
女友達って難しい | 豪華フルコースの隣で白湯をすする
大学時代の同期たちと、久しぶりに集まりました。
新卒から、10年以上同じ会社で戦い続けている彼女たち。
今や、組織の荒波を乗りこなす一等航海士であり、プライベートでは郊外に一軒家を構え、そこで複数のかわいい幼獣を飼い慣らす猛獣使いです。
いわば「人生のフルコース」を完食して、デザートのお皿まで舐めとる勢いの、バイタリティの塊。
対する私といえば、最近人生のハンドルを急旋回させて、休職からの時短勤務というスローレーンに入ったばかり。結婚もしていなければ、子供もいない。ローンもない。
彼女たちの猛烈な日々から見れば、私の暮らしなんて、「ぬるま湯」そのものに見えるでしょう。
正直、会う前は少しだけ、自分の選択を説明することに引け目を感じていました。
けれど、いざ再会してみると、そこには想像以上にカオスな景色が広がっていたのです。
まず、子供たちが、もう、すごい。
「わぁ、元気いっぱい!」という言葉では片付けられない。
食事中にスマホを凝視する様は、昼時のデイトレーダーさながら。
食べたいと言って頼んだはずのパンケーキをフォークで突き刺して、一口も食べない前衛芸術家っぷり。
他人の家を、まるでSASUKEのステージかのように裸足で駆け回り、閉まっている部屋や戸棚を片っ端から開けては、お宝を物色し始める冒険者たち。
その惨状を前に、母親たちの目には、深い疲労と諦めが宿っていました。
「朝から子供を保育園と学校に送り出して、仕事に行って、子供には学童と習い事をハシゴさせて、夜に再会してからが第二ラウンド。毎日が怒涛のルーティンワークだよ。」
笑いながら話す彼女たちの言葉を聞きながら、私は少しだけ、胸がキュッとなりました。
全自動洗濯機やロボット掃除機、調理家電。生活のすべてをシステム化して、分刻みのスケジュールの中に、子供たちも組み込まれていく…。
そうしないと回らないほど、彼女たちはギリギリの場所で戦っているようでした。
でも、子供という生き物は、効率が一番通用しない相手でもあるでしょう。
「贅沢な生活だよね」「ゆるい職場で楽しそうだよね」
彼女たちが私に投げかけた言葉は、トゲがあるように聞こえました。
自分を犠牲にし、家族との時間さえも効率の波に乗せているからこそ、歩みを緩めて、足を止めている私のような者は、異質なのかもしれません。
以前の私なら、彼女たちの強さを羨み、そうできない自分を責めていたでしょう。
でも今の私は、自分の弱さを知っています。
私は、効率的なシステムの一部として回転する歯車にはなれません。
もし将来、私の子供が他人の家で宝探しを始めたら、それを「ダメ!」と叱るだけではなく、その好奇心の原点を探る、心のゆとりを持っていたいのです。
彼女たちが「ぬるま湯」と呼ぶこの時間は、私にとって、いつかやってくるかもしれない荒波に備えて、心の土壌をフカフカに耕しておくための、大切な余白なのだと気づきました。
騒がしい時間が過ぎ、静かになった部屋で一人お茶を淹れたとき、
彼女たちのような超人的なパワーは持てなくても、私はこの丁寧な余白を大切にしたい、と思いました。
どっちが正しいか、正解なんてきっと一生出ない。
もしかしたら、彼女たちとは、守りたい価値観が決定的に分かれてしまったのかもしれません。
でも、この余白を忘れない人でいられたら、いつか私が親になったときも、私なりの「心地よい戦い方」ができる気がするのです。
▼バリキャリからゆるキャリへ変更した経緯はこちら。
▼1年かけて自分の身体をメンテナンスする話はこちら。
▼ご自愛ライフを目指して削った10のことについてはこちら。