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自分、不良品じゃなかったかも?

私は長いこと、自分のことを不良品だと思っていました。

普通の人が普通に出来ることが、自分にはできない。
だから劣っているんだ、と。

でもここ数年間、自分と向き合いながら色んな知識を得ることで、
「もしかしたら私も普通の人間だったのか⋯?」
と思いはじめたんですよね。


じゃあ、なんでこうなったんだろうな?と考えてみた時に、

「自分をダメだと自動的に思い込むシステム」
が出来上がっていたのに気づきました。

更によくよく思い返してみると、
「なるほど、こういう風に思考回路が出来上がったのね」
という理由が見えた気がしたので、

今回は自分を否定する思考回路がどうやって出来上がったのかについて、書いてみようと思います。



思えばそれは、子どもの頃から始まっていました。

まず、母に「今日あったこと」を話したとします。

イライラしたこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、

何かが起きて、自分はどう思ったかを話します。

すると母は必ず、反射的に私の「改善するべき」点を指摘します。


例えば、得意科目のテストで100点を取ったとします。

それを報告すると、開口一番
「でも算数できてないじゃん。」
と言われる。

100点を取ったことについてのコメントは特にありません。


逆に、友達と些細なケンカをしたとします。

「こんなことを言われて、こう言い返した。」と私が言うと、

「なんでそんな事を言うの、お友達がかわいそうでしょ。」と、言われる。

たとえそれが私の正当防衛だとしても、
話の流れを全部無視して反射的に相手の味方をします。


良いことをしても、悪いことをしても、
必ずどこかを否定される。

それが続くと、
自分の「感情の選択」を疑うようになってきます。

何を感じても「違う」と言われるので、
自分のことを信用できなくなってくるんです。

「そっか、テストで100点取ったけど、これくらいで喜んではダメなんだ。」

「友達に傷つけられて悲しかったけど、これくらいのことで言い返すなんて心が狭いんだ。」

そうやって自然と湧き上がる感情を、
「これは間違ったものなんだ」と学習するようになります。

そして、「間違ったものだから、捨てないと」と、
感情をなかったことにしようとします。

それが続くと、
そもそもその「感情が生まれる自分」がオカシイ、と思い込むようになります。


でも、私にも感情はあります。

テストでいい点を取ったら嬉しいし、
友達に傷つけられたら悲しい。

腹の奥底で、喜怒哀楽が「気づいてくれ!」と暴れています。

本当は私もうっすら気づいているんです。
心が揺れ動くのを感じている。

でも私はそれを押し込めます。

なぜならその感情は「間違っている」から。

間違った感情を抱く自分は「不良品」だから。


でも、押し込めた感情は、そう簡単には消えてくれません。

そういうふうに過ごしていると、ある日突然爆発します。

私の場合は、怒りでした。
とにかくキレる。文句をまくし立てる。

私が言い返すと、母は「攻撃された」と感じるのか、会話をやめます。

父は、私が右往左往している時は見て見ぬふりをするのに、
ひとたび私が爆発すると、その爆発を抑え込むように私を叱りつけます。

行き場を失った私の怒りは、
どこに向かうでもなく、宙に浮いたまま。


次の日、母はいつも通りに振る舞ってくれます。

罪悪感に突き動かされて、私はまた母と会話をはじめる。

それを父が見て、
「なんだかんだ、仲がいいなぁ。」などと、
しばらくしてから言います。


そして私は思います。

そうか、私が怒ると、この家にいないものとして扱われるんだ。

ということは、怒ったのは間違いだったんだな。

こんなことで怒鳴りつけるとは、なんて親不孝なんだろう。

申し訳ない。


そして、また振り出しに戻ります。



悲しいことに、大人になってからもずっと、このシステムが働いている状態でした。

「これは本当に傷つくような事なのか?」とか、
「私の受け取り方が悪いんじゃないのか?」とか、
感じる前に頭が働いてしまう。


そうやって自分の感情を疑い続けてきたことで、何か起こった時、
「この感情は妥当なのか?」と
一旦精査する癖がついてしまいました。

素直に喜んだり悲しんだりが出来ないんですよね。

「嬉しいけど、自慢っぽく聞こえたらやだな」とか、
「悲しいけど、もっと辛い思いをしてる人に失礼だな」とか、
自分の感情が間違っている前提で、話を進めてしまう。

それもこれも、自分を全く信用していなかったから。


でも、今客観的に振り返ってみると、私は別に、とんでもなく酷い人間だったわけじゃない。

つまり私は、「ちがう、ちがう」と言われ続けて、
出来ないと思い込んでいただけの人だったのです。



今でも癖で「この悲しみは妥当か?」と
考えてしまうことがあります。

でも、それに気づけた時は
「私が嫌だって思ったってことは、嫌なんだよ。」と、
感情を素直に受け止められるように努めています。

「そう言えば、感情に正しいも正しくないも、なくないか?」と、ふと思った時、

少しだけ、自分を信じてみようかな、と思いました。



【自分の価値観を疑うことが趣味みたいなところがあります。】


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