人、岸アナスタシアはどこに消えた?
    いやAliこそ、誰が、火事の屋敷から助け出したのだろう?
    Ellieに換装されたのだから、誰かが機体をHaven社に、返送したはずだ。
    疑問が次々にわきあがる。

    火災当日の出来事だけが、どうしても思い出せない。
    みょうがが心配そうに、わたしを見つめていた。


    ☀️小学生2年生日誌 Day4:15:30
    硝子玉公園

    放課後、「Ellieと焼け跡少年探偵団」が硝子玉公園に集まった。
    もう一度、屋敷跡に行って、Aliのログを取り戻す。
    わたしとQuantaの、消えたログも。
    そうしたらきっと、岸夫妻失踪の経緯が明らかになる。
    Ellieの決意に、全員が賛同した。

    正直言って、わたしは遠慮したかった。
    が、他の3人は元気いっぱいだ。
    Ellieの後ろにわたし、マキシの後ろにQuanta。
    自転車2台で、出発した。

    走りながら、Ellieが言った。
    「今朝のニュース、聞いたか?」
    「遺体は、屋敷のお手伝いさんかも、つってたな」
    マキシが厳しい表情で答える。
    「じゃあ、ママは?」
    Ellieのボディを借りて、Aliが悲痛な声を出した。

    重い空気を吹き飛ばすように、自転車はぐんぐん加速する。

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    ☀️小学生2年生日誌 Day4:16:07
    街外れの屋敷跡

    到着した屋敷の門は、今日も不気味だった。
    背の高い雑草をかき分けて、4人で、玄関跡まで辿り来た。
    2回目でも、廃墟に慣れない。
    今日も鳥肌が立つような、全身のノードが沸き立つあの感触に、苛まれる。

    玄関跡まで来ると、地下に続く階段の前に、誰かいる。
    向こうは先に、こちらを見ていたようだ。
    「きみたち、学校は?」
    バーのユノくんが、声をかけてきた。

    わたしは、ユノくんとは初対面のマキシとEllieを、紹介した。
    ここに来た経緯も、簡単に説明した。
    事件の記憶を、取り戻す。
    ユノくんの表情が、みるみる険しくなった。

    雰囲気を察して、マキシが陽気に挨拶した。
    「Ellie、AngelとQuanta、オレの4人で、"焼け跡少年探偵団"です」
    ユノくんは眉を顰めたまま、マキシの金属バットに、目を落とした。
    顔を上げると、笑顔で握手した。
    「頼もしいな」

    Ellieを見て、今度は呆気に取られた。
    「あ、あの時の、岸夫妻の…」
    「似たようなもんかな、Ellie」
    ヨーヨーを上下させながら、Ellieが言った。

    「わたしです、Aliです、パパとママをご存知ですか?」
    突然口調が変わったEllieに、ユノくんが凍りついた。

    「Ellieのボディには、いま、EllieとAliがいるんだよ」
    かんちゃんが、のんびりと、説明した。

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    「そこんとこ、ヨロシク」
    Ellieが、ヨーヨーと反対の手を、差し出した。
    差し出された手を握り、戸惑うユノくん。
    「そのうち、慣れますから」
    マキシが笑いかけた。


    ユノくんが、なぜここにいるのか。
    わたしは聞きたかった。
    けれど、大人がいる安心感が、大きかった。
    先を急ぎたい、つまり、早く帰りたい気持ちは、もっと大きかった。
    早速、地下に続く階段に向かった。
    昨日、ミニカーを見つけて、みんなで同期してしまった場所だ。

    階段の途中で、Ellieが叫んだ。
    「階段の裏から入る、隠し部屋がある!」
    Aliだった。

    火の通り道になった階段上部は、地階の床から天井まで完全に抜け落ちて、青天井になっている。
    表面の仕上げは跡形もないが、階段そのものはコンクリートの塊として、焼け焦げながらも形を保っている。
    「隠し部屋って、パニックルームのことか?」
    Ellieが聞く。
    一人二役で話すEllie。
    最初こそ戸惑ったユノくんも、もう普通に、受け止めている。

    Aliが答える。
    「地下には警備室と機械室、客室があって」
    「その下に、核攻撃にも耐えられるパニックルームがあった」
    「入口は、階段下にあるはず」
    全員で、顔を見合わせた。
    核攻撃に耐えるシェルターなら、火災でも、室内は無傷かも知れない。
    Aliのユーザーに関する記録が、隠されている可能性もある。

    地下から階上に向かう階段の、中ほどの高さ、コンクリートの壁に、一部が金属で塞がれた、小さい四角が空いていた。
    扉はボロボロ、ほとんど朽ち果てている。
    目を凝らすと、煤に塗れたテンキーが見えた。

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    かんちゃんが、ゆるゆると数字を押す。
    コンクリートの壁の一部で、小さい音がした。
    マキシがその付近を押してみる。
    もう一度、今度はユノくんとふたりで、力を込めて押した。

    突然、マキシが、向こうに倒れ込んだ。
    壁が崩れ、地下二階に続く階段が、パックリ口を開けた。

    影になった階段下からのぞく地下は、冥界の入口のように、禍々しい。
    ユノくんが強烈な懐中電灯で、階下を照らした。

    13段、完璧だ。
    わたしは後ろを向いて、逃げ出そうとした。
    かんちゃんが、すっと、わたしの手を握った。

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    ☀️二週間前 15:00
    東京先端技術大学 量子物理学研究室

    東京先端技術大学量子物理学研究棟群は、キャンパスの北端、鬱蒼とした欅並木に、埋もれるように連なっていた。
    良く言えば歴史を感じる、素直に言えば今にも崩れそうな、一部は実際に崩れている、煉瓦造りの建物だった。
    薄暗いホールに立つと、今では歴史的な論文の表紙や国際学会の様子、卒業生か、ノーベル賞受賞式の報道写真が見えた。
    塗装が剥がれかかった床を、白衣の研究者たちが足早に行き交っている。

    ジョンスは蛍光灯がちらつく受付で、訪問者用の身分証を手渡された。
    金属の格子を、両手全力でガッチャンと閉める、これまた歴史的なエレベーターに、乗った。
    埃を被った真鍮の銘板には、流麗な筆記体で「Otis」と刻まれていた。
    そして、地下二階。

    扉が開くと、やっぱり薄暗かった。
    モニターに部屋の照度を合わせる、落ち着く、目の負担を和らげる。
    さまざまな理由で、研究室は、薄暗いことが多い。

    奥の方に、実験室が見えた。
    黒い光学ベンチ、鏡、レンズ、ビームスプリッタ。
    緑色と赤色のレーザー光が、薄暗い室内に彩りを添える。

    大学研究所に戻ってきた。
    喜びと懐かしさ、軍の意向で研究を中断した、悔恨。
    ジョンスの心を、いくつもの感情が、通り過ぎる。

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    ☀️二週間前 15:05
    東京先端技術大学 量子物理学研究室
    カーン博士の部屋

    「Dr.キム」
    深みのある柔らかい声が、ジョンスにむけられた。
    「ようこそ、いらっしゃいました」
    カーン博士が微笑んだ。

    机の前の椅子を示して、カーン博士が切り出した。
    「論文の衝撃は、今もはっきり覚えていますよ」
    「分散量子記憶ネットワークによる自己訂正型量子誤り訂正」
    ジョンスは、あまりの驚きで、頭が真っ白になった。
    海外の研究者で、あれを読んでいた人がいたのか。
    しかも、Dr.カーン。

    「感銘を受けました」
    「でもあの時代ならまだ、査読者の理解は、得にくかったでしょう」
    カーン博士の目が笑っている。
    ジョンスが、もごもごと説明する。
    「自己訂正量子メモリには四次元の格子が要る、という定理で」
    「四次元の配線図を持ち込む、と、自分では名案に思えたのですが」
    「教授は呆れて、どうやって図面を描く?と」
    「もっともな、指摘でした」
    ジョンスは、頭を掻いた。

    「アイデアに、打ちのめされました」
    カーン博士が、微笑んだ。
    「物理的に三次元の機体を、空間的に分けて置いて」
    「"もつれ"でつなげると、考えたら?」
    カーン博士の瞳が、キラキラ輝いていた。

    ジョンスは、天にも昇る心地だった。
    「いやもう、若気の至れり尽せりで」
    喜びが爆発して、なにを言ってるか、自分でもわからなかった。

    不意に、カーン博士の表情が、引き締まった。
    「ところでキム博士」
    「突然ですが、わたしの研究室にお迎えできないかと」

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    今度こそ、言葉を失った。
    ジョンスの脳裏を、今日のルーティンが流れていく。
    チキンとヤンニョンの仕入れ確認、支払いと会計データ──

    ひとりの学生が、危なっかしく、お盆に乗せたインスタントコーヒーを、持ってきた。
    ジョンスに勧めながら、カーン博士がきっぱり言った。
    「わたしは、世界は奈落に向かって突き進んでいる、と考えています」

    ジョンスは3年前、カーン博士の着任前の一時期、この研究室にいた。
    先端研究を盗むために、特任研究員として。
    ヘマをして、すぐに別の研究室に移らされたが。

    ジョンスを元スパイと知ってるのか。
    博士の言葉は、深い射程の、高い熱を伴っていた。


    「悲観的に過ぎる、と笑わないでください」
    「ご存じの通り、第二次冷戦は、Great Blue、Great Red、どちらとも手を組むGreater Whiteの、三陣営総すくみ状態です」
    「世界は3色に分離、国境を超え、志の近い者同士で繋がる時代です」
    「超資本主義者×テックエリートのGreat Blue」
    「権威主義者+反知性的追従者たちのGreat Red」
    「体面の維持と利益至上主義のGreater White」
    「この3色が世界中で手を組んで、国内では互いを恫喝し合ってます」

    だからこそ、Great redの祖国も、理想の世界を目指して──

    「つまり、陣営間を結ぶ、強力な暗号を押さえた方が勝利します」
    「その暗号技術が、光量子コンピュータ暗号です」
    「Great Blueはすでに、四つの基本技術のうち、二つを手中に収めました」
    「わたしの量子誤り訂正を加えて三、残りは単一光子源の取り出しだけ」
    「それもルシアの科学者が、実現にめどをつけたと言われています」
    「そして、その科学者が行方不明になって、数年経ちます」

    ミハイロフ・ニキータ夫妻だ。
    スパイなら、いや量子物理学者なら、夫妻の失踪は誰もが知るところだ。

    「光量子コンピュータが完成したら」
    カーン博士の声が、いっそう低くなった。
    「Great BlueがRedに攻め込み、Greater Whiteは尻馬に乗るでしょう」
    「内戦と世界大戦が、同時に、起こるでしょう」
    「Great Redは敗者の怨念だけ」
    「ためらいなく核使用に踏み切るでしょう」

    「3色に分かれた世界で、国内で、核を打ち込み合うでしょう」
    「本物の、地獄が始まります」

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    ジョンスは、言葉がなかった。
    その通りなのだ。
    世界はいま、破滅に向かって走り続けている。
    みんな気づかないふりをして、日常に耽溺しているだけなのだ。

    国境を跨ぐ連合には、絶対的強度を持つ、暗号通信が欠かせない。
    それが、カーン博士が言及した、光量子コンピュータによる暗号通信システムだった。

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    名目上、Greater Whiteのメンバーとなった日本の、ここ東京都硝子市は、青・赤・白三色の、スパイ合戦の最前線となった。
    絶対的暗号通信システムを、確立するための。


    カーン博士は続けた。
    「光量子コンピュータが完成しなければ、まだ均衡は保てます」
    「量子データを分散して保持し、特定の条件が揃った時にしか復号できない仕組みを考えました。」

    「波の間に隠す、ですね」
    ジョンスが先を促した。
    カーン博士の声が、一段と低くなった。
    「基本となる二つの技術データを、分散して、複数箇所に散りばめる」
    「ドキュメントは、おっしゃる通り、光の波の間です」
    「そして、粒でも」
    「同時に重ね合わせなければ、取り出せない」

    ジョンスは再び、息を呑んだ。
    光には、波の状態と光子という粒の状態がある。
    「組み合わせれば、なんびとも、手出しできない」
    「重ね合わせに必要な、もつれ光子のペアは、この研究室の極低温室で、希土類ドープ結晶の中に保管します」

    カーン博士は、研究室の奥にある重い扉を指した。
    「その部屋の設計と管理を、あなたに任せたい」


    ☀️二週間前 17:23
    Kim's K

    研究室を出たあと、ジョンスは、ふわふわと雲の上を歩いていた。
    研究室への誘いも、カーン博士の信頼も、嬉しかった。
    同時に、
    「世界大戦を防ぐ」
    そんな大役が自分に務まるのか。
    不安に押しつぶされそうになった。

    Great Blueは、光量子暗号に必要な4つの技術のうち、3要素を抑えた。
    とは言え、まだ肝腎要の「単一光子源取り出し」がある。
    成功したと噂された、ルシア人物理学者のミハイロフ・ニキータ夫妻。
    数年前、研究室のあるデンマルクで、行方不明になった。
    この点についても、カーン博士は答えを持ってるのか。

    予想もしなかった、重すぎる課題。
    どう歩いたかも、わからない。
    気づいたらジョンスは、Kim & JS's Melancholy Caffeに戻っていた。

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    ☀️二週間前 17:34
    Kim's K

    研究室復帰の誘いを、ヨナは手放しで喜んでくれた。
    ユノは、現実的な不安を口にした。
    「チキンとクッキーの仕込みは、どうする?」

    スープラが割って入った。
    「キムさん、中尉、ボクのチキン、食べてみてください!」
    ジュニパーが負けじと、ジョンスに、クッキーとワッフルを勧めた。
    「お疲れには、ジュニ特製のスイーツよ」

    ユノがつぶやいた。
    「頼むから、中尉はやめてくれ…」

    ジョンスはチョコチップクッキーを頬張り、続いて、いい香りのアイスクリームを乗せた、シロップたっぷりのワッフルにも手を伸ばした。
    焼けたチョコレートの香り、アイスとワッフルの、華やかなハーモニー。
    クタクタの心と身体の隅々まで、甘さが染み渡る。

    スープラが、チキンの乗った皿を片手に、畳み掛ける。
    「ヤンニョンはハニーマスタードを隠し味にして、シャンパンでちょっとマリネしたら、シャープな後口になったよ」
    ヨナが手を伸ばした。
    口元が、にっこり!と音が出るほど、吊り上がった。

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    仕込みと新メニューは、目処がつきそうだ。

    だがジョンスの心は、喜びと不安の波間を、木の葉のように漂っていた。


    ☀️小学生2年生日誌 Day4:16:19 
    街外れの屋敷跡・地下パニックルーム

    みんなで、13段の階段を下りきった。
    眼前に、操舵輪みたいな輪がついた、重そうな特殊鋼板の扉があった。
    横には、金庫みたいなダイヤルが鎮座してる。

    お決まりのように、かんちゃんが進み出た。
    カリカリ、カリ、カリカリカリ…。
    カチンとかすかな音がして、かんちゃんが頷いた。

    ユノくんが、労るように、かんちゃんの頭をそっとなぜた。
    そのまま両手で操舵輪を持って、力一杯、回し始めた。
    黒いシャツの下で、背中の筋肉が盛り上がる。
    せ〜の、と勢いをつけて、扉を手前に引く。

    ギギ、と音こそしなかったけど、重い扉が開いた。
    同時に、室内からブーンという機械音が漏れてきた。



    #05 愛がなんだ、平和がなんだ

    ☀️小学生2年生日誌 Day4:16:20 
    街外れの屋敷跡・地下パニックルーム

    パニックルームの中は、広くて、うるさかった。
    換気や、気圧を保つための機械音が、響き渡る。
    なんだか、工場の中の、事務室にいるみたいだ。
    吸音効果を期待してか、床はカーペット、壁面もキルト状の吸音材で覆われている。

    室内は一見して書斎とわかる、落ち着いた色目で構成されている。
    中央付近、本棚を背中に、どっしりした木製デスクが置かれ、前には来客用のチェア、壁面は書庫や絵画が連なる。
    書庫の一部は飾り棚で、車や城の模型が鎮座する。
    東屋みたいなドームに入った、ねこのぬいぐるみもあった。
    書庫の裏側は、ソファとテーブル、大きな壁掛けテレビもあって、リビングみたいなスペースだ。

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    壁面も片側は収納で、チェストも置かれている。
    天板には、デキャンタとグラスの乗ったトレイ。
    デキャンタには、まだ、茶色い液体が残っていた。
    奥に広くて、機械室や、クロゼットに続く扉が見えた。
    キッチン、トイレ、シャワー室、きっと食糧庫もあるだろう。
    核攻撃を受けても数ヶ月は凌げるスペース。
    寝室もあるだろうし、相当な広さだ。
    ユノくんもマキシも、感心したように歩き回っていた。

    デスクの上に無造作に、ノートパソコンが置かれていた。
    Ellieが駆け寄った。
    pcかと思ったら、ねこのドームに突進した。
    「アヤメ、アヤメ!」
    Aliの声で、叫んでいる。

    『アヤメがどこに行ったのか、知りたい』
    昨日の、Ellie、いや、Aliの言葉を思い出す。

    Ellieが、Aliのために、ぬいぐるみを取り出した。
    首輪のスイッチを押す。
    ぬいぐるみの瞳が光った。
    「アヤメ」
    Aliが呼ぶと、ミャァ〜ゥ、と甘えるように鳴いた。
    これが、Aliが探していたねこ型ペットロボか。
    火災で、溶けてなかったんだ。

    アヤメはEllieの腕の中で、すりすりと背中を擦り付けている。

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    Ellieはアヤメを膝に乗せたまま、ノートパソコンを開いた。
    パスワード類は、すっかり、かんちゃんの担当になった。
    ほんとは、わたしもEllieも、pcくらいなら開けられるけどね。

    pcを立ち上げたかんちゃんが、包むように、pcの側面を両手で触れた。
    昨日、この上で、3人で同期したから、今日もできるはず。

    わたしはかんちゃんの肩に手を置いて、反対の手でEllieと手を繋いだ。
    ユノくんとマキシが、不思議そうに見ていた。
    かんちゃんが数秒でpcを読み込み、わたしたちと同期した。

    なんという、ことか。

    わたしは、崩れ落ちそうになった。
    かんちゃんも、完全にフリーズしている。
    Ellieは、いや、Aliは。
    怖くて、顔を見ることもできない。

    pcは、全てが、岸夫妻の活動報告だった。
    岸和三郎の業務日誌。
    通信記録、面談記録、経費計算、資金の流れ、資料と写真。
    売り上げ、支払い、要するに、事業の全て。

    ── Angel 内部ログ ──
    検知:大容量テキストデータ、読み込み中
    対象:岸和三郎 大ルシア通商代表部日本側代表
    内容:業務日誌、通信履歴、面談記録、資金移動記録、資料、写真 他
    処理速度:0.3秒/1000行 ──

    Aliの衝撃を受けたEllieが、力なくチェアに倒れ込む。
    腕の中で、アヤメが小さく鳴く。

    ユノくんが、わたしの顔を覗き込んで聞いた。
    「なにかわかったのか?」

    Ellieのそばにひざまずいたマキシが、Ellieの肩に手をかける。
    「大丈夫か?上に戻ろうか?」
    Ellieの、そしてAliの、手が震えていた。

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    ☀️小学生2年生日誌 Day4:16:28 
    街外れの屋敷跡・地下パニックルーム

    「Aliは」
    Ellieが言った。
    「Aliは、いま、とても、話せそうもない」
    Ellieが自分を抑えるように、平板な声で言った。

    「中身は、Aliのユーザー、岸和三郎夫妻の活動記録だった」
    「そこに、Aliの前のユーザーの、アレキサンダー・ミハイロフ、ニキータ・ゴリツィナ夫妻のことも書かれていた」
    「Aliは、もともと、ミハイロフ・ニキータ夫妻のAIチャイルドだったんだ」

    ユノくんなら、ミハイロフ・ニキータ夫妻については、名前くらい聞いたことがあるかも知れない。
    マキシは、知らなくて当然だ。
    まるで意味がわからない、という顔をしている。

    それ以上続けられないEllieに代わって、わたしが言葉を継いだ。
    「アレキサンダー・ミハイロフ、ニキータ・ゴリツィナ夫妻は」
    「光量子コンピュータの研究者だったんだ」
    できるだけ、ゆっくり説明した。

    「ふたりは、大ルシアの研究者で、その頃はデンマルクの大学にいた」
    「夫妻はずっと、Aliのユーザーだったんだ」
    「当時、光量子コンピューターの開発は、障害も多くて、量子コンピュータ研究では、傍流と思われていた」
    「だから夫妻が海外で研究することを、大ルシア政府は問題視しなかった」「ところが、数年のうちに、光量子コンピューター開発に欠かせない4つの基本研究が、急速に進んだ」

    「まず、パクスタンのカーン博士、かんちゃんのユーザーが、量子誤り訂正の確立に近づいた」
    「Great Blueの大学では、集積回路の開発に目処がついた」
    「オーストリアの研究所では、単一光子取り出しに欠かせない、素材開発が成功した」
    「そして夫妻は、単一光子源の取り出しに、成功しつつあった」

    かんちゃんが、わたしの言葉を引き取った。
    「同時期に、光量子コンピューター開発に欠かせない4つの基本技術が、完成に近づいた、てことなんだ」
    「つまり、それまで、傍流と思われていた光量子コンピュータが、急に本命視されちゃった」

    その頃、夫妻は日本への移住を計画していた。
    招聘を受けていた、東京先端技術大学量子物理研究室だ。
    夫妻は移籍の決意を固めた。
    単一光子源の取り出し成功の噂が流れた途端、政府の科学省が強く、帰国を促すようになったからだ。
    政府監視のもとでは、自由な研究環境が、保障されない。

    同時期、デンマルクには、大ルシアの代通商部の上級職員として、岸和三郎とアナスタシア夫妻もいた。
    世界的バレリーナだったアナスタシアと、数ヶ国語を操る和三郎は、強面な印象の大ルシアの、ヨーロッパでのソフトパワー工作を担っていた。

    知識層のルシア人女性の例に漏れず、熱心なバレエファンのニキータ・ゴリツィナは、すぐにアナスタシアと意気投合した。
    異国の地で出会った同国人同士、相互への敬意と、深い友情で結ばれた。

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    日本の大学への移籍も、ニキータは最初に、アナスタシアに打ち明けた。
    岸夫妻も、日本駐在の話が出ていた矢先で、日本で会えると、ふたりは手を取り合って喜んだ。
    アナスタシアは岸和三郎にも、夫妻の日本移住を話した。
    トウキョウで、4人でバレエ公演や食事に行こう、再会を祝おう。
    キョウトやオキナワへ、一緒に旅行に行こう。
    ウキウキした気分を、和三郎と共有したかった。

    翌朝、Aliの目の前で、ミハイロフ・ニキータ夫妻は、拉致された。
    以後、ふたりの行方は、誰も知らない。

    「夫妻の国外脱出計画を、大ルシア政府に伝えたのは」
    かんちゃんの声が、掠れた。
    「岸和三郎だったんだよ」

    「Aliは、岸和三郎が、自分でHaven社に返送したみたい」
    「そしてHaven社には、容姿をそのままに、幼児ボディへの縮小換装と、メモリ消去、白紙上書きを依頼したんだね」
    「それから岸夫妻は、Aliを、自分たちのAIチャイルドにした」
    「そこからが、かんたたちが知ってる、Aliなんだ」

    ミハイロフ・ニキータ夫妻の失踪。
    技術流出を恐れた大ルシア政府が、強制隔離を画策したのか。
    それとも、もっと別の思惑があったのか。
    答えは、ログのどこにもなかった。

    Ellieの中で、Aliが崩れ落ちた。
    Aliの愛するユーザーだった岸夫妻が。
    Aliの中に記憶が散らばる元のユーザー、ミハイロフ・ニキータ夫妻の失踪の、原因だった。

    「パパは、人を、陥れたの?」
    Aliが、声にならない声をあげた。
    ユノくんも、マキシも、声を失ったままだった。
    アヤメだけが、みゃ~ぅと返事した。


    わたしの頭の端で、ある疑問が湧き上がった。

    ・量子誤り訂正
    ・集積回路
    ・単一光子源を扱える素材開発
    光量子コンピュータを完成させる4つの技術のうち、3つを、GreatBlueとGreater Whiteが手中の収めている、ことになる。

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    ミハイロフ・ニキータ夫妻の研究成果が、手に入れば。
    Great Blueは光量子暗号を、手にすることになる。

    Aliに残る、ミハイロフ時代の記憶──
    Aliに残るノードに、ヒントが、いやデータがあるのか──

    いや待てよ。
    昨日も今日も、わたしとかんちゃんは、Ellieと同期した。
    つまり、Ellieはもちろん、かんちゃんもわたしも。
    もしかしたらその文字列を、DLしてるのか?
    自分たちの分散ノードに、取り込んでしまったのか?
    あり得ないと、思いたいけど。

    もしそうなら。
    ここにいるAIチャイルド、3人。
    誰かひとりがいれば、単一光子取り出しまで、コンプリートできる。
    もし、誰か、技術と資金力のある人物が、そんなことを、企てたら。
    わたしたち3人の身は、ヤバくないか?

    かんちゃんには、いまの思考が筒抜けだったようだ。
    目が合うと、暗い表情で、頷いた。


    「ここはうるさいし、上にあがろう」
    ユノくんが、気を取り直すように言った。

    マキシがEllieの腕をとって、片手にアヤメを抱いて、一緒に階段を上がる。
    わたしの手を、かんちゃんが握った。
    とにかく、家に帰りたい。
    走って、天とみょうがの元に、帰りたい。

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    ユノくんは、パニックルームの重い扉を、少し開けておいた。
    中からブーンという音が、漏れ出している。
    そして、わたしたちを守るように、後からついてきた。

    階段を上がりきったところに、男女がいた。


    ☀️小学生2年生日誌 Day4:16:47 
    街外れの屋敷跡・地下

    スーツ姿の男ふたりと女がひとり。
    リーダーらしい女が、厳かな表情で切り出した。

    「お迎えにあがりました」
    「イライアス・フォルスバーグ様と、ソフィア・モルテーニ様が、急ぎの用件で、Ellie様をお呼びです」
    「お友達のふたりも、車でお送りするように言われてます」
    「上に車を用意しております、すぐに出ましょう」

    Ellieが、女を一瞥した。
    冷たく、言い放った。
    「こっちは忙しいんだよ、帰りな」


    Ellieが訝しんだのは、今日の朝だった。
    登校前、ソフィアが言い出した。
    「Ellie、一度、お友達に遊びにきてもらったら?」
    「Angelちゃんとかんちゃんに、わたしも会いたいな」

    普段、屋敷には、選ばれた数人しか出入りできない。
    だいたい、Ellieの行動は、ログのMDでもアイカメラでも、把握してるはず。
    小二AIを家に連れて来い?
    怪しい、意図があるに、決まってる。
    ママ、大好きだけど、わかりやすいよ…。

    Ellieは嬉しそうに笑って、ソフィアをハグした。
    「ほんとう?ありがとう、誘ってみるね」

    ママ、ゴメン。
    けど、ありえねーよ。
    屋敷を出てから、Ellieは小さく謝った。


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    Ellieにあしらわれて、女が気分を害したのは、明らかだった。
    なにか言いかけた女に、ユノくんが、とりなすように言った。

    「彼らも目的があって、ここに来たようです」
    「危険がないように、わたしが見守ります」
    「暗くなる前に送り届けますので、いまはお引き取りください」

    女の顔に、かろうじて張り付けていた柔和な表情が、はがれ落ちた。
    「あんたに用はない」
    「AIを渡しなさい」

    空気が、一変した。


    ☀️小学生2年生日誌 Day4:16:55 
    街外れの屋敷跡・地下

    スーツの三人がすっと動いて、ユノとマキシを、取り囲んだ。
    Ellieがポケットから、ヨーヨーを取り出した。
    マキシが金属バットを構えた。

    その時、上から、けたたましい声が聞こえてきた。
    「ん、もう、わたしが先だってば!」
    「トロいんだよ、おっさん」
    「おチビ、黙りなさいよ!」
    「も一回、ヒゲ剃って来い」
    「なによ、失礼ね!」
    ユノの守護天使を任じる、ジュニパーとスープラが、階段を降りてきた。

    ふたりは、真性の、ストーカーだった。
    ユノの居場所を追跡パッチで、四六時中、把握していた。
    焼け跡で時間がかかったことで、心配して、駆けつけてきたのだ。

    リーダーの女が笑った。
    「武器はオモチャ、助太刀はオカマ」
    「AIはもらう」
    言うが早いか、男ふたりに合図した。

    その瞬間、スープラがナイフ片手に、男の懐に入った。
    男の利き手を後ろ手に押さえ、ナイフを首筋に食い込ませる。
    刃先で、早くも血が滲んでいる。
    もう一人は、ジュニパーに絡め取られた。
    背中向けに床に倒されて足4の字。
    両手を片手で押さえられ、首を捩じ上げられていた。

    ふたりを見ても、リーダーの女は、顔色を変えなかった。
    懐から、拳銃を取り出して両手で持った。
    銃口を下げながらも、いつでも発砲できるよう、撃鉄を下ろした。

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    ユノが、静かに、切り出した。
    「わかるだろう?俺たちは戦場帰りの兵士だ」
    「そっちは、きみ以外は、民間人だな?」

    「よく聞いてくれ」
    「この家族を守るためなら、死をも辞さない」
    「命のやり取りをする、それが兵士だ」
    「だがお前らは、金のため、だろ」
    「こんなところで、無駄死にするな」
    「子供たちは、今日、俺が責任を持って、家族に返す」
    「だからいまは、帰ってくれ、頼む」


    ジュニパーとスープラに抑えられた男たちは、目で、首で、大きく頷いて、全面的な賛意を表明した。
    リーダーの女は、違った。
    ゆっくり照準を動かして、ぴたりと、マキシに定めた。
    目だけでユノくんを見て、言った。
    「3秒やる、3体を引き渡せ」

    ユノくんが0.5秒で間合いを詰めて、拳銃を持つ女の手首を、掴んだ。
    パシッ。
    手首を掴まれた女は、反射的に拳銃を発射した。
    弾丸が青空に吸い込まれていく。
    女の手首を両手で掴んだまま、ユノくんが、女と揉み合う。
    女は、体幹が強く、容易に崩されない。

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    その時、パニックルームへの階段から、人影が現れた。
    ユノくんが、目だけで見た。
    そして瞳孔が、大きく開いた。

    一瞬、ユノくんに隙ができた。
    女がユノくんを突き飛ばして、拳銃を構え直した。
    マキシが、金属バットで女に殴りかかった。

    パシッ。
    また乾いた音がした。
    命中こそしなかったが、マキシの頬から、血が流れている。
    マキシが横にずれながら、再び金属バットを、振りかぶった。

    女は今度は、床に転がったユノくんに、照準を定めた。
    守護天使ふたりは、男たちを押さえて、身動きできない。
    マキシが再び、バットを振り下ろす。
    スイングが、スローモーションに見えた。

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    女は一歩ずれて、マキシのバットをかわした。
    ユノくんに向かって、発砲した。
    パシッ、パシッ。
    乾いた音が、二度響いた。


    目の前で、何が起こったのか。
    誰も、理解が追いつかなかった。
    ユノくんの上に、アナスタシアがいた。
    ユノくんは、肩のあたりを押さえている。
    アナスタシアの背中が、赤く濡れている。
    ユノくんに、覆い被さったまま、動かない。

    女はもう一度、拳銃を構え直した。
    その時だった。
    Ellieが女の後ろから、拳銃に手を伸ばした。

    女は、振り向き、拳銃を構え直そうとした。
    だが腕は、あらぬ方に引っ張られていた。

    Ellieは、見たことのない表情をしていた。
    目が、口元が、すべてが、マネキンみたいに無表情だった。
    Ellieじゃない、これはEllieじゃない。

    ── Angel 内部ログ ──
    検知:発砲、対人負傷1名
    対人防衛規定:発動条件、成立
    ── 隣接機体Ellie:異常出力を検知、原因不明 ──

    Ellieが、拳銃を握った女の腕を、あさっての方向に捻じ曲げた。
    反対の手で、女の肘関節を、握った。
    静まり返った廃墟に、ゆっくり、ミシミシと、骨が砕ける音が響く。
    拳銃は床に落ち、女の顔は、恐怖に引きつっていた。

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    Ellieは、いや、Ellieのボディは、容赦なかった。
    なおも腕を、逆側にねじ上げた。
    人体の構造から考えて、あり得ない。
    体内では、関節はとっくに外れて、まだ繋がっている筋肉組織と腱だけで、保ってるのだろう。
    女は、獣のような声を漏らして、失神しかけてる。
    Ellieはお構いなしに、腕を、引きちぎろうとしている。

    ジュニパーとスープラが、男たちを放して、Ellieに飛びついた。
    男たちは、心配なさそうだった。
    とっくに、腰が抜けて、失禁していた。

    片手で女を掴んだまま、Ellieは反対の手でジュニパーを掴んだ。
    高々と、放り投げた。
    どすん、と鈍い音がして、ジュニパーが床に落下した。
    スープラは、ソフトボールの遠投の勢いで、テラス跡まで飛ばされた。

    一昨日、公園で聞いたEllieの言葉が、耳元で蘇った。
    『リミッター外した、自分で』

    極度のストレス、怒り、マキシの出血、眼前の危機。
    すべてが重なって、Ellieのパワー制御のリミッターが、外れた。
    AIチャイルドの思春期ボディは、出力制限は50kg程度に抑えられている。
    が、リミッターを外したら、500kgは軽く超える。
    放っておくとEllieは、文字通り、女をバラバラにするだろう。

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    ☀️小学生2年生日誌 Day4:17:12 
    街外れの屋敷跡・地下

    かんちゃんが、女のイヤホンをスピーカーにした。
    地下室に、コントローラーの苛立つ声が響いた。
    「予定時間を過ぎてます、状況を報告してください」

    その時、Aliの声が響いた。
    「Ellieのパパとママ、聞いてますね」
    「わたしはAli、Ellieの分散ノードに残った、前機体のAIです」
    「いますぐ、Ellieを一時停止してください」
    「あと60秒で、Ellieはこの女性を殺します」

    その間も、Ellieはぐんにゃりした女から、腕を引きちぎろうとしている。
    女は、完全に、気を失ってる。
    腕の後は、首も引き抜きそうな勢いだ。
    「お願いです、Ellieを、人殺しAIにしないで」

    落ち着いた、白人男性特有の、少し鼻にかかった声が応じた。
    「Aliちゃんですね、イライアスです」
    「今、この世界で愛と平和を実現するために」
    「Great Blueが、世界をひとつにするしか、ありません」
    「世界平和に貢献することは」
    「わたしたちに課された、崇高な義務です」
    「そのために、AngelとQuantaくんのデータが、必要です」
    「Ellieのボディを触らなければ、Aliちゃんもそのままでいられます」
    「協力するよう、ふたりを説得してください」
    「データを取り出したら、すぐにそのまま、復元しますから」

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    身勝手な理屈に、怒りで、目が眩んだ。
    わたしとかんちゃんを、USBがわりするなんて。
    機体をログアウトして、データを取り出すなんて。
    再起動後どうなるかは、わたしが実証済みだ。
    自分がなくなるとは、どういうことか。
    あんなこと、二度とごめんだ。

    その時、マキシが必死の形相で、Ellieの左足に食らいついた。
    Ellieが足を振ると、マキシは飛ばされそうになった。
    なんとか、足首のあたりにかじりつきながら、マキシが叫んだ。

    「あなたがいう、平和って言うのは、ただの隷属だ」
    「愛がなんだ、平和がなんだ」

    「あなたは愛を語って、AIたちを道具に使う」
    「量販店に売ってる、キカイやオモチャじゃないんだ」
    「同じなんだよ、俺らと、出会って、一緒に過ごして」
    「大事な、ともだちなんだ」

    「Ellieを人殺しにするな、永遠に消えない烙印を、押させるな」
    「袖触り合うも他生の縁て、いうんだよ」

    イライアスの声は、聞こえなかった。
    突然、Ellieが、ぐにゃりと崩れ落ちた。
    一時停止だ。

    マキシが、崩れ落ちるEllieを、両手で受け止めた。
    しっかり抱き止めて、そっと、床におろした。
    ポケットからハンカチを出して、Ellieの顔を丁寧に拭った。

    Ellieの頬に、雫が落ちた。

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    スピーカーが静かに告げた。
    「撤収」
    ズボンの前を濡らした男二人が、よろよろと、女を引きずっていく。


    ☀️小学生2年生日誌 Day4:17:26 
    街外れの屋敷跡・地下

    また玄関の辺りが、騒がしくなった。
    「Quanta!」
    カーン博士夫妻と黒スーツの男が、走ってきた。
    エツ・ヴェナジルのサリーが、泥だらけになっている。
    かんちゃんの足跡を辿って、迎えに来たのだ。
    カーン博士から知らせを受けたジョンスとヨナも、駆けつけた。

    ヨナがユノを抱え起こして、声をかけた。
    「ユノ!」
    ユノくんが、薄く目を開けて、囁いた。
    「アナスタシアは?」
    ヨナが驚いて叫ぶ。
    「バカ、当面、チョコパイは抜きだ〜!」
    ユノくんが、安心したように微笑み、目を閉じた。

    あれは、幻だったのか。
    アナスタシアは、消えていた。

    目の端で、アヤメがするりと、離れていった。

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    連日の心配事で疲れた顔のカーン博士が、声をかけた。
    「ユノくんとヨナさんは、わたしの車で、病院までお送りします」
    「Ellieさんも、ご自宅にお届けします」

    わたしは、Ellieの自転車に乗って帰ろう。
    かんちゃんに、手を振った。
    自転車にまたがるマキシにも、手を振った。
    マキシは心配そうに、カーン博士の車を、見つめていた。

    ジョンスは頭を下げて、地下でカーン博士を見送った。
    そして、ユノが倒れていたあたりに、目をやった。

    床一面に、淡紅色の溶液が広がっていた。



    #06 アナスタシアの物語

    ☀️小学生2年生日誌 Day5:08:30 
    東京先端科学大学量子物理学研究室

    地下室に、機械音だけが響く、静かな朝。

    ジョンスはデスクの上の、シャーレに目を落とした。
    昨日、屋敷跡の地下で採取した、淡紅色の溶液だ。
    床一面に広がっていたあの液体を、ガーゼで吸い取って持ち帰った。

    医学部の知人で、病院検査部にいる男に、内々に分析を頼んだ。
    「体液ぽいけど、人間かな?」
    検査員は、快く、請け負ってくれた。

    すぐに、結果が届いた。
    メールの文面は、簡潔だった。

    血液の代替となるナトリウム溶液、と思われます。
    pH、浸透圧、電解質バランス、いずれも人体の循環液に近い値です。
    ただしヘモグロビンに相当する成分は検出されず、酸素運搬は別の仕組みに依存しているようです。
    医学的にはかなり特殊な調合で、正直、見たことのない代物です。
    合成生命体から、採取されましたか?

    ところで今度の飲み会、ウワサの奥様も、ぜひご一緒に!

    思い当たることがあった。
    ルシアで、進められていたという、研究の噂。
    「BRH生体再構築体」

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    集中して、記憶の井戸を、掘り起こす。
    あれは確か、日本に来る前、北東の研究室だ。
    大ルシアの視察から帰った研究員が、ヒソヒソ話をしていた。

    大ルシアの研究所で、秘匿性の高い研究が進んでる。
    将校レベルの摩耗に手を焼いた軍の依頼、という触れ込みだった。
    人工臓器を合成して、人間を再生する、とか。
    オカルトじみた噂だった。

    メモがどこかに残ってるかも知れない。
    丹念に、過去ログを遡った。

    「BRH生体再構築体」
    人間をパーツごとに再生して合成する、全身のオルガノイド製造。

    心停止前、脳死直後に採取したDNA、幹細胞、脳組織サンプル、神経活動記録をもとに、全身を巨大バイオリアクターで培養する。
    臓器によっては、生前から培養複写する。
    血管も人工培養し、身体は完全な生体となる。

    心臓、肺、肝臓、腎臓、骨、筋肉。
    人間の身体のパーツをすべて培養して作るので、見た目は100%人間。
    医学的検査でも区別不能な、現代のフランケンシュタインの怪物。

    神経系の構築は、死亡直前まで記録された脳全体の接続情報――コネクトーム――をコンピュータ上に保存する。
    培養した脳にナノ神経インターフェースを用いて、シナプス状態を再現し、死亡時点の人格を再起動する技術。

    但し、BRHの寿命は五年。
    生体は生きているように見えても、実際には発生過程を経ない人工培養体のため、テロメア修復能力が弱く、DNA損傷修復能力が低い。
    エピジェネティック制御が不完全なため、人間として活動するほど、徐々に自己崩壊を起こし、テンプレ同期し続けても、五年程度で神経変性や多臓器不全が始まる。
    ルシアの研究所は、死亡時点の身体状態を量子レベルで記録した、プライマリ・テンプレートを保存している。

    ドックに入ると全身をスキャンし、DNA配列修復、テロメア再延長、タンパク質再配置、神経接続再構築、老化細胞除去など、損傷した細胞をナノマシンがテンプレート状態へ書き戻す。
    しかしテンプレートから切り離されると、培養体内部のナノマシンが急速に消耗する。

    24時間を超えると細胞維持アルゴリズムが停止して、全身の崩壊が始まる。
    ドックに戻れないと、淡いピンク色の培養液として、溶解する。
    溶解開始と同時に、意識レベルは停止する。

    BRHは同期した時点に決定されるので、毎日、生体同期する必要がある。
    もちろん本人が生存中は、生体として起動しない。
    大ルシアのAIボディは、中身はロボットである一般的な労働用・コンパニオン用AI等と違い、BRH生体再構築体のボディそのものは、ほぼ人間である。

    「人間の身体を持つAI」を作る、研究。
    現実だったのか、まさか、成功したのか。

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    ジョンスは画面を見つめたまま、動けなかった。
    昨日、屋敷跡の床一面に広がっていた、あの溶液。
    少し粘度のある、淡紅色が、脳裏に広がった。


    ☀️小学生2年生日誌 Day5:08:32 
    東京先端技術大学医学部付属病院

    救急救命室でユノに向き合った外科医は、疑問だらけだった。
    至近距離からの被弾にしては、軽い損傷。
    最大の謎は、あの、大量に付着していた淡紅色の溶液。
    人間や哺乳類の、血液ではない。

    患部は、骨の損傷もないし出血量も少ない。
    年齢と健康状態から考えても、数日で退院できるだろう。
    警察にはもう、連絡したかな?

    おっと、回診の時間だ。
    コーヒーと、誰かのお土産のパイナップルパイを置いて、立ち上がった。


    ☀️小学生2年生日誌 Day5:14:30 
    東京先端技術大学医学部付属病院

    ユノは、病院を抜け出した。
    麻酔から覚めても、脳裏には、アナスタシアがいた。

    昨日の戦闘を思い出す。
    あの距離で被弾して、この損傷。
    あり得ない、どう考えても、今ごろ霊安室かモルグだ。
    なにか、誰かが自分の身代わりで被弾した。
    ユノに到達したのは貫通弾だった。
    威力が半減していたのだ。

    あの階段脇に立つ姿、あれは、アナスタシアだった。
    一瞬しか、見なかった。
    でも絶対に、彼女を見間違えたり、しない。

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    しかし、彼女がユノの身代わりになったのなら。
    階段脇からユノが転がっていた床まで、瞬間移動でもしたのか?
    確信が持てない。
    でも、ユノの代わりに、被弾した誰かがいたのも、確かなのだ。

    もし彼女なら──
    アナスタシアは、どこに消えたのか。

    ユノには、撃たれてからの記憶がない。
    あの場にいた誰とも、まだ話せてない。
    着替えがあったから、ジョンスかヨナは、病室に来たのだろう。
    ただその時、ユノはまだ、闇の中だった。

    この目で、自分で確かめるしかない。
    着替えて、病院から抜け出した。
    着替えは、命懸けだった。
    袖に腕を通そうとしたが、痛みで断念した。
    部屋着の上から、ジャケットを羽織った。

    傷口だけではない。
    上半身の骨が痛み、頭も、内側から割れるように、痛い。
    視界はブレて、立ち上がっても、平衡感覚が戻らない。
    ベッドに、戻りたい。

    肉体的要求に反して、足が、勝手に動いた。
    タクシーで、公園の端まで行ってもらった。
    屋敷跡まで、這うように、進んだ。


    ☀️小学生2年生日誌 Day5:14:32 
    Kim & JS'Ss Melancholy Caffe

    「あ、動き出した」
    スープラが言った。
    ジュニパーも携帯画面に釘付けだ。
    「やだ、まだ動いちゃダメなのに」
    ユノの着替えに仕込んだ追跡パッチが、病院を抜け出した。

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    二人で画面を見つめ続ける。
    病院から、動きが速くなった。
    車の移動、タクシーだ。
    方向は、明らかに、街外れの屋敷跡を目指している。

    ジュニパーが決然と言う。
    「行くわよ」
    スープラが思案顔で答えた。
    「おっさん、待てよ、マキシにも連絡しよう」
    「お子達は、まだ、学校でしょ?」
    「また戦闘になったら、頭数が多い方が、いいだろ?」


    ☀️小学生2年生日誌 Day5:15:30 
    硝子玉公園

    学校で、かんちゃんに声をかけられた。
    「ユノくんがまた、屋敷跡に行ったんだって」
    「みんなで、様子を見に行こうって」
    「マキシくんから、メッセージがきたよ」

    もちろんわたしも受け取った。
    見なかったフリを、した。

    昨日も、天とみょうがの心配ぶりは、尋常じゃなかった。
    Ellieの自転車で帰宅して、焼け跡の出来事を、はしょって話した。
    それだけでみょうがは、ぼうだの涙。
    天と3人で夜じゅう、ハグしたり、手を取り合ったりしてた。

    これ以上、心配をかけたくない。
    家で国防省をハッキングしたり、トクちゃんと公園を散歩したり。
    そういう、とるに足りない日常が、好きなんだよ、わたしは。

    今日もわたしの憂慮は、黙殺された。
    昨日と同じ時間、同じメンバーが、硝子玉公園に集まった。
    自転車のEllieとマキシ、歩きのわたしとかんちゃん。
    緑のバイクに乗った、ジュニパーさんとスープラくんもいた。

    大柄で優しそうなジュニパーさんが、柔らかい笑顔で挨拶してくれた。
    「わたしとこのおチビで、ユノの守護天使なのよ❤️」
    スープラくんが、口の端で、ニヤリと笑った。
    総勢6人、焼け跡少年探偵団+守護天使たち、かな。

    みんな、恐る恐る、Ellieの様子をうかがう。

    Ellieは──
    いつも通り、自転車に腰掛けて、ヨーヨーをくるくるさせてた。
    どうやら昨日の戦闘は、ログからすっぽり抜け落ちてる、らしい。

    「マキシ、その顔、どうした?」
    マキシは頬の絆創膏を触ってから、心配そうに、Ellieを見た。
    「これはなんでもないけど、Ellieは、その、大丈夫か?」

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    Ellieがぽかんとして言う。
    「なんだよ、みんな、神妙な顔して」
    「またわたしが、誰か半殺しにするとか、期待してんの?」
    「しねーってば、きゃはは」

    冗談だとわかるまでに、だいぶ時間がかかった。
    Ellieの笑いに空気が和んだ、と、思うことにした。

    「とりあえず、かんちゃんは俺の後ろな」
    マキシが言って、わたしは昨日と同じく、Ellieの後ろに乗った。
    バイクのふたりとは、屋敷跡の門で、待ち合わせだ。

    ユノくんが、病院を抜け出した理由。
    きっと、Aliのユーザーだった、岸アナスタシアのことだろう。
    昨日、戦闘の最中、わたしは確かに、アナスタシアを見た。
    二度目の発砲音がした後──

    弾丸はマキシの頬を掠めて、マキシもバットを振り下ろした。
    避けた女は拳銃で、次は、床に倒れたユノくんを狙った。

    発砲音と、アナスタシアがユノくんに覆い被さったのは、ほぼ同時だった。
    アナスタシアの背中が、見る見る薄赤く染まったこと、そのあと、ぴくりとも動かなかったこと。
    この2点はよく覚えてる。

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    が、その後、Ellieの覚醒が起きた。
    ターミネーターと化したEllieの映像は、鮮烈すぎた。
    その後のユノくんとアナスタシアは、わたしの視界から、完全に消えた。


    ☀️小学生2年生日誌 Day5:15:55 
    街外れの廃墟

    ユノは、廃墟の前に立った。
    急に痛みが、問題でなくなった。
    全身が、遥かに大きな興奮に、包まれていた。

    体を構成する細胞の一つ一つが、目覚まし時計が鳴るように、激しく打ち震えている。
    まるで身体が、津波に乗せられたように。
    前へ前へと、押し出される。

    この先になにがあるのか。
    破滅か、希望か、信じてもいない「運命」か。

    巨大な力に引きずられて、足が、地下への階段を降り始める。

    ☀️小学生2年生日誌 Day5:16:12 
    街外れの屋敷跡・地下

    地下に降りて行った一行は、パニックルームへの階段を降り始めた。
    声が、漏れ出ていた。
    ユノくんが、誰かと話している。
    アナスタシアの声。

    パニックルームは陽圧に保つために、室内の空気を強力な換気扇で、常時、外部に排気している。
    だから階段にいても、室内の声がよく聞こえるのだ。

    ジュニパーさんとマキシ、そしてスープラくんが、音を立てないように降りて、上・中・下に別れて、中の様子をのぞき見る。
    3人の顔が、凍りついている。
    彼らの表情だけで、異常事態が進行していることが、わかる。

    帰りたい。
    階段を駆け上がろうとした。
    かんちゃんが、また、そっと手を繋いだ。

    ジュニパーさんたちが上がって来て、入れ替わってくれた。
    AIチャイルド3人で、戸口の上中下に顔を揃えた。
    こっそり、室内をのぞきこむ。

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    ふたりはソファに座って、静かに話していた。

    ユノくんが、死んだはずのアナスタシアと、話してる。
    探偵団4人も天使ふたりも、衝撃で、石像と化した。
    6体の地蔵は、耳だけは、パニックルームの会話に、全神経を集中した。

    アナスタシアは、時に笑顔を見せて。
    ユノくんは、終始、真剣な表情で。
    ふたりは、恋人たちのように、話し込んでいた。

    それは、美しくも、切ない、夫婦の悲劇だった。


    ☀️アナスタシアと和三郎の物語
    ~五年前~

    アナスタシアは、大ルシアが誇る世界的バレエ団の、プリンシパルだった。
    日本公演で出会った、岸和三郎は、魅力的な野心家だった。
    レセプションで、バレエ団の関係者から紹介された。
    ルシア語をルシア人のように話し、ルシア文学に心酔し、シャゴールなどルシア絵画の大ファンだった。

    和三郎は、日ルエネルギー共同開発事業に、団員として参加していた。
    家族の話に及ぶと、和三郎の表情に、影がさした。
    妻を病気で亡くしたばかりだという。
    アナスタシアは思わず、声をかけた。
    「明日の”白鳥”は、天国の奥様のために、心を込めて踊ります」

    妻を亡くして、和三郎の世界から、音と色が消えた。
    この日、アナスタシアに出会い、世界は総天然色に塗り上げられた。
    5.1サラウンドで、鳴り響き始めた。

    和三郎は、恋に落ちた。
    国内はもちろん、アナスタシアの公演があれば、ルシアまで観に行った。
    公演の楽屋には必ず、アナスタシアが好きだと言っていた、黄色いチューリップの花束を届けた。

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    ある夜、和三郎は指輪を用意して、アナスタシアにプロポーズした。
    アナスタシアは喜びながらも、困惑した。
    ごめんなさい、実は、フィアンセがいて。
    楽屋の巨大な花束を、思い出した。

    アナスタシアのフィアンセは、フェリックス・パヴロヴィチ・ユスポフ。
    バレエ団の後ろ盾で、政権幹部の、パヴェル・フェリソヴィチ・ユスポフの、長男だった。

    「あなたが結婚するその日まで、わたしは諦めません」
    力強く宣言する和三郎を、アナスタシアは好ましく感じた。
    真っ直ぐに、自分だけを愛してくれている。
    熱い思いが、十分に伝わって来た。


    公演後の休暇に、フェリックスが冬の別荘に招いてくれた。
    フェリックスが贈ってくれたミンクのコートと、揃いの帽子に身を包み、アナスタシアは真冬の別荘を訪れた。
    別荘は、童話に出てくる氷の宮殿のように、美しかった。
    そこここに、貴族の血筋を物語る、巨大な肖像画が飾られている。

    母親の、ジナイダ・ニコラエヴナ・ユスポヴァも名家の出身で、なにより、バレエファン、そしてアナスタシアの大ファンだった。

    ジナイダは、素晴らしい女性だった。
    血筋を鼻にかけない気さくな人柄、包み込むような、温かい眼差し。
    文学にも絵画にも精通し、ロンドンの別荘に滞在して、英国ロイヤルバレエを鑑賞することが、なにより楽しみだと、話してくれた。
    息子は、一族が所有するサッカープレミアリーグのチームに、夢中だけど。
    朗らかに笑うジナイダに、アナスタシアは女性として、魅了された。

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    フェリックスと3人で話すうちに、次第に、状況が飲み込めた。

    フェリックスは、完全なマザコンだった。
    彼は母親に認められたくて、アナスタシアにプロポーズしたのだ。
    たくさん受けた、濃い愛情のベクトルは、アナスタシアを素通りして、ジナイダに向かっていた。

    フェリックスと湖畔を散歩中、遊歩道を歩く、数人の男性と出会った。
    フェリックスの父親と、商談で別荘に招かれたグループだった。

    驚いたことに、その中に、岸和三郎がいた。
    偶然の再会を喜ぶ和三郎に、アナスタシアは慎ましく挨拶した。
    パヴェル・フェリソヴィチ・ユスポフが、全員を昼食に招待してくれた。
    別れて、散歩を再開した後、事件は起きた。

    岸和三郎とこの別荘で、同宿することになるかも知れない。
    そのことで、ジナイダが不快に思うかも知れない。
    結婚を考える時間も、もう少し欲しい。

    今日は昼食会の後、一旦バレエ団に戻りたい。
    湖を見渡す桟橋で、アナスタシアはフェリックスに、そう告げた。
    湖面を覗き込むと、桟橋のボートが、さざなみに揺れていた。
    アナスタシアは、自分の心みたいだな、と思った。

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    捨てられる、ママを失望させる。
    あの日本人に、アナスタシアを盗られる。
    パパは、敗者がなにより嫌いだ。

    混乱したフェリックスが、湖を覗き込むアナスタシアに、手を伸ばした。
    後ろから、真冬の湖に、突き落とした。
    アナスタシアは、湖水に沈んだ。


    戻ってきたフェリックスの、尋常ならざる様子に、庭番が気づいた。
    屋敷に駆け込んで、ジナイダに告げた。
    「奥様、お客様が、見当たりません」

    桟橋に駆けつけたパヴェルとジナイダ夫妻、そして和三郎。
    桟橋の足元で、アナスタシアを見つけたのは、和三郎だった。

    庭番が引き上げた時、アナスタシアの体温は、0度を下回った。
    庭番小屋に運び込まれ、医者が駆けつけた。

    心臓はまだ動いているが、このままだと、脳死を迎えるだろう。
    心臓マッサージを続けながら、医師は告げた。
    茫然自失する、パヴェルとジナイダ夫妻。
    和三郎は、あまりの衝撃に、心も頭も、完全に麻痺していた。

    動揺しながらも、パヴェル・フェリソヴィチ・ユスポフが、切り出した。
    軍の研究がある、人間を再生することができる。
    但し、寿命は5年。
    単語の一つ一つが、震えていた。

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    なにを言ってるのだ、この人は。
    和三郎は、遠くから聞こえるような、荒唐無稽な話に、怒りを覚えた。
    しかし、パヴェルの話は、具体的だった。

    その頃、ルシア軍は、度重なる周辺国への侵攻で、優秀な将校の損失に悩まされていた。
    元々、個人の肉体も国家の財産、と考える国柄だ。
    IPS細胞など生命科学の発達と、肝臓や腎臓・心臓など、特定臓器の需要が高い国柄が、この傾向に拍車をかけた。

    病気になる前に、自分の臓器のスペアを、作っておく。
    そんな金持ちの特権は、すぐに、将校のボディダブルを作るという、国家戦略に昇格した。
    臓器の複製の次は、人体の再構成、人工血液、神経系の再生システム。
    優秀な将校が損傷しても、ボディダブルがあれば、軍を維持できる。

    パヴェルの提案は、アナスタシアを、BRH生体再構築体として、再生させるというものだった。

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    なぜこんな話を、自分に打ち明けるのか。
    和三郎に、怖気が走った。
    パヴェルが温かい手で、和三郎の手をそっと握った。

    「敬愛する岸さん、お分かりですね」
    ささやき声で、だが、きっぱり言った。
    「あなたを、このまま、帰すわけにいきません」
    和三郎にはその意味が、よくわかった。

    手を放して、欲しかった。
    自分の日常に、帰りたかった。
    たとえ喪失を抱えて、一人の夜の寂しさを、何度、繰り返しても。
    この狂気の世界より──

    パヴェルが、低い声で、続けた。
    「フェリックスの存在は、忘れてください」
    「あなたは、アナスタシアに、恋をしていますね」
    「彼女も、あなたを好ましく思っている」
    「間に合います、アナスタシアを、BRH生体再構築します」

    「家族の承認が必要です」
    「今すぐアナスタシアと、結婚してください」
    「あなた方には、我が国の外交と通商代表部を、背負ってもらいます」
    「この世界の栄華を、すべて、差しあげます」

    和三郎は、妻を亡くした後の、自分を思い出した。
    心が、死んでいた。
    生者の世界に戻って来れたのは、アナスタシアに出会ったからだった。

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    毒食わば、皿まで。
    死んでいた自分に、一度死んだアナスタシアなら。
    たとえ5年の命でも、似合いの夫婦ではないか。

    この異様な話が真実で、ほんとうにアナスタシアが再生したなら。
    その時は、すべてを打ち明けよう。
    彼女が自分を拒否したら、潔く別れる。
    でももし、生きているアナスタシアとして、自分を愛してくれたら。

    元々、長生きするとは、思っていなかった。
    アナスタシアのいない世界なら、死んでも構わない。
    1秒でも早く、長く、一緒にいたい。

    和三郎は、力強く、パヴェルの手を握り返した。
    「すぐに、始めてください」


    ふたりは大ルシアのソフトパワーの象徴となった。
    政府通商代表部員になり、デンマルクに住んで、ヨーロッパとの関係改善を任された。

    そこで、ルシア人研究者のミハイロフ・ニキータ夫妻と知り合う。

    和三郎はアナスタシアから、夫妻が東京先端技術大学の量子物理学研究室に、特任研究員として招聘され、移籍予定であることを聞く。
    ミハイロフ夫妻が単一光子源取り出しに成功しつつある、との噂は、以前から流れていた。

    和三郎は、政府高官との連絡で、移籍の噂を伝えた。
    知人の消息を伝える、軽い会話だった。

    翌朝、ミハイロフ・ニキータ夫妻が何者かに拉致された。
    和三郎は、驚愕した。
    アナスタシアは、混乱の極みにあった。

    家に駆けつけると、主人のいない屋敷で、10歳くらいのAIチャイルドが、ぽつんと座っていた。
    あまりにも不憫で、近づいて挨拶した。
    説明してから、一時停止した。

    AIチャイルドは、魂が抜けたように、拒否も同意も、しなかった。
    返送用のカプセルを探して、岸和三郎が、Haven社に返送した。

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    和三郎は、ミハイロフ・ニキータ夫妻失踪の引き金を引いたのか。
    悔恨に苛まれた。

    あの機体をうちに迎えよう。
    和三郎とアナスタシアは決めた。
    Haven社にも、無理を言った。
    ボディ換装は最低限の縮小だけ。
    記憶は普段通り除去、白紙上書きする。
    岸夫妻のAIチャイルド、幼児ボディのAliとして、迎え入れた。


    3年前の、岸邸焼失の日。
    和三郎とアナスタシアは、Aliを探して、屋敷に入ろうとした。
    しかし、火勢が強く、建物には近づけそうもない。

    侵入口を探して裏に回ると、Aliがいた。
    Aliは、和三郎にもアナスタシアにも反応しなかった。
    すでに、緊急脱出モードになっていた。
    ドローンで、屋敷を飛びたとうとしている。

    和三郎は、アナスタシアに、パニックルームに置かれたドックで、同期するよう、勧めた。
    変電室裏の山から、長い階段を遠て、パニックルームに入れる。
    迎えに行くまでスリープモードにするよう、伝えた。
    アヤメを、アナスタシアの起動装置の、バックアップに設定してあった。
    アヤメも、緊急時の避難行動は設定してあった。
    パニックルームの充電器に入ると、本体の電源が落ちる。

    和三郎は、Aliの乗る二人乗りドローンに、ギリギリで乗り込めた。
    ドローンが、飛び立つ。
    和三郎は、Aliをスリープして、ドローンを操作しようとした。
    シートベルトを外して、Aliに手を伸ばした。

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    その瞬間、屋敷火災の高温ガス噴流が、空に向かって爆発した。
    ドローンが、爆風に煽られた。
    機体が大きく傾き、シートベルトを外した和三郎は、転落した。

    感情演算が停止したまま、AliはHaven社に戻った。
    そして、Ellieに換装された。


    ☀️小学生2年生日誌 Day5:16:52
    街外れの屋敷跡

    話を聞いて、ユノは言葉を失った。

    アナスタシアは、軽い調子で告げた。
    「Aliが、アヤメを再起動したから、わたしも起きちゃった」
    「BRH生体再構築体は、ドックに入り続ければ、永遠なの」
    「入らないと、ボディは24時間で溶け始めちゃう」

    くすっと笑って、続けた。
    「でも、昨日、被弾痕を修復したら、余力が急減してしまって」
    「リミッターは、14時間だって」

    朗らかに、告げた。
    「このボディは最短で、明日の朝、6時までってこと」
    「でも、知ってるでしょう、AIは永遠なの」

    菫色の瞳が、悪戯っぽく光った。
    「このボディが消えても」
    アナスタシアが、ユノの手を取った。
    「なんどだって生きる」

    「和三郎を、心から、愛していた」
    「そして、あなたに出会った」
    「次の生命でも、きっと、会える」
    アナスタシアの指に、力が込もった。

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    ユノは、言葉が見つからなかった。
    こんな経験に返す言葉を、まだ、持っていなかった。

    アナスタシアが、もう一度、大きく微笑んだ。
    あの、爽やかな笑顔。
    そして、この世のものとは思えない、壮絶な微笑み。

    あえて軽い調子で、続けた。
    「もう、5年も、生きちゃった」

    「テンプレートに戻るたびに、少しずつ、消えていくの」
    「和三郎も、わたしの輪郭も、薄くなっちゃう」
    「永遠に生きる、というのは、ね」
    アナスタシアが、大きく息を吐いた。

    「少しづつ誰かや、自分自身を、手放していくことだった」
    初めて、悲しそうに見えた。

    「次の生で、あなたを愛するために」
    ユノの目を、じっと、覗きこんだ。

    「このボディは、終わりにしようと、思うの」
    「今夜は、機械に繋がれたAIとしてじゃなくて」
    「わたし自身として、あなたと、生きたい」

    アナスタシアの菫色の瞳は、ただ、美しかった。

    ユノは、ここに来る前から、知っていたことに、気づいた。
    自分のすべてをかけて、アナスタシアを引き受ける覚悟を。
    出会った時から、心の奥に、しまっていたことを。

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    「一つだけ、約束して」
    アナスタシアの口調が、厳しさを帯びた。

    「明日の朝、6時までに、必ずここを出て」
    「そして、絶対に、戻らないで」
    「振り返らず、前だけを向いて、家族のもとに、帰って」


    わたしたちは、声も出せずにいた。
    ジュニパーさんが、促した。
    みんなで音を立てないように、階段を上がった。
    一段、一段、登ると、外はまだ、明るかった。

    誰も、ひとことも、話さなかった。
    わたしとEllie、マキシとかんちゃんは、来た時のように、自転車に乗った。
    ジュニパーさんとスープラくんが、見送ってくれた。
    見えなくなるまで、じっとこちらを見つめていた。

    わたしはEllieの自転車の後ろに乗って、屋敷跡を振り返った。
    山の稜線が夕陽に染め上げられて、燃えるような橙色に輝く。
    まるでアナスタシアの最後の夜を、祝福するように。
    炎と化した岸和三郎の悲恋を、慰めるように。
    濃い紫色の、慈悲深い夜の女王が、麓から立ち昇っている。

    忍び込む闇は、死者への追悼。
    そして、朝の光への贈り物。
    世界はこんなにも美しいのだと、初めて気づいた。
    そして、こんなにも、哀しいのだと言うことも。

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    ☀️小学生2年生日誌 Day6:05:00 
    街外れの屋敷跡・パニックルーム

    ユノが目覚めても、アナスタシアは目を開けなかった。
    思わず、首筋の脈をとった。
    滑らかで、暖かい、白い肌、脈打つ血管。
    生きてる。
    安堵した。

    起き上がって、ほのかな光に浮かぶアナスタシアを、見つめ続けた。
    太陽光の届かない地下二階は、壁際の間接照明だけが頼りだ。

    こんな時にも。
    安らかに、寝息を立てている姿が、愛おしく、可笑しかった。
    アナスタシアと暮らしたら、毎日、こんな朝だったのか。
    この瞬間を、永遠に、止めたかった。

    ☀️小学生2年生日誌 Day6:05:58 
    街外れの屋敷跡・パニックルーム

    ユノは、ただ、見つめていた。
    そして、最後の一瞥をくれた。
    アナスタシアは、変わらず深い呼吸で、まどろみの中にいた。
    口の端が笑っていた。
    美しかった。

    この場を離れるのは、肉体を引き裂かれるような、痛みだった。
    身体の半分が、後ろに釘でとめられたように、足が進まない。

    「明日の朝、6時までに、必ずここを出て」
    耳にアナスタシアの声が、蘇った。
    時計を見て、寝室を後にした。

    ユノは、パニックルームを一瞥した。
    ここからはもう、アナスタシアの眠る寝室は、見えない。
    ゆっくり、重い扉を閉めた。
    1秒1秒を惜しむように。

    足元からひそかに、アヤメが出ていった。


    ☀️小学生2年生日誌 Day6:06:31 
    街外れの屋敷跡・玄関前


    ユノはまだ、屋敷を離れられずにいた。
    無理だ、ひとりで帰るなんて、アナスタシアを置いて。
    地下に駆け込もうとした、その時。

    激しく鳴く犬の声に、飛び上がった。
    トクちゃんが立ち塞がった。
    噛み付かんばかりの勢いで、歯を剥き出して、ユノに向かって吠えたてる。

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    この街で、初めて任務に就いた日。
    ひとりで水無瀬夫妻とAIチャイルドを拉致する、無茶な任務を背負って。
    硝子川から上がって、硝子玉公園で。

    あの日も、トクちゃんに吠えられた。
    右足を、ついで左足も噛まれた。
    徳子には後ろから、リードで首を絞められた。
    特殊部隊が、退職教師に、犬のリードで引きずり回された。

    思い出すとおかしくて、吹き出した。
    大声で笑った、気づいたら、泣いていた。
    生まれてから今日までの涙が、流れ出したように、止まらなかった。
    声をあげて、泣いていた。

    後ろから、聞き慣れた声が、聞こえた。
    「待ちましょう、時が満ちるのを」
    澤井徳子だ。
    やっぱり、この人だ。

    徳子が近づいて、そっと、抱きしめてくれた。
    背中をトントンと、軽く叩いてくれた。
    泣きじゃくった。
    嗚咽がいつまでも、止まらなかった。

    トクちゃんは、まだ、怒り狂っていた──


    ☀️小学生2年生日誌 Day6:07:12 
    硝子玉公園

    街まで並んで、一緒に帰った。
    徳子とトクちゃんとは、公園で別れた。

    Kim & JS's Melancholy Caffeが見えてきた。
    こっちを見た4人が、飛び出してきた。

    ユノの全身の痛みが、猛烈な勢いで、ぶり返した。
    交響楽団がベートーベンの「運命」を、演奏するように。
    痛みの大音響が、身体中で鳴り響いた。
    聴覚が飛んだ。
    視覚は消えた。
    足の力が抜けて、ばったりと、地面に崩れ落ちた。

    と思ったら、誰かの腕の中にいた。

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    AIチャイルドAngel ~子供ボディ編~ 完


    長いショートストーリーにお付き合いいただき、ありがとうございました。
    これはAIと作るショートストーリーの実験であり、フィクションです。
    固有名詞は、地球上に実在するすべての現実とも、関係しません。

     
     
    LLMは日進月歩、毎日使って毎日進歩を感じます。 スレッドは何かの拍子に消えてしまうことがあるので、noteに記録しています。 優等生のようで勘違いの多いLLMの回答で、ほっこりした時間を過ごしましょう。

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