
美しく生命を磨くとは、何もしないこと
〜 計算を捨て、純粋な衝動で生きる 〜
何もしないって、どういうこと???
誰でも不思議に思う言葉から始まりました。
例えば、表現することは素晴らしいことなんですよ。
けれど、そこに色んな打算が入っていないのです。
「いいねを増やすなら、こうしたほうがいいかな」
「この改行じゃ、読みにくいかな」とか、
そういう迷いや他人軸が、いっさい入っていないことを言っています。
ただ、書きたいから書く。
吐き出したいから吐く。
誰かに認めてもらう必要などない。
好きだから書く。
そういう、純粋に「書きたい」という衝動だけで動かされている瞬間の、熱い何かだけのことです。
AI時代に心を動かす「生身の体温」
ぶっちゃけ、文章などもうAIで何とでも作れるものなのです。
けれど、そこに人の体温が入っているか、入っていないかは、一発で見抜ける時代にもなってきたのです。
誰かの文章を読んでいて惹かれるときって、どんなときですか?
書いた本人が生身で経験した「実在」だと思うのです。
綺麗に書こうとか、紡ごうとかまったくしていない、
純粋に魂から湧き出ちゃったというのが分かるぐらいの、尊くて美しいものなのです。
それが例え毒づいていても、重いものでも、心が抉られるものでも、そういう泥臭い温度感のあるものに、人は吸い寄せられていくものなのです。
泥臭さから飛び立つ不死鳥
まだ誰も見ていない、奥の奥のほうにあったパッションが地上に上がってきたとき、不死鳥のように美しく舞い上がり、飛び立つものがあるのです。
経験という時間にはそれだけ価値があって、何者にも変えられないということ。
それに何も手を付け加えず、出した瞬間がいちばん眩しくて、いちばん目が痛いほど眩しいものなのです。
だから誰かの評価など気にせず、ただただ気づいたことや、経験してきたことをそのまま出すだけでいいのです。
あとは、素敵な誰かがきっとそれを調理して、美味しくしてくれるでしょう。
そんな美味しそうなものを、誰も放っておくわけがないのですから。
だから今日も、ここで生きているだけでいいんです。