”自分”がない、の正体を探ってみた
「自分はアダルトチルドレンかもしれない。」
そう気づくまで、たくさんの本を読みました。
本を読んでいく中で、
「アダルトチルドレンには”自分”がない」
という言葉を、何度か目にしました。
初めてそれを読んだ時思いました。
「んなわけない」と。
なぜなら私は小さい頃から、「しっかりしている」「強情だ」と言われ続けていたし、自分でもそう信じていたからです。
けれど、どの本にも同じようなことが書かれていて、だんだん心がざわついてくるような感覚がありました。
「もしかして私って、本当に”自分”がないのか?」と。
その時、ふと担任の先生の言葉を思い出しました。
「みんなに合わせすぎるところがあるから、もっと自分を出していいんだよ。」
と、私に言ってくれたことがあったのです。
その時は、「何を言っているんだ?」と、
見当違いだと思い、少しショックを受けました。
ですが今になって思います。
先生は私の「世を忍ぶ姿」から漏れ出る何かを感じ取っていたのではないか。
本当の私は、先生の評価のほうが近いのではないか。
「今までの私って、誰なんだ…」
そう思った瞬間、突然自分の中身がすっぽり抜け落ちてしまったかのような感覚になりました。
背筋がゾッとし、気が遠くなるのを感じました。
今まであると思っていた”自分”が、実はなかったとしたら、
次に私は何をすればいいのか。
どうしたら”自分”になれるのか。
読んだ本には、必ずと言っていいほどこう書いてありました。
「自分の気持ちに正直になりましょう。」
「どんな時も自分の味方でいましょう。」
そんなことはわかっている。
でも何をやっても機嫌がよくならないから本を読んでいるんだ。
眉間にシワを寄せながら読み進めると、
「自分が本当にしたいことは何かをよく観察し、小さいことでもいいので行動に移してみましょう。」
そんなアドバイスが書いてありました。
正直、こんなことで何が変わるのかと、呆れにも近いような気持ちになりました。
「でも、何もしないままじゃ変わらないよなぁ…。」
そう思い、半信半疑のまま実践してみることにしました。
すると、私は途方もない数の「自分ルール」に縛り付けられていたことに気づいたのです。
例えば、
「おかずは3品以上作らなきゃ。」
栄養が取れれば1品だっていい。
「眠いけど、ストレッチしなきゃ。」
少しサボったって大した問題じゃない。
それだけでなく、本当にどうでもいいようなことまでも「~しなきゃ」という思い込みで行動していたことに気づきました。
そして、「~しなきゃ」のあとには「ダメ」という言葉が続く。
自分で作ったルールを完璧にこなせなければ、自分は不合格。
そんな思い込みが、無意識のうちに染み付いていたのです。
「なんて不自由なんだ。もっと好きに生きていいんだよ。」
そんな気持ちがみぞおちのあたりからせりあがってくるような感覚がありました。
初めて、自分の味方になれた気がしました。
それから私は、「~しなきゃ」と思った時、必ず自分に声をかけるようにしました。
「2つとも食べたかったら、どっちも食べればいい。」
「大人だって、ぬいぐるみがほしかったら買えばいい。」
無意識に作り出した"自分ルール"をひとつずつほどいていくと、
頭がすっきりして、体が軽くなるような感覚がありました。
今までは"正解"を選ぼうとして、出来ないと自分を責めるを繰り返していました。
そして、自分の外に落ちている正解を必死で拾い集め、いつの間にかそれが自分の意見だと、そう錯覚するようになっていたのです。
「みんながやっていることが、私のやるべきこと」
この勘違いこそが、"自分がない"の正体だったんだと、初めて気づいたのです。
自分の気持ちをしっかり聞いて、尊重する。
それを続けていると、だんだん"正解"そのものが存在しないのではないか。
そんなふうに考え方が変わってきました。
自分が思ったことが全てで、それが正解。
心からそう思えるようになったのです。
さて、ここから人生が劇的に変わっていく…といった結びを書ければよかったのですが、
残念ながら、長年培った思考の癖は、劇的に変化するものではありませんでした。
今もなお、3歩進んで2歩下がる、そんな状態です。
ですが、このことがきっかけで考え方が変化しているのを、少しずつですが実感しています。
日々、起こった出来事に考えを巡らせたり、感情に目を凝らして言葉にしたり、そのたびに自分や世界への解像度が上がっていくような気がしています。
そうやって気づいたことを、少しずつ書いていけたらと思っています。
何かの拍子に読んでいただいたら幸いです。
【自分の気持ちに正直に、実践編】
