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読書 | なぜ東大生たちは加害者になったのか?『彼女は頭が悪いから』を読んで

    本を読み終わった後、こんなに不快な気持ちが続いたことはないと思った一冊。多くの人に届いて欲しいけど、精神状態が良好な人に限るかな…。


    こんにちは、つむです。ご覧いただきありがとうございます。

    30代、予想外の休職で自分を見つめ直し、ご自愛な人生設計に変更中の元バリキャリ。てんやわんやな日常を書いています。



    以前、こちらの記事でも触れた作品について、今日は読書感想文を書いてみる。

    姫野カオルコによる『彼女は頭が悪いから』は、2016年に実際に起きた東大生による集団性的暴行事件をモデルにした衝撃作。
    ただ、本作が描くのは、単なる凄惨な事件の記録ではなかった。

    被害者の女性にさえ、ある種の嫌悪や苛立ちを抱かせるほど緻密な心理描写は、読んでいる人の内側にある醜い心情を否応なしに引きずり出す。
    読んだ後しばらく、心に重たい泥がへばり付くような感覚が残った。


    400ページ超えの大作、その読了感


    読み終えた後、しばらく動けなかった。心臓がギュッと締め付けられるような痛みを伴う読書体験だった。
    読み始めから最後まで、ずっとドス黒い怒りで胃がムカムカする。

    姫野カオルコ氏が本作で描き出したのは、単なるひとつの性犯罪事件の記録ではない。そこにあるのは、私たちが目を背け続けてきた人間心理の、緻密で、剥き出しで、そして救いようのないほどグロテスクな面である。

    物語の根底を流れる気持ち悪さ――

    「女の子は可愛いか可愛くないかではなく、可愛いかそれ以外か。可愛いは対象になるし、それ以外でも仲良くはなれる。ただ選ばれないだけ。」

    本文より一部抜粋

    という一節は、残酷なほど私の中にすとんと落ちてきた。
    これは単なる外見の好みの話ではない。女性が「対象」か「それ以外」かにカテゴライズされ、その記号性によって存在を規定されてしまう、この社会の歪な構造を言い当てている。


    思えば私自身も、思春期以降、異性からのアプローチを受けた時に抱いた感情は、けっして純粋な喜びだけではなかった。

    そこには、女としての価値を認められたような「ホッとした安心感」と、同時に自分という人間ではなく、属性を品定めされているような、言いようのない「気持ち悪さ」が同居していた。
    あの複雑で言語化できなかった不快感の正体が、この本の中にはっきりと書かれていた。



    本作が炙り出す歪んだ認識


    事件の核心について筆者は、「事件は、性的な目的ではなくヘイトクライムだ。彼女は女性ではなく、ただ蔑む対象物に過ぎなかった。」と結論づける。この一文を読んだとき、私は震えた。

    性的搾取よりもさらに奥深くにある、剥き出しの蔑み。人間を人間として見ない暴力。

    実際の事件では、加害者の男子学生たちが被害女性に対し、「自分たちとは住む世界が違う存在」「何をしてもいい対象」という極めて強い蔑視と選別意識を持っていたことが、SNSのやり取りや供述から明らかになった。
    ただ、加害者全員が「彼女をレイプしたつもりはない。悪ふざけの延長。」と口を揃えて言っている。

    では、なぜ抵抗する彼女を執拗に暴行したのか?という疑問に対して、筆者が最も痛烈な形で言い表したのが、「彼女は頭が悪いから」というタイトルだ。

    「学歴」や「属性」で人間を峻別するエリートたちの無自覚な選民思想と、対照的に持たざる者の鈍感さ。その両者が噛み合って生まれる、社会の「グロテスクな構造」を冷徹に浮き彫りにする。

    本作が突きつける最も恐ろしい真実は、加害者と被害者、そしてそれを取り巻く社会が、お互いにWin-Winの関係を成立させてしまっている空気だ。

    一部の人々の中には、
    女性は自らの生活や地位向上のために
    男性は男性社会の構成員に一目置かれるために
    同性内での戦いの道具として、異性を利用し得をしている人がいる。

    だから、この下心を動機にしたグロテスクな構造は、簡単には無くならない。

    作中では被害者の女子大生も、事件後、「どうせ東大生目当てだろ」「女子大のくせに調子に乗るな」などの誹謗中傷で、二次被害を受けている。

    世間の一部は、彼ら彼女らをラベルでしか見ていないのだ。本人の意思とは全く関係なしに。



    読んでいるうちに気付いた、恐ろしい自分自身


    そして、読み進めるうちに私は、自分自身の中にある「加害性」に直面せざるを得なくなった。

    物語の中で描かれる被害者の女子大学生について、本書ではこう説明されている――

    (彼女は、頭の良い人に対して)
    「対抗したり羨んだりせず 、自分が関わったことのないものをながめる感情」

    (彼女の育った家庭環境について)
    「流れる日常が幸いに満ちているから 、なにかに深くとどまらない 、バタバタと流れ 、バタバタとおさまっていく幸せな家庭」

    (彼女本人の生き方について)
    「自分にはなんの取り柄もないと思っていて 、それを平気でロにできる人 。だからといて落ち込まない。何かをしたい、何かが欲しい、誰かにこうして欲しいとは思わない 。」

    「」内は本文より一部抜粋

    そんな彼女の描写に対し、私は少なからず嫌悪感を抱いていた。
    持ってはいけない感情が、沸々と湧いてくる。
    「努力もせず、向上心も持たず、志もなく、ただぼんやり生きてて、なんか嫌い。どうせ、無自覚に『女』を武器にして、利益を得ようとしているんでしょ。」
    たとえそれが、彼女の本意でなかったとしても。

    良くないと承知で敢えて書くが、これまで私はこうした女性たちを「女の敵」だと思ってきた。
    悪いと分かっていても、彼女たちとは無意識に線を引きたがっていた。

    しかし、その怒りこそが、私自身の内側に根を張る「ミソジニー」そのものではないか。
    彼女の思考停止に苛立ち、自立や努力を盾にして彼女を断罪しようとする私の視線は、
    加害者たちが彼女を「頭が悪い」と切り捨てた傲慢さと、本質的に何が違うというのだろうか。


    筆者の姫野氏は、どちらの側に肩入れするでもなく、ただ冷徹にこの社会の「そういう雰囲気」と、人間のリアルな心理を描写していく。その筆致に脱帽すると同時に、逃げ場を失うような感覚に陥った。

    輝かしい経歴のために情緒を育むことを忘れたエリート層の加害者たちと、最初から「私には関係ない」と分断を受け入れている、あるいは気付いていない被害者。
    その両者の間に横たわる、埋めようのない深い溝。

    この読後のドロっとした感情をどう処理すればいいのか、いまだに分からない。



    ▼物語の話ではなく、現実世界の東大の呪いに気づいてしまった話はこちら



    この本を読んだ後、しばらく「ミソジニー」について、大学での社会学の講義以来久しぶりに考えています。
    昔読んだ本の中で、他にも関連書を思い出したので、最後に共有しておきます。


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    30代 | 東京生まれ東京暮らし | 金融業界のすみっこ | 趣味は読書と銭湯 | ピラティス歴7年 | 旅、本、日常の記録 | 休職を経てご自愛な人生設計に変更しました。

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