
【長編小説】漂白社会 | 第八話・清白
元夫は奈恵を言い負かすことができないと分かると、すぐに体を殴った。
仕事とはいえ、他の男性と話す事すら許せなかった元夫は、支配欲の強さから、奈恵に専業主婦でいてほしい、子供を持ち家庭に専念してほしいという気持ちが強かったのだ。
もちろん結婚前から、奈恵がタレントをしているのを知っていたのだが、元夫は、結婚したら、芸能業は止めるのだと勝手に思っていたようだ。
ある日、元夫が帰宅してシャワーに入ると、自宅の電話が鳴った。
滅多にならない自宅の電話の音に、奈恵は何だか胸騒ぎがして、恐る恐る電話に出た。
すると相手は、女性の声で元夫の《彼女》だと名乗った。
「ご家族の方ですか?彼が電話に出ないので」
「あ、はい、義理の姉です」
奈恵は動揺してしまい、咄嗟に嘘をついた。
「あの、それじゃ本人に伝えて下さい、私、妊娠しましたので」
頭をガツンと殴られたかのような衝撃が心に突き刺さる。奈恵は電話を切った後、その場に倒れこんでしまった。
元夫に問い詰めると、バツが悪そうに、奈恵にこう言った。
「俺、子ども欲しいからさ、離婚してほしい」
奈恵は不妊治療中だった。
奈恵は離婚した。
世間はこぞって奈恵の離婚を報道した。ネットは、たくさんの否定的な書き込みで溢れていた。
『もう傷物だな』
『バツイチ恥ずかしい』
『これからどうするんだろうね?』
『どうせ、まだ遊びたいんでしょ?』
好き勝手に言う彼らは、黒が許せない。
グレーも嫌いだ。色が入った経緯なんて関係ない、白くなければ。
彼らとは、制作会社や広告主も含まれる。彼らは色付きを好まない。
ホワイトでなければ仕事は無い私たちは白色のイメージが大事だから
もし黒色になったら?
そんなこと知ったことか。白にはもう戻せない。
奈恵は、汚点と言われた人生を漂白剤に浸して真っ白に戻せたら…そう何度願っただろう。
抗うつ薬を服用するようになった。
精神的にも経済的にも、どんどん困窮していった。
私は留置所の部屋から見える時計の針が一秒、一秒と動くのを、ただただ見ていた。
ぼーっと見続けていると、突然、留置担当官が扉を開錠した。
「刑事さんの取り調べです」
そう言い、私を部屋から出した。
部屋から出て横を見ると、他の人達が、ずらっと一人ずつ留置部屋に収監されていた。皆、無言で私を見ている。
女性の留置担当官が、私の体を調べ始めた。髪の中から足の裏、手先から口の中まで隅々調べると、腰に縄をかけて手錠をした。そして手錠が外れないか否を確認すると、号令の掛け声と同時に、ドアまで引っ張った。
留置担当官が重そうなドアを開くと、女性刑事が立っていた。この女性が取り調べの担当になるそうだ。
留置担当官が腰縄を手渡すと、女性の刑事は歩きながら私に声をかけた。
「よく眠れた?」
二十代後半から三十代前半くらいに見える。
「いえ、あまり・・・」
私は言葉少なく、うつむいた。
連れていかれた場所はたくさんの取調室があり、一室に入った。刑事は紙に入室した日時を記入した。
記入が終わると腰縄を椅子に施錠して、私の手錠をゆっくり外した。
「そこに座ってください」
「これから取り調べを始めます」
私はどんな事を聞かれるのだろうと緊張した。
「あなたは詐欺罪として逮捕されてここにいます、それは分かるよね?」「…はい」
「精神疾患があるという事だけど、嘘でしょう?」
突然の言葉に私は驚いた。
「いえ、違います。いつも薬を飲んでいました」
「どんな症状なの?」
「たまに発作が起きて…」
「発作ってどんな?」
「手足が震えたり…」
「寒かったからとかじゃなくて?」
「いえ…そうじゃなくて…」
私は泣きながら、頷くしか出来なかった。留置所に入ってから、ずっと病院に行かせてもらえなかった理由が分かった気がした。
そうか信頼を失うってこういう事なんだ。私は自分の犯した罪の大きさを再確認した。
「私は宮本志津里です。これからあなたの取り調べを担当します。しっかり最後まで話してください、調書に記録するので」
そう言うと宮本さんという刑事は、資料の中から銀行の明細資料を出して、ある履歴を指さした。
「この部分が、送金したもので間違いないよね?」
私は何も言わず頷いた。
次にこれに見覚えはあるかと問い、一枚の写真を見せた。
間違いなく、見覚えがあった。
その写真には、衣装として借りた高価なブレスレットが映っていた。
「言いたいこと、わかるよね?」
女性刑事は、単刀直入に聞いた。
「どうやってお金を手に入れたか、話してください」
「…はい」
奈恵は少しずつ、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
女性刑事は丁寧に調書として記録していったが、途中で一瞬手が止まり、こう言った。
「今苦しいでしょ、わかる。でも、耐えて。我慢して」
「私はあなたのことを助けるために来たの。忘れないで」
その意味が、私には分からなかった。
社会の人々は真っ白な景色が見たい。
問題が解決しなくても、蓋をして見ないように、そして無かったかのように。
私は、人々は漂白剤に浸した社会に何を見つけたいのだろうか。
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