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東風物語〜菅原道真の娘、海を渡る〜|エピローグ 

    十月。みあれ祭の朝である。
    北斗の水汲み公園の砂浜には、まだ露が残っていた。

    沖の方にはのぼりを立てた船団が列をなし、静かに、しかし誇らしく湾を滑っていく。
    太鼓の音が遅れて陸に届き、見物の人々の胸を震わせた。

    潮の匂いの上を、風が通り抜ける。ひとすじ強く、そしてやさしい。

    人垣の少し手前に、真紅のスカートの女性が立っていた。布には、角度で淡く浮かぶ蝶の地模様。風がくると、翅が光を拾ってきらりと瞬く。
    その前を、黒髪の女の子がすり抜けた。小さな手を伸ばし、ひるがえる赤へと吸い寄せられていく。

    「危ない。こっちにおいで、きなり」
    母親が慌てて追う。女の子は振り返りもせず、赤い裾にそっと触れた。

    「おねえちゃん、ちょうちょ……きれい」

    女性は驚いたように目を細め、微笑んで膝を折った。
    「ありがとう。風が来ると、ここに出てくるの」

    母親が追いつき、あわてて頭を下げる。
    「すみません、すぐ目を離すとこれで……」

    顔を上げた母親と、赤いスカートの女性の視線が合う。
    潮鳴りと太鼓の合間に、一瞬だけ音のない間が生まれた。

    「……あの、どこかでお会いしてますか?」

    「いいえ、はじめて。でも、はじめてじゃない気がしますね」
    二人は困ったように笑い、同時に沖へ目を向けた。

    船団が向きを合わせ、白い水筋が幾条も並ぶ。のぼりが高くはためき、朝の光がそれぞれの布地を透かして、色の影を海面に落とした。


    白波が立ち、大漁旗がはためく勇壮な船団の上空を、一匹の蝶が横切った。
    風に煽られながらも、蝶は、旗と旗のあいだを静かに抜けていった。

    風が強まった。
    その時上空から浜へと、ふわり舞い降りる影――。
    古い染料のように深い茶色、薄青と紫の翅。ひかりを受けて、繊細に揺れる。
    「……あ」
    女の子が息をのむ。アサギマダラが赤い裾にひととき留まり、すぐまた風に乗った。
    群れではない。
    けれど、その蝶は迷うことなく風を選んでいた。

    太鼓が鳴る。櫂の水を切る音が続く。
    蝶は高く舞い上がり、陽の筋へ溶けていった。
    潮の匂いはいつかと同じで、海は今日の色をしている。

    やがて太鼓の音が遠のき、人々はそれぞれの帰路へ歩き出す。

    ひと筋の風が抜けた。
    赤い影と小さな手の上を撫で、そして遠く海へ向かった。

     
     
    今までアイデア状態だったストーリーを、少しずつ作品に変えています。

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