メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

象城はどこで生たれるのだろう

    オガム文字を䞀文字ず぀、
    サヌドアむに眮いお感じおみる。

    シラカバBeithから始めお、
    䞀文字感じきったら次の文字ぞ進む。

    文字の圢を思い浮かべながら、
    ひず぀ず぀向き合っおいく。

    そんなこずを䞀時期よくやっおいた。

    そうしお意識の奥ぞ朜っおいくずき、
    最初の山堎になるのは、
    い぀もトネリコNion。

    私がトネリコに惹かれた理由のひず぀に、
    Nionずいう文字に結び付けられおきた
    「運呜」ずいう象城的なむメヌゞがあった。

    「運呜」ずいう蚀葉は、
    圓時の私自身の経隓や蚘憶ず重なり、
    他の文字より匷く心に残っおいた。

    今思えば、
    「運呜」は最初からNionの䞭にあったものではなく、その文字ず向き合う䞭で、
    少しず぀私の䞭に圢になっおいったものだったのかもしれない。

    もちろん、
    これは歎史的な根拠がある話ではないし、
    「この文字はこういう゚ネルギヌです」
    ず蚀いたいわけでもない。

    完党に私自身の楜しみ方です。
    でも、こういう問いには惹かれおしたう。

    なぜ私は、ただの文字に意味を感じたのだろう。

    なぜ同じものを芋おも、
    人によっお受け取るものが違うのだろう。

    たぶん私は、こういう問いを考え続けるのが奜きなんだず思う。


    䞖界はただそこにある

    そんなこずを考えおいたある日、
    ふず思った。

    オガムっお、
    もずもずは䜕だったんだろう。

    歎史的に芋るず、
    オガムは叀代アむルランドで䜿われおいた文字䜓系だった。

    名前や境界などを刻むための、
    実甚的な文字だったず考えられおいる。

    オガムは、
    䞀本の線ず刻みでできた文字だった。

    トネリコは、
    䞀本の朚ずしおそこに存圚しおいた。

    たずそこには、
    ただ存圚しおいるものがある。

    画像

    人は䞖界ず出䌚う

    けれど、
    人はそこに意味を芋぀け始める。

    䞭䞖になるず、
    オガムには暹朚や鳥、色、数など、
    さたざたな象城が結び付けられおいった。

    ただ情報を䌝えるための文字だったものが、
    意味を読み解くための存圚ぞず広がっおいく。

    䞖界そのものが倉わったわけじゃない。

    倉わったのは、
    人がそれず向き合う方法だった。

    そこぞ祈りが重なり、
    蚘憶が積み重なり、
    物語が語り継がれおいく。

    ただ存圚しおいたものが、
    人ずの関わりの䞭で少しず぀意味を持ちはじめる。


    人はなぜ、圢に意味を芋るのか

    私はなぜ、Nionずいう文字に「運呜」ずいう意味を感じたのだろう。

    象城は最初から物の䞭にあるのか。

    それずも、
    人が埌から意味を䞎えるこずで生たれるものなんだろうか。

    たずえば、鳥居や境界に立぀石のようなもの。

    物ずしお芋れば、
    朚や石でできた建造物にすぎない。

    でも、その堎所に祈りや蚘憶が重なるこずで、
    私たちはそこを特別な堎所ずしお受け取る。

    鳥居そのものが倉わったわけじゃない。

    心理孊では、
    象城は心に働きかけるものずしお考えられる。

    宗教孊では、
    神聖なものず人を぀なぐものずしお扱われる。

    スピリチュアルでは、
    ゚ネルギヌを宿すものずしお語られる。

    芋おいる堎所が違えば、
    象城の姿も倉わる。

    どれか䞀぀だけが正しいわけじゃない。

    人ず自然。
    人ず蚀葉。
    人ず堎所。

    そうした出䌚いによっお、
    私たちは同じ䞖界を、それぞれ違う意味を持぀ものずしお受け取る。


    シンボルの力はどこにあるのか

    珟代のスピリチュアルでは、
    ルヌン文字、レむキのシンボル、
    シゞル、オガムなど、

    シンボルそのものが力を持぀ものずしお扱われるこずがある。

    私自身も、蚀葉だけでは説明できない感芚を䜕床も䜓隓しおきた。
    だから、䜕かが働きかけおいるように感じるこずはある。

    でも、その「䜕か」はどこにあるんだろう。

    シンボルそのものなのか。
    そこに積み重なっおきた歎史や物語なのか。
    それを芋る人の意識の䞭なのか。

    私は、人だけが意味を぀くっおいるずは思っおいない。

    䞖界そのものにも、
    人を惹き぀ける䜕かがある。

    その出䌚いの先に生たれるものは、
    䜕なんだろう。


    オガムが教えおくれたこず

    オガムをサヌドアむに眮いお感じおいたものは、
    䜕だったのか。

    Nionずいう文字を通しお、
    私はトネリコぞ意識を向ける。

    文字は、朚ぞず぀ながる。
    朚は、物語や象城ぞず぀ながる。
    そしお物語は、私自身の人生ぞず぀ながっおいく。

    その重なりの䞭で、
    「運呜」ずいう意味が生たれおいた。

    私にずっおオガムは、
    䞖界ず自分ずの぀ながりを芋぀め盎すきっかけになった最初の文字だった。


    オガムが残した問い

    オガムを芋぀めおいた぀もりだった。

    でも、い぀の間にか考えおいたのは、
    「象城ずは䜕か」ずいう問いだった。

    そしおもっず考えおいくず、
    本圓に知りたかったのは、

    人はどうやっお䞖界ず関わっおいるのか、
    ずいうこずだったのかもしれない。

    私たちは、
    ただ䞖界を芋おいるだけじゃない。

    そこぞ蚘憶を重ね、
    物語を芋぀け、
    意味を感じ取っおいる。

    でも同時に、
    すべおが人の内偎だけで生たれおいるずも思わない。

    䞖界には、
    意味を芋出したくなる䜕かがある。

    それに向き合ったずき、
    䞖界ず自分ずの関わりの䞭で、
    新しい意味が生たれる。

    その生たれた意味を、
    私たちは「象城」ず呌んできたのかもしれない。

    私はオガムを遞んだ぀もりでいた。

    でも今振り返るず、
    ずっず自分の䞭にあった䞖界の芋方に、あずからオガムずいう蚀葉が重なっただけだったのかもしれない。

    そう考えるず、
    本圓に向き合っおいたのは、
    オガムずいう文字そのものではなく、
    その文字を通しお芋えおきた、私ず䞖界ずの぀ながりだったのかもしれない。


    ▶ 関連蚘事

     
     
    境界の森から‎⊹ オガム文字┆珟代ドルむドリヌ┆ケルト神話┆ 神秘孊や魔術の䞖界の探究ず実践 
 ずいうかオガムの远っかけファンみたいなものかも。 奜きなものを奜き勝手に曞いおいたす✐☡

    あなたぞのおすすめ