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【随筆】僕が書く理由|noteを始めた意味

    どうして、こんなことまで書くのだろう。

    ときどき、自分でも思う。

    楽しかったことなら分かる。

    嬉しかったこと。
    誰かとの思い出。
    旅先で見た景色。
    ふと心が動いた瞬間。

    そういうものを残しておきたくて、文章にするのは分かる。

    でも僕は、それだけを書いているわけではない。

    思い出したくないことを書く。

    失敗したことを書く。

    誰かに言われて傷ついた言葉や、自分が誰かを傷つけたかもしれない言葉を書く。

    もう終わったはずの出来事を、わざわざ引っ張り出して、言葉にしている。

    何をしているんだろう。

    そんなふうに思うことがある。

    書けば、なかったことになるわけではない。

    失敗が消えるわけでもない。

    謝れば、すべてが許されるわけでもないし、書いたからといって、過去を書き換えられるわけでもない。

    それでも僕は、書いている。

    なぜなのか。

    最近、少しだけ分かってきた。

    心の中には、澱(おり)のようなものがある。

    普段は見えない。

    底のほうに沈んでいるから、そこにあることさえ忘れている。

    けれど、何かの拍子に心が揺れると、底に沈んでいたものが舞い上がる。

    水が濁る。

    理由も分からないまま、気持ちがざらつく。

    昔のことを思い出す。

    腹が立つ。

    悲しくなる。

    怖くなる。

    自分が嫌になる。

    過去に足元をつかまれ、つんのめることもある。

    もう大丈夫だと思っていたのに、突然、昔の自分へ引き戻されることもある。

    感情には、波がある。

    静かな日もあれば、どうしようもなく荒れる日もある。

    そして、僕が書いてきたものにも、たぶん同じように波がある。

    楽しいものもある。

    笑いながら書いたものもある。

    誰かを思って書いたものもある。

    そして、荒れているものもある。

    悔しさの残っている文章。

    寂しさの残っている文章。

    まだ触ると痛いところを、そのまま言葉にした文章。

    振り返ってみると、ずいぶんいろいろなものを書いてきた。

    それでも、心の中の澱のようなものを、こうして書き出してみる。

    ひとつ拾って、眺めてみる。

    反省とか、謝罪とか、そういうものでもない。

    俯瞰とか、分析とか、そんな立派なものでもない。

    ただ、

    拾って、
    眺める。

    僕はそれを、

    「拾眺(しゅうちょう)」

    と呼んでみることにした。

    思えば、それができるのは、波の少し後ろにいるときなのかもしれない。

    荒れている最中には、拾えない。

    眺めることもできない。

    ただ揺れて、ただ呑まれて、ときには自分がどこにいるのかさえ分からなくなる。

    だから、無理に拾わなくてもいいのだと思う。

    波がまだ高いなら、そこにいるしかない。

    けれど、少し時間が経つ。

    波がひとつ過ぎ、またひとつ過ぎる。

    まだ海は静かではない。

    それでも、さっきまで自分を呑み込んでいたものが、少しずつ遠ざかっていく。

    すると、足元に何かが残っている。

    僕はそれを拾う。

    ああ、こんなものがあったのか。

    そう思って、しばらく眺めてみる。

    これは何だったのだろう。

    そう考えることさえ、しない場合もある。

    正しかったとか、間違っていたとか。

    誰が悪かったとか、自分はどうするべきだったとか。

    そんな答えを出さなくてもいい。

    ただ拾って、眺める。

    そうしていると、不思議なことがある。

    それまで自分の中で荒れていたものに、少しずつ輪郭が見えてくる。

    答えではない。

    教訓でもない。

    許しでもない。

    ただ、

    波だったものが、少しずつ、

    「僕に起きたこと」

    になっていく。

    書くというのは、心をきれいにすることではないのかもしれない。

    澱は、たぶん残る。

    消えないものもある。

    一度静かになったと思っても、また舞い上がるものだってある。

    また波が来ることもある。

    せっかく拾ったものを、もう一度さらっていくこともある。

    それでもいい。

    海は、僕の都合では静かにならない。

    感情だって、きっと同じだ。

    凪にしよう、凪にしようとするほど、かえって波ばかりを見てしまうこともある。

    だから僕は、書くのかもしれない。

    何かを解決するためではなく、過去をきれいに片づけるためでもなく、自分を正しく理解するためでもない。

    波が少し遠ざかったとき、足元に残されたものをひとつ拾い、ただ眺めてみる。

    そして、言葉にしてみる。

    書き終えたら、またそこへ置く。

    それでいい。

    いつか、凪はやってくる。

    いつなのかは分からない。

    明日かもしれないし、ずっと先なのかもしれない。

    その前に、また大きな波が来るのかもしれない。

    それでも、やがて来るはずの凪を迎えるために、僕は波のあとに残ったものを、ひとつずつ拾い、眺めているのだと思う。

    こうして書き出すことは、今の僕にとって必要なことなのだ。

    そして、僕が書くのには、もう一つ理由がある。

    娘たちに残しておきたい。

    僕の両親は、多くを語らなかった。

    父が何を考え、何に迷い、どんなことに傷つき、それでも何を楽しみに生きていたのか。

    母が何を諦め、何を守り、どんな夢を胸の奥にしまっていたのか。

    僕がそれを知りたいと思うようになった頃には、聞けないことがずいぶん増えていた。

    だから僕は、書いておこうと思う。

    立派な父親だったと伝えるためではない。

    失敗もした。

    誰かを傷つけた。

    傷つけられ、長いあいだ立ち上がれないこともあった。

    間違えた。

    迷った。

    格好の悪いことも、ずいぶんした。

    それでも考えた。

    ときどき道草をしながら、また歩いた。

    料理を作った。

    歌を歌った。

    畑に立った。

    雨に追いかけられ、雨を追い越した。

    泡盛でコーヒーを淹れようとして、そんな暇なことをする人は自分くらいだと笑った。

    そして、暗い話を書いている途中でも、最後に小さな笑いを置けないかと考えていた。

    君たちの親父は、こんな人間だった。

    いつか僕が、自分の口でうまく話せなくなったとき、あるいは、僕に尋ねることができなくなったとき、娘たちがこの文章のどれかを読むかもしれない。

    そのとき、

    「お父さんも、こんなことで悩んでいたんだ」

    と思ってくれたらいい。

    「ずいぶん面倒くさい人だったんだね」

    と、少し笑ってくれたら、もっといい。

    たぶん僕は、どこかで、

    そうなんだよ。

    と笑っている。

    その日のためにも、僕は今日も、波のあとに残ったものを拾う。

    急がず、しばらく眺める。

    そして、書く。

    それが、僕が書く理由なのだと思う。

     
     
     
    はじめまして。妄想が趣味です。 どうでもよさそうなことが、なぜか気になります。 気になったら調べます。そして、だいたい余計なことを考えます。 詩を書いたり、物語を書いたり、料理をしたり、酒を飲んだり。 宮古島生まれ、沖縄在住。

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