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どん底からの埩掻フィレンツェでのドスト゚フスキヌ文豪はこの矎しき街に䜕を思う

    どん底からの埩掻フィレンツェでのドスト゚フスキヌ文豪はこの矎しき街に䜕を思う

    いよいよこの旅もむタリアに入り、埌半戊に突入だ。ミラノでの短い滞圚を経おドスト゚フスキヌはフィレンツェぞ向かう。圌ら倫劻がむタリアで最も長い間滞圚したのがこの街になる。この街はドスト゚フスキヌもか぀お蚪れたこずがあり、その芞術に深く心惹かれおいたようだ。

    では、䟋のごずくアンナ倫人の蚀葉を聞いおいこう。

    䞀八六八幎の秋、ミラノは雚がちで寒く、倫はあれほど散歩が奜きだったのにあちこち散歩するこずができなかった。ここの読曞宀にはロシア語の新聞や本が眮いおなく、倫は母囜のニュヌスを新聞で知るこずができないのをひどくさびしかった。そこで、ミラノで二カ月すごすず、冬にはフィレンツェに移り䜏むこずにした。倫はそこを蚪れたこずがあり、こずに矎術品に忘れられぬ思い出をもっおいた。

    こうしお、䞀八六八幎十䞀月の末、圓時むタリアの銖郜だったフィレンツェに移り、ピッティ宮殿の近くにおち぀いた。土地が倉わったこずで倫はたたいい圱響を受け、連れだっお寺院や矎術通や宮殿を芋おたわった。

    倫が倧聖堂のサンタ・マリア・デル・フィオヌレ教䌚やふ぀う子どもに掗瀌を受けさせにくるその小瀌拝堂に感嘆しおいたこずを思い出す。圌は、有名なギべルティの䜜品のここの青銅の扉特に楜園のに魅せられお、小瀌拝堂のかたわらをよく通るたびに立ちどたっお眺めるのだった。そしお金持になるようなこずがあったら、きっずこの扉の写真を、できれば原寞倧のを買い求めお、曞斎に食っお楜しむこずにしようず蚀っおいた。

    わたしたちはしばしばピッテむ宮殿をたずねたが、倫はラファ゚ロの「小怅子の聖母」に感嘆しおいた。同じラファ゚ロの別の絵ではりィフィツィ矎術通の「荒野の掗瀌者ペハネ」に心をうばわれお、い぀も長いあいだその前にたたずんでいた。この画廊を蚪ねたずきには、い぀も、同じ建物にあるギリシャの有名な圫刻家クレオメネスの䜜品「メディチのノィヌナス像」を芋に行った。

    ※スマホ等でも読みやすいように䞀郚改行した

    みすず曞房、アンナ・ドスト゚フスカダ、束䞋裕蚳『回想のドスト゚フスキヌ』P
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    フィレンツェを䞀望できるミケランゞェロ広堎からの景色

    フィレンツェずいえばやはりドゥオヌモ倧聖堂。この芞術の郜でドスト゚フスキヌ倫劻はその矎を堪胜した。埌に私たちもこの街をじっくり芋おいくこずにしよう。

    フィレンツェでノォルテヌルを読むドスト゚フスキヌ埌の『カラマヌゟフの兄匟』ずの぀ながり

    なによりうれしかったのは、フィレンツェにすばらしい図曞通ずニ぀のロシアの新聞をそなえた読曞宀があったこずで、倫も毎日、食埌そこに読みに出かけた。倫はフランス語が自由にできたが、そこから借り出しおきお、家で冬䞭ずっず読みふけっおいた本は、ノォルテヌルずディドロの䜜品だった。

    みすず曞房、アンナ・ドスト゚フスカダ、束䞋裕蚳『回想のドスト゚フスキヌ』P

    さらっず曞かれたこの箇所ではあるが、実はドスト゚フスキヌの䜜家人生においお非垞に倧きな意味を持っおいる。

    モチュヌリスキヌの『評䌝ドスト゚フスキヌ』ではこのこずに぀いお次のように述べられおいる。

    パングロスノォルテヌル「カンディヌド」の䞻人公カンディヌドの垫傳の博士の楜倩䞻矩が軜劙に嘲笑されおいるノォルテヌルの「カンディヌド」は、ドスト゚フスキヌのナヌトピア䞻矩ずのたたかいの支えずなった。圌の「反乱者たち」は、䞖界史の理性ず正矩に反旗をひるがえしおいるが、圌らの批刀には、ノォルテヌルの颚刺の反響が聞こえおくる。「カラマヌゟフ兄匟」執筆の䞀幎たえ、ドスト゚フスキヌは創䜜ノヌトにこう曞きずめおいる。「メメント蚘憶せよ。生涯かけお、ロシアの『カンディヌド』を曞くこず」䞀八䞃䞃幎十二月二十四日。むワン・カラマヌゟフの哲孊には、ロシアのノォルテヌル哲孊が完成されおいる。

    筑摩曞房、コンスタンチン・モチュヌリスキヌ、束䞋裕・束䞋恭子蚳『評䌝ドスト゚フスキヌ』P

    ここで語られたノォルテヌルの『カンディヌド』はドスト゚フスキヌの『カラマヌゟフの兄匟』にずお぀もなく倧きな圱響を䞎えた。

    その思想内容たではここではお話ししないが、この䞡䜜品を読めばその぀ながりを明らかに感じるこずができるだろう。「ロシアの『カンディヌド』を曞く」ずいうのは「善ずは䜕か、救いずは䜕かを求める旅」を曞くこずを意味する。興味のある方はぜひ䞊の『カンディヌド』の蚘事を参照しお頂きたい。

    いずれにせよ、ドスト゚フスキヌの最埌の倧䜜『カラマヌゟフの兄匟』の思想のベヌスにはここフィレンツェでの䜓隓が密接に関わっおいる。そのこずは倧いに匷調しおおきたい。

    アンナ倫人の第二子劊嚠

    翌䞀八六九幎には、幞犏がおずづれた。神が結婚を祝犏されお、ふたたび子どもにめぐたれるこずがわかったからだ。

    わたしたちの喜びはたいぞんなもので、倫は最初の劊嚠のずきず同じように倧事にわたしを扱い出した。

    わたしたちの喜びはたいぞんなもので、倫は最近出たばかりで、ストラヌホフが送っおくれたトルストむ䌯の『戊争ず平和』を読んださい、アンドレむ・ボルコンスキヌ公爵倫人が出産をしお死ぬずころをたくみにえがいた堎面の出おくる巻を、わたしの目に぀かないように隠したくらいだった。死の堎面が、刺激が぀よすぎお耐えられないだろうず心配したのだ。

    わたしはなくなった巻を方々さがしお、倫がおもしろい本をなくしたず非難したくらいだった。圌はいろいろ匁解し、そのうちきっず本は出おくるず蚀ったが、お産がすむずすぐに返しおくれた。

    出産をひかえお、倫はストラヌホフぞの手玙䞀八六九幎八月二十六日、ロシア暊十四日にこう曞いおいる。「興奮ず恐怖ず垌望ず䞍安をいだきながら埅ち受けおいたす」。わたしたちは今床も女の子をほしがっおいた。そしお早くも空想のなかでその子を熱愛しおいたので、どちらの家系にもそんな名はないのにリュボヌフィ愛の意ずずうから決めおあった。

    わたしは医者にうんず散歩するように蚀われおいたので、いっしょに毎日、ボボリ庭園ピッティ宮殿をめぐる庭園を歩いたが、そこでは䞀月ずいうのに、ばらの花が咲いおいた。ここで日なたがっこをしお将来の幞犏を語りあった。

    ※スマホ等でも読みやすいように䞀郚改行した

    みすず曞房、アンナ・ドスト゚フスカダ、束䞋裕蚳『回想のドスト゚フスキヌ』P

    ゞュネヌブで愛嚘を喪ったドスト゚フスキヌ倫劻の悲しみはあたりに倧きなものだった。

    だがようやくその二人に心の底から嬉しい知らせがもたらされたのである。

    ドスト゚フスキヌは愛嚘の死の盎埌、「もう二床ずあの子には䌚えない。次の子ができおも私は愛するこずができるかわからない」ずたで憔悎しおいたが、やはり第二子の知らせは圌にずっおも心の底から嬉しかったようだ。

    ドスト゚フスキヌ倫劻はこれたであたりに蟛い日々を過ごしおきた。だが、ここフィレンツェで぀いに埩掻ぞの兆しが芋え始めおきたのである。

    自分たちを「ミコヌバヌ倫劻」ず笑うドスト゚フスキヌ倫劻

    䞀八六九幎は、あいかわらず、経枈状態はきわめおわるくお貧乏生掻を぀づけなければならなかった。

    倫は、「癜痎」を曞く玄束で、印刷玙䞀枚に぀いお癟五十ルヌブルもらい、それは䞃千ルヌブルほどにものがっおいた。そのうち䞉千ルヌブルは、倖囜に立぀たえに結婚費甚ずしお受けずっおいた。のこりの四千ルヌブルは、ペテルブルグで質に入れおきた物の利子をはらい、しばしば矩理の息子や兄嫁の家族の面倒をみるために䜿わなければならず、わたしたちの取り分ずしお残りはもういくらもなかった。

    だがこんなふうに貧乏しおはいおも、わたしたちは愚痎もこがさず、ずきにはそう気にもかけずに過ごした。

    倫は、自分のこずをミスタヌ・ミコヌバヌ、わたしのこずをミセス・ミコヌバヌず呌んでいたディケンズの「デヌノィド・コパヌフィヌルド」に出おくる貧しい楜倩家倫劻。

    わたしたちは仲よく暮しおいたし、たもなく新しい幞犏がおずずれようずしおいたので、すべおが順調に行くような気がしたほどだった。

    だが、たたあらたな心配がせたっおいた。過ぎ去った二幎間に、圌はロシアの事情にうずくなり、このこずが非垞な悩みずなりはじめたのだ。

    姪の゜フィダ・フムむロワに、曞こうず思っおいる小説「無神論」に぀いお知らせた䞀八六九幎䞉月八日の手玙に、こう蚀っおいる。

    「それをここで曞くこずはできたせん。そのためには、ロシアにいお、芋聞きしながら、ロシアの生掻に盎接かかわるこずがぜひずも必芁です  ここでは必芁な材料、぀たり思想をあたえおくれるロシアの珟実ずロシアの人々を持ちあわせないので、曞く可胜性さえ倱っおいたす」。

    しかし、欠けおいたのは、ロシアの人々だけではなくお、人々そのものだった。フィレンツェでは、話したり、議論したり、冗談を蚀ったり、感想を述べたりできるような知合いが䞀人もいないのだった。たわりは他人ばかりで、ずきには反感すらいだいおいる人たちもいお、人々からこれほど隔絶しおいるこずが、ずきどき耐えがたくなるくらいだった。

    そのずきわたしは、こんなに完党にひっそりず孀独な暮しをしおいる人たちは、したいには、憎みあうか、それずも逆にかたく結びあっお䜙生をすごすかのどちらかだろう、ず考えたこずをおがえおいる。幞いなこずに、わたしたちの堎合は埌のほうだった。こうしおやむなくおくった孀独な生掻が、いっそうわたしたちを結び぀け、いっそうむ぀たじくさせたのだ。

    ※スマホ等でも読みやすいように䞀郚改行した

    みすず曞房、アンナ・ドスト゚フスカダ、束䞋裕蚳『回想のドスト゚フスキヌ』P

    ドスト゚フスキヌは自分たちをミコヌバヌ倫劻になぞらえお楜芳的に生掻しおいた。これは非垞に興味深い。

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    チャヌルズ・ディケンズ1812-1870Wikipediaより

    『デむノィッド・コパフィヌルド』はディケンズの自䌝的小説でもあり、ドスト゚フスキヌが自身をなぞらえたミスタヌ・ミコヌバヌずいう人物も実はモデルがいる。

    それがなんず、ディケンズの実の父芪だったのだ。

    せっかくなので『デむノィッド・コパフィヌルド』の巻末の解説を芋おいこう。

    父ゞョンが海軍経理郚の䞋玚曞蚘であったこずは、䞊に蚀った。ずころが、この父ずいうのが、奜人物ではあるのだが、たこずに呑気で、ずりわけ金銭の䞊でだらしがなく、しかも気䜍だけは劙に高いずきおいる。したがっお、必ずしも薄絊ずいうほどではなかったにもかかわらず、たえず貧乏暮しで借金に苊しんでいた。結局、䜜者ディケンズ十二歳のずきには、銖がたわらなくなり、圓時ロンドンにあった債務者拘眮所に収容されるこずになる―ず、こう曞けばたいがいもう想像が぀いたろうず思うが、本䜜品でもっずも粟圩を攟぀人物、ほかならぬミスタ・ミコヌバヌのモデルであるこずは間違いない。

    新朮文庫 䞭野奜倫蚳『デむノィッド・コパフィヌルド㈠』P

    こうしおお金はないが呑気で底抜けの奜人物たる父をモデルに、ディケンズはミコヌバヌ倫劻を䜜り䞊げた。

    では、ミコヌバヌ倫劻の印象的なシヌンをいく぀か挙げおみよう。ドスト゚フスキヌは䜕をもっお自分たちをミコヌバヌ倫劻ず笑ったのかがここから芋えおくるだろう。

    ミスタ・ミコヌバヌの貧乏は、ずうずう、行き詰っおしたっお、ある日、朝早く぀かたるず、バラ区の債務者拘眮所ぞ連行されおいった。家を出るずき、圌は、倩道、我に非なり、ず私に぀ぶやいたが―さぞかし圌も断腞の思いだったろうが、私も悲しかった。だが、その埌聞いたずころによるず、午埌にはもう、元気に九柱戯をやっお遊んでいたずいう。

    新朮文庫 䞭野奜倫蚳『デむノィッド・コパフィヌルド㈠』P

    朝に借金で投獄されお嘆いおいたかず思ったら午埌にはけろっず遊戯にふけるほどの楜倩家ぶりがここでは瀺されおいる。

    たた、借金返枈の蚎蚟がうたくたずたり、投獄から解攟されるこずが決たりそうになったずきのやりずりが以䞋の匕甚だ。これはミセス・ミコヌバヌが倫を心配するあたり粟神が䞍安定になっおしたうシヌン。ちょっず長いが二人の雰囲気がよく出おいる箇所なのでじっくり芋おいく。

    「あの䞻人ひずを捚おるなんお、そんなこずできたせんずも。あの䞻人も、初めのうちは、困っおるこず、わたしには隠しおたらしいんですのよ。ずにかく、呑気な楜倩家だもんですから、なんずか、乗り切れる぀もりだったんでしょうね。母芪の圢芋だった真珠の銖食りも腕茪も、盞堎の半倀で、手攟しおしたいたすし、結婚のずき、父からもらった䞀揃いの珊瑚珠たで、ただ同様で売り払っちたったんですからね。それでも、あの䞻人を捚おるなんお、そんなこずができるもんですか。ええ。そうですずも」圌女は、いよいよ、興奮しおきお、叫んだ。「絶察、そんなこずはできたせんいくら頌たれたっお、そんなこずできたせん」

     これには、私の方がむっずなった―たるで私が、そんなこずを頌んだかのように蚀うのである―私は、あきれお、眺めおいた。

    「そりゃ、あの䞻人にも、萜床はありたすわよ。前埌の考えも、䜕もない人だっおこず、たた財産のこずも、借金のこずも、䞀切わたしには、知らしおくれなかったっおこず、そりゃ、別に吊定いたしたせんずも」じっず、壁を芋぀めながら、蚀うのだ。「でも、それでも、あの䞻人を捚おるなんおこずは、断じおできたせん」

     その頃はもう、すっかり金切り声になっおいた。私は、驚いお、クラブの郚屋の方ぞ、飛び出しおいった。ミスタ・ミコヌバヌは、長テヌブルの叞䌚垭に坐っお、

      はい、どう、子銬

      はい、どう、子銬

      はい、どう、子銬

      はい、どう、しっしっしっ

     ず、今しも陜気に、合唱の音頭をずっおいるずころだったが、私は、ずりあえず、制しお、ただならぬ奥さんの様子を、話しお聞かせた。ず、たちたち、圌は、ワッずばかりに泣きくずれ、いたたで食べおいた小゚ビの頭や尻尟を、いっぱい、チョッキにくっ぀けたたた、私ず䞀緒に、飛び出しおきた。

    「゚マ、わしの倩䜿どうしたずいうのだ」圌は、郚屋ぞ駆け蟌むなり、わめいた。

    「ねえ、ミコヌバヌ、あなたを芋捚おるなんお、絶察にできたせん」

    「ああ、倧事な゚マ、そんなこずは、ようくわかっずる」圌は、奥さんを䞡腕に抱いお、蚀う。

    「この䞻人はね、この子䟛たちの父芪なんですものこの双生児の芪なんですもの。わたしの倧事な、倧事な倫」ミセス・ミコヌバヌは、身悶えしながら、叫ぶのだった。

    「この䞻人を―捚おる―なんお―絶察に―できるもんですか」

     この深い愛情の告癜に、すっかり感動しおしたったミスタ・ミコヌバヌはそういえば、私も、すっかり涙ぐんでいたが、激しく、䞊から抱き締めるようにするず、さあ、顔を䞊げお、そしお、もっず萜着いおず、たるで哀願でもするように蚀うのだった。だが、顔を䞊げおず蚀えば蚀うほど、奥さんの方は、いよいよ、ありもしない虚空を芋぀め、萜ち着いおず蚀えば蚀うほど、これたた、いよいよ、興奮しおくのだった。ずうずう、したいには、ミスタ・ミコヌバヌの方が参っおしたっお、すっかり私たちず䞀緒になっお、泣き出しおしたった。

    新朮文庫 䞭野奜倫蚳『デむノィッド・コパフィヌルド㈠』P

    ミセス・ミコヌバヌが貧困にも負けずどれだけ倫を愛しおいるか、そしおミスタ・ミコヌバヌの楜倩家ぶり、善良っぷりがはっきりずうかがえるシヌンだ。そしお䜕より二人の愛情、匷い結び぀きをこの堎面では感じるこずができる。

    たしかにこれたでのドスト゚フスキヌ倫劻を芋おきた皆さんならきっず「たしかにこれはドスト゚フスキヌ倫劻そっくりだ」ず思わずにはいられないのではないだろうか。

    献身的な劻、そしお甲斐性なしですっおんおんの倫。だが根は善良で奥さんが倧奜き。しかもここフィレンツェでは心の痛手から立ち盎り始め、生来のナヌモアも戻っおきた。

    ドスト゚フスキヌ倫劻は貧しいながらも、ディケンズのナヌモアを借りおこの難局を乗り切っおいたのではないだろうか。

    貧困のさ䞭でもディケンズの描くミコヌバヌ倫劻は明るさずナヌモアを倱うこずはない。特にミスタ・ミコヌバヌの楜倩家ぶりずナヌモアはずびきりのものだ。

    たしかに生掻胜力はなかったかもしれないが、それでもなおそんな倫をミセス・ミコヌバヌも愛し続けた。

    ドスト゚フスキヌはそんなミスタ・ミコヌバヌに自分を重ねお、暗くならずに愉快に過ごそうずしおいたのかもしれない。そしおそんなドスト゚フスキヌを芋捚おずに盞倉わらず愛し続けおくれるアンナ倫人に感謝を蟌めおミセス・ミコヌバヌず呌んでいたのではないだろうか。

    ようやくこの旅も埮笑たしくなっおきた。気持ちも明るくなっおきたずころで私たちもこれよりフィレンツェの街を芋おいくこずにしよう。

    花の郜フィレンツェずドゥオヌモ

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    フィレンツェ駅に到着。なんず、駅のホヌムからすでにドゥオヌモの倧屋根が芋えるではないか期埅が高たる。

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    こちらがかの有名なフィレンツェのドゥオヌモなのだが、写真に収たりきらないだが、なんず矎しい教䌚だろうこれたで芋おきた教䌚のどれずも違う姿。色、暡様、圢、どれをずっおも独特だ。これぞフィレンツェ

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    フィレンツェの街を䞀望できるミケランゞェロ広堎から芋たドゥオヌモ。近くから芋おも遠くから芋おもその存圚感は圧倒的。

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    䞘の䞊にあるミケランゞェロ広堎からの垰り道、アルノ川沿いを歩く。この街はどこを歩いおも鳥肌が立぀ほど矎しい。ちょっずこれは想像以䞊。川のさざ波に映る光がモネの『日の出』のようだった。これは玠晎らしい・・・

    そしお思う。やはり私は川が奜きだ。川がいい街は、私も奜きになる。私の倧奜きな街、プラハや京郜もやはり川があっおこそなのである。フィレンツェもその仲間入りが決定した。

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    フィレンツェを代衚するスポット、ノェッキオ橋。川から芋るず橋ではあるが、実際に歩くず橋ずいう雰囲気はなく、商店街そのもの。金物现工で有名なフィレンツェずいうこずで貎金属のお店がずらりず䞊んでいた。

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    こちらがドゥオヌモの目の前にある掗瀌堂。ここにギベルティの倩囜の門が蚭眮されおいる。倖に蚭眮されおいるのはコピヌで、オリゞナルはドゥオヌモの博物通に展瀺されおいる。䞋の写真がオリゞナルだ。

    ドスト゚フスキヌがこの䜜品を気に入り、「お金持ちになったら原寞倧の写真を家に食りたい」ず蚀っおいたのがミコヌバヌ的な冗談なのかどうかはわからない。だがドスト゚フスキヌがこの聖曞の物語を圫刻した金现工に心惹かれたずいうのは倧きな意味があるのではないだろうか。

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    倜のドゥオヌモ。雲間にちょうど月が珟れ、すかさず撮圱した。

    それにしおもフィレンツェのこの建築様匏には驚かされる。フィレンツェは䜿甚しおいる石が違うからかロヌマの建築ずは党く色圩が異なる。そしおさらにこの独特な暡様。ロヌマは宗教色が匷いのに察し、フィレンツェは玔粋に矎を远求したずいうこずなのだろうか。宗教郜垂ロヌマず、経枈郜垂フィレンツェ。その違いは思いのほか倧きいのかもしれない。

    そう考えおみるず、このドゥオヌモにはどこか合理的なものを感じる。華矎な装食や豪華絢爛さを誇るこずもない。王の栄華や神の奇跡の偉倧さを語るための斜蚭ではない。商人たちの合議制の䞋このドゥオヌモは建造されおいる。その違いは倧きいず実感した。

    豪華絢爛さよりも趣味のよさ、センスのよさを求めたずいう雰囲気を感じる。

    これぞ商人の心意気ずいうこずか。

    たあ、ロヌマにも合理的でセンスのよい教䌚もたくさんあるので䞀抂には蚀えないが、フィレンツェの象城は明らかに䜕か違うものがあるずいうこずを感じたのであった。䞀蚀で「むタリア」ず蚀っおも「囜家」ずしおむタリアが統䞀されたのは䞖玀埌半の話。それたではそれぞれが独立した囜家だった。ロヌマもフィレンツェもミラノもベネツィアも党お違う囜。文化も思考も趣味嗜奜も圓然異なる。むタリアは街ごずに党く異なる雰囲気があるのが面癜い。

    ドスト゚フスキヌが高く評䟡したメディチのノィヌナスを芋にりフィツィ矎術通ぞ

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    フィレンツェ䞭心郚はそれこそどこを歩いおも驚愕しおしたうほどの矎しさ。䜕かスケヌルが違う。フィレンツェの初めおの街歩きはもはや鳥肌が立ちっぱなしだった。これほど鳥肌が持続したのはこれたでほずんど蚘憶がない。ただただ、「うわぁ・・・」ずため息が挏れっぱなしだった。

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    最初にここを蚪れた時にはこの建物が矎術通なのかず驚いたものだ。看板が無ければ通り過ぎお行っおしたったかもしれない。ではいよいよりフィツィ矎術通に入っおいくこずにしよう。

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    入堎しお階段を䞊っおやっお来た。するずいきなりはっずするような光景を目の圓たりにする。

    この廊䞋自䜓がたさしく絵画のようではないか。

    ちなみに私は朝䞀番の時間垯を予玄しおいたので、これほど人がいないりフィツィ矎術通を楜しむこずができた。ここから分もすれば人だかりでものすごいこずになるので、予玄する際は朝䞀番を匷くおすすめする。

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    この矎術通に入っおすぐの゚リアは䞭䞖の䜜品が䞻に展瀺されおいる。

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    ピ゚ロ・デ・フランチェスカ『りルビヌノ公倫劻像察画肖像䜜品』1472-74幎ころ

    そこから初期ルネサンスを代衚するピ゚ロ・デ・フランチェスカの䜜品が展瀺された郚屋ぞず繋がっおいく。

    この矎術通のありがたいのは、順路通り進めば䞭䞖絵画から初期ルネサンス、盛期ルネサンスぞの流れを芋おいくこずができるずいう点だ。幎代が䞋るに぀れおどんどん画颚が倉化しおいくこずが䞀目でわかる。この展瀺スタむルには感心しおしたった。

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    そしおいよいよボッティチェッリの登堎だ。ルネサンスずいえばこの人だろう


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    『プリマノェヌラ』1477幎 – 1478幎頃
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    『チェステッロの受胎告知』(1489幎頃

    誰もが知るこれらの䜜品がこのりフィツィ矎術通には展瀺されおいる。

    だが、私はこれらボッティチェッリの代衚䜜䞭の代衚䜜ではなく、同じ郚屋に展瀺されおいた次の絵に心を奪われおしたった。

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    Madonna enthroned with child, four angels, and saints

    特に、ここに描かれたマリアである。私は圌女から目を離せなくなっおしたった・・・

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    ボッティチェッリの絵は䜕かが違う。実はむタリアに来る前にもフランクフルトのシュテヌデル矎術通で私はボッティチェッリの絵を芳おいる。

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    その時も薄々感じおいたのだが、りフィツィのあの絵を芳おはっきりずわかった。そう、蚀うならば顔力がんりきずでも蚀うべきものをボッティチェッリからは感じるのである。

    シンプルに蚀うならば、顔が匷いのだ。他の衚情を想像できない皋確固たるものを圌の絵から感じる。

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    私にはこれ以䞊のこずはわからない。だが、私はこのマリアに匷烈に惹き぀けられおしたった。魅了ず蚀っおいい。「よし、これで最埌だ」ずしっかり目に焌き付けおこの郚屋を埌にしおも、結局たた戻っお来おこの絵に芋惚れおしたう。その繰り返し。私は二日連続でりフィツィを蚪ねたのだがこのやりずりを回近く繰り返しおしたった。どれだけこの絵が奜きなのだず自分でも苊笑いするしかなかった。

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    そしおこちらがドスト゚フスキヌ倫劻もよく芳に来おいたクレオメネスの䜜品「メディチのノィヌナス像」が展瀺されおいる郚屋である。䞭に入るこずはできないのでこうしお郚屋の倖から眺めるこずになる。

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    これはたたなんず掗緎された配眮・・・フィレンツェの矎的センスよ

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    珟圚ルヌブル矎術通に所蔵されおいる『ミロのノィヌナス』が出土するたでは、ノィヌナスず蚀えばこちらの方が有名だったそう。そしお女性矎の極臎ずしおこの像が評䟡されおいたずのこず。ふうむ・・・だが、やはり私の個人的な圫刻の矎のベストはやはり『サモトラケのニケ』だろう。

    たあ、圓時の人たちの感芚ず珟代日本に生きる私ずでは矎的センスの感芚も違うのは圓たり前だし、さらに蚀えばひずりひずり奜みだっお違う。これはあくたで「私の奜み」。どっちが䞊か議論は䞍毛の極み。ただ、ドスト゚フスキヌもこのノィヌナスを芳おどう思っおいたかずいうのは気になるずころではある。

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    そしおドスト゚フスキヌが奜んでいたずいうラファ゚ロの『荒野の掗瀌者ペハネ』はミケランゞェロの絵ず、ラファ゚ロの『ヒワの聖母』の間にあった。

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    正盎、私はこの絵を初めお芳た時、「䜕でドスト゚フスキヌは他の絵ではなくこの絵を奜きになったのだろう」ず思った。隣にはラファ゚ロの有名な『ヒワの聖母』もあるのだ。それにも関わらずドスト゚フスキヌはこの絵にたいそう奜んだ。うん、なぜだろう・・・

    そうしおじっくりず芳おいる内にふず気付く。い぀しか自分もこの絵から目が離せなくなっおいるこずに・・・

    ぱっず芋ただけではその魅力が䌝わらないものもある。ゆっくりずじっず芋お初めお䜕ずなく䌝わり始めるタむプのものだっおある。おそらくこの絵は埌者であろう。

    じっくりず党䜓を芳おいるずふず䞍思議に思うこずがあった。

    この絵、光源は巊䞊の十字架のように芋えるのだが、どうも䜓の埌方にあるように芋える。だが、構図的には十字架からペハネのラむンが䞀盎線に走っおいお非垞に気持ちがよい。芳おも芳おもこの光源問題はわからない。私の目の錯芚だろうか。考え過ぎだろうか。シンプルに十字架はペハネより前にあるのだろうか。ただ、そんなこずを考えながらじっくり芳おいるず、だんだんドスト゚フスキヌがこの絵に惹かれた理由がわかっおきたような気がした。

    この絵をじっず芋おいるず、闇からペハネが浮かび䞊がっおくるように芋えおくる。そしおドスト゚フスキヌが愛しおやたない「斜光」だ。ドスト゚フスキヌの䜜品では「斜光」が重倧な堎面で䜕床も出おくる。圌にずっお暗闇に差し蟌んでくる光線は救枈の光でもある。圌にずっおこの闇ず光のコントラストは重倧な意味を持぀のだろう。ドスト゚フスキヌが「光ず闇の巚匠」レンブラントを奜んでいたずいうのもこの話に重なっおくる。そう考えおみるずこの『荒野の掗瀌者ペハネ』もレンブラント的に芋えおくる。

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    『キリストの掗瀌』1475幎頃、アンドレア・デル・ノェロッキオ

    たた、この『キリストの掗瀌』はレオナルド・ダ・ノィンチがアシスタントを務め、巊䞋の倩䜿ず背景を描いたずされおいる。

    たしかに実際に絵を芳おみるずその技術の差には驚くしかない。ダ・ノィンチのあたりの芋事さに、この絵を描いた垫匠はそれ以降筆を折ったずいう䌝説も生たれたほどである。この䌝説は埌䞖の創䜜であるようだが、たしかにこんなものを芋せ぀けられたらそうなっおもおかしくないなず気の毒になっおしたった。ダ・ノィンチ恐るべしである。

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    他にもりフィツィ矎術通には名画䞭の名画がずらりず展瀺されおいお、ずおもじゃないがここでは玹介しきれない。本で芋たこずがあるような名画がずにかく出おくる。特にカラノァッゞョファンにはたたらない䜜品が数倚くりフィツィ矎術通には展瀺されおいるのでぜひおすすめしたい。

    正盎、私はフィレンツェに来るたでりフィツィ矎術通にそこたで期埅はしおいなかった。ドスト゚フスキヌが愛したピッティ宮のラファ゚ロ䜜『小怅子の聖母』にばかり目が行き、こちらにたで頭が回っおいなかったのである。

    しかしどうだろう。このりフィツィ矎術通は私の想像より倍も玠晎らしい所だった。やはりこの矎術通が䞖界でトップの䜍眮にいるのも玍埗だ。ぜひたた蚪れたい堎所である。そしおたたあのマリアにぜひずも䌚いたいものだ・・・

    ドスト゚フスキヌも愛したピッティ宮のラファ゚ロ『小怅子の聖母』

    さお、りフィツィ矎術通を蚪れた埌に私が向かったのはラファ゚ロの『小怅子の聖母』が所蔵されおいるピッティ宮だ。

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    ピッティ宮はドゥオヌモ偎からアルノ川を枡った察岞にありたす。

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    さすがはフィレンツェの誇る矎術通。宮殿内郚の矎しさを堪胜しながら、所狭しず䞊んだ圫刻や絵画を鑑賞するこずができる。りフィツィ矎術通ず比べるず空いおいお、のんびりした雰囲気で拝芳できるのもありがたい。

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    さあ、ラファ゚ロの『小怅子の聖母』ある郚屋たでやっお来た。

    郚屋の壁におもむろに掛けられおいるその絵を芳た時、私は二床芋しおしたった。「えっこんなにあっさりず食られおいいの」ず。

    あたりに無造䜜、あたりに無防備である。これには驚いた・・・

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    これがドスト゚フスキヌも愛した『小怅子の聖母』である。

    だが、実はこの絵に察しおも私は最初匷い印象を受けなかった。「あぁ、なるほど、これが䟋の絵なのだな・・・」くらいだったのだ。

    しかし、少し経っおドスト゚フスキヌがこの絵に惚れ蟌んだずいうこずを頭に浮かべながら芋続けおいるず、段々この絵に匕き蟌たれおいった。ずいうより、もう虜になっおいた。もう目が離せない。気づけば分以䞊も経っおいる。そしおい぀ものように仕切り盎しでその蟺を歩き回りリセットしおからもう䞀床この絵の前に立぀。

    するず色々なこずに気付いたのであった。

    たず、この聖母。母の慈しみの仕草が匷く出おいる。

    ちょうどこの絵の向かい偎に展瀺されおいるのもラファ゚ロの聖母子画だ。これず比べればわかりやすい。

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    向かいのマリアはただむ゚スを抱えおいるだけ。しかも䞋を芋お瞑想的な雰囲気。幌子む゚スもどこか悟った顔をしおいる。

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    だがこちらのマリアは明らかに幌子む゚スを慈しみ、守っおいる。そしおむ゚スも䜕か䞍安げな顔をしおマリアに身を委ねおいる。これは意倖ず珍しい構図なのではないだろうか。母マリアの愛がこれほどストレヌトに感じられる絵はほずんどないのではないだろうか。少なくずも私には蚘憶がない。母を早くに亡くしたドスト゚フスキヌは優しい母の面圱をここに投圱しおいたのかもしれない。

    そしおこの絵は額瞁も玠晎らしい。円圢の絵ず四角い金の額瞁がバランスよく組み合わさっおいる。そしお背景が真っ黒ずいうのが極めお重倧な効果を䞎えおいる。この絵をしばらく芋぀めおいるず本圓にマリアがそこにいるかのように感じられおくる。黒は無限の奥行きを感じさせる。そしおそこに浮かび䞊がっおくるマリア。絵の䞞い茪郭が本圓にそこに空間があるかのような感芚にさせる。特にむ゚スのあごの䞋の黒い空間が䞭心点の圹割をしおいる。この奥に無限がある。マリアが無限の暗黒からこちらに飛び出おくるような動きすら感じおしたう。画像で芳るのず実際にオリゞナルを目の前にするのではたるで違う。

    あぁ・・・なんず玠晎らしい絵だろう。私はもはや完党にマリアの虜である。

    ボッティチェッリのマリアにも撃ち抜かれたがこのマリアにもどうにも抗えない。䜕お浮気者な私だろう

    このマリアの優しい姿に私は心底うっずりしおしたった。ドスト゚フスキヌがこの絵を奜きになったのがよくわかる。ボッティチェッリの匷い顔ずは党く違う。このマリアの優しさは床を超えおいる。

    私はこのマリアに完党に参っおしたった。

    䞀時間近く私はこの絵の前で呆然ずしおいた。垰ろうず立ち去っおも結局「あずもう䞀回だけ」ず戻るのを繰り返した。ボッティチェッリの時ず䞀緒である。あぁ、たた䌚いたい。フィレンツェに行きたい・・・この蚘事を曞いおいる今も心の底から思う。

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    そしお絵画を芋終わり、ピッティ宮内のカフェでのんびりしながら私はフィレンツェでの時間を振り返っおいた。

    りフィツィ矎術通にピッティ宮。溢れかえらんばかりの名画を私はこの短時間で目にしたのである。そしおその極め぀けがラファ゚ロの『小怅子の聖母』だった。マリアのあの優しい顔を思い浮かべるず思わずぜヌっずしおしたう。

    そんな時を過ごしながら私はふず気付いた。ドスト゚フスキヌも私ず同じようにここで倧量の名画を芋た。そしおその䞭でもラファ゚ロの『小怅子の聖母』を最も愛した。リッピでもボッティチェッリでもダ・ノィンチでもティッツァヌノでもカラノァッゞョでもなく、このマリアをドスト゚フスキヌは愛したのだ。

    本で読む分には「ドスト゚フスキヌは〇〇を愛した」で終わりである。そしおその蚀葉をもずに私たちは絵を芳に行く。しかしドスト゚フスキヌは倧量の名画の䞭からこの絵を遞んだのだ。「遞ぶ」ずいうこずは「それ以倖の遞択肢を消すこず」に他ならない。

    ドスト゚フスキヌがこのマリアを奜んだ理由があるように、リッピやボッティチェッリやダ・ノィンチやティッツァヌノやカラノァッゞョを遞ばなかったのにも理由があるのである。圌らも䞖界最高の巚匠だ。その巚匠を遞ばなかったずいうずころにドスト゚フスキヌの趣味嗜奜が珟れおいる。「なぜ圌らを遞ばないか」ずいうずころにもドスト゚フスキヌを知る手掛かりはあるのである。これは盲点であった。

    「䜕が奜きか」ずいうこずは、「䜕が奜きではないか」ず衚裏䞀䜓である。

    そんなこずもこのピッティ宮で感じたのであった。

    ドスト゚フスキヌ倫劻が散歩したボボリ庭園

    アンナ倫人の第二子劊嚠がわかり、二人は健康のためにも倧いに散歩に粟を出した。

    アンナ倫人が「わたしは医者にうんず散歩するように蚀われおいたので、いっしょに毎日、ボボリ庭園ピッティ宮殿をめぐる庭園を歩いたが、そこでは䞀月ずいうのに、ばらの花が咲いおいた。ここで日なたがっこをしお将来の幞犏を語りあった。」ず『回想』で述べおいたこずを皆さんも芚えおおいでだず思う。

    このボボリ庭園ぞはピッティ宮の矎術通ずの共通刞で入堎できるので私も早速この庭園を歩くこずにした。

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    だが、歩き始めお唖然ずした。この庭園・・・広すぎる・・・

    少し歩いたずころにマップがありそれを芋おショックを受ける。今これだけ歩いたのにこれしか進んでいない・・・

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    うん。これは無理だ。党郚歩くのはやめよう。ドスト゚フスキヌ倫劻の健脚ぶりには毎床のこず本圓に驚かされる。

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    庭園ずいうよりもはや山。山を䞞ごず庭にしおしたったずいう方がしっくりくる。

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    さらに歩けば朚々も増えおたさに山ずいう雰囲気。朚ず朚の間から芋えたフィレンツェが薄もやもかかっおいおたるで絵画のよう。鳥のさえずりも心地よい。こういうずころをドスト゚フスキヌ倫劻は歩いおいたのだ

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    䞀時間匱䌑み䌑みしながらできる限りの範囲で歩いおみた。だがそれでも党䜓の分のも歩けなかったず思う。

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    広い。広すぎる長旅の疲れがそろそろ出始めた私にずっおこれはかなりの䜓力消費であった。本圓にドスト゚フスキヌ倫劻は元気だなず思う。

    ドスト゚フスキヌの家

    さお、このフィレンツェの蚘事の最埌に、ドスト゚フスキヌ倫劻が䜏んだ家を玹介したいず思う。

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    写真正面の工事䞭の建物の䞀宀がドスト゚フスキヌ倫劻の䜏んだ家である。「䞀八六八幎十䞀月の末、圓時むタリアの銖郜だったフィレンツェに移り、ピッティ宮殿の近くにおち぀いた。」ずアンナ倫人は述べおいるが、なんずびっくり本圓にピッティ宮の目の前だった。

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    写真右手がドスト゚フスキヌの家、巊手の倧きな建物がピッティ宮だ。

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    ピッティ宮前の広堎からもばっちりドスト゚フスキヌの家が芋える。たさかこんなに近くだったずは。

    私はフィレンツェ滞圚の䞭、䜕床もここにやっお来た。ドスト゚フスキヌの家を芋に来るためでもあったし、ピッティ宮にも甚があったからだ。

    そしおフィレンツェ滞圚も終わりに近づき、最埌の挚拶をしようずここにやっお来た時私はふず思った。

    アンナ倫人はこの旅に出た時はほんの少女のようだった。だがバヌデン・バヌデンの地獄を経お、さらにはゞュネヌブで我が子の誕生ず死を経隓した圌女は人間ずしお、母ずしお圧倒的な成長をするこずになった。この時にはすでに文豪に憧れおいた少女ではなく、もはやドスト゚フスキヌを守るほどの存圚になっおいた。

    そしおドスト゚フスキヌ。よくよく考えれば、圌はそもそも恐るべき粟神力の持ち䞻だ。死刑宣告にも耐え、シベリア流刑も耐えきった。ギャンブル䞭毒は圌の匱さずいうより、むしろその粟神的な匷さ、極端さが招いた惚事だったのかもしれない。䞊の人間ならあそこたで党おを賭けおギャンブルなどできないだろう。あの優雅な保逊地バヌデン・バヌデンであんな賭け方をする人間などやはり垞軌を逞しおいる。これはやはり圌の粟神の巚倧さ、過剰さ、極端さがあったからこそなのではないだろうか。

    二人はバヌデン・バヌデン、ゞュネヌブ、ノノェむでどん底を芋た。そんな圌らに恐いものはもう䜕もない。這い䞊がるしかないのだ。

    悲しみや苊しみを分かち合い、今や二人は匷固な絆で結ばれた。圌らの埩掻はいよいよここから始たっおいく。自分たちをミコヌバヌ倫劻になぞらえたフィレンツェでの生掻はこの旅の倧きな転換点になったのではないだろうか。

    たた、ドスト゚フスキヌの小説䜜品においおも『悪霊』、『未成幎』、『カラマヌゟフの兄匟』の原型ずなった『倧いなる眪人の生涯』もここフィレンツェで着想しおいる。このこずに぀いおは以前圓ブログでも玹介した「『カラマヌゟフの兄匟』はなぜ難しい䜕をテヌマに曞かれ、どのような背景で曞かれたのかドスト゚フスキヌがこの小説で䌝えたかったこずずは」を参照

    ドスト゚フスキヌの思想圢成を考える䞊でもフィレンツェの日々は倧きな意味を持っおいるのではないだろうか。

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    あぁ、矎しきフィレンツェできるなら私ももっずもっずゆっくり滞圚したかった

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    サン・ロレンツォ聖堂
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    メディチ家瀌拝堂
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    アカデミア矎術通の『ダビデ』

    そしお今回の蚘事では玹介できなかったが信じられないほど矎しい建築、芞術がただただあった。興味のある方は以䞋の「フィレンツェ芳光のおすすめスポット11遞りフィツィ矎術通や倧聖堂など私のお気に入りをご玹介」の蚘事をご参照頂きたい。

    さすがは花の郜。この街の芞術には感嘆させられっぱなしだった。

    い぀かたた行ける日があれば・・・そう願うばかりである。

    ドスト゚フスキヌ倫劻にずっおもこの街での滞圚はかけがえのない日々だったず私は信じたい。

    続く

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    連茉蚘事「『カラマヌゟフ』を読む」蚘事䞀芧はこちらのマガゞンにお


    以䞋の蚘事ではドスト゚フスキヌ小説をもっず楜しむためのおすすめの解説曞をたずめおいたす。ぜひこちらもご参照ください。

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