
【#創作大賞2026 #お仕事小説部門】バックヤード!!<5・終>
NO.5 届け、ラピスアークの物語
あの初夏の東京ロケから、季節は一気に駆け抜けた。
大阪に戻った私を待っていたのは、感傷に浸る暇もないほどの、怒涛の「本気の夏セール」だった。
連日、従業員通路にはおびただしい数のパッキンが積み上がり、台車の音がフロアにもバックヤードにも鳴り響く。毎日が目まぐるしく過ぎていき、気がつけば、蝉の声も少しずつ落ち着きを見せ始めていた。
うだるような暑さがようやく和らぎ、朝晩の風にほんのりと秋の気配が混じり始めた、八月末。いつものようにバタバタと朝の準備を終えて、売り場へと向かう。
「本日の朝礼を始めます」
五十嵐さんの声が、店に関わる全員のスイッチをオンにする。
「さて、売り場の雰囲気が変わってるのは分かると思うけど……仁科ちゃん、お願い」
「じゃあみんな、こっちに来てくれる?」
エスカレーター近くのラピスアークの入り口横、低い壁には特注の大きな額縁がある。いつもならシーズンビジュアルポスターが収まっているそこに、今日は大きな白い布が丁寧にかけられていた。
「……さて、皆さん。お待たせしました」
仁科さんが、スッとその布の端を掴む。天宝寺店スタッフ全員、応援スタッフさん、そして数名の派遣さんたちが、息を呑んで見守っているように見えた。
「今年の秋冬シリーズ、目玉商品『ミューズ・ドレス』を、一番美しく着こなしているビジュアルです。……どうぞ」
仁科さんの指先が踊るように動き、重みのある布がサァッと滑り落ちた。
朝の照明を浴びて現れたのは、息を呑むほど鮮やかなラピスブルーを纏った、岩場に佇む凛とした女性。
「わぁ……!」
派遣さんの一人が、思わず声を漏らす。
「綺麗……この人、誰……?」
「こんなモデルさん、いたっけ……?」
応援スタッフさんたちがざわついている。
「うちの、あおいさんですよ」
モモちゃんが、自分のことのように誇らしげに、でも少しだけ涙声で隣の私を指差した。
「えええ!?」
皆からの声に私は小さくなりたい、と心から思った。
「なんでモデルさんなのに、縮こまってるんですか!」
リリちゃんがツッコミを入れてくる。私はそんなに目立つことは好きじゃないのよ……本当は。言っても信じてもらえないかもしれないけれど。
奈良でモデルをしていたときは、奈良を盛り上げることが目的で、そのためだったら頑張れた。そして今、ブランドを盛り上げたいという目標ができて、このミューズ・ドレスが好きで、広告モデルになった。
「リリ、静かに」
五十嵐さんがリリちゃんに睨みを利かせて、リリちゃんが黙る。
「あおい、なんか言いたいこととかある?」
仁科さんから話題を振られて、ちょっと考えて「あります」と答えた。
「このミューズ・ドレスの撮影のとき、たくさんの方がこの写真を撮るために尽力してくださいました。そしてミューズ・ドレス一枚作るにも、たくさんの方々が関わっています。誰かにとっては、ただのワンピースかもしれません。でも、少なくとも私にとって、このミューズ・ドレスは『ブランドの願い』そのものだと思っています。是非お客様にその想いを伝えていただければ幸いです」
よろしくお願いします、と締めの言葉を添えて頭を下げた。
すると、誰からともなく拍手が起こった。びっくりして頭を上げると、モモちゃんが隣でめちゃくちゃ泣いていた。
「あおいさん、ずるいー! いつもそうやって私を泣かすー」
泣きながらモモちゃんが軽く叫ぶ。その言葉にみんなが笑う。
「モモ……木村さん、メイク落ちちゃいますよ!?」
「もう今日帰っていいですか、五十嵐さーん」
まさかの店長への休暇願いで笑いが大きくなる。もちろん五十嵐さんは「却下」と答えていた。
拍手と笑いに包まれた、最高に温かい朝礼。
でも、私たちのボスは、いつまでも余韻に浸らせてくれるほど甘くはない。
「はい、感動の時間は終了! モモ、さっさと顔洗ってきて! リリとミオ、二人は店頭のハンガーの間隔チェック! ……あおい!」
「はい!」
一旦止まる五十嵐さんの声。そしてニヤリと笑い、私に指示を出す。
「従業員通路に『ミューズ・ドレス』の追加分含めて、特大八箱届いてんで。なるべく早くバックヤードに整理して!」
「了解です!」
私は軍手をはめて、さっきまでの「ミューズ」から「バックヤードの主」へと、一瞬で意識を切り替えた。
開店して、すぐお客様で店内が賑わうなか、注目を集めていたのは、やはり「ミューズ・ドレス」のようだった。
価格は税込みで19,800円。20,000円を切るのは「最高級の質を、日常の手が届く価格で」というブランドの執念が生んだ、驚異のコストパフォーマンスだ。
身体を滑り落ちる生地の重みに、思わず息をのむ。
シルクの冷ややかな光沢を宿しながら、ウールのようにしっとりと肌に吸い付く贅沢な重厚感。それが、ハイゲージ・ポンチと呼ばれる高密度の編み地だった。贅沢なほどたっぷりと使われた生地は、身体の輪郭に沿って滑らかな影を落とす。 ごつごつとした岩場にそのまま寝転んだときも、大地の冷たさと硬さから、この肉体を一枚の盾のように守ってくれたタフさがある。
それなのに、肌に触れる裏地はどこまでも優しい。
カラーバリエーションは三色が採用されている。
ラピスブルーはブランドの魂。神秘的で高貴、意志の強さを感じさせる至高の青。ボルドーは情熱と誠実。顔色をパッと明るく華やかに見せる、深みある赤。フォレストグリーンは知性と気品。森の静寂を閉じ込めたような、深く落ち着いた緑。
「あおいさん! ミューズ・ドレスのブルー、Mサイズお買い上げです! 綺麗な在庫、一着お願いします!」
リリちゃんの弾んだ声がバックヤードに響く。
「ブルーのM、了解!」
私は軍手を外し、清潔な手で棚の奥へ向かう。 そこには、朝、私が八箱のパッキンから仕分け、サイズごとに完璧に管理した『ミューズ・ドレス』のストックが眠っている。
ビニール越しに見える、ラピスブルーの深い輝き。
私は一着を取り出し、袋の上から素早く、でも慎重に検品する。 糸のほつれはないか。ジッパーの動きはスムーズか。
「……よし。完璧」
19,800円という重み。お客様がレジでお金を払うとき、その手元に届くのは、世界で一番綺麗な「最初の一着」でなければならない。
「はい、リリちゃん。ブルーのM。……お客様に、最高のお時間をご提供できますように」
私は、丁寧に畳まれたドレスを両手でリリちゃんに託した。
「ありがとうございます! お客様、ポスター見て一目惚れしたっておっしゃってて。あおいさんのおかげです!」
リリちゃんが笑顔で売り場へ戻っていく。
次はミオちゃんが「あおいさん、ブルーLLお願いします!」と声をかけてきた。「了解了解! 少しお待ちをー!」と私も叫ぶ。
什器にかかっているのは、みんなが触れる「見本」。 でも、私がバックヤードで守っているのは、お客様の手に渡る「本物」。
ポスターの中の私は、どこまでも完璧な姿で笑っているけれど。 私はこの白いバックヤードで、その「完璧」を形にして、一着ずつお客様へと繋いでいく。
ミオちゃんに無事ブルーのLLを渡し終えると「……さて、次はLサイズの在庫チェックか」と立ち上がり、自分の仕事に静かな誇りを感じながら、再び棚の整理に取り掛かった。
ミューズ・ドレスの売れ行きは絶好調だった。
トルソーに飾られているそれは、誰もが見ると、触ると欲しくなる――まるで魔法のようだった。
「次、あおい休憩行ってちょうだい」
仁科さんに言われて、時計を見ると気が付けば十四時すぎ。無我夢中でミューズ・ドレスと向き合っていて、全然時間を気にしていなかった。
「今日はお弁当?」
「いえ、コンビニで買って来ようかと」
「それなら駅のコンコースのビジョン観てきな。面白いものが観られるから」
そう言う仁科さんの目が、何かを企んでいる猫のようで「何か……あるんですね?」と尋ねたら、仁科さんはすぐにバックヤードの扉を閉めた。
「逃げたな」
仕方ない、と私はエプロンと軍手を外し、いつもの伊達メガネをかけ直して、鞄を持ってバックヤードを出た。六階からエスカレーターを降り、駅直結のコンコースへ。
大阪でも有数のターミナル駅、天宝寺。
人混みの中、ふと見上げた視線の先で、巨大なデジタルサイネージが一瞬、真っ白な光を放った。
『じぶんらしさは、ここからはじまる』
聞き覚えのある声。ピアノの繊細な旋律とともに、画面いっぱいに鮮烈なラピスブルーが広がる。
「……えっ」
岩場に立つ画面の中の「私」が、ゆっくりとこちらを振り向いた。『ミューズ・ドレス』を纏い、世界中の視線を独り占めにするような、不敵で、それでいて慈愛に満ちた微笑み。
映像を見て、足を止める人々。
「わあ、綺麗……」
「このモデルさん誰? めっちゃ可愛い」
「このCMの女性、素敵ね」
通行人の呟きが、耳を刺す。私は慌ててマスクを深くつけ直し、その場から逃げ出した。
違う。あれは私じゃない。あれは『ミューズ・ドレス』が作り出した、別の誰かだ。
お昼休憩の時間から少しずれていたので、休憩室は人がまばらだった。
私は大きな窓から大阪の街並みをぼうっと眺めていた。
「あおいさん、お疲れ様……って、どうしたん、その顔! この世の終わりみたいな顔色やで!?」
先に休憩をとっていたモモちゃんが、歯ブラシセット片手に私に話しかけてきた。
「モモちゃん、私、仕事辞めようかな……」
「えっ! なんで! てか、どっちを!?」
「どっちもー! あんなに大々的に流されたら、もう生きた心地がしないー!!」
半分泣きながら、大好きなあんぱんを頬張り、乳酸菌入り炭酸を喉に流し込む。
「あー……あの巨大ビジョンのCM、見ちゃったんや」
「知ってたの!?」
「知ってる知ってる。さっきお昼買いに行く時に見たもん」
「そんな……」
「そのリアクション、あおいさんらしいよな」
モモちゃんが困ったような、でもどこか楽しそうな苦笑いを浮かべる。
「こんなに恥ずかしいことになるなんて思わんかった……」
「見逃し配信アプリでも、スキップ不可の広告で出てくるし」
「そんなところまで……!」
「そりゃ、私は『あおいオタク』やもん。情報は逃しませんよー」
「私に残された道は国外逃亡しかないのか……」
「国外て。嬉しいとか、思わへんの?」
「嬉しい、とはちょっとちゃうかな……」
みんなで作り上げた作品に関われた喜びはある。微力ながら力になれたという実感は、私を奮い立たせる「ここにいていい」という証だ。
けれど、今までの自分は「成果物」を直視せずに過ごしてきた。奈良の専属モデルのときは見ていたけれど、PLACE所属になってからは、広告もテレビも、あえて確認してこなかった。
今回のような大きなプロジェクトが、これほどまでに自分の日常のすぐ隣に現れるなんて。準備ができていなかった私の本音は、喜びよりも先に、剥き出しの自分を見られたような気恥ずかしさでいっぱいだった。
「卑屈、ではないんよね?」
「ない」
「なら、よし」
モモちゃんが私の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
◇
「え、また発注かけたんですか!?」
「あおい様様ですねえ」
「ありがたや、ありがたや」
「二人してふざけないでください!」
店のツートップ、五十嵐・仁科コンビにからかわれて、私は眉間に皺を寄せた。
大々的に宣伝した効果か、私が着用したラピスブルーの「ミューズ・ドレス」が飛ぶように売れ、常に補充しているのに品薄状態という嬉しい悲鳴の日々。ありとあらゆるところでCMが放映されているので、普段ターゲットにしていない層もあのワンピースを購入している。色違いのボルドー、フォレストグリーンもラピスブルーと同じく売れに売れている。
まさか、その着用モデルが天宝寺のMINAにいるとは思わないだろうなあ、と伊達メガネ姿で苦笑いを浮かべてしまう。
台車にパッキンを乗せ、従業員通路から倉庫に運ぶとき、店頭に大きく貼られている私のポスターの横を通る。
私じゃないみたい。
でも、間違いなく私だ。
――「じぶんらしさ」は、ここからはじまる。
ポスターに書かれた、キャッチコピー。
私の「じぶんらしさ」も、モデルになってから始まった。遅咲きだけれど、間違いなくつぼみは開きつつある。
でも、私にとっての「正解」は、ポスターの中の完璧なポージングでも、みんなからの賞賛でもない気がしていた。
倉庫内、邪魔にならないところで、台車を一旦止める。
ポスターの「私」と、爪の間に段ボールのカスを詰まらせ、額にじっとりと汗を滲ませた「私」。
「……こっちも、本当の私なんだよね」
独り言を呟いて、再び台車を押してフロアに出る。ポスターが貼られているエリアを通過しようとした、その時。
「あおいちゃん」
「……沢渡さん!?」
なぜ東京ではなく、天宝寺にいるんですか、という言葉が上手く出てこない。
沢渡さんは比較的大きめのシルバーのスーツケースを持って、店の近くの柱にもたれかかっていて、私の姿を確認して手を上げている。
「オンリーズ本社に行く前に自分の作品を見に来たよ、大阪のフラッグシップ店ってここなんでしょ?」
「あ、はい、そうです」
「いいお店だね」
沢渡さんがじっくりとラピスアークの店内、そして店頭に貼り出してあるポスターを見て満足そうに微笑んでいる。
「そうですね、ありがとうございます......それでは、仕事中なので」
そう言って私が通り過ぎようとしたとき、沢渡さんがふっと声を小さくする。
「あおいちゃん。……今のあおいちゃん、ポスターのあおいちゃんより、ずっといい顔してるよ」
胸が高鳴る。顔を上げると、沢渡さんは私の顔じゃなく、パッキンを積んでいる「台車」を見ていた。
「モデルとしてのあおいちゃんもいい。でも、その服の重さを知って、汗を流して、誰かに繋ごうとしている今のあおいちゃんも素敵だと思ってる」
それは、甘い言葉なんかじゃない。
でも私にはストン、と胸に落ちてくる。
私は勤務中という気持ちが強すぎるあまり、「ありがとうございます……では、お疲れ様です」と振り切るように立ち去ろうとした。
沢渡さんはすれ違いざま私の耳元でしか聞こえない声で囁く。
「あおいちゃん。……次はちゃんとした店、予約させてくれる?」
「……えっ」
私は思わず足を止め、振り返る。
「あ、普通の店でもいいんだけど……なんて言ったらいいのか……」
沢渡さんは私と目を合わせないように話を続ける。
「その……モデルの『あおいちゃん』じゃなくてさ」
「......はい」
「この店を支えてる、『ひとりの女性』としてのあおいちゃんを……誘いたいって思ったんだ」
「え、それは......」
「返事は、今じゃなくていいから」
沢渡さんは私の答えを待たず、スーツケースを押して歩き出した。
遠ざかる大きな背中、こちらを見ずに軽く振る手を見つめながら、私は身につけているラブラドライトが、私の耳が、どちらも熱を帯びているように感じた。
ポスターのコピーが、頭の奥で静かに響く。
「じぶんらしさ」は、ここからはじまる。
沢渡さんに、認めてもらえたんだ。認めてもらえた「じぶんらしさ」が嬉しくて。
気のせいか、押し出した台車がやけに軽く感じられた。 ガラガラ響く音は高らかな旋律を奏でる。
「あおい! 何油売ってんねん、追加入荷くるで!」
「はい! 今行きます!」
五十嵐さんの声に、背筋が伸びる。
ポスターの中の「私」に背を向けて、私は私の戦場へ。
バックヤードの扉を開く。 新しいパッキンの中の、あの独特なビニールの匂いが、私を待っていた。
<了>
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