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【連載小説】しろあはね 第二話

    第二話 白い少年


     真っ白な空間に微かすかな音が聞こえる。足は地面に着いていて、浮いてはいないようだ。体も痛くない。それが十六夜いざよいにはひどく奇妙なことに思えた。
     視界が白だけのこの状況で、彼女は両手で自分を抱きしめながら体を縮こませ、五感を研ぎ澄ませて危険から身を守ろうとしていた。

     身を守ろうと、だなんて。十六夜は苦笑する。
     なぜなら十六夜は、つい先ほど、翅を手に峠のガードレールから飛び出したのだから。峠道の途中にある見晴らしがとても良い……つまりは崖で、落ちたら確実に『死』が待っている向こう側に、十六夜は確かに飛んだ。

    「ここ……どこ……?」

     はて、死後の世界は白いのだろうかと首を傾げていると、やがて周囲の輪郭がぼんやりと見えてきた。この白いのは霧かもしれない。じっとしていると、サク、サク、と乾いた草を踏みしめる音が聞こえた。

    「こっちに」

     急に誰かの声がして十六夜は飛び上がった。死のうと思っていたくせに驚いてしまった自分を恥ずかしく思う。
     聞こえた声は、男でも女でもないような……もっと若い、子供のような……。

     霧が、晴れる——……。

    「えっ」

     十六夜は目を瞠みはった。
     白装束とでも言うのだろうか、簡素な、ほんとうにシンプルな白い布地を巻き、腰を紐で縛っただけの服を来た……少女、いや少年? が、十六夜の目の前に立っていた。

    「ここはちょっと危険かもしれません。ボクについて来てください」

     ふわんふわんの短髪の少年は、服だけでなく髪も真っ白だった。まだ幼いので生まれたときからこの髪色なのかもしれない。よく見ると瞳は青みがかったねずみ色だった。美術系の大学に通う十六夜は、頭のなかでずらっと絵具を広げてみる。日本の伝統色のなかの、適合する色。藍鼠……あいねず、の瞳。吸い込まれそうな透明感のある目だなと思っていると、視線がぴたりと合った。

     少年はふわりと微笑んで踵を返し、十六夜に背を向けてゆっくりと歩き始めた。はぐれないよう慌ててあとを追う。知らない人について行くことがどういうことか、齢よわい二十になる十六夜は重々承知していたが、この少年の纏まとっている優しい空気のようなものは、不思議な安心感を伴った。小学生低学年くらいだろうか。大人びた言い方もすこしたどたどしくて、十六夜は警戒するのをやめた。

     少年はずんずんと歩いていく。
     しばらくするとすっかり霧が消え、辺りが鮮明になってきた。

    「わぁ……! なに、ここ……!」

     十六夜は口をポカンと開けて、絶句した。

     暗い焦茶色の土地には大きな岩と小山がところどころにあり、大ぶりで見たことのない植物にぐるりと囲まれているようだった。少年の向こう側には、子供のころ読んだ絵本のような、幻想的な集落のようなものが見えた。十六夜の日常でよくある建造物は全くなかった。長い枝を三角錐のような形になるように束ねて作られた簡素な小屋(まるでティピーテントのような)、その壁面はたくさんの蔦に覆われ、ところどころ鮮やかな色の花も咲いていた。よく見ると小屋には穴もあって、人らしきものが出入りしている。霧が晴れても辺りが薄暗いのは、空を覆いかぶせるように細い植物が折り重なっていたからだ。すき間というすき間からたくさんの葉もれ日が差し込み、ちろちろと地面に光の線を垂らしていた。

     上も下も、右も左もキョロキョロと見、十六夜は最後に少年へと向き直った。

    「ここに、あなたは住んでいるの?」

     十六夜が、微笑んで自分を見つめている少年に尋ねると、彼はこくんとうなずいた。

    「はい。ボクはずっとここで暮らしています」
    「へぇ。……すっごく、きれいなところね」
    「そうですか? うれしいです」
     えへへ、と少年がすこし照れた。それから胸に片手を添え、ぺこ、とお辞儀をした。

    「申し遅れました。ボクは、シロア。ここの警護と案内役のお仕事をしています」

     雪のような白い肌に、白い髪、おまけに服も白い。
     だから名前も「シロア」なのだろうか?
     十六夜もつられて微笑んだ。

    「シロア、ね。わたしは十六夜。助けてくれてありがとう。霧が濃くて、ここがどこかもよく分からなくて困っていたの。いろいろ聞きたいことがたくさんあるけれど、その前に……」

     十六夜は片手をすっとシロアの肩越しに向け、言った。

    「あの子は、誰?」

     シロアは予想していたのだろう、小さくうなずき、後ろの人物を紹介してくれた。

    「はい。あちらは、胡十葉ことはさんです。……胡十葉さーん!」

     シロアが片手でおいでおいでと手招きをすると、緊張した面持ちで少女が近づいてきた。ゆるくカーブを描いている長い髪の少女は、十六夜を上目遣いで見た。服装はシロアと同じく白装束。一枚の平たい布に顔のための穴を開け、腰を紐で縛っていた。それだけだと両サイドにスリッドが入り、角度によっては素肌が見えてしまうので、二重にして露出を防ぐ着方をしていた。
     肌は十六夜と同じ色、髪も白ではなく黒色だった。

    「……こ、こんにちは。……あ、あの、その服は……。お姉さんも突然ここに来てしまった、ということですか?」
    「……というと?」

     胡十葉の言葉に、十六夜は眉を上げた。

    「わたし、気がついたらここに倒れてて、シロアに助けてもらったんです。外で寝てたら体に悪いよって、シロアのおうちにはお布団みたいなものもあるから、眠るときはかけたらあたたかいよって……」

     十六夜はうなずいた。シロアという少年と胡十葉は、およその年齢や背格好は似ているが、雰囲気が全く違っていた。『突然ここに来た』らしい胡十葉は十六夜と同じく『よそ者』のようで、心細そうな表情だ。

     シロアを挟んで十六夜と胡十葉は会話を交わし、それぞれが、それぞれのいた場所から(何らかの事情は伏せて)突然ここにやってきたことを知った。胡十葉は十歳、十六夜は二十歳。シロアの年齢は「よく分からない」との答えだった。

     葉もれ日の線が、少しずつ動いていった。


     シロアに促され、似たような白い布服に着替えた十六夜はいま、彼が起こしてくれた焚き火にあたりながらぼんやりとしていた。十六夜は、モデルさんですかと尋ねられるほど背が高く、身長は百七十三センチ、股下七十七センチ、バストも豊かで布を三枚も使わせてもらっていた。それでも腿はあらわになってしまう。控えめな注目——胡十葉からのちらちらと届く視線は十六夜にとっては今更のことだが(街を歩けばいくらでも注目の的になるからだ)、小学四年生には自分の体型は刺激が強いのかもしれないと、十六夜は思った。

     パチパチと細枝がはぜる。
     時折、カランと枝がくずれ、一瞬だけ火の粉があたりに飛び散った。

    「ここは、やけに静かなところね」
     十六夜がつぶやいた。
    「ランドセル、どこにもないの。背負ってたはずだけど、なくなっちゃった」
     胡十葉もつぶやいた。

    「らんどせる、とは?」
     二人を見て、シロアはキョトンとした。

     いま十六夜たちが座っているシロアの居住スペースは、他の仲間らしき人たちのところからは若干離れていた。街灯もなく、空は植物で遮られ、一体いまが何時くらいなのかは検討もつかない。見える範囲の仲間たちは全員、ずっと何かの作業をしていて忙しそうだった。黙々と作業をしていて、きっとそれが彼らの仕事なのだろうと察せられた。

    「寒くないですか? あ、これ、もうすぐたべられそうです」

     シロアが細枝にくっつけた塊にまんべんなく焚き火の熱があたるように動かしながら、言った。シロアは火を起こしたあと、すぐに何かを練って、いそいそと枝にくっつけていたのだ。

    「うん。ありがとう。大丈夫よ。……ねぇ、シロア。向こうにいる人たちは何をしているの?」

     十六夜が尋ねると、シロアは一度後ろを振り向いた。しばらく見たあと、再び焚き火へと視線を戻した。

    「彼らは、ボクの仲間で、歩兵と呼ばれています」
    「ホヘイ?」
    「はい。歩兵。生まれたときから、彼らは歩兵。ボクはシロア。それで、彼らが何をしているかと言うと、それぞれがいろんなことをしているので、どう言えばいいのかちょっと難しいです……」

     シロアはゆっくりと言葉を選ぶように押し黙った。

    「あ、これ、たべますか?」
     シロアが塊のくっついた枝を十六夜に差し出す。十六夜は慌てて首を横に振った。得体の知れないものをたべたくはないからだ。

    「彼らが何をしているのかというと……」
     手近な枝でシロアが焚き火をつつきながら再度考える。
     続きを待つ、十六夜と胡十葉。
     とろとろと、ゆるゆると、静かな時間が流れていく。
     やがてシロアが口を開いた。

    「まずは、いろんな実を種類ごとに選ぶ係、干す係、実をつぶす係、ですね。それから貯蔵庫まで運ぶ係、植物と言われる緑のやつから葉の皮を取って繊維だけを取る係、干す係。あと、干したやつを編む係、それに、枝を切る係、運ぶ係、干す係……」

    「ちょ、ちょっと待ってシロア!」
    「なんですか?」
    「干す係がめちゃくちゃあるわ」
    「はい。いろいろ干しますよ」

     シロアがなんでもないことのように、真顔で述べた。
     ホヘイの「ヘイ」は兵隊の「兵」なのだろうか? と十六夜は考える。それにしては戦うことをしていないので「穂兵衛」のことだろうかと考え直した。

    「あ、もっと美味しそうに焼けました。はい、胡十葉さん、どうぞ」

     シロアが焼けたばかりの何かを胡十葉に手渡すと、彼女は嬉しそうにそれを受け取った。確かに匂いは美味しそうだ。塊の正体は不明だが、粉を水と一緒に練って、何かの粒を少し入れ、ホットケーキのようなどろりとしたものを枝にくっつけて、焼いたものだ。

    「うわぁー! とってもいい匂においがする! 十六夜、先にたべていい?」
     十六夜がうなずくと、胡十葉が喜んで頬張った。
     ホフホフと口で熱を逃がしながら、ほっかほかの何かをたべていた。

    (何の粉だろうか……)

     十六夜はものすごく気になった。ホヘイたちが黙々と粉を石臼みたいな道具で挽いたり、干したり、運んだりしているのを横目で見る。それを見てシロアは、
    「十六夜さんのは、もうすぐ、もうすぐに、できあがるので……!」
     と、慌ててフォローした。

    「トウモロコシだといいけど……」

     十六夜がつぶやくと、シロアは首を傾げた。

    「とうもころしが何かは分かりませんが、いろんな木の実、瑞々しい果実、植物、それに……」

     十六夜はうんうんとうなずきながらシロアの列挙したものを聞いていた。

    「花の蜜、樹液、朽ちた木からの繊維、それに骸むくろやボクたちより小さな異種の生物とかですね」

     十六夜の胃袋がぎゅっと縮こまった気がした。
     なんだろう、骸って。なんだろう、小さな生物とかって。


     生きることは、たべること。
     たべないと、死んでしまう。
     それは自然界の『ふつう』で『当たり前』の事実。

     おいしいおいしいと満面の笑みでシロアのおやつをたべている胡十葉。そのおやつは、例えて言うなれば「キャンプで、枝に、ホットケーキの粉を使って作るパンみたいやつ」で、焼き目もカリッと香ばしく匂いもいい。
     「十六夜さんの分ができましたっ」と、バラ色の頬のシロアがにっこりと微笑んで渡してくれた。

    「うー……」

     腹が減っては戦はできぬ。十六夜は覚悟を決めてシロアのパンを口にする。ざりざりした荒い舌触りの味わい深いおやつだった。

     せっせと仕事に勤しんでいるシロアの仲間を尻目に、十六夜、胡十葉、そしてシロアの三人はのんきにおやつの時間を楽しんだ。

     だいぶ経ったあと、ふとシロアが真面目な顔をして言った。

    「落ち着いたら、明日になりますが、女王に会いましょう。今日はもうすぐ夜になります。お二人共こちらに来たばかりでいろいろ不安に思うこともあるでしょうし、今夜はゆっくり眠ってほしいと思っています」

    ——女、王?

     十六夜と胡十葉は驚いて顔を見合わせた。

     一体どこに女王が? と尋ねると、シロアはまっすぐ指をさした。

     指先には、仲間の住んでいるであろう三角錐の小屋、その奥にも大小様々な三角錐の小屋、霧がうっすらと立ちのぼる先に、ぼんやりとした大きな山のような輪郭があった。



    (つづく)


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