
【3分】小説「正蔵の一生」─ 横暴なる法則
病室の天井が、白寒い。
窓を見れば、陽光。
そこに舞う蝶々が、私を暗く当てた。
消毒液が漂い、鼻腔にへばり付く。
「穢れが。孔と云う孔より身を清めるが良い」と貶されているようだ。
時折、遠くの病室から、狂人が咆哮の如く騒いでいる。
人からすれば、私も彼奴と同じなのだろう。
後遺症と云う奴で、私の右半身は、もう碌に動かぬ。
医師は「症状は安定して居ります」と云ったが、安定とは何だ。身を死で固めることか。
──東堂正蔵、八十七歳。
病床に伏して、唯だ終わりを待っている。
終戦の年には、未だ十代であった。
往々にして、人間社会とは平等を掲げながら、横暴に満ちた場所である。
少年時代、父は町工場を営んでいた。
古臭い旋盤機を、宝物(ほうもつ)の様に磨いて居た姿を覚えている。
皇族の御真影には必ず頭を下げ、「国には逆らうな。其れこそが生の法則だ」と口癖の様に云っていた。
然し、其れでは報われなかった。
戦争が始まると、工場は軍需へ組み込まれ、父は過剰労働の末に倒れた。
「国の為だ。今は耐えろ」と、役人は褒賞を仄めかした。然し後には、嘲笑混じりに「そんなものは知らん」と云った。
父の葬式代すら満足に出なかった。
残ったのは借金だけである。
戦後は更に酷かった。騒動など、日常茶飯事である。闇市を彷徨い、パン屑を奪い合い、暴行に生きた貧者は、野良同然であった。
やがて世には「民主主義」なる言葉が横行し始めたが、賤民には妄想と大差無い。
正蔵はゴミ捨て場の本を漁り、芥川や漱石をよく読んだ。空腹を忘れる為である。文学に触れている間だけ、己が獣で無いと思えた。
しかし、ある日、かつての軍人に疎まれ、「文など武に値せぬ」と喚き散らし本を踏み付けられた。逆らえなんだが、文化への冒瀆だと憎悪に満ちていた。
三十を過ぎ、運送会社に勤めた。妻も出来た。
道徳に路を移し、漸く人並の幸福が来るかと思った矢先、会社の部長が横領事件を起こした。帳簿管理を手伝って居た正蔵は、共犯とされ、拘束を強いられた。報道が彼を晒し、「戦後の腐敗」等と書き立てた。
無論、無実である。
然し、世間は事実より見世物を好む。
方々に釈明しても、信じて疑わない。
非難轟々が、妻を遠くへ追いやった。息子は転校先でも、凌辱紛いの虐めを受けたと聞く。
後に疑いは晴れたが、何人からもついぞ謝罪はなかった。
やがて母も死んだ。当然、相続できる遺産などなかった。古びた箪笥と、父の旋盤機の部品が幾つかだけである。
眺めながら、家に禍いが病巣の様に広がったのを感じた。
老後は警備員として働いた。雨の夜も雪の朝も立ち続けた。
或る日、暴漢に衝動で殴られ、倒れた。打ち所が悪く、其れが脳梗塞の引き金になったらしい。
加害者は心神耗弱だとかで、大した罪にも問われなかった。
──世は綺麗ごとを云う。
然し実際には、力無き者が踏み潰される仕組みが、昔から形を変えて残っているに過ぎない。
看護師が入って来て、腕の管を見る。若い娘だ。「東堂さん、今日も頑張りましょうね」と云い、笑みで流す。
何に向かい、励むのか。死神との逢瀬か。
枕元には、白装束が畳まれている。どうやら、片付けられるらしい。
私が消えた後も、時は滔々と流れていくのだろう。
天井を見詰める。
筒の雫と共に、生命(いのち)が滴り落ちていく。
作 : ツカジ オサム&ChatGPT
ディレクション : ツカジ オサム
※「白寒い」:しらざむい。
心が空虚に冷めていく感覚を表現した造語。
本作に関連したエッセイも書いたので、よろしければどうぞ。
※エッセイは、創作大賞オールカテゴリ部門の対象ではありません。