
【エッセイ】『堪忍の袋と地雷と、キッチンと』第18章:ただいま地獄、笑って通過中~人生の底ライフ、Wi-Fiも心も届かない~
裏切られても、もう一度やり直す道を選んだ僕。
会社の事業拡大に向けて計画も進んでいたから、止まっている暇なんてなかった。
心の奥では、彼女を許したわけじゃない。
でも、何度も話し合いを重ねて、自分に言い聞かせた。
「死にかけた人が、一時ぼけただけだ」
新規事業と急ブレーキ
体力も気力も戻ってきた彼女は「地域に恩返ししたい」とデイサービス開設にノリノリ。
僕も「よっしゃ、社会貢献じゃ!」と気持ちを入れ直した。
ところが一か月後。
「責任が重すぎる」
「資格が足りない気がして…」
と、急ブレーキ。
そして宣言。
「専門学校に入り直して勉強する」Σ(゚Д゚)
…こっちは弁当つめて、看板まで用意したんですけど!?
気づけば、彼女は自室に籠り、出てこなくなった。
ワンオペ社長+弁当屋+草鞋何足目?
彼女が“看護師リワーク制度”に挑んでいる間、僕の役割はこうなった。
会社の代表(朝8時スタート、合間に家事、深夜2時まで延長営業)
弁当調理係(5時起床。眠気Max)
PTA会長(名ばかりだけど出席率100%)
子どもの送迎バス(※実車。エンジン付き)
家計の経理&監査役(赤字担当)
もう何足の草鞋を履いてるのか、自分でもわからん。
そして、ついにバレた。夜のスマホ劇場
ある晩、帰宅すると彼女がスマホを握ったまま熟睡していた。
画面は点きっぱなし。
僕の目にも入った。
「あれ? これって…例の元カレ!?」
内容は、
モザイク必須の画像付きラブレター。
密会計画。
「2年後にお互い離婚して再婚しよう」宣言。
…なんだこの脚本。昭和のメロドラマか!?
その瞬間、頭に浮かんだのは、またしても徳川家康公。
堪忍袋を首から下げて、無言で立っているイメージ。
「堪忍袋は首に下げよ。破れたら縫え、また縫え」
……いやいや、家康さん。
大丈夫ですって。
僕なりに、縫い方もだいぶ上達しましたから。
針と糸は常備。
もう、趣味・特技欄に「裁縫。特に堪忍袋手縫い」
って書けるレベルです。
新潟修羅場交渉
仕方なく僕、新潟へ出陣。
交渉の場には彼女。
そして、間男の彼氏、奥様、父上殿まで勢ぞろい。
彼女「遊ばれたぁぁあ! 責任とってえぇぇぇえ!」
彼氏「手切れ金200万でどうにか…僕がアパート借りて世話します」
僕「妾ですか!? 妾として囲われる気ある!?」
カオス。
やがて奥様+父上殿もブチ切れ。
「訴えます!!」「慰謝料だ!!」
修羅場って、体力より交渉力だよね。
ついに我慢の限界がきた。
僕は彼女に言った。
「君は遊ばれていたんだよ」
彼女は首を横に振る。
彼氏に向かって言った。
「あなたは遊びだったんでしょ?」
彼氏は斜めに頷いた。
ゲームオーバー。
僕は奥様と父上殿に向き直った。
「彼氏にも彼女にもお互い落ち度があります」
「このまま争っても埒(らち)があきません」
「あなた方の醜態、これ以上見ていられません」
そして彼氏に。
「もういいでしょ? 終わりにしましょう。手切れ金200万も不要です」
「ただ、僕の腹の虫は穏やかじゃない。茶番に時間も旅費も取られたことは納得できません」
「今日ここまで来た費用、そして帰りの費用だけ、後日請求します」
彼氏も奥様も父上殿も頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
僕は彼女にも頭を下げさせ、その場を後にした。
家庭内・メンタル地雷畑
地獄はここからだった。
彼女は「勉強したい」と言った。
だから僕は個室を彼女に譲り、居間に移動した。
最初は静かに勉強していた。
けれど、だんだんと部屋に籠るようになった。
食事を用意しても「いらない」と言う。
「食欲がない」と言いながら、外で何かを買ってきては部屋で食べる。
やがて、その口から出てきたのは、
「私だけ、家族からのけ者にされている」
「私には、ご飯もないの?」
…いや、個室に籠ったのはあなたの方なんですが。
それでも被害妄想は燃え広がり、彼女自身が地雷原になっていった。
壁やドアには穴
炊飯器は昇天
枕元に無言で立つ彼女
作りたてのシチューを流しにぶちまけ
新しい仕事用シャツを切り裂き
下駄箱に車のキーを突き刺し
夜中に窓全開で絶叫
車の助手席から飛び降りかけ
信号待ちで助手席から突然走り出し
ついには僕の車を運転して隣家の塀に突っ込む
…挙げればキリがない。
そして極めつけ。
トイレに座っていたら、突然扉が開き、包丁を振りかざされた。
これは危険だ。
大切な包丁たちは押し入れの奥へ。
残したのは長女に買った子ども用の包丁ひとつ。
刃先をつぶして切れないようにした。
料理は大変になったけど、刃傷沙汰だけはご免だ。
子どもたちに見せたくなくて、
彼女を脱衣室まで引きずっていった夜もあった。
裏口から車に乗せ、畑道まで走らせて、口論になったこともあった。
そんな夜が、幾度となく繰り返された。
気がつけば、それが二年。
闘病の年月も重ねれば三年を超え、
四女は、もう五歳を迎えようとしていた。
無断帰還
心療内科の医師の助言で「いったん距離を置きましょう」となった。
義母に相談すると、意外にもあっさり承諾。
「来月、連れていきます」
ところが。
僕の出張中に、四女を連れて無断帰還。
置き手紙一通。メールでひと言。
「先に帰ります」
…既読スルーどころじゃない。
しかも、後から分かった。
義母と裏で連絡を取り合っての、計画的な帰還だった。
思い返せば、以前に新潟へ帰ったとき、親戚たちが口にしていた。
「実家の跡はどうする?」
「墓の管理は誰が?」
その時は軽く受け流していたけれど、ふと頭をよぎった。
もしかして…。
家庭で虐げられていると訴え、
「四女だけは母を慕っている」と強調し、
助けを求めることで、帰れば跡目や墓の問題まで一緒に片付く。
…そんな筋書きを二人で描いていたんじゃないか。
その時は、あくまで僕の想像だった。
けれども後に、義母や親戚との対峙の場で、
「まさにその通りだった」と知ることになる。
章あとがき:一人で突っ込んで一人でツッコむ日々
人生って、笑うしかない瞬間の連続。
でも、だからこそ人間は「壊れずに」生きていけるのかもしれない。
この時期、僕の体脂肪はほぼゼロ。
精神的には断食レベルの“忍”を極めていた。
睡眠時間、平均2.5時間。
履いていた草鞋は、仕事・家事・育児・看護師風・PTA・自分のメンタルケア。
もはや草鞋どころか、下駄箱ごと背負っている男だった。
それでも踏ん張った。
「父親だから」「社長だから」「夫だから」。
肩書きの数で自分の価値を測ろうとしていたけれど、気づけば“自分”の居場所だけが、どこにもなかった。
でも、正直に言うと、
言っているほど強くはなかった。
外面の「理性的な僕」がかろうじて優位に立っていただけで、もう一人の僕は放心状態だった。
自分が二つにも三つにも分裂していく感覚。
叫びそうで、泣きそうで、同時に何も感じない。
理性が食い止めているだけの、弱っちい情けない男だった。
そんな自分を隠しながら、それでも日々を回していた。
だから、なおさら、誰かの一言が効いた。
「今日のカレー、おいしかったね」
「お父さん、すごいね」
それは、戦場に立ち上がる小さな旗のように僕を支えてくれた。
笑えるうちは大丈夫。
そして、笑わせてくれる誰かがいるうちは、もっと大丈夫だ。
あのときの僕に伝えたい。
「お前、よくやった。でも、もうちょい肩の力抜けや」って。
そんなとき、背中を押してくれたのが、戦国武将の言葉だった。
「人は、カネだけじゃ動かんぞ
(金のみで人は動くにあらず)」――大谷吉継
お金でしか解決しないことは確かにある。
でも、いくら積まれても納得できないこともある。
人生は、何度ミスってもやり直せる。
大事なのは、失敗を“経験”で終わらせるか、“貫禄”に変えられるかだ。
若い頃は「間違ってはならぬ」と焦る。
でも年を重ねると、「間違っても、なお立て直せる」が身についていく。
過ちを笑い飛ばせる余裕こそ、周囲をホッとさせる“人間力”なのかもしれない。
僕はそういう大人になりたいと思った。
包丁を隠しながら、冷えたカレーを温めながら。
巻末レシピ:メンタル地雷の翌朝に効く、“包丁要らず”メニュー3選
1.炊飯器の代わりに!トースターおにぎり
・冷ごはん+塩昆布+とろけるチーズを握って、アルミホイルで包んでトースターへ。
→ 包丁いらず、火も包丁も使わずに「戦の朝」に一発チャージ。
2.“カレーの翌朝”リメイク:カレーチーズパン焼き
・食パンにカレー+チーズを乗せて焼くだけ。
→ 枕元に誰が立っていても、これだけはうまい。
3.切らない味噌汁
・冷凍ほうれん草+乾燥わかめ+豆腐+味噌だけでOK。
→ 包丁なしのメンタルレスキュースープ。
台所・心の一句:「笑うしか 壊れぬための 術なりき」