
執筆はわたしを救う。
日々を生きていれば、苛立つことがある。
自分自身の心の入れ替え、行動の変化でどうにかなることであればいいのだけど、そうではない外的な悪影響が自分に圧しかかってきた時には気分が落ちこみ、暗い暗い穴にすっぽりと収まってしまったような心地になる。
日中もそのことを考えてはモヤモヤとし、面白いドラマを観ても、好きな音楽を聴いても心は晴れずに曇りっぱなし。夜もなんとなく眠れず、羊を数えようとしても「嫌なところには来たくないやい」と羊たちは自分のねぐらにこもって出てきてはくれず、ただただ天井を見つめて時を過ごす。そんな日がある。
問題となる外的な要因に直接タッチしているわけではないので物事が解決することはなく、ただただ嫌な思考がグルグルと巡るばかりで、大きく息を吐いては考え、感情をコントロールしようと楽しいことをしてみても思考はまた元の位置に戻って意気消沈。微妙な気分を引きずったまま、無為な時間を過ごすばかりになる。当然ながら、人生は楽しいことばかりではない。自分の身に降りかかる災いに、打ちのめされそうになることは少なからずある。
そんな時、わたしは執筆をする。執筆をすると、心が楽になることが多々ある。
書くことはなんでもいい。リフレッシュするためにわざと明るい話を書いてもいい。メンタルが沈む原因となっている物事を直接的に書いてみてもいい。ただ、書いて吐き出す。大切な一作業。
執筆に集中し、少しでも問題から目を逸らしてみる。問題そのものを描く場合には、それを執筆のネタにすることで一度自分の心から遠ざけてみる。自分の心に触れ、心のなかから嫌なかたまりを取り出し、真っ白な原稿のうえにポンと置いてみる。そうすることで、少なくとも執筆している最中は気がまぎれ、心中が平穏になるのを感じる。わたしはわたしが、救われていくのを感じる。
誰かに愚痴を話したり、なにも考えられなくなるほど一生懸命に運動したり、瞑想をしたりと心の安定を図る手段は数多くある。その手段がわたしにとっては執筆で、文字を連ねていくごとに落ち着きは増していき、わたしはわたしであることを取り戻していく。
執筆は孤独だけど、豊かな取り組みだ。ストレスを一人きりで解消できるし、体は動かさないからヘトヘトにはならないし、なにより書くことは楽しい。外部に向けて文章を書き続けるという行為は、確かな充実を覚えさせる。
外部に向ける、それがとても大事で、エッセイでも小説でも詩でもなんでも、投稿に向けて書くことで私的な文章は一応の作品となり、作品になることでそれは完全なる個人的な文章ではなくなり、作品が人目に触れるのを意識することで、わたしの感情はわたしだけのものではなくなっていく。自分の胸中を客観的に見つめる。それが可能になる執筆という行為はだからこそ尊く、わたしにとっては必要な営みなのだと感じている。今もなお。
現代には、駄文であろうとなかろうと世間に向けて自作を発表できる手段が多く用意されている。ありがたいことだ。わたしはわたしの思いを、今日も文章として解き放つ。それだけでも楽しい。まして、読んでくださる方がいるのなら、それはたしかな喜びとなるに違いない。
執筆は、わたしを救う。
誰かのことも救う、なんておこがましいことは言えないけど、もしそうなれば、部屋の中で飛び跳ねるくらい、嬉しい。