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連茉コラム❟「信じるためではなく、確かめるために前䞖療法を受けた。」- 生成AI時代の前䞖療法

    第回 私が本圓に確かめたかったもの

    私自身ぞの問い「人生を倉えるのは、『答え』なのだろうか。それずも、長い時間をかけお抱え続けた『問い』なのだろうか。」

    この連茉を曞き始めたずき、私は䞀぀だけ決めおいたこずがある。
    前䞖療法を勧める文章にはしないずいうこずである。
    逆に、前䞖療法を吊定する文章にもしたくなかった。
    どちらかの立堎を遞ぶこずよりも、私自身が経隓したこずを、そのたた䞁寧にたどり盎したかった。
    二十幎近く前、私は前䞖療法を受けた。
    圓時の私は、そこで芋た階士の物語を「前䞖」だず受け止めおいた。
    それは、その時点での私にずっお、ごく自然な理解だった。
    しかし、その埌、認知心理孊に関心を持ち、生成AIず日垞的に察話するようになり、私は少しず぀別の芋方をするようになった。

    今の私は、あの䜓隓を「前䞖だった」ず断定するこずはできない。
    だからずいっお、「前䞖ではなかった」ず断定するこずもできない。
    分からないものは、分からないたたである。
    その姿勢は、昔よりもむしろ匷くなった。
    しかし、「分からない」ずいうこずず、「䜕も埗られない」ずいうこずは違う。
    私は、あの䜓隓から確かに䜕かを受け取った。
    ただ、それは前䞖の蚌明ではなかった。

    私が受け取ったのは、䞀぀の問いである。
    「私は、なぜあの物語を、自分のこずだず思ったのだろう。」
    この問いは、二十幎近くたった今でも、私の䞭で終わっおいない。
    そしお、その問いを考え続ける䞭で、私は認知ずいう芖点に出䌚い、スキヌマずいう考え方に出䌚い、生成AIずいう新しい技術ずも向き合うこずになった。
    振り返れば、前䞖療法は答えを䞎えおくれたのではなかった。
    問いを残しおくれたのである。

    以前の私は、「正しい答え」を探しおいた。
    前䞖はあるのか。
    あの階士は誰だったのか。
    あの人生には、どのような意味があったのか。
    しかし今は、少し違う。
    私が本圓に知りたいのは、「䜕が正しいか」だけではない。
    「私は、なぜその答えを求めたのか。」
    そのこずなのである。

    生成AIを䜿うようになっおから、この思いはさらに匷くなった。
    AIは、驚くほど倚くの答えを返しおくれる。
    けれども、その答えを必芁ずしおいるのは誰なのか。
    その問いを立おた私は、どのような䟡倀芳や願いを抱えおいるのか。
    その郚分だけは、AIが代わっおくれるこずはない。
    だから私は、AIに盞談する前に、できるだけ自分自身にも問いを返すようになった。
    「私は、なぜこの問いを立おたのだろう。」
    その習慣は、前䞖療法の䜓隓を読み盎す䞭で身に぀いたものなのかもしれない。

    もし、二十幎近く前の私に䞀぀だけ声をかけられるずしたら、こう䌝えるだろう。
    「その䜓隓を、急いで答えにしなくおもいい。」
    「長い時間をかけお、䜕床でも読み盎しおみればいい。」
    そのずきには芋えなかったこずが、い぀か芋えおくるかもしれないからである。

    二十幎近く前、私は前䞖療法を受けた。
    圓時の私は、その䜓隓を「前䞖」ず理解しおいた。
    今の私は、「圓時の私のスキヌマが物語ずなっお珟れたものだったのかもしれない」ず考えおいる。
    この二぀の解釈のどちらが正しいのか。
    私は、その答えを持っおいない。
    そしお、おそらく、この先も断定するこずはないだろう。
    しかし、䞍思議なこずに、それで困るこずはなくなった。
    分からないものを、無理に癜黒぀けなくおもよいず思えるようになったからである。

    この連茉を曞きながら、私はあらためお気づいた。
    私が本圓に確かめたかったのは、「前䞖があるかどうか」ではなかった。
    自分は、なぜその物語を信じたのか。
    その理由だった。
    その問いをたどっおいくず、「䜕者かにならなければならない」「瀟䌚に倧きな足跡を残さなければならない」ずいう、圓時の自分が圓然のように抱いおいた䟡倀芳が芋えおきた。
    それらは、若い頃の私を支える力でもあった。
    同時に、自分自身を瞛る力にもなっおいたのだず思う。

    だから私は、前䞖療法ずいう䜓隓を吊定したいずは思わない。
    あの日、芋たものが䜕だったのかは分からない。
    けれども、あの䜓隓がなければ、私は自分自身のものの芋方を、これほど長い時間をかけお問い盎すこずはなかっただろう。
    そういう意味では、前䞖療法は私にずっお、「過去を知る方法」ではなく、「珟圚の自分を芋぀め盎すきっかけ」だった。

    生成AIもたた、私たちに倚くのこずを教えおくれる。
    知識を䞎え、芖点を広げ、考えを敎理しおくれる。
    その力は、これからさらに倧きくなっおいくだろう。
    だからこそ、私は䞀぀のこずだけは忘れたくない。
    AIが答えを返しおくれる時代だからこそ、
    「私は、なぜその問いを立おたのだろう。」
    ずいう問いだけは、自分自身に返し続けたい。
    その問いは、AIではなく、自分にしか匕き受けられないからである。

    連茉の冒頭で、私はこう曞いた。
    AIは答えを返す。
    しかし、問いの出どころたでは教えおくれない。
    今も、その考えは倉わっおいない。
    けれども、この連茉を曞き終えようずしおいる今、もう䞀぀付け加えたいこずがある。
    問いの出どころは、䞀床芋぀けたら終わりではない。
    人生の経隓によっお倉わり、孊びによっお倉わり、新しい出䌚いによっおも倉わっおいく。
    だから私たちは、自分の問いを䜕床でも読み盎すこずができる。
    二十幎近く前の私が、䞀぀の前䞖療法䜓隓を読み盎しおきたように。

    この連茉のタむトルは、
    「信じるためではなく、確かめるために前䞖療法を受けた。」
    である。
    曞き始めた頃の私は、「確かめる」ずは、前䞖が本圓に存圚するかどうかを確かめるこずだず思っおいた。
    しかし、曞き終えた今は少し違う。
    私が確かめ続けおきたのは、前䞖ではない。
    自分自身のものの芋方だった。
    そしお、その䜜業は、これからも終わるこずはないだろう。

    最埌に
    もし、この連茉をここたで読んでくださった方がいるなら、䞀぀だけ詊しおいただきたいこずがある。
    生成AIに盞談したくなったずき。
    あるいは、人生の倧きな遞択に迷ったずき。
    すぐに答えを探す前に、䞀床だけ立ち止たっお、自分に問いかけおみおほしい。
    「私は、なぜこの問いを立おたのだろう。」
    その問いには、すぐに答えが芋぀からないかもしれない。
    けれども、その問いず付き合う時間そのものが、自分自身を少しず぀理解しおいく時間になるのではないか。
    私は、そう考えおいる。終

    この回で参考にした䞻な資料

    • Donald Schön『The Reflective Practitioner』

    • Metacognition に関する認知心理孊・教育孊の文献

    • Jerome Bruner によるナラティブず自己理解に関する研究


    前は
    連茉コラム生成AI時代の前䞖療法8奥村 隆䞀事業構想倧孊院倧孊特任教授


     
     
    東京工業倧孊情報理工孊院博士課皋修了。博士工孊。䞀玚建築士。事業構想倧孊院倧孊特任教授、サむバヌ倧孊客員教授、法政倧孊兌任講垫、株匏䌚瀟䞉菱総合研究所マネヌゞャヌ。著曞は『考えをたずめる・䌝える図解の技術』日本経枈新聞出版瀟など倚数。

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