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Photo bymerry_whale8740

忘れたくないなあ。

    わたしは、本が好きな子供だった。特に幼稚園でもらった植物図鑑がお気に入りで、道端に咲く花のほとんどの名前を覚えていた。生まれ育った地域で見られる花の種類は少なかったけど、ほとんどの名を知っていた。おまけに虫取りも大好きで、空き地に虫取り網を担いで入っては、夢中でトンボを取って、バッタを掌に載せた。トノサマバッタとショウリョウバッタの違いだって知っていた。勉強が大好きだったので、ベートヴェンの人生もそら豆が発芽するまでの過程も、当然のように知っていた。家にある多くのものに命が宿っているような気がする程度の想像力だってあった。世界を満遍なく見渡して、その広さを想像してはときめいて、植物や生き物を解像度高く見つめていたように思う。

    今や世界が少し狭く、遠くなったように思う。成長していく過程で、知識は世界を知るためのものではなく、生きていくための道具になっていった。テストで良い点数を取ることはもちろん、好きな人の名前や礼儀作法、社会に出るためのたくさんの情報が頭の中を覆っていく。そんな脳内で、アリの行列の秘密や十二星座の名前、たんぽぽの知恵はいつの間にかこぼれ落ちていった。虫の鳴き声は聞き分けができなくなったし、カラスの羽が落ちていても縁切りをお願いしなくても大丈夫になった。自分が生きている狭い世界で充実した日々を送るために必要な情報を手にした結果、世界から少し遠ざかってしまったように思う。

    でも、覚えたことが全くの無駄になるわけではない。春先に背を伸ばすハルジオンをみたとき、アリの行列をみかけたとき、ふとあのワクワクがよみがえってくることがある。漠然と「楽しかった」という感情がこみあげてくることがある。どの日が楽しかったかはわからないけど、公園で草の匂いを嗅ぐとき、トンボがわたしを追い越すとき、「楽しかったな」と幸せになることがある。狭く、遠くなった世界で、あの頃見ていた世界の広さと近さを思い出すのだ。

    だからあの頃の私に伝えたい。「世界をたくさん知ろうとしてくれてありがとう。大人になった私の世界は、少しだけ狭くて遠くなった世界で、時々その広さを思い出して幸せな気持ちになれるんだよ。」と。


     
     

    鰆

     
     
    鰆(さわら)です。 よく食べ、よく歌い、よく喋る。 一番好きな寿司ネタはマヨコーン🌽

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