
「おかずのない夜、母は『爆弾』を作った」
ー幸せのほんとはなんだろうー
父と母が離婚した時
9歳と8歳の
姉弟の私たちをかかえ
ボロ長屋に引っ越した
母はパートを始め
バブル絶世期に近い世の中で
月9万の稼ぎだったらしい
家賃1万のアパート
学費、光熱費 父の借金を
払えば手元はしれたもんだったんだと思う
なので夕食は常に乏しいもの
だった
たまに見かねた
母の友人やパート先の人が
食材をくれた
その中でも
魚屋のおばちゃんが
よく焼き海苔をくれた
20cm角ぐらいの
焼き海苔10枚ぐらい入ったものだった
お腹がすけばオヤツにしてた
その日も夕食のおかずはなく
あるのは残り少ない米と
焼き海苔だった
子供達に
おかずも出せない母は
どう思っていたのだろう
思いは
今なら少しわかる
でも母は明るくそして
人生を楽しもうとする天才だった
「今日の晩御飯は
なんと
爆弾を作って食べます!」
重大発表のように母は
焼き海苔と
炊いた米を出して
そういった
「えーーーーー
爆弾?!
なにそれ!
なにそれ!」
私と弟ははしゃいだ
「ではー
作っていきます!」
焼き海苔に茶碗の米を
ひっくり返し
「ここで隠し玉!!」
と言って醤油をかけた
「そしてーーーー」
焼き海苔でご飯を包み
大きな大きなおにぎりを
作った
「爆弾完成!!!」
私達は
「おおーーー!!」
「すごい!」
「やるやる!」
私たちも真似をして作った。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
気がつけば爆弾が山のように並んでいた。
「爆弾いっぱいできたね!」
そう言って
3人で大きなおにぎりを
食べた
おかずもない
お茶もない
ただの黒い大きなおにぎり
でも私達には
爆弾だった
自分達が作った
特別な夕食だった
今でも
作る 「爆弾」
とても楽しい思い出と共に
ーーーー
自分が親になり、
ひとりで子どもを育てるようになって、
あの夜の母の胸の内が
本当の意味でわかるようになった。
おかずを出せない申し訳なさを、
母はあの明るさで必死に包み隠していたのかもしれない。
人生は
受け取り方だ
「何もない」
「これしかない」
「惨めだ」
そんな風に思うのは
簡単だけど
母が教えてくれた
爆弾という名の
おにぎりは
今でも
幸せのほんとを教えてくれる