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76.短文じゃない短文 或る成人男性、メンタルヘルスについてプロの支援を検討する。

    10数年程、他人は自分を馬鹿にしている、という考えに囚われている。(理由は当時の労働先で受けたいじめとかパワハラとかモラハラとかともかくそう言った言葉で表される暴力でこれについては詳しく書かない。)

     この考えの面白い(面白くない)ところは、この前提がありながらも人と仲良くなれるところだ。仲の良い(良くなった)人と話す時、一旦この前提条件は消えている。それがふとした瞬間、例えば労働などでちょっとしたミスをして、それを冗談っぽく笑われた時などに復活するのだ。だから自分は失敗が恐ろしい、それがどんなに些細なことであったとしても、失敗をしたくない。馬鹿にされるから。また、「出来ない」と言うことが「できな」かった。「分からない」も言えなかった。馬鹿にされるからだ。こっちはちょっと改善されたかな。

     当然の事だが、ミスをゼロにするのは不可能だし「出来ない」事や「分からない」事があるのも自然なことだ。それは分かっている。分かっているが自分の中でそれとこれとは別なのだ。両立できてしまうのだ。だから自分で自分をどれだけ説得しても(自分は頻繁に頭の中へ心の自分を呼び出して対話をしている)解決することはなかった。
     それでも。何とかなってきたのだ。10数年。何とかこうして生きてこられたのだ。が。先日労働でミスをしてしまい、その時に周りで起きた出来事(注意だったり笑われたり、とこの辺りは自分の主観なので詳しくは書かない。ともかく強いストレスがかかったのだと思う。)がいつも以上に辛く、苦しく「いなくなりたいな」と思ってしまった。自分の中の「いなくなりたい」という感情は死とは結び付いていないんだけど、いないんだけど、それにしたって割と大きな衝撃でビックリしたし、今も尾を引いている。ここからいなくなりたい。

     そういう訳で、これはいい機会かもしれないと思ったのだ。今まで心療内科、カウンセリング、メンタルヘルス、というものから意識的にではないけれど距離を置いて生きてきた。それは「大丈夫だろ」という自分の考えによるところだけではなく、そもそも(こういう状態の自分を)どうしたらいいか分からない、という知識のなさや、何となく”そういったこと、場所”に感じる敷居の高さが理由だったように思う。そしてその敷居は低くなった。単純に自分が歳をとった、という事もあるが、その環境、SNSなどツールの登場から社会の導線づくりや整備がされたことも大きい。

     とは言え。手探りであることは変わらないので何となく国のHPを開き、LINEで相談できるという「こころのほっとチャット」なるものから試してみることに決めた。それと暮らしている市にも相談窓口があるようなのでそちらも。と書きながら直ぐに連絡が出来るかどうかはまだ分からない。ただ、自分の中でそう言った窓口を使ってみようと思えたのは良い事だと思う。思いたい。考え方によってはそれほど弱っている、とも考えられるのだが……だとしても、だとしたら、尚のこと相談した方がいいだろう。良い方へ向かっていると思いたい。

     がんばっていきましょう。

    おわり


    0.短文 書いた短文をまとめてる。|サトウのび


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