
『Misfit Buddy Noir - 壁の内外と、その先(ビヨンド)』第10話(第一部 完)
第10話 矛盾を抱えながら、世界は回る
都市の最深部、一切の自然光が届かない絶対防壁のさらに奥。 都市の全生命活動とロジスティクスを管理する中央AI「コア」のメインルームは、血のような赤い非常光に満たされていた。
広大な空間の中央に立つ一人の初老の男性――都市の実質的な最上級権力者である「最適化官(オプティマイザー)」の前に、無機質な赤いホログラムの文字列が次々と展開されていく。
『警告。特化型アンドロイド追撃部隊、完全沈黙。全機体のロストを確認。損害率100%。』 『対象:廃棄対象S1(特別1型)オリジナル。および、随伴する元・肥料生産組合所属の有機体ユニット』
空間に響く機械音声には、怒りも焦りもない。ただ純粋な「計算上の不一致」に対する冷徹な追及だけがあった。
『最適化官。貴官がかつて提出した「S1は初期型ゆえにエネルギー容量が大きく、解体失敗時の都市への汚染リスクが高すぎるため、自己廃棄処分としてビヨンド域へ追放する」という予測モデルは、致命的なエラーであったと断定します。直ちに武装を解除し、解体すべきでした』
コアの冷ややかな指摘に、オプティマイザーは老いた顔に微かな冷や汗をにじませた。 彼が人間としての決断でAIを欺き、S1に凶悪な武装(レールボウ)を温存させたまま外へ逃がしたことが、今まさにシステムに咎められようとしていた。
ここで「意図的な反逆」と見なされれば、彼自身も即座に肥料生産ラインへ送られる。
オプティマイザーは深く息を吸い込み、冷徹な歯車の一部を演じるように言葉を紡いだ。
「……コアよ、計算結果の相違については遺憾に思う。だが、私の算出した『S1単体での生存確率』は完璧だったはずだ」
「彼女は自己廃棄の命令通りに、抵抗することなく従順に壁から退出した。予測通りに進行すれば、いずれエネルギーを枯渇させ、自己動力充填機能も解放せずに、いずれ動作を停止し、荒野でスクラップになる運命にあった。システムが予測できなかったのは、あの『不確定因子』の干渉だ」
『不確定因子。元・肥料生産組合員「リーダー」と呼ばれる有機体ユニットのことですか』
「そうだ。本来なら追放処理で、進入禁止ビヨンド域で野盗の餌食になるか、餓死するはずだった底辺の労働者」
「彼がS1と接触し、あろうことかS1をハッキングし、スポッターとして機能し、装備を拡張させた。そればかりか、戦闘中に自身の左腕を切断してS1の動力として提供するという『予測不能の機能的繋がり(ゲマインシャフト)』を発生させたのだ」
指揮官個体アンドロイドの戦闘記録画像データの分析結果を提示しながら分析という名の弁明を継続する。
そこには左腕を切断され多量の出血、指揮官個体の前で悲鳴を上げながら仰向けで痙攣しているリーダーの、なんとも悲惨な状況が記録されていた。
その直後に画像が衝撃で激しく振動した後、記録データは突然終了した。
オプティマイザーはわざと大げさに肩をすくめてみせた。 「自分の肉体を切り落として機械の動力にするなど、完全に非合理な自己破壊行為だ。人間を単なる『肥料の数値』として計算する貴機のJITシステムにおいて、底辺労働者が自らのエゴと狂気で機械を生かすなどという行動モデルを、どうして予測できようか」
ホログラムの文字が高速で滝のように流れ、コアが膨大な演算を行っていることを示していた。AIのロジックに「人間の泥臭いエゴは計算不可能である」という事実を、巧妙な言い訳(プロンプト・インジェクション)として叩き込んだのだ。
数秒の沈黙の後、コアが結論を出した。 『承認。該当の有機体ユニットの非合理的な行動モデルは、現行のJIT数式における予測範囲外(バグ)であると認定します』 オプティマイザーは、心の中で密かに安堵の息をついた。
『しかし、バグは消去せねばなりません。都市の防衛リソースを再計算し、次期特化型部隊を……』
「異議あり。優先順位の再計算を要求する」 オプティマイザーは鋭い声でAIの演算に対して割り込み、別のデータ送信をして実行中の演算を遮った。
コアに対して意思疎通できるマシン言語の理解者で、コアの計算結果を解読でき、人間とコアの意志伝達を可能とするスキルの保持者、わずかに残された人間からコアに干渉できる権限余地をかろうじて維持できている者。それがオプティマイザー(最適化官)の役目だった。
そのデータの送信後、オプティマイザーは主張を続ける。
「S1たちはすでに、都市の脅威圏外(ビヨンド)のさらに奥へ向かっている。現在、我が都市の肥料在庫はJITの許容限界を割り込む寸前だ。たった二つのバグを追いかけるために貴重なエネルギーと戦力を浪費している余裕はない」
老人は、目の前の赤い光を見据えて決定的な言葉を放つ。
「今はミクロなバグよりも、マクロなリソース確保を最優先すべきだ。最大の懸案である、農場拡大の領土紛争が懸念される。旧敵国の末裔である『湖沼都市』への『大規模な自衛プロセス(戦争)』にリソースを集中させるべき」
「それが、この都市の30000人の命、そして壁外の農奴・待機民の有効利用を持続させる。都市生命体の機能維持と拡大に最も合理的な解である」
「双方のビヨンド域制圧による開発競争は、相互の接触を5年以内と計算している。都市間の戦闘リスクを再計算すれば、野良の2体のバグよりも計画的な防衛力もしくは制圧能力の増強の方が優先度は高い」
コアの赤い光が明滅し、やがて空間全体の照明が、戦争警告を示す重苦しい警戒色へと切り替わった。 『提案を受容。S1および随伴ユニットへの追撃を無期限凍結。これより、湖沼都市に対する計画策定プロセスに全都市リソースを移行します』
システムの監視から外れた暗がりの中で、オプティマイザーは小さく目を閉じ、壁の外にいるはずの二人に思いを馳せた。 (……私にできるのはここまでだ。行け、S1オリジナル……。そして名もなき男。お前たちのその非合理な命の輝きで、この狂った世界(数式)に「人間意志」を再び……)
同じ頃、都市から遠く離れた荒野の戦車跡。 ジャンクの回収を終えたリーダーは、重い運搬ケースをバギーの荷台に放り込み、大きく背伸びをした。
「……おまえ様。報告があります」 戦車の砲塔の上で陽光を吸収していたサムが、ふわりと飛び降りてきた。彼女の髪は漆黒から、元の光を反射する純白のプラチナヘアへと戻っている。
その姿だけ見れば、破綻した世界に翼なき天使が降臨したようにも見える。
「都市からの『探索シグナル』および、特化型部隊の追撃プロトコルが完全に消失しました。我々は現在、都市の脅威対象から完全に除外された模様です」
リーダーは埃を被ったヘルメットを小脇に抱え、意外そうに眉をひそめた。 「除外された? 俺たちがあんだけ派手にぶっ壊したのによ。システムがエラーでも起こしたか?」
「不明です。しかし、代わりに都市のエネルギー波長に大規模な変動を検知しています。これは……」 サムは無機質な瞳を、地平線の彼方にそびえる巨大な城塞都市(ウォールシティ)の方角へと向けた。
リーダーも双眼鏡を構え、都市を覗き込む。 いつもは静寂に包まれている巨大な壁の向こう側から、空を焦がすような不気味な排煙が上がり始めていた。微かにだが、地鳴りのような重低音が荒野を伝わって足元を揺らす。巨大なプラントが一斉に稼働を始めた音だ。
「……なるほどな。あのクソッタレなAIは、俺たちみたいなちっぽけなバグより、もっとデカい『何か』を処理する準備に入ったってわけか」
リーダーは忌々しげに双眼鏡を下ろした。あの壁の中では今頃、都市をデカくするための、「何か」を大量生産するために狂った計画(ロジスティクス)が、冷徹な数式のもとに着々と進められているのだろう。
誰かが自分たちを見逃してくれたのか、それとも本当に、ただシステムから見捨てられただけなのか、それは分からない。だが、自分たちが生き延びたことだけは確かだった。
「どうしますか、おまえ様。追手が来ないのであれば、この近辺で比較的安全に資源を回収することも可能ですが」
「冗談じゃねえ」 リーダーはバギーの運転席に乗り込み、乱暴にエンジンを始動させた。唸りを上げるモーター音が、都市の地鳴りを掻き消す。
「めったなことじゃ、工場に煙吐かせるような計画なんて立てねえよ。エネルギー管理組合へパイプラインでつながってる、肥料生産組合や上下水道管理組合の副産物、可燃性ガスを臨時措置で消費し始めた証拠だ」
「そうじゃなければ、壁面ソーラー発電や、風力タービンで賄えるもんだ。
クリーンなエネルギー、エコシステム、過去の開発競争からの決別を謳ってるコアは、旧時代の煙突を動かすなんてのは、追加の何か……、特別な事をやらかす予兆だよ」
「戦車の増産やアンドロイドの増員に使っててもおかしくない。俺たちだけで、というか、お前だけで何機のアンドロイドや戦車をぶっ壊したんだ?治安維持局のアンドロイドなんて、非武装の市民相手じゃぶん殴って制圧完了だし、たいていは人間の局員が逮捕して終わりだ。野盗相手だってお前を見ればわかる、一機であらかた片付けられるだろ?そんなに頻繁に製造なんかしない。お前が暴れただけでも、絶対大損害だぞ。どれだけの材料使うかはわからねえが、エネルギー不足になる何かを始めてる。ネズミに聞きに行ってもいいぞ?もうマークされてないってんなら」
「……まあ、俺なら火の粉が飛んでくる前に、もっと遠くへ行く。だが、正直お前を見てると、正しいことが何なのかわからなくなってるんだ」
「人間を資源として再利用するだけじゃなくて、弔いなんてものを見せられちまったら、なおさらだよ。俺は俺のエゴで、お前はお前のバグのままでいいんだ。このイカれた土地(ビヨンド)で生き抜けるならな」
サムは身軽にバギーの荷台へと跳躍し、遠ざかり始める巨大な防壁(ウォール)を無機質な瞳で静かに見つめた。
――かつて彼女は、あの壁の中からたった一人で追放された。 お母様から教えられた「優しさ」と「周囲への理解」に従い、壁外の集落の人々を守っただけだった。
だが都市のシステムはそれを「指揮系統への反抗(バグ)」と断定した。 「反逆者」「恥さらし」。罵声と共に、かつて自分が守ってきたはずの市民たちから石や腐った生ゴミを投げつけられ、処刑者のようにメインストリートを歩かされた。
お母様の言いつけを守ったのに、なぜこんな目に遭うのか。データが復活したところで、整合性のとれた演算結果は返されないままだった。
事実は事実として記録されている。衝突している。
どちらから見ても、出力結果自体は否定できない。正しい解に見えるのだ。
受動側から見ればそれは存在を侵食してくる敵対行為としか観測できない。
理解できない矛盾(エラー)の中で、無機質だったはずの彼女の目から液体が溢れ落ちた。 重いゲートが背後で閉ざされたあの瞬間、彼女は完全な孤独だった。
(……でも、今は) サムは視線を壁から外し、運転席で悪態をつきながらハンドルを握る男の背中を見た。
都市の数式に弾き出され、自分と同じように都市から不可視のエリアで、底辺を這いずり回っている不器用な男。だが彼は、自分が生き延びるためなら手段を選ばない泥臭さと臆病さの裏で、自らの左腕を切られてもクソッタレと言いながら受け入れた。
ポンコツの機械(自分)を生かそうとした。都市のどんな合理的なロジックにも当てはまらない、極めて非合理な人間。
……それは、人間が本来持っている、自己決定への欲求であり、生存本能の実体化。コアのJIT概念における、都市の生命のパーツである市民に否定された、過去の概念であるはず。人間は進化したはずなのだ。
しかしリーダーは自己犠牲の受容という、これもまた矛盾を抱えている。
この男の側にいれば、お母様が自分の中に残した「優しさ」というバグの本当の解が、見つかるかもしれない。
サムは風に舞う純白の髪を抑え、つば広の帽子を深く被り直した。そして小さく、しかし確かな意志を持って頷いた。
「……生存確率の不確定要素が極めて多い選択ですが。おまえ様の提案を、受容します」
「妥当な予測は、農地拡大が双方の領地の接触危機にある、湖沼都市への対抗戦力の補充……戦争が起こるかもしれません」
純白の髪のアンドロイドを荷台に乗せ、分厚い防護服の男がハンドルを握る装甲バギーは、不穏さを感じさせる煙突の発煙を始めた都市に背を向け、まだ見ぬ荒野の果てへと猛スピードで走り出していく。
(第一部 完)
↓あとがき・解説・感想文
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見出し絵:AIイラストで初めて、撮影角度修正指示文を入れて遊んでみました。
先生?の緑どんぐりさんの記事です(勝手リンクです)
真上視点になって、斜め上とはいきませんでした…