
【創作エッセイ】純文学を書こうとして、分からなくなった話
純文学を書こうとして、思った。難しい。
いや、難しいというより、「何を書けば純文学になるのか」が分からない。
今回、僕は『正蔵の一生』という掌編を書いた。戦後を生きた老人・東堂正蔵が、病室で人生を回想する話である。
国家、貧困、暴力、文学、老い、病。
そういったものを、陰鬱な独白として積み重ねていった。
この話を思いついた当初、純文学として書こうとは思っていなかった。
「リズミカルな小説を作りたい」と思い、「横暴」「法則」など、母音が「ouou」になる二字熟語を、思いつくままに書き出した。
そこからストーリーを想像し、プロットを書いた。設定が戦時中~戦後で、退廃的な雰囲気があったことから、「昔の文学っぽくしたら様になりそうだ」と思った。
だから、プロットと二字熟語を元に、古風な文体でショートストーリーを作るようChatGPTに指示した。熟読しながら、二字熟語を不自然に使用している箇所を見つけ、表現や描写を変えたり、別の文に移したりした。
改変を終えた後、再度読み返したら、「何だか、純文学っぽいな」と思えてきた。また一つ方向性が見えたので、僕の思う純文学的表現を追加し、組み込むことにした。
書きながら、ふと思った。
「純文学とは、何だろう」と。
検索したら、"娯楽性よりも、作者の芸術性や内面的描写に重きを置いた小説"とのことだった。
正蔵の歪んだ性格に、自分の内面を宿した。
元々、「世の中は、どこまでも理不尽かつ不平等で、問題や悩みは尽きない」と考えているからだ。※
かなり意識的に、比喩、皮肉、厭世観、重苦しい空気感を入れた。
例えば、
「病室の天井が、白寒い」
「何に向かい、励むのか。死神との逢瀬か。」
などは、僕自身から湧き出た表現だ。
※ただし、現実の僕は、「その中でどう折り合いをつけていくか」と考えている。
芸術性という点では、「ちょっと気取ってるな」と思う表現も、今回は敢えて残した。“文学っぽい空気感”が大事なのではないかと考えたからだ。
ちなみに普段は、話を進める上で不要な情報や、演出として機能していない言葉は削るようにしている。
しかし同時に、「狙ってる感」も出る。
純文学をイメージして書くと、途端に文豪のコスプレをしている気持ちになる。これは結構、恥ずかしい。
だけど、正蔵という男は、別に高学歴でも知識人でもない。貧困の中で育ち、ゴミ捨て場の本を漁って、芥川や漱石を読んでいたような男である。
だから僕は逆に、“中途半端な文学性”で問題ないと判断した。
妙に詩的な言葉を使う割に、完全に洗練されてはいない。人生を論理的に整理している訳でもない。
小説に救われたかった、ただの文学かぶれとして語らせた。
正蔵は、病室で、点滴を寿命の砂時計みたいに眺めながら、静かに消えていくだけである。
……まあ、結局、純文学が何かは分からない。
多分、『正蔵の一生』は純文学風であって、純文学ではないと思う。
投稿前後でかなり手直しを加え、結局四時間くらいかかってしまった。
やはり、純文学は難しい。
純文学かどうかは、読んで判断していただければと。
※小説自体は、創作大賞エッセイ部門の対象ではありません。
追記 : そもそも、一生をショートショートで描くのは、無理があったと気づきました汗
ダイジェストになったため、感情移入する前に終わってしまったな、と思います。雰囲気は多少あると思うので、そこをお楽しみいただければ幸いです。
純文学を目指すかは分かりませんが、いつか長編でもう少し格調高いものを作れればと思います。