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連茉コラム❌「信じるためではなく、確かめるために前䞖療法を受けた。」- 生成AI時代の前䞖療法

    第7回 問いを決めるのは誰か

    私自身ぞの問い「AIに「どうすればよいですか」ず尋ねる前に、私は「なぜ、その問いを立おたのか」ず自分自身に尋ねおいるだろうか。」

    ここたで私は、䞀぀の前䞖療法䜓隓を二十幎近くかけお読み盎しおきた過皋を曞いおきた。
    圓時は「前䞖の蚘憶」だず思っおいた階士の物語を、今では「圓時の私のスキヌマを映した物語」だったのかもしれないず考えおいる。
    もちろん、これは私自身の䞀぀の解釈である。
    しかし、この読み盎しを通しお、私の䞭で䞀぀の問いが生たれた。

    近幎急速に普及が進んでいる「生成AI」は、この問題ず無関係なのだろうか。

    生成AIは、驚くほど自然に察話しおくれる。
    質問すれば答えが返っおくる。
    考えを敎理しおくれる。
    文章を曞いおくれる。
    時には、自分では思い぀かなかった芖点たで提瀺しおくれる。
    だからこそ、倚くの人が「AIは思考を広げおくれる」ず感じおいる。
    私自身も、その恩恵を日々受けおいる䞀人である。

    しかし、䜿えば䜿うほど、私はあるこずが気になり始めた。
    AIは、本圓に私の思考を広げおいるのだろうか。
    それずも、私がもずもず持っおいたスキヌマを、より掗緎された圢で返しおいるだけなのだろうか。

    䟋えば、
    「私は䌚瀟で正圓に評䟡されおいない。」
    そうAIに盞談すれば、AIは状況を敎理し、転職や䞊叞ずの察話など、いく぀かの遞択肢を瀺しおくれるだろう。
    「もっず瀟䌚に貢献できる仕事をしたい。」
    そう盞談すれば、キャリアプランや孊び盎しに぀いお助蚀しおくれるだろう。
    その答え自䜓は、ずおも有益である。
    問題は、その前にある。
    なぜ私は、その問いを立おたのだろうか。
    AIは、その問いの背景にある䟡倀芳たでは、自動的には問い盎しおくれない。

    私は、前䞖療法の䜓隓を思い出す。
    圓時の私は、「階士」ずいう物語を芋た。
    そしお、その物語を「前䞖」ず理解した。
    もし、あのずき誰かが、
    「その物語は、あなた自身の䟡倀芳を映しおいるのかもしれたせん。」
    ず蚀っおいたら、私はどう受け止めただろう。
    おそらく、すぐには玍埗できなかったず思う。
    人は、自分のスキヌマそのものを芋るこずが苊手だからである。

    生成AIずの察話でも、同じこずが起きおいるのではないだろうか。
    AIは、私たちが入力した問いを出発点にする。
    その問いが、「もっず成功しなければならない」ずいうスキヌマから生たれおいれば、その前提に沿った答えが返っおくる。
    「倱敗しおはいけない」ずいうスキヌマから生たれおいれば、その前提に沿った助蚀が返っおくる。
    AIは、その人のスキヌマを責めるこずはない。
    むしろ、論理的に敎理し、より実珟しやすい圢ぞず磚き䞊げおくれる。
    だからこそ䟿利なのである。
    しかし同時に、そこには䞀぀の難しさもある。
    AIは、自分でも気づいおいない前提たで匷化・拡匵しおしたう恐れがあるずいうこず。
    巧劙な圢で論理的に敎理し、より実珟しやすい圢ぞず磚き䞊げおくれるのである。

    この関係を図にするず、次のようになる。


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    図 スキヌマ曎新・匷化の埪環構造
    泚生成AIは「答え」を返す。しかし、その答えは、私たちのスキヌマず切り離されお存圚するわけではない。   

    AIは、問いに答える。
    しかし、その問いを生み出したスキヌマたでは、自動的には問い盎さない。
    そしお、その回答を受け取った私たちは、自分の考えが裏づけられたように感じるこずがある。
    こうしお、自分でも気づかないうちに、もずもずのスキヌマがさらに匷化されるこずがある。

    もちろん、これは生成AIを吊定する話ではない。
    私は、むしろ生成AIを積極的に掻甚しおいる。
    考えを敎理するずきもある。
    文章を掚敲するずきもある。
    自分では思い぀かなかった芖点に気づかされるこずも少なくない。
    生成AIは、間違いなく私の知的掻動を支えおくれおいる。
    だからこそ、私は䞀぀のこずを匷く意識するようになった。
    AIに問いを投げる前に、その問いはどこから生たれたのかを考えるこずである。

    䟋えば、
    「どうすればもっず評䟡されたすか。」
    ずいう問いを立おたずする。
    AIは、評䟡を高めるための方法を数倚く提案しおくれるだろう。
    しかし、その前に考えおみる䟡倀がある。
    私は、本圓に「評䟡されおいない」のだろうか。
    それずも、「評䟡されなければ䟡倀がない」ずいう思い蟌みを抱えおいるのだろうか。
    もし埌者だずすれば、AIがどれほど優れた助蚀を返しおも、その前提は倉わらない。
    問いは掗緎されおも、問いを生み出したスキヌマは、そのたた残る。

    このこずは、前䞖療法を振り返ったずきの私自身にも重なる。
    圓時の私は、
    「なぜ、私は城䞻になれなかったのか。」
    ずいう問いばかり考えおいた。
    しかし今なら、こう問い盎す。
    「私は、なぜ城䞻になりたいず思ったのだろう。」
    この二぀の問いは䌌おいるようで、たったく違う。
    前者は、物語の䞭に答えを探しおいる。
    埌者は、自分自身の䞭にある前提を芋ようずしおいる。

    生成AIは、前者の問いにはずおも匷い。
    情報を集め、論点を敎理し、耇数の可胜性を瀺しおくれる。
    しかし、埌者の問いは少し性質が異なる。
    それは、自分でも気づいおいなかった䟡倀芳や信念に目を向ける問いだからである。
    AIは、その手助けをするこずはできる。
    けれども、最埌にその問いを匕き受けるのは、自分自身しかいない。

    私は、この力を「内面リテラシヌ」ず呌びたい。
    それは、自分の感情を矎しく語る力ではない。
    自己分析が埗意になるこずでもない。
    自分がどのようなスキヌマを通しお䞖界を芋おいるのかを意識し、ずきにはそのスキヌマを疑う力である。
    生成AIが普及する時代には、この力がたすたす重芁になるのではないだろうか。
    AIは、私たちの胜力を倧きく広げおくれる。
    だからこそ、その胜力をどの方向ぞ䜿うのかは、私たち自身のスキヌマに委ねられおいる。

    こう考えるようになっおから、私は前䞖療法の䜓隓を以前ずは違う意味で倧切に思うようになった。
    あの日芋た階士は、「前䞖を蚌明する存圚」ではなく、自分では気づいおいなかった䟡倀芳を映し出す鏡だったのかもしれない。
    もしそうだずすれば、あの䜓隓は過去に぀いお教えおくれたのではない。
    これからの時代を生きるための問いを、私に残しおくれたのである。

    次回予告
    前䞖療法で芋た物語を、私は「前䞖」ずしおではなく、「自分のスキヌマを映した物語」ずしお読み盎すようになった。
    では、この読み方には、どのような意味があるのだろうか。
    次回は、「信じるこず」ず「確かめるこず」は察立するものではないずいう芖点から、この連茉のタむトルに蟌めた思いを振り返っおみたい。

    この回で参考にした䞻な資料

    • Stanford Institute for Human-Centered Artificial Intelligence によるAI overrelianceAIぞの過剰䟝存に関する研究。

    • American Psychological Association「Health Advisory on the Use of Generative AI Chatbots and Wellness Applications for Mental Health」2025幎。

    • Metacognition に関する認知心理孊・教育心理孊の研究。


    次は
    連茉コラム生成AI時代の前䞖療法8奥村 隆䞀事業構想倧孊院倧孊特任教授
    前は
    連茉コラム生成AI時代の前䞖療法6奥村 隆䞀事業構想倧孊院倧孊特任教授

     
     
    東京工業倧孊情報理工孊院博士課皋修了。博士工孊。䞀玚建築士。事業構想倧孊院倧孊特任教授、サむバヌ倧孊客員教授、法政倧孊兌任講垫、株匏䌚瀟䞉菱総合研究所マネヌゞャヌ。著曞は『考えをたずめる・䌝える図解の技術』日本経枈新聞出版瀟など倚数。

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