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【エッセイ】『堪忍の袋と地雷と、キッチンと』最終章:羅生門の片側、風の通り道で~珈琲片手に、戦国智将と語らい中~

    はじめに言っておきますが、この物語は“ヒューマンドラマ”です。
    と、著者である僕は本気で思って書きました。
    がーー読んだ娘たち(四姉妹)からは、こう言われました。
    「とうさんらしいね。あんなに苦しんだのに、笑いに変えるなんて、超人じゃね?」
    いや、超人というより、超ギリギリ男だったんですけどね。
    本当はね、描き切れてないエピソードが、まだまだあります。
    あんなことも、こんなことも。
    書き進めるうちに、記憶の蓋がポンッて開いてきて、どんどん溢れてきたんです。
    その記憶を眺めながら、僕はふと思いました。
    「俺、相当我慢して、蓋してきたんだな~。」
    でも、ここに描いたのは、あくまで“僕の側”の景色にすぎない。
    彼女にも、義母にも、娘たちにも、それぞれの景色がある。
    それぞれの思いがあって、起きた事件。
    黒澤明の『羅生門』みたいに、誰もが「自分の真実」を持っているんだ、と。
    この本は、そのうちのひとつ「僕の片側の真実」です。
    そして、読むあなたの片側とも、どこかで重なればうれしい。
    ちなみに最近、末っ子(四女)は高校2年生。
    スーパーで買い物してたら、スッと手をつないでくるんです。
    それがもう、泣けるほど嬉しくて。握りかえしたら、ケツ叩かれました。
    「父さんのこと大好きすぎるだろ!!」
    って、照れながら思いました。
    さて、現実の日常に戻った僕ら一家は、決して順風満帆な日々は送っていません。
    現実は戦国ものがたりのように、けっしてドラマチックではないんですよね。
    四人の娘を育てることは、半端なことではありませんでした。
    娘たちが成長という過程で起きる身体的変化、進路、家計など僕の役割は、あの決戦よりも激動する日々でした。
    それでも、四人の娘たちは道を踏み外すこともなく、真っすぐに成長を続けてくれています。
    僕も50才を過ぎ、さすがにおとなしくなってきました。
    5年前から宮古島の母を引き取りました。
    認知症最強レベルの母は、僕に新たな試練を提供してくれています。
    これはこれで、立派な戦なので、次の機会に物語を書こうかな~と思案中です。
    このエッセイの原点は、まさに“地雷”でした。
    義母地雷、味噌汁地雷、裏方地雷、深夜の電話地雷。
    ほんとに、数え切れないくらい踏んできました。
    でも今なら、こう言えます。
    「地雷って、意外と劇薬かもしれない」
    踏まなきゃ見えなかった景色、
    踏んで初めて気づけた感情、
    そして、踏んでから笑える“余韻”みたいなものが、
    人生には必要なのかもしれません。
    いまや僕の脳内茶室には、戦国智将ズラリ。
    家康「お主、よく堪えた」
    信長「で、天下は取ったんか?」
    僕「いや、生活するので精一杯が関の山で…」
    秀吉「それ、正解や。うむ、よくぞ笑った」
    たぶん、彼らの見ている“真実”もまた、僕のとは違うのだろう。
    それでいい。
    みんな違って、みんな羅生門の片側。
    そんな妄想喫茶で、今日も珈琲がうまいです。
    「終わり」は、いつも静かです。
    でもそれは、きっと「始まり」にも似ています。
    かつての怒りや悲しみが、ゆっくりと風化していくのを、
    道端に草が伸びていくのを見守るように、僕は受け止めてきました。
    って、カッコつけているけど、
    本当は、心の中ではまだジクジクしている自分もいたりします。
    でも、自分にけじめをつけるためにもという思いで、
    ここまで書いて来ました。
    天下が欲しいわけでもなく、大きな城を建てたいのでもない。
    僕が敷いた道。この畦道のような、小さな道を。
    誰かが、ふと見つけて、「なるほど」と言ってくれたなら。
    その人が見る景色は、また僕とは違うかもしれない。
    でも、それでいい。
    片側の道でも、誰かの歩みの役に立つなら。
    風が通り抜ける、その道の向こうで、
    きっとまた別の物語が始まっているのだろう。
    それは、もしかしたら、
    あなたの片側の物語、かもしれない。
    畦道の宿命は、いずれ草に覆われ、見えなくなる日がくる。
    だから今、このエッセイを道標として残しておこうと思ったのです。
    もし、いつか誰かがこの道の片隅で足を止め、
    「ああ、誰かがここを歩いたんだな」って思ってくれたなら、
    それが、僕にとっての「一筋の畦道」。
    『羅生門の片側で』いったんここで筆を置きます。
    この物語は、ひとりの男が半生をかけて巻き起こした“日常のドラマ”であり、
    いや、もはや非日常かもしれない。
    正直、書いていて何度も手が止まりました。
    怒りで泣きそうになった夜もあれば、
    「もういいかな」と思った朝もありました。
    でも、書いてよかった。
    ここにたどり着いて、心からそう思っています。
    なぜなら、誰も語ってくれない“僕の章”を、
    ようやく語ることができたからです。
    僕は、四姉妹たちの父であることに、誇りを持っています。
    「語られなかったことを、笑って話す」それが僕のやり方です。
    誰かの共感を得たいわけでもなく、
    誰かを糾弾したいわけでもありません。
    ただ、この一連の物語を、誰よりも先に「僕自身」が笑ってやらなければ、
    ずっとこの胸の中で、湿ったまんまだったと思うんです。
    いま、読んでくださったあなたが、
    もしどこかで「分かるなあ」と笑ってくれたなら。
    あるいは、「そんなやついるんだ(笑)」と突っ込んでくれたなら。
    それだけで、僕の“敗者復活戦”は、ちょっと勝ちです。
    2025年、ある晴れた朝のキッチンより。
    作者:元・サレ夫。現・スーパー主夫(自称)
    この書を、もうきっといないであろう戦友・小早川 冷蔵 殿に捧ぐ。
    ・・・完


    懲りずに巻末のレシピ:美味しい珈琲の飲み方
    まず好きな珈琲を淹れる。
    (紅茶でも、お茶でも、ジュースでもよい。)
    注ぐときに思う。
    「ここまで来た自分、よくやったな」
    泣いてもいいし、笑ってもいい。
    ただ、今日をここまで進んできたことを、まず褒めてあげてほしい。
    口にする前に、深呼吸する。
    苦くても、ぬるくても、
    「今、生きてここにいる」それだけで十分なんだと、
    静かにうなずけたら、それでいい。
    飲み終えて、小さく言う。
    「これからも、地雷はあるかもしれない」
    でも、
    「そのたびに、また笑えるように生きていこう」
    今日までのあなたに、
    「おつかれさま」
    そして、
    「ありがとう」
    これが最後の


    台所・心の一句:「風渡り かすかに残る 標かな」



    本当に、


    ・・・完


     
     
    はじめまして。妄想が趣味です。 どうでもよさそうなことが、なぜか気になります。 気になったら調べます。そして、だいたい余計なことを考えます。 詩を書いたり、物語を書いたり、料理をしたり、酒を飲んだり。 宮古島生まれ、沖縄在住。

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