
世界は今日もやさしくて悲しい
会社の後輩くんが結婚することになり、職場の人に順々に報告してまわっている。
最近はプライベートを積極的に話さない人もいるし、「○○さん結婚したらしいよ」と本人以外から聞くだけのこともあり、直接お祝いを言えないままになってしまう場合も多い。まあ全社員に報告する義務はないし、報告されたらされたでこっちもどこまで踏みこんで質問していいかがまた難しいし、そもそもお相手の仕事とか一応流れで聞いてみるけど実はそこまで知りたいわけでもない時もあるし。
そんな今の時代、日頃から接点のある人たちに一人ひとり声をかけ手短に、でもきちんと報告している彼の姿はとても清々しく、見ていて気持ちのいいものだった。部署の違う私のところにも報告に来てくれて、家事をがんばろうと思っていると楽しそうに話すそのまぶしさに、若い二人の未来に幸あれと心から思ったのだった。
その翌日、私は上司に呼び出された。後輩くんの結婚祝いを有志で贈ろうと思う、ついては良さげなお祝い品を選んでもらえないか、という依頼だった。ほぼ同年代で付き合いの長い私になら頼みやすかったのだろう。もちろん二つ返事で引き受けた。
社会人歴が長くなると、こういう役目にもすっかり慣れている。本人の趣味や好みに合いそうで、予算内におさまって、賛同者にもいいねと言ってもらえそうなプレゼント、探してみましょーじゃないの。 さーて何を贈ったら喜んでもらえるかなー。席へ戻りながら、心の中ではすでに肩が回り始めていた。
以前、友人の結婚祝いに贈った電気ケトルは大好評だったけど、コーヒー好きな後輩くんはすでに持ってる可能性があるな・・・。最近はカタログギフトも人気らしいけど、ちょっと味気ない気がするな・・・。実用的すぎる物だとお祝い感が薄まるし、仰々しすぎてもかえって気を遣わせてしまうし、そのへんの塩梅には気をつけたいところ・・・。とりあえず何点か候補を選んで、上司に相談してみよっと。ついでに上司の時はどんな結婚祝いをもらったかも聞いてみよう。そうだ、実際にもらってうれしかったお祝いを他の既婚者の人たちに聞いてみたら参考になりそうじゃない? なんせ私はもらった経験が無いからさ、わからないことは人に聞くのが一番よね。っていうか今気づいたけど、今回のお祝いメンバー、私以外はみんな既婚者じゃん、へー、そうなんだー。
突然、両方の目から涙があふれてきた。びっくりすると同時に反射的に「やばい!」と思った私は慌ててティッシュを引っつかみ、鼻をかんでいるふりをした。
自分の意思とはまったく関係なく、どこかの栓がぶっ壊れたように勝手に静かに、湧くように流れてくる。悲しくもなんともないのに、むしろ楽しい気分だったのに、いったいなぜ? 自分の状況に混乱していた。その一方で、「この人はなぜ泣いているんだろう」と冷静に観察している別の自分もいた。
周囲に気づかれないよう、鼻をかんだりおでこの脂をとったりしているのを装って誤魔化しているうちに、やがて涙は止まった。私は何事もなかったように仕事を続けた。急な水道トラブルみたいな謎の現象は、そのあと一度も起きなかった。けれど、「なぜ?」の気持ちはいつまでも消えなかった。
急に涙が出た理由を、私は知りたかった。「泣く」という行為は、痛みや恐怖などの刺激を脳が受けたことで起こる身体反応のはずで、だとすればその理由は私自身の中にあるはずだ。「自分でもよくわからない」のままにしたくない、というか、してはいけない気がした。自分でも気づけていない何らかの感情があったのか、それとも単に疲れていただけか、年齢特有のホルモンバランスの乱れ故か、とにかく訳が知りたいと思った。そこからしばらく、考え続けた。自分に問いかけ、自分に答える、それを繰り返す日が続いた。
まず、何度振り返ってみても確かなのは、「うらやましくて辛い」ではなかったこと。少し前の記事にも書いたように、周囲の幸せな報告は心からうれしいし、身近な後輩くんとなれば祝福したいのはなおさらだ。
念には念を入れて、「本当に本当? 1ミリもモヤっとしなかった?」と奥の奥まで覗きこんで探ってみたが、これについては私は完全に“シロ”だった。
では次に、「悲しかった」のか? これも違う気がしたが、もう少し細かく分析してみることにした。あそこで悲しいと感じる理由があるとしたら、メンバーの中で自分だけが独身だったことだろうか。でもそんなシチュエーション、ふだんのランチや飲み会でもいくらでもあるわけで、いちいち何か思ったりしないけどな。だいたい、40代も後半になれば自然と周囲に既婚者は多くなるし、それを悲しんだところでどうにもならんし。自分だけ・・・と嘆く段階はもうとっくに通り過ぎていると断言できるので、これも違う。
悲しいと少し似ている「傷ついた」はどうか。一人だけ未婚の自分に結婚祝いの手配を頼むなんてひどい! 無神経だ!と、思ったりした? うーん、後から客観的に考えてみればそう思えないこともないが、実際にあの時はそんなこと思わなかったんじゃないかな。上司はじゅうぶんに気配りできる人だし、私を信頼して頼んでくれたのもわかっているし。あそこで傷つくのはお門違いであって、そこまで面倒くさい女ではないと思いたい。それに、なにかあるとすぐ悲劇のヒロインぶる女って、同性としても人間としてもみっともなくて一番苦手なタイプなのよね。
でも、もし、私じゃない誰かが同じ状況になっているのを見たら、ちょっと気になってしまうかもしれない、とは思った。大丈夫かな?と様子をうかがいながらさりげなくフォローしとこうかな、みたいな。そういうシチュエーションに引っかかるところがあったのだとしたら、その小さな違和感は何かヒントの手がかりになるんじゃないだろうか。
そこで、「職場で結婚祝いを贈ることになった、その手配を頼まれたのは唯一の独身女性だった」というシチュエーションを、当事者ではなく第三者の目線で、少し距離をとって客観的に眺めてみた。
企画自体はとてもいい。やさしくてあたたかい光景だ。でもちょっと見方を変えると、とてつもなく残酷な構図だ。お祝いしたい既婚者たちと、そのお祝いを手配する独身者。やさしく見えた景色はひどく危うい構造で成立していた。そして誰もそれに気づかない。彼女自身も気づいていないかもしれないし、気づかないフリをして微笑んでいるのかもしれない。
胸が痛んだ。誰も悪くない、誰も傷つけるつもりなんてない、それなのにこんな残酷な状況が生まれてしまうことが悲しかった。悪意のないやさしい世界が誰かを傷つけるかもしれない、そんな世の中の仕組み、在り方がやりきれなくて、体がズーンと重く沈んでいくようだった。
これは何という感情なのだろう。この息苦しさ、しんどさを、どう説明すればいいのだろう。必死で言葉を探すが、乏しい語彙力の中からはすぐに正解が見つからない。失望、落胆、不条理、諦め・・・どれも違うようでいて、すべて当てはまるような気もする。でも一方で、自分の中にあるこの苦しさの持ち主が自分自身ではなさそうだという、どこか一歩引いた感覚もなぜかある。
そんな、名前も所在もわからない感情の正体を突き止めたくて、さらに自分の内側に目を凝らした。つかみかけている糸の端を離さないよう注意深くほどきながら、ぼやけている輪郭を少しずつ濃くしていく。
じりじりと手探りするような数日間、気持ちがかなり持っていかれていたようで、変な夢を見たり、手をつなぐ幼いきょうだいの姿に涙ぐんでしまったりと、日常生活に少なからず影響が出ていた。
そうして迎えた週末、スーパーの帰り道で不意に、結び目のひとつがするっとほどけるような感覚があった。漠然としたイメージとともに「あ、そういうことかも」と感覚的にわかる、すべてがつながる、あの感じ。やっとなんとか見えてきた自分なりの答えのようなものを、今度こそしっかりつかまえなくては。私は家への道を急ぎ足で帰った。
ーーー やさしく善意に満ちた世界の裏には、誰かが傷ついてしまう仕組みが常に隠れている。あの日、その悲しい事実を突然目の前に突きつけられ、私はひどくショックを受け動揺した。強すぎる衝撃に意識や言葉が追いつけず、処理しきれない感情があふれ出し、結果、涙が制御できなくなった。途方もなく悲しかったのは、それが私個人の悲しみではなく、私が生きている世界そのものの悲しみだと心のどこかでわかっていたからかもしれない。この悲しみは自分にはどうすることもできない。そうわかってしまっていることへの無力さ、やりきれなさが、悲しい気持ちを余計に大きくしていたのではないだろうか。 ーーーー
これが、私がたどりついた今時点での分析だ。言葉にするととても抽象的で主観的で根拠もあいまいだが、自分としてはかなり腑に落ちていて、これ以上うまく説明するのは難しい気がしている。
要するに、潜在的には薄々気づいていた世の中の摂理を、真正面から思いっきりド直球に受け止めてしまい打ちのめされた、ということだったのだと思う。散々考えて脳みそを使いまくった割には、最初の予想にあった「悲しかったから」が答えだったのがちょっと拍子抜けだが、なぜ悲しかったかの理由が想像していたのとは違っていたことを突き止められたのは収穫だったのかな。そういう意味では、数日間の思考も無駄ではなかったと思いたい。
「世界の悲しさ」なんて大きなことを書いてしまったが、私は日頃から世界に想いを馳せる人格者でもなければ人一倍慈悲深い人間でもない。自分の身に何が起きたのかをただ知りたかっただけで、自分のために自分のことだけを突き詰めて考えて過ごしただけのこと。「独身」という、たまたま自分にも当てはまるキーワードがあったために惑わされ、時間がかかってしまったが、振り返ってみれば起きていたことはとてもシンプルだった。
そしてもうひとつ、副作用的に後からわかったことがある。あの日、止まらない涙をおさえながら自分は強い恐怖を感じていたような感覚があって、それは泣いているのがバレたらどうしようという不安から起きた感情だと思っていたのだが、何日も考える過程でその理由も違っていたことがわかってきた。
私が恐れたのは、泣いているのを誰かに見られることではなく、「独身の彼女に頼むのはかわいそうだよ」と誰かが口に出してしまうことだった。たとえ正義感からだとしても、いや正義の声だからこそ、それを言ってしまった瞬間に、「かわいそうと思われる側」と「そんなつもりじゃなかったのにひどいことをしてしまった側」の構図ができあがってしまう。私を傷つけたかもしれないという罪悪感でみんなが傷つくことになる。凍りつく空気、気まずい視線、それを浴びる戸惑いと恥ずかしさ、あっけなく崩れる「あたたかくやさしい職場」という景色・・・誰も救われない地獄のような結末が容易に想像できる。そして、その地獄が自分の存在のせいで生まれている、自分は今「かわいそうな人」とラベリングされている、という明白な事実に、私はきっと耐えられないだろう。消えてしまいたいと心から思い、吐いてしまうかもしれない。
そんな予感を瞬間的に感じて、あの時の私はひどく怯えたんじゃないかと思う。「お願いだから誰もこの状況に気づかないで!」と祈るような気持ちになったのも、目の前の美しくやさしい世界が壊れてしまう恐怖からだった。やさしく見えて実は残酷な世界の仕組みが露わになること、そのことに周囲が気づいてしまうことが、とにかく怖かったのだと思う。
40年以上も生きていれば、世の中が綺麗事だけじゃまわらないことなんて嫌と言うほどわかっている。世界が私にやさしい時もあれば、そうでない時もある。だからひょんなことで傷つくことはあるし、反対に意図せず誰かを傷つけてしまうことだってある。それをいちいち嘆き悲しんで落ち込んでもどうにもならないし、私が悲しんだところで世の中にはなんの影響も及ぼさない。わかりきっていたはずのそのことが、今回はものすごく鋭角に私をえぐり、想像以上のダメージを残していった。自分で思うほど私は強くなく、自分自身のことをわかってもいなかった。まだまだ甘ったれで世間知らずでどうしようもない、ちっぽけな存在なのだと思い知った。
実はこのエピソードを書こうと決めた時から今日まで、ずいぶん時間が経っている。記憶も感覚も鮮明なうちにと一気に書き上げた最初の文章は、手応えとは裏腹にひどい出来で、ただただ私の妄想と迷走の殴り書きのような状態だった。何年後かに読み返したらさっぱり意味がわからず困惑するだけだろうし、そんな下手な文章をわざわざ残している自分を恥ずかしく思うに違いない。それは嫌なので、構成や言葉を変えたりわかりづらい表現を言い換えたりしながら書き直すことにしたのだが、これが思った以上に難航した。自分のことを書いているはずなのに、自分が書きたいと思っていることが全然文字になっていかない。たった1行を完成させるのに2日もかけてしまった時は、さすがに途中で投げ出しそうになった。ひとつの記事にここまで時間をかけたのは初めてだ。
決して楽しくはない極めて個人的な出来事をわざわざ振り返り、しつこく掘り下げて詳しく書き残す。この行為に果たして意味があったのか、自分でも正直よくわからない。でも、書いておきたかったという気持ちは本当で、とりあえず書き終えられたことに今は安堵している。私が感じた痛みや苦しさが、いつかこれを読み返す私に届くといいのだけど。いや、やっぱり「意味わからねー」と笑いながら読んでるかもしれないな。それはそれで、まあ、いいか。