課長になってから、育休の景色が変わった ー ゼネコンで男性育休を取った話 ー
課長になった日、私は育休中だった。
2024年5月、メールで「課長を命ずる」の辞令が届いた。
4月に生まれたばかりの娘の昼寝を見守っていた。
「よろしくお願いします」と返信して、PCを閉じた。
時系列を整理すると、少しおかしなことになっている。
2023年10月、妻の妊娠を会社に報告し、育休取得の意向を伝えた。
その年末、課長昇進の打診があった。
決定事項として。
育休を申請したら、昇進の話が来た。
因果関係はわからない。
ただ、わからないまま受け取ったという事実が、
ずっと胸の底に残っている。
もし順序が逆だったら、あるいは育休を申請していなかったら——
そういう問いは、今も答えが出ない。
出ないまま、課長になった。
1回目の育休では、キャリアに「少し歪み」を感じた。
あのときは「取る」と決めたというより、
「追い込まれるように取得した」に近かった。
妻が産後ノイローゼで限界を迎え、
選択肢が気づいたら一つしか残っていなかった。
上司からは「育休を取って男が何をするんだ」と言われ、
現場に負担をかけることを謝りながら取得した。
グレーな世界をずっと謝りながら歩いているような感覚だった。
※1回目の育休の詳細はこちらの記事に書いています👇️
その経験があったからこそ、
2回目の育休はまったく違う景色になった。
育休を打診したとき、会社の反応も違った。
「課長になるタイミングと重なりますが、問題ないですか」
と何度も確認した。
返ってきた言葉は予想より明快だった。
「問題ない。ロールモデルにもなる」
その言葉を聞いたとき、感謝よりも先に、別の感覚が来た。
——使える、と思った。
それは会社を利用するというより、自分の選択に「正当性」を持たせるための材料が手に入った、という感覚に近かった。
たぶん会社は、それを承知で言っていたのだろう。
働き方改革を推進する業界・企業として、
育休を取る管理職が必要だったのかもしれない。
綺麗な話ではない。
でも、互いの事情を分かった上で成立していたのだと思う。
だったら、中途半端な期間では意味がない。
建設業界特有の取りにくさから、
社内の相場は3日から長くて1週間だった。
1週間程度の「お試し育休」では、
「自分には無理だ」と思われて終わる気がした。
1回目で自分が「前例」になった経験から、ロールモデルになるなら、もう少し手に取りやすいラインを示したかった。
もちろん、妻ともしっかりと相談した。
結論は合計で3ヶ月取ることにした。
産後パパ育休で2ヶ月、妻の職場復帰前の1ヶ月を分割する形だ。
会社が「ロールモデルになる」と言うなら、
こちらはその言葉に見合うものを返せばいい。
ただ、それだけではなかった。
短期間では、自分自身も中途半端になる気がした。
家庭にも、仕事にも、
どちらにも言い訳を残すような取り方はしたくなかった。
自分なりの計算だった。
育休を「もらう」のではなく、計画的に「使う」という感覚に、
1回目との明確な違いがあった。
1回目がモノクロで謝りながら歩く道なら、2回目は色がついて前を向いて歩ける道——そんな感じだった。
もっとも、2回目が虹色の景色だったわけではない。
課長の辞令が届いた日、私は何をしていたか。
娘の昼寝を見ていた。ただそれだけだった。
課長としての最初の仕事は、育休が明けるまで何もない。
その「何もない」が、思ったより落ち着かなかった。
私が育休中の間も現場は動き続け、部下は判断を求め、自分だけが止まっている。
それが正しい選択だとわかっていても、止まることへの居心地の悪さは、どこかにあり続けた。
育休の期間は、家族と共にあった。
育休中の私にできることは、
目の前にある妻、息子、娘と誠実に向き合うことだ。
課長だとか、ロールモデルだとか、
そういうことを考えない時間が、思ったより長かった。
課長としての仕事は、育休が明けてからでいい。
ロールモデルとしての役割も、復帰してから果たせばいい。
そう思える分、1回目より前を向いていた。
それは確かだった。
1回目は、家族の事情に追い込まれるように育休を取った。
2回目は、会社の言葉を借りて、自分の取り方を決めた。
同じ「育休」でも、見えている景色はまったく違っていた。
育休を取るかどうか迷っている人の背中は
ーーまだ強く押せそうにない。
1回目は追い込まれ、2回目は計算した。
それでもどちらの育休も、「これが正解だった」とは言い切れない。
その後、2回目の育休から約1年後、私は別の業界へ転職した。
今は息子は6歳、娘は2歳になった。
今も正解は分からない。
ただ、2つの景色を歩いた足跡だけをここに置いておく。
やなぎのすけ
