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SDGsがダサくなったあと、僕たちは誰の痛みに責任を持てるのか〜17色の地図、「浅いよ」、大阪・関西万博から考えるBeyond SDGs

    はじめに 17色が、少し恥ずかしくなった

    少し前まで、17色は僕たちの生活のいたるところにあった。

    SNSのタイムラインやネットニュース。企業のウェブサイトや自治体のポスター。学校の教材やテレビ番組。スーツの襟につけられた、丸いバッジ。

    SDGs。

    2015年に国連で採択された17の目標は、あっという間に日本社会へ広がった。

    ところが2026年の今、僕には少し景色が変わって見える。

    「SDGs」という言葉そのものが、どこか古く感じられる瞬間が増えた。

    企業のPRや行政のスローガン、「意識高い」人たちのバッジ。

    そんなイメージまでまとわりつき、「SDGsって、もうちょっとダサくない?」という空気さえある。

    僕にも、その感覚は分かる。

    でも、そこで少し引っかかる。

    貧困をなくすことまで、ダサくなったのだろうか。

    飢餓をなくすことも、安全な水を飲めるようにすることも、戦争から逃げる人を助けることも?

    もちろん、そんなはずはない。

    古びたのは問題そのものではなく、それを包んでいた「17色」の方なのかもしれない。

    だとすれば、僕たちが考えるべきなのは、「SDGsをまだ信じるか、捨てるか」という二択ではない。

    17色が見えにくくなったあと、僕たちは何を見失おうとしているのか。

    そのことを考えてみたい。

    ただ、これはSDGsについての解説記事ではない。

    僕自身が「世界を知る」とは何なのかを、何度も勘違いしてきた話でもある。

    本を読み、海外へ行き、貧困の現場へ行き、さまざまな国の人たちと暮らした。

    そしてある日、親しい友人から言われた。

    「Nobb、お前は彼らの何を知っているというんだ? 浅いよ。」

    あれから20年以上たった今も、その言葉は僕の中から消えていない。

    むしろ、AIが世界を数秒で説明してくれるようになった今だからこそ、以前より重く聞こえる。

    世界を知ることと、世界と関係することは同じではない。

    そして最近は、関係することさえ、本当に答えなのだろうか、と考えるようになった。

    17色の地図から始めて、少し遠回りをしながら、その問いまで行ってみたい。

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    第1章 世界を17色にした、壮大な成功

    SDGsを考えるとき、僕はまず一つだけ公平に評価しておきたい。

    17色は、失敗作ではない。

    むしろ、ものすごい発明だったと思う。

    人類はずっと、貧困や飢餓、環境破壊、戦争や差別、教育・経済・健康といった、互いに絡み合う巨大な問題をどう扱えばいいのか悩んできた。

    1972年、ローマクラブの委託を受けたMITの研究チームが『成長の限界』を発表した。

    「有限な地球で、成長を無限に続けることはできるのか」。

    その問いは、世界に大きな衝撃を与えた。

    それから半世紀近く、人類は環境、貧困、経済、社会をどう一緒に考えるか試行錯誤してきた。

    1992年のリオ地球サミットでは、「持続可能な開発」が大きな国際課題になった。

    2000年には8つのミレニアム開発目標、MDGsが掲げられた。

    そして2015年。

    国連加盟国が「2030アジェンダ」を採択した。

    SDGsの誕生である。

    17のゴールと169のターゲット。

    「誰一人取り残さない」という約束。

    考えてみれば、これは途方もない試みだ。

    価値観も、政治体制も、宗教も、経済状況もまったく違う国々が、「世界には、少なくともこれだけの問題がある」という一枚の地図を共有した。

    僕は映像の世界で長く仕事をしてきたので、どうしても「編集」という言葉で考えてしまう。

    編集とは、複雑すぎる現実から何かを選び、並べ、意味が伝わる形へ変える仕事だ。

    その意味ではSDGsは、人類史上かなり野心的な「世界の編集」だったのではないか。

    複雑すぎて一度には理解できない世界を、17色へ編集した。

    だから子どもにも説明できた。企業も自治体も使えた。遠い国の問題と、自分の暮らしを一枚の図の中へ置くこともできた。

    実際、2026年の国連報告でも、SDGs採択以降、安全な水、電力、医療、デジタル接続など、多くの分野で大規模な前進があったと評価されている。

    17色は無意味ではなかった。

    それどころか、世界を見るための共通言語をつくった。

    ただし、編集には必ず問題がある。

    何かを見えるようにするということは、同時に、何かを見えなくすることでもあるからだ。

    地図は必要だ。

    でも、どれだけ精密な地図をつくっても、地図は土地そのものにはならない。

    危険なのは、地図をつくることではない。

    地図を、世界そのものだと思い始めることだ。

    そして振り返れば、僕自身も長い間、自分の頭の中にできた「世界の地図」を、世界そのものだと思っていた。

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    第2章 20歳の僕は、生成AIだった

    僕の父は医師だった。

    家には本が大量にあった。

    子どもの頃、漫画やアニメはほとんど禁止されていた。だから夜になると、布団の中に懐中電灯を持ち込み、隠れて漫画を読むこともあった。

    一方で本は、いくら読んでも叱られなかった。

    小学生の頃には、兄と交代で朝食時に朝日新聞の「天声人語」を音読し、夜までに感想文を書かされた。父がそれを添削した。

    当時はかなり嫌だった。

    でも気づけば、歴史や政治、人権、戦争、宗教、文学、社会問題についての言葉と知識が、子どもの頃から頭の中に大量に蓄積されていた。

    そして大学で東京へ出ると、今度は映画、音楽、現代アート、クラブカルチャーへ夢中になった。

    東京では毎週のようにクラブへ行った。海外の雑誌も、渋谷のタワーレコードやPARCOの洋書売り場へ行って買い集めた。映画やドキュメンタリーも観た。

    自分では、かなり世界を知っているつもりだった。

    でも、一つだけ決定的なものが欠けていた。

    僕はまだ、日本から一度も出たことがなかった。

    頭の中には世界の地図ができあがっていた。

    でも、身体はまだ一度も日本を出ていなかった。

    今振り返ると、20歳の僕は生成AIに少し似ていた。

    大量の文章を読み、画像を見て、映画も観ている。

    質問されれば、それなりに答えられる。

    ニューヨークについても、アフリカについても、貧困や差別についても語れる。

    でも、一度もその土地の風を吸ったことがない。匂いを嗅いだこともない。誰かの手に触れたこともない。

    知識はあった。

    身体がなかった。

    だから僕は、世界を身体で知りたいと思った。

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    第3章 身体を世界に投げ込んだ〜ニューヨーク、アフリカ、アジアへ

    大学生の頃、初めての海外旅行先に選んだのはニューヨークだった。

    約1か月、滞在した。

    当時の僕にとってニューヨークは、映画や音楽や雑誌の中にある都市だった。その画面の中へ、自分の身体を投げ込んでみたかった。

    到着した最初の夜、僕はホテルに泊まらなかった。

    黒人のホームレスの人たちと一晩を過ごした。

    今考えれば、かなり危険なことをしていた。翌日、現地に住む友人から本気で怒鳴られた。

    「殺されてもおかしくなかったんだぞ!」

    でも、その夜の僕には危険よりも興奮の方が大きかった。

    彼らは渋滞で速度を落とした車へ近づき、頼まれてもいないのにフロントガラスを拭き、金を求めた。

    いくらか集まると、安い食べ物を買い、道端で食べた。

    身体から漂う強い匂い、車の排気、街の音、食べ物の味、夜の空気。

    「これが世界なのか」と思った。

    今なら、その興奮自体に危うさを感じる。

    他人の貧困を、自分の「経験値」に変えていたのではないか。

    でも当時の僕は、まだそこまで考えていなかった。ただ、本では分からない世界がある、と思った。

    ニューヨークに住む画家の友人に、さまざまなジャンルのアーティストや作家たちが集まるクラブにも連れていってもらった。

    そこで、さまざまなルーツを持つ若い映画監督や表現者たちと出会った。

    肌の色や国籍、宗教の違いよりも、「何をつくっているのか」「何を考えているのか」の方がずっと重要だった。

    僕はどんどん、「やっぱり現場へ行かなければ分からない」と思うようになった。

    大学最後の年には夜間の映画学校へ通い、その後テレビの世界へ入った。

    時事ネタ、事件、芸能、政治、社会問題、国際情勢。毎日、大量の情報を扱った。

    映像を撮り、素材を選び、編集し、視聴者に伝わる数分間へ変える。

    世界をモニター越しに切り取る仕事だった。

    映画を撮りたいという思いは、ずっと消えなかった。

    やがてテレビ局を辞め、ラジオの仕事などを経て、今度はアフリカのケニアへ向かった。

    現地の医療NGOの活動に関わり、HIVに感染した子どもたちと出会い、ナイロビのキベラという巨大なスラム街を訪れた。

    僕が最初に覚えているのは、やはり匂いだ。

    写真には写らない。テレビにもほとんど伝わらない。

    でも、その場所へ身体を置けば避けることができない。

    空気や土、人の密度、生活の音。

    そして、死が日常のすぐそばにあるという、日本にいた頃には想像できなかった感覚。

    「知る」という行為が、頭だけではなく身体へ降りてきたように感じた。

    その後、日本へ戻り、アジア学院という国際的な研修・教育機関でも数週間生活した。

    僕の大叔父が1970年代に創設した場所だ。

    アジアやアフリカなど各地から地域のリーダーたちが集まり、共同生活をしながら学ぶ。

    共通言語は英語だった。

    一緒に働き、農作業をし、食事をし、皿を洗った。

    ある日、自分たちで育ててきた鶏を、自分たちの手で絞め、その日の食事にした。

    流れた血は、想像していたよりずっと赤黒かった。

    昨日まで餌をやっていた命を、自分たちで殺し、自分たちで食べる。

    スーパーに並んだ「肉」の向こう側にあるものを、僕は初めて身体で知った。

    知識だけでは足りなかった。

    でも、今の自分は違う。

    世界へ行き、自分の目で見て、匂いを嗅ぎ、触れ、人々と一緒に暮らした。

    少しずつ、「分かる側」へ近づいている。

    そう思っていた。

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    第4章 それでも、「浅い」と言われた

    アジア学院での生活を終え、大阪へ戻る途中、東京に立ち寄った。

    渋谷のバーで、親しい友人と話していた。彼自身、海外の文化や先住民族などに深い関心を持ち、長く考え続けてきた人だった。

    僕はたぶん、少し得意げに話していたのだと思う。

    ケニアへ行き、貧困の現場を見たこと。アジア学院で、さまざまな国の人たちと一緒に暮らしたこと。

    すると友人が言った。

    「Nobb、お前は彼らの何を知っているというんだ? 浅いよ。」

    すぐには言葉が出なかった。

    単純に腹が立った、というだけではなかったと思う。

    僕はもう学生ではなかった。社会人として何年も映像制作を通して情報を扱い、国内外の現場へ行き、人に会い、自分なりに「知ろう」としてきた。

    だからこそ、その一言は厄介だった。

    僕が積み重ねてきた経験の量ではなく、「そもそも、経験したことを理由に他人を分かったと思っていいのか」と、もっと根本的なところを突かれた気がした。

    簡単には反論できなかった。

    振り返れば、僕が語っていた物語の中心には、いつも自分がいた。

    ケニアへ行き、貧困の現場を見て、人々と暮らした。そこで何を学び、自分がどう変わったのか。

    語っていたのは、結局ほとんど「僕の経験」だった。

    もちろん、経験することが悪いわけではない。現場へ行くことにも、本を読むことにも、人と暮らすことにも意味がある。

    問題は、その経験を手に入れたことで、「相手を理解した」と思ってしまうことだった。

    僕は何度も、世界を自分の成長物語の中へ入れていたのかもしれない。

    あの友人の言葉は、「もっと経験しろ」でも「もっと勉強しろ」でもなかった。

    なぜ、お前は彼らを知ったと思えるんだ?

    僕には、そう問われた気がした。

    この問いは、20年以上たった今も終わっていない。

    そして2030年の先、Beyond SDGsという言葉が語られ始めた今、僕にはこの個人的な問いが、世界規模の問いと重なって見える。

    SDGsは、「誰一人取り残さない」と世界に約束した。

    でも、誰かを取り残さないためには、まずその人を「分かった」ことにしなければならないのだろうか。

    ここから先、17色の地図の外側へ出てみたい。

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    第5章 「分かった」という壁

    友人に「浅いよ」と言われてから、20年以上が過ぎた。

    その間に、世界は驚くほど「見える」ようになった。

    本や新聞、写真、テレビから、インターネット、SNS、そして生成AIへ。

    人類は、遠くにある世界を「分かる形」へ変える技術を発達させてきた。

    それ自体は、間違いなく進歩だった。

    僕自身、映像や写真を仕事にしてきた。見えなかったものを見えるようにすることで、社会が動くこともある。

    だから、「見えるようにすることなんて無意味だ」とはまったく思わない。

    問題は、見えた瞬間に「分かった」と思ってしまうことだ。

    スマートフォンの画面に、戦争で傷ついた子どもの写真が流れてくる。

    胸を痛め、「かわいそうだ」と思う。

    数秒後には、次の投稿へ指を滑らせる。

    僕たちは何を知ったのだろう。

    顔も、国も、数字も知った。

    それで、その人を知ったと言えるのだろうか。

    見ることと、理解することと、その人に責任を持つことは同じなのだろうか。

    写真や映像を仕事にしてきた僕にとって、この問いは少し痛い。

    批評家スーザン・ソンタグは『他者の苦痛へのまなざし』で、戦争や残虐行為の写真を見るという行為を問い直した。

    他者の苦痛を見ることは大切だ。

    けれど、見ることがそのまま理解や行動につながるわけではない。その間には距離がある。

    そして哲学者エマニュエル・レヴィナスの他者論を、今の僕なりに引き寄せて読むと、さらに厄介な問いが残る。

    他者は、こちらの知識の中に完全には収まりきらない。

    相手をすべて理解してから責任が始まるのではなく、理解しきれない相手を前にしたところから、むしろ倫理が始まる。

    僕には、この考え方が20年前の「浅いよ」と重なって見える。

    あの頃は、もっと知ればいいと思っていた。

    本で足りなければ現場へ行き、見るだけで足りなければ一緒に暮らす。

    でも今は少し違う。

    知識や経験の量が足りなかったことだけが、問題だったのではない。

    相手を、「いつか完全に分かる存在」だと思っていたこと自体が、間違っていたのかもしれない。

    他人には、こちらがどうしても理解できない部分が残る。

    その分からなさまで、無理に自分の言葉へ翻訳する必要はないのかもしれない。

    考えてみれば、SDGsも世界を「分かる形」にした巨大な編集装置だった。

    17のゴール。
    169のターゲット。
    数字や指標。

    それらがあったから、見えたものがある。

    だから、地図を捨てる必要はない。

    ただ、地図の解像度をどれだけ上げても、土地そのものにはならない。

    AIがどれほど賢くなっても、その人の人生を生きることはできない。

    僕たち人間だって同じだ。

    世界を「表すこと」、世界を「理解すること」、世界と「関係を持つこと」。

    それらは別のことなのだと思う。

    では、完全には理解できない相手と、それでも関係を持つことはできるのだろうか。

    もしかするとSDGsの次に必要なのは、さらに精密な「世界の説明」ではなく、分からない相手とも関係を切らないための方法なのかもしれない。

    ただ、ここでもう一つ疑わなければならない。

    関係を持てば、それでいいのだろうか。

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    第6章 17色が古びたあと、世界が狭くなる

    「他人のことなんて、本当には分からない。」

    この言葉には、二つの使い方があると思う。

    一つは、「だから、自分の理解を押しつけないようにしよう」という謙虚さ。

    もう一つは、「だったら、自分には関係ない」という撤退だ。

    この二つは、まったく違う。

    そして2026年の世界を見ていると、僕は少し不安になる。

    「遠くの誰かより、まず自分たちを」という声が強くなっているように見えるからだ。

    ただ、それを簡単に「冷たい」と批判したくない。

    自分の生活が苦しい。将来が不安だ。

    税金が何に使われているのか納得できない。

    国際機関や政治家、大企業を信用できない。

    そんな人へ、「世界のためにもっと負担してください」と言うだけでは届かない。

    「自分の国を優先したい」「自分の地域を守りたい」という感情そのものを、悪だとも思わない。

    少なくとも、そう感じること自体は人として自然だと思う。

    問題は、誰までを「自分たち」と呼ぶのか。

    その円が、どこまで小さくなるのかだ。

    実際、国際社会が途上国などへ向ける公的援助は大きく減っている。

    2025年、OECDの開発援助委員会(DAC)加盟国などによるODAは、前年から23.1%減った。

    記録上最大の落ち込みだった。

    ただし、SDGsが何も生み出さなかったわけでもない。

    国連によると、この10年で、安全な水、電力、医療、デジタル接続などを利用できる人は大きく増えた。

    一方で世界全体の進展はまだ十分ではない。

    戦争、気候変動、債務、経済停滞、国際援助の減少が、その歩みを押し戻している。

    つまり、17色は無意味だったわけではない。

    でも、17色だけでは足りなかった。

    ここに奇妙なねじれがある。

    世界の問題は、ますますつながっている。

    食料やエネルギー、気候変動、感染症、戦争、経済は、どれも国境を越えて影響し合う。

    一つの国だけで閉じることのできる問題は少ない。

    なのに、僕たちが責任を感じる範囲の方は狭くなろうとしている。

    17色の地図には、欠点がたくさんあった。

    でも一つ、大きな仕事をした。

    遠くにいる知らない人まで、「同じ一枚の地図の中にいる」と描いたことだ。

    だが、その地図が古びたあと、地図そのものまで丸めて捨ててしまえば、何が残るのだろう。

    自分の国や地域、家族、そして自分。

    もちろん、全部大切だ。

    でも、分からないことと、関係がないことは同じではない。

    だからといって、「もっと世界とつながろう」と叫べばいいのだろうか。

    つながりは、いつも善なのか。

    「対話しましょう」と言われた人には、対話しない自由があるだろうか。

    「一緒につくりましょう」と言われた人には、参加しない自由があるだろうか。

    「ともに生きよう」という美しい言葉を、誰が決めているのだろう。

    「ともに」という言葉ほど、断りにくい言葉もない。

    そして僕は2025年、大阪・関西万博で、その問いを身体で考えることになった。

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    第7章 「ともに」を、誰が決めるのか〜大阪・関西万博が残した希望、その先へ

    大阪・関西万博が閉幕して、約10か月が過ぎた。

    万博のパビリオンについて書くには、少し遅いのかもしれない。

    でも僕は、むしろ今だから書けることがあると思っている。

    体験した直後には「感動した」としか言えなかったものが、時間がたつと別の形で残り始める。

    万博の会期中より、今の方がその意味を考えている。

    特に二つのパビリオンについてだ。

    一つは、映画監督・河瀨直美さんの「Dialogue Theater – いのちのあかし –」。

    僕は以前から、河瀨さんの映画を、観客に簡単な「答え」を渡さず、分からないものを分からないまま残す作品として観てきた。

    今回のパビリオンでも、その姿勢がそのまま空間になっているように感じた。

    僕が入った回には、およそ150人の観客がいた。

    その中から一人が選ばれ、巨大なスクリーンの向こうにいる初対面の「対話者」と、台本のない対話を始める。

    残った僕たちは、それを静かに目撃する。

    話しているのは二人だけで、僕たちは対話に参加していない。

    スクリーンの向こうの人は、その場所にさえいない。

    それなのに、気づけば僕も、二人の対話の「外側」にいる感じがしなくなっていた。

    対話していないはずの僕たちまで、その関係の中へ巻き込まれていた。

    そして気づくと、僕の目から涙が流れていた。

    なぜ泣いているのか、自分でもすぐには分からなかった。

    たぶん僕の心を刺したのは、「あの対話は、人生で二度と同じ形では生まれない」ということだった。

    映画なら、同じ場面を何度でも再生できる。

    僕自身、長く映像をつくってきた。撮り直すことも、編集することもできる。

    でも、あの対話は違った。

    その瞬間に生まれ、その瞬間に消えていった。

    パビリオンはもうない。
    でも、あの対話は終わっていない。
    少なくとも、僕の中では。

    今も小さな棘のように刺さり続けている。

    あれは共感だったのか。

    関係だったのか。

    それとも、そのどちらとも少し違う何かだったのか。

    もう一つ、身体に強く残ったのが、宮田裕章教授の「Better Co-Being」だった。

    天井も壁もなく、「静けさの森」と境界を閉じない設計であることは事前に知っていた。

    でも、「知っている」ことと、そこへ身体を置くことは違った。

    静けさの森からパビリオンへ入ったとき、身体の感覚が少し変わった。

    「世界 > 日本 > 万博会場 > 静けさの森 > パビリオン」

    本来なら、そんな入れ子の構造のはずなのに、その境界が身体の中で曖昧になっていった。

    空の色は刻々と変わり、光と風が通り抜ける。

    アートの色彩や音、振動、触覚が同時に身体へ入ってくる。

    周囲には、名前も知らない完全な他者がいる。

    それなのに、他者のまま、不思議な連帯感に包まれていた。

    「一体になった」のではない。

    違う人間のままなのに、何かが響き合っている。

    味覚は関係ないはずなのに、「五感」という言葉では足りないほど、全身で他者や地球と共振している感覚があった。

    河瀨さんは「対話」によって。

    宮田教授は「共鳴」によって。

    方法は違う。

    それでも僕には、二つのパビリオンが同じ方向を向いているように思えた。

    他者を、自分が理解できる枠へ引き寄せるのではない。

    自分自身が、他者との関係の中へ置かれてしまうこと。

    だったら答えは、「理解」ではなく「関係」なのではないか。

    でも同時に、「関係」が答え、では安易すぎないかとも考えていた。

    僕は以前から、自分でも存在に気づいていない認識の境界を「無意識の壁」と呼んできた。

    そして最近、もっと厄介なことを考えるようになった。

    その壁は、偏見や敵意の中だけでなく、善意の中にも生まれるのではないか。

    理解したい。助けたい。つながりたい。ともに生きたい。

    むしろ善意だからこそ、壁は見えにくい。

    そんな中、2026年7月、宮田教授がBetter Co-beingについて長大な論考を発表した。

    そこには、僕が別の場所から考えていたものと、かなり近い問いがあった。

    「関係」は、それだけで善いものではない。

    「ともに」「包摂」「共創」という善意の中でも、相手の拒絶や沈黙を、こちら側の物語へ取り込んでしまうことがある。

    だから、拒めること。離れられること。必要なら関係を止め、問い直せること。

    そうした余地まで残しておく必要がある。

    僕はその考えに、ほとんど異論がなかった。

    興味深かったのは、同じ時代に、違う場所から、似た問いへたどり着いている人がいたことだった。

    時代そのものが、複数の場所で似た問いを芽生えさせることもあるのかもしれない。

    でも、そこで思考を止めたくはなかった。

    「関係」さえ疑った、その先は何なのか。

    僕はいま、その問いを「アート思考2.0」として考え始めている。

    答えだけではなく、それをつくった自分の位置まで疑う。

    善いと思っている関係の中に、まだ見えていない「無意識の壁」がないかを問い続ける。

    その先を考えていたとき、なぜか僕の頭は20年以上前の渋谷のバーへ戻っていた。

    あの友人の「浅いよ」が、以前とは違う意味で聞こえてきた。

    今の僕には、あの一言がこう続いているように聞こえる。

    「もっと深く理解しろ」だけではない。

    「なぜ、お前が、その関係の意味まで決めているんだ?」

    そして僕は、大屋根リングを思い出した。

    「多様でありながら、ひとつ」。

    僕はあの景色が好きだった。

    でも今なら、その「ひとつ」にも問いを置く。

    輪に入らない自由はあるか。

    途中で外へ出る自由はあるか。

    輪そのものを変える自由はあるか。

    次の世界に必要なのは、もっと大きな輪ではないのかもしれない。

    出口のある輪。

    違ったまま中にいられ、必要なら外へ出られる。

    大阪・関西万博で僕が見つけた希望は、全員が一つになることではなかった。

    違ったまま、それでも同じ空の下にいられることだった。

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    最終章 次の17色をつくる前に〜横浜花博「GREEN×EXPO 2027」とBeyond SDGsへ

    SDGsの期限は2030年だ。

    その先をどうするのかという議論は、すでに始まっている。

    日本でも2026年7月、第3回ビヨンドSDGs官民会議が開かれ、2030年以降にどんな社会を目指すのか、そのための新しい枠組みが議論されている。

    問われているのは、単純に「18番目の目標」を追加することではない。

    まだ、次の形は決まっていない。

    だからこそ今は、次の目標を急いで固定するより、SDGsが何を残し、何を取りこぼしたのかを問い直す大切な時間なのだと思う。

    その先を考えるうえで、僕が楽しみにしている場所がある。

    2027年、横浜で開かれるGREEN×EXPO 2027だ。

    そこには印象的な言葉が掲げられている。

    「地球を」ではなく、「地球と」。

    たった一文字だ。

    でも僕には、この「と」がとても大きく見える。

    人と地球が上下ではなく、フラットな目線で向き合う。

    「地球を守る」なら、人間が主体で、地球は対象になる。

    でも、「地球と生きる」なら、人間自身も関係の中へ戻される。

    僕はここ数年、ウクライナ支援に関わる立場から「アースデイ」にも参加してきた。

    戦争も、気候危機も、貧困も、人間だけを世界から切り離して考えることはできない。

    だから、「地球を」ではなく「地球と」という言葉に強く惹かれた。

    2027年、横浜でその「と」がどんな風景になるのか。

    僕は自分の目で確かめてみたい。

    そしてGREEN×EXPO 2027には、もう一つ、この記事を書いてきた僕には象徴的に見えるものがある。

    一つの建築が、三度目の人生を迎える。

    2020年ドバイ万博の日本館から、2025年大阪・関西万博のウーマンズ パビリオンへ受け継がれた構造が、2027年には横浜で、もう一度使われる。

    いわば、国際博覧会を渡り歩く「三度目の人生」だ。

    僕は、この話が好きだ。

    Beyond SDGsも、そんなふうに考えられないだろうか。

    古びたから全部捨てる。

    正しかったから、そのまま残す。

    その二択ではない。

    一度、ほどいてみる。

    残すべきものは残し、役割を終えたものは外す。

    そして、次の世代に続きを委ねる。

    17色は、世界を見えるようにした。

    でも、見えること、分かること、関係すること、そしてよい関係を結ぶことは、同じではなかった。

    だとすれば、次の地図に必要なのは、もっと正しい18番目の色ではないのかもしれない。

    描き直せる余白。

    その地図に入らない自由。

    必要なら外へ出られる出口。

    そして、地図を描いた人間自身が、「この地図は間違っているかもしれない」と言えること。

    完成した「正しい未来」を渡すのではなく、次の世代自身が問い直せる余地を残す。

    その方が、僕には誠実に思える。

    そして、ここでもう一つ疑っておきたい。

    僕自身が「アート思考2.0」と呼ぼうとしている、この考えそのものだ。

    それは、当たり前や正解だけでなく、自分が立てた問い、その問いを立てている自分の位置、そして善いと思っている関係まで問い返そうとするものだ。

    ただ、名前をつけた瞬間、思考は伝わりやすくなる一方で、新しい枠も生まれる。

    その枠が、いつか新しい「無意識の壁」になるかもしれない。

    だから、この考え自体も例外にはしたくない。

    問い返されていい。

    必要なら、壊されてもいい。

    そうでなければ、「正解を疑うための思考」が、いつの間にか新しい正解になってしまう。

    20年ほど前、僕は世界を知ろうとしていた。

    本を読み、海外へ出て、貧困の現場へ行き、人々と一緒に暮らした。

    そして、少しは彼らを分かるようになったと思った。

    あれから20年以上が過ぎた。

    それでも僕は、他人の人生を完全には知らない。

    たぶん、これからも知らない。

    でも今は、それを以前ほど怖いとは思わない。

    分からないから、相手を自分の物語へ押し込まない。

    分からないから、相手が「違う」と言える場所を残す。

    分からないから、自分がつくった地図そのものを描き直せるようにしておく。

    僕が自分の経験をどう意味づけるかは、僕の自由なのだと思う。

    でも、それを「彼らとの関係の真実」と呼ぶ権利まで、僕にあるわけではない。

    僕たちに必要なのは、答えを持たないことではない。

    答えをつくりながら、その答えを壊せる場所を残しておくことなのかもしれない。

    17色の地図。

    出口のある輪。

    三度生まれ変わる建築。

    どれも、完成していないからこそ、次へ行ける。

    だから、次の17色をつくる前に、僕はもう一度、あの言葉を自分自身へ向けて置いておきたい。

    「Nobb、お前は彼らの何を知っているというんだ? 浅いよ。」

    ───

    AIやアート、社会について、実際に見て、つくって、関わるなかで生まれた違和感を書いています。

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