メインコンテンツへスキップ
見出し画像

「おかずのない夜、母は『爆弾』を作った」

    HONJO11

    ー幸せのほんとはなんだろうー


    父と母が離婚した時

    9歳と8歳の
    姉弟の私たちをかかえ
    ボロ長屋に引っ越した

    母はパートを始め
    バブル絶世期に近い世の中で
    月9万の稼ぎだったらしい

    家賃1万のアパート
    学費、光熱費 父の借金を
    払えば手元はしれたもんだったんだと思う

    なので夕食は常に乏しいもの
    だった

    たまに見かねた
    母の友人やパート先の人が
    食材をくれた

    その中でも
    魚屋のおばちゃんが
    よく焼き海苔をくれた
    20cm角ぐらいの
    焼き海苔10枚ぐらい入ったものだった

    お腹がすけばオヤツにしてた

    その日も夕食のおかずはなく
    あるのは残り少ない米と
    焼き海苔だった

    子供達に
    おかずも出せない母は
    どう思っていたのだろう

    思いは
    今なら少しわかる

    でも母は明るくそして
    人生を楽しもうとする天才だった

    「今日の晩御飯は
    なんと
    爆弾を作って食べます!」

    重大発表のように母は

    焼き海苔と
    炊いた米を出して
    そういった

    「えーーーーー
    爆弾?!
    なにそれ!
    なにそれ!」

    私と弟ははしゃいだ

    「ではー
    作っていきます!」

    焼き海苔に茶碗の米を
    ひっくり返し

    「ここで隠し玉!!」
    と言って醤油をかけた

    「そしてーーーー」
    焼き海苔でご飯を包み
    大きな大きなおにぎりを
    作った

    「爆弾完成!!!」

    私達は

    「おおーーー!!」

    「すごい!」

    「やるやる!」

    私たちも真似をして作った。

    ひとつ。

    ふたつ。

    みっつ。

    気がつけば爆弾が山のように並んでいた。

    「爆弾いっぱいできたね!」

    そう言って
    3人で大きなおにぎりを
    食べた

    おかずもない
    お茶もない

    ただの黒い大きなおにぎり

    でも私達には
    爆弾だった
    自分達が作った
    特別な夕食だった

    今でも
    作る 「爆弾」

    とても楽しい思い出と共に

    ーーーー

    自分が親になり、
    ひとりで子どもを育てるようになって、
    あの夜の母の胸の内が
    本当の意味でわかるようになった。
    おかずを出せない申し訳なさを、
    母はあの明るさで必死に包み隠していたのかもしれない。

    人生は
    受け取り方だ

    「何もない」
    「これしかない」
    「惨めだ」

    そんな風に思うのは
    簡単だけど

    母が教えてくれた
    爆弾という名の
    おにぎりは
    今でも
    幸せのほんとを教えてくれる


     
     
     
    離婚・借金・倒産・父の逮捕。それでも今日も生きています。51歳、元シングルマザー。不幸話では終わらせない、と決めた私が、ひとりで頑張るあなたに書いています。 生きることは呼吸することぐらいで生きてる人

    あなたへのおすすめ