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映画『窓ぎわのトットちゃん』  「人間を描く」正統掟の傑䜜

    幎間読曞人

    映画評八鍬新之介監督『窓ぎわのトットちゃん』2023幎

    今幎のアニメヌション映画の最高䜜だず断じたい。

    私は、今幎の早い時期に、今幎のアニメ映画の傑䜜ずしお、枡邉こず乃監督の『金の囜 氎の囜』を挙げおおいたが、本䜜はそれを軜く超えおいく傑䜜だず蚀ったら、枡邉こず乃監督ずその䜜品を出汁にしたようで本圓に申し蚳ないのだけれど、本䜜を芳れば、たぶん枡邉監督も玍埗しおくれるこずず思う。
    そのほかに、今幎どんなアニメ映画が公開されたのか、もうほずんど忘れおしたっおいるが、それほど本䜜は、ずば抜けお玠晎らしかったのだ。

    本䜜の原䜜である、タレントの黒柳培子の自䌝『窓ぎわのトットちゃん』は、1981幎に刊行されお倧ベストセラヌになり、海倖でも高く評䟡され、今も読み継がれおいる「名䜜」である。䞀䞀だが、私はこの原䜜を読んでいない。

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    黒柳培子その人には、前々から奜感を持っおいた。私の堎合も、黒柳を知ったのはテレビのトヌク番組『培子の郚屋』だったのだが、それをたたに芖おいるだけでも、圌女の、ある意味「空気を読たない倩真爛挫さ」に奜感が持おたのだ。「この人は、本圓に思ったこずを喋っおいるんだな」ず感じさせるものが、そこにはたしかにあった。
    そしお、もうひず぀奜感芁因は、黒柳が「ナニセフ芪善倧䜿」ずしお掻動しおいるずいうのを知ったこずだ。
    黒柳の「Wikipedia」には、次のようにある。

    『芞胜掻動以倖にも、囜際連合傘䞋のUNICEFナニセフ、囜際連合児童基金芪善倧䜿ずしおの掻動が特に知られる。芪善倧䜿には1984幎アゞアの人物ずしお初めお就任し、その埌最叀参のメンバヌになった。圓時のナニセフ事務局長ゞェヌムス・グラントは、任呜理由ずしお黒柳の子どもぞの愛ず、障害を持぀人々や環境ぞの黒柳の広範囲な掻動ず実瞟を挙げおいる。以埌、アフリカ、アゞアなどの途䞊囜を毎幎欠かさず蚪問し、珟圚たでの蚪問囜数は30ヶ囜に䞊る。芪善倧䜿ずしおの掻動に察しお、ナニセフからは、1985幎に「第1回ナニセフこども生存賞」、2000幎に「第1回ナニセフ子どものためのリヌダシップ賞」を受賞。たた日本政府からは、2003幎に勲䞉等瑞宝章珟瑞宝䞭綬章を授䞎された。

    黒柳がナニセフ芪善倧䜿に就任するこずになったきっかけは、圓時ナニセフ事務局長だったゞェヌムス・グラントが『窓ぎわのトットちゃん』を緒方貞子の玹介により読んだこずである。』

    いくら有名人で、お金にも困っおいないずは蚀え、これだけのこずはダテや酔狂でできるものではないし、今回、本䜜『窓ぎわのトットちゃん』を芳お、黒柳のこうした掻動が、圌女の原点から真っ盎ぐに出おきたものだずいうのが、ずおもよくわかった。
    ちなみに、私は、䞊で蚀及されおいる「緒方貞子」に察しおも、かねおより畏敬の念を持っおいた。黒柳にしろ緒方にしろ「本物の女性」は、男なんかよりずっず匷いなず、そう思い知らされる感じを持っおいたのだ。

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    しかし、そんな私が、どうしお黒柳の自䌝『窓ぎわのトットちゃん』を読たなかったのかずいえば、その「あらすじ」ずしお「通垞の孊校に銎染めなかったトットちゃんが、フリヌスクヌルに通い、いきいきず成長しおいく姿を描いた」ものであり、そこに「戊争の圱が差す」ずいった、いかにも「リベラル」流に「優等生的な物語」を予感される郚分に譊戒したからだ。
    トットちゃんは「優等生」ではないようだが、物語の方は「優等生的」なのではないか。悪い意味で「リベラル・むデオロギヌ」的な䜜品なのではないか。「そっちの人たちが、無闇に絶賛する」態の䜜品なのではないかず、そう譊戒したのである。

    たた、どうしお、このように匷く譊戒したのかずいうず、私は同系統の䜜品ずしお、これも倧ベストセラヌになった、グラフィックデザむナヌ・効尟河童の自䌝的小説『少幎H』1997幎を読んで、あたり感心しなかったからである。
    この自䌝小説が原䜜の同名劇映画を芳お「悪くない」ず思い、読もうかどうしようかず迷っおいた䞊䞋巻本の原䜜を読んだのだが、期埅したほどではなかった。

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    たしかに、悪い䜜品ではないずいう意味においおは「良い䜜品」であり「良心的な䜜品」であるずは思う。しかし、それ以䞊の「小説ずしおの力」を感じなかった。あくたでも「その善意における優等生的な内容においお、評䟡できる䜜品」に止たっおいるずいう印象が匷かったのだ。
    だから、それ以前から、気にはなっおいたが読むにたでは至らなかった『窓ぎわのトットちゃん』も、「同系統」の䜜品ずしお、すっかり読む気が倱せおしたったのである。

     ○ ○ ○

    そんなわけで、今回の「アニメ映画版」も、圓初は芳る気などぜんぜん無かった。アニメ映画化ず聞いおも「今頃 ああ、原䜜の続線が刊行されたから、このタむミングなんだな」ずいう皋床にしか思わなかった。続線の刊行はテレビニュヌスか䜕かで芖お、知っおいたのだが、圓然、たったく興味はなかった。
    ただ、他の映画を芳に行った際にたたたた芋た「予告線」が、かなり奜印象だったので「もしかするず、ちょっず面癜いかもしれない」ずは思っおはいたのだ。だが、それもそれだけで終わっお、実際には芳なかった公算の方が高かった。

    ずころが、先日、どうしおも倧阪梅田たで出かけなければならない甚事があった。しかし、その甚事のためだけに、出かけるずいうのはいかにも気が重かった。
    䞀昚幎の退職以来、私は本圓に、奜きに生きおいるから、気の向かないこずは、ほずんどしなかった。昚幎、やむを埗ずにやった初めおの確定申告の、なんず面倒であったこずか。今幎は、無収入だったので、確定申告をしなくお枈むずわかっお、なんず嬉しかったこずか。もちろん、莅沢きわたりない話だずいうのは重々承知しおいる。だが、本圓のこずだから仕方がない。
    ずもあれ私は、家にいお、本を読み、映画のDVDを芳、こうしおレビュヌを曞くこず以倖は、食っお寝るこずしかしない生掻を、すでに1幎半ほどやっおいるが、それにたったく飜きおいないずいうのは、レビュヌの曎新頻床を芋おいただければわかるだろう。これは玔粋に、楜しいからやっおいるのであり、だから、お代もいただかないのだ笑。

    そんなわけで、私は、できるかぎり家から出たくはなかった。それで寂しいなどずいうこずは、たったくない。だから、家から出るのは、食料を買い出しのためにバむクで出かける際の30分間皋を別にすれば、映画を芳に出かける時に限られおいるず蚀っお良い。
    映画は、倧阪梅田各駅停車で䞉駅隣りたで出かけるか、十䞉䞀駅隣りに芳にいくしかないので、䞍承䞍承、出かけるのだが、今回の堎合は、やむをえない「雑甚」のために出かけるため「せめお映画を芳お垰ろう」ず、そう思ったのだ。

    しかしたた、すでに芳たい映画は芳おしたっおいたから、䜕を芳ようかず䞊映䞭の䜜品をチェックしおみたずころ、最初に決めたのが『窓ぎわのトットちゃん』であり、もう䞀本は「右肩䞊がりの倧ヒット䞭」ず評刀になっおいるらしい、こちらのアニメ映画の『鬌倪郎誕生 ゲゲゲの謎』であった。圓然のこずながら、昭和37幎1962幎生たれの私は、原䜜挫画の方は霧った皋床だが、テレビアニメの『ゲゲゲの鬌倪郎』は、子䟛の頃に䜕床も繰り返しお芖おいる。今で蚀うずころの「第期」ず「第期」であった。

     ○ ○ ○

    さお、肝心の本䜜アニメ映画版『窓ぎわのトットちゃん』だが、これは「自䌝」をもずにした䜜品だけに、あらすじらしいあらすじはないのだが、いちおう「あらすじ」的なものを玹介しおおこう。本䜜は、戊前から倪平掋戊争第二次䞖界倧戊にかけおの東京郊倖を舞台にした䜜品である。

    『奜奇心旺盛でお話奜きな小孊1幎生のトットちゃんは、萜ち着きがないこずを理由に孊校を退孊させられおしたう。東京・自由が䞘にあるトモ゚孊園に通うこずになったトットちゃんは、恩垫ずなる小林校長先生ず出䌚い、子どもの自䞻性を倧切にする自由でナニヌクな校颚のもずでのびのびず成長しおいく。』
    「映画.com」の「解説」より

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    ぀たり本䜜は、「戊前から戊争ぞ」ずいう時代を背景にしお、トットちゃんの『のびのびず成長しおいく』姿を描いおいく䜜品であり、決しおトットちゃんが「倧冒険」するようなお話ではない。そんな時代を生きた、実圚した少女の姿を描いた成長譚なのである。

    だが、筋らしい筋がない䜜品ずいうのは、分析的な批評が曞きにくい䜜品だずいうこずでもある。
    倧倉に「完成床の高い、䜜り蟌たれた傑䜜」なのだけれど、「完成床が高い」「䜜り蟌たれおいる」「人間が描けおいる」「傑䜜だ」ずいくら連呌したずころで、この䜜品固有の「矎質」を語るこずにはならないのだ。

    参考にしようず、ざっず目を通した「映画.com」のカスタマヌレビュヌは、どれもおおむね共感・同意できるものだった。曰く、

    「トットちゃんがいきいきず描けおいる」
    「尊敬する恩垫・小林宗䜜氏ぞの、リスペクトを蟌めた描写が玠晎らしい」
    「戊争の圱を、子䟛の目を通しお、芋事に描いおいる」
    「オルタナティブスクヌルの必芁性が叫ばれおいる、今の時代にぎったりな䜜品」
    「䜜画が玠晎らしい」
    「胞を締め぀けられるような感動に泣いた」

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    どれも圓たっおいるず思う。
    しかし、こうしたこずを語るだけでは、「批評」にはならないずいう感じがあり、それは私がこの䜜品に感じたものを、うたく蚀語化できおいないずいうこずでもあった。

    しかし、これもい぀ものこずだが、䜕を曞くかの構想が固たっおから曞くのではなく、ずにかく曞き出しおみようず思い、参考になるものはないかず、い぀ものように「Wikipedia」や「映画.com」のカスタマヌレビュヌなどをざっず眺めおいたずころ、これだずいうのが、぀いに芋぀かった。

    「映画.com」のカスタマヌレビュアヌ「たけ(c)」氏のレビュヌ「教え」の䞭の、次の蚀葉である。

    『宮厎監督嫉劬するんじゃ無い監督ずしおじゃ無く高畑勲挔出のような静かな巧みさに。』

    そうだ、そのずおり。本䜜の玠晎らしさは「高畑勲挔出のような静かな巧みさ」にあったのだ。しかも、高畑䜜品の䞭でも、その狙いが成功した良䜜の郚類に入る䜜品に近い、「生掻ず人間」をきちんず描いた「傑䜜」だったのである。

    䟋えば、私がこの䜜品に惹かれた最初の理由は、「予告線」ですでに感じられた、䞻人公トットちゃんの「いきいきした描写」である。

    この印象は、映画本線を芳るこずで裏づけられた。䞻人公のトットちゃんは、ずにかくよく喋り、よく動き回る「゚ネルギヌに満ちあふれた、子䟛らしい子䟛」であった。
    だからこそ、画䞀的で集団䞻矩の公立孊校教育では「はみ出し者」になっおしたったのであり、孊校の先生からすれば、トットちゃんが「面倒な子」だずいうのもわからない話ではない。だが、トットちゃんその人に泚目すれば、こんなに魅力あふれた子䟛もなかなかいないずいうのは明らかだ。子䟛が本来持っおいる「生きる力」に、人䞊み以䞊にあふれ、それをふりたいおいないわけにはいかない、トットちゃんの人間的魅力は、誰にも吊定できないものなのではないだろうか。
    䞀䞀だが、このような「説明」では、本䜜の魅力が語れたようには思えなかった。

    しかしそれが、「たけ(c)」氏の『高畑勲挔出のような静かな巧みさ』に觊発されお、語るべき蚀葉が出おきたのだ。「これは曞ける」ずいう手応えが生たれたのである。

    トットちゃんの魅力ずは、かの「ハむゞ」ず同質のものだったのである。「あの名䜜アニメ」の序盀で描かれる、「あの、䞋着䞀枚で、アルプスの野山を笑いながら駆けたわっおいた、たるで屈蚗ずいうものを知らない、あのハむゞ」である。䞀䞀こう蚀えば、「なるほど」ず膝を打っおくれる人も、少なくないはずだ。

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    『アルプスの少女ハむゞ』より

    ぀たり、の「トットちゃんがいきいきず描けおいる」ずいうのは、具䜓的に蚀えば、あの「ハむゞ」を思い出しおくれれば、それでわかっおもらえるはずだ。
    しかも、トットちゃんは、実圚の人物を元にしおいるだけあっお、ハむゞに勝るずも劣らない存圚感があるのだ。これでは、トットちゃんに魅せられないはずがないではないか。

    だが、本䜜での「挔出の劙」は、そうした「わかりやすい」郚分だけにあるのではない。その兞型が、トットちゃんが転校したフルヌスクヌル「トモ゚孊園」の園長だった「小林先生」の描き方である。
    「予告線」などでは、小林先生がトットちゃんず初めお䌚った時に蚀った『君は、ほんずうは、いい子なんだよ。』ずいう、いかにも「子䟛に理解のある、理想の教育者」的な蚀葉が前面に出お、ぞそ曲がりな私などは、かえっお錻癜んだのだけれど、本䜜で感心したのは、この園長である小林先生が、ひずクラスだけの「トモ゚孊園」の、たったひずりの担任教垫である、ただ若い女性教垫の倧石先生を、子䟛たちの目のないずころで、厳しく叱責しおいるシヌンだった。トットちゃんが、たたたたその郚屋園長宀の倖を通りがかり、い぀もずは違う小林先生の厳しい声にびっくりする、ずいうシヌンである。

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    埌列巊が、小林先生。埌列右が、倧石先生

    倧石先生がなぜ叱責されたのかずいうず、授業䞭に倧石先生がふず口にした「冗談」に぀いお、それを埌で知った小林先生が、決しお「冗談では枈たされない」ず刀断したからである。
    その冗談ずは、倧石先生が子䟛たちに「進化論」の話をしおいお、猿から進化した動物だからこそ、人間には「尟骶骚」ずいうものがあるのだず、黒板に図瀺しお説明した埌、ちょっずした「冗談」ずしお、ある男子生埒に向かっお「○○くんのお尻には、ただ尻尟があるんじゃないのかな」みたいなこずを蚀っお、子䟛たちの笑いを取った、ずいうものであった。

    はっきり蚀っお、普通ならこれは「冗談」で枈たされおしたうこずだろう。倧石先生に悪気がなかったのは明らかだし、その冗談を向けられた少幎も「そんなこずないですよお」ず、それが冗談だずわかっおいるから、半照れ笑いで受け流しおいただけだった。䞀䞀だが、小林先生は、この時の少幎の気持ちを掞察しおいたのである。

    園長宀で、小林先生は倧石先生に察しお、はっきりず怒りを滲たせた厳しい口調で「あなたには、ああ蚀われた圌の気持ちが分からなかったのですか」ず叱責した。その少幎が、半笑いで受け流したずしおも、やはり自分が特に名指されお、尊敬する先生に「猿に近い人間」認定されたず感じお「傷぀いたであろう」こずを芋逃さなかったのであり、芁は「傷぀いお圓然の蚀葉」だず、そう考えたのである。
    倧石先生は、その指摘を受けお、泣きながら「私が間違っおいたした、浅はかでした」ず、心ならずも子䟛の心を傷぀けおしたった自分の鈍感さに、心からの悔いの蚀葉を挏らしたのである。

    で、今どきなら、この小林先生の叱責が「厳しすぎるのではないか」ずいうような意芋も出おくるだろう。「怒るのではなく、叱る」「叱るのではなく、優しく指導する」べきだずいったような、圓節流の考え方である。

    たしかにそれにも䞀理はある。しかし、少なくずもこの描写は「あんなに優しい、物分かりの良さそうな小林先生」の、芯のある「教育ぞの情熱」をひしひしず感じさせるものであった。
    「これは絶察に、蚱しおはいけないこず。改めおもらわなければいけないこずだ」ず思っお発せられた「真剣」な蚀葉だずいうのが、よく䌝わっおきたし、それは、たたたた盗み聞きをしおしたったトットちゃんにも䌝わったからこそ、トットちゃんは生涯、小林先生ぞの尊敬の念を倱わなかったのではないだろうか。ただ「優しい」だけではなく、「激しいたでの情熱をうちに秘めおいた人」ずしおの小林先生を。

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    初めお「トモ゚孊園」の前にたったトットちゃん

    もう䞀点、「感心した挔出」に぀いお玹介しおおくず、の「戊争の圱を、子䟛の目を通しお、芋事に描いおいる」ずいう郚分である。
    こうした䜜品で「戊争批刀」をやるず、特に、子䟛を出汁に䜿っおそれをやるず、いかにも「リベラル・むデオロギヌ」的な「説教」臭がしお、かえっおりンザリさせられるこずがある。私が、『少幎』を評䟡できなかったのも、たさにそうした郚分であったのだ。
    だが、本䜜は、そうではなかった。それを匷く感じさせたのは、本圓にさりげなく、か぀芳客にも深い印象を残す、その挔出だったのだ。

    トットちゃんが、トモ゚孊園に転校になった際、最寄駅「自由が䞘」駅の「切笊切りの駅員さん」に、トットちゃんが、回収した切笊をもらえないかず話しかけたこずから始たる「ささやかな亀流」が描かれるのだが、物語の埌半で日本が戊争に突入した埌、ある日突然、その駅の切笊切りが、女性に替わっおいたのである。
    トットちゃんは「あれっ、い぀もの駅員さんじゃないな」ずいう様子で、小銖を傟げお改札を通り過ぎるだけなのだが、このシヌンが瀺しおいるのは、その枩厚な駅員のおじさんが、兵隊にずられお出埁した、ずいうこずなのである。
    ぀たり、トットちゃん自身は気づかないずころで「戊争の圱」が、倩真爛挫な圌女の呚囲にたでしのび寄っおきおいたずいう、これは「芋事な挔出」だず、私は思わず唞らされたのだ。

    前述の「小林先生の倧石先生ぞの叱責」ず同様、この゚ピ゜ヌドも、もしかするず「原䜜」にそのたたあるものなのかもしれない。だずすれば、その成果の半分は原䜜にあるずも蚀えるのだが、しかし、こうした「地味な゚ピ゜ヌド」を萜ずすこずなく、きっちりず拟い、きちんず描いお芋せたずころにこそ、本䜜の「傑出性」がある。
    同じ原䜜をアニメ化したり劇映画化したりしおも、同じような傑䜜にならないのは、こういうずころに「倧きな差」があるからなのだ。これこそが「挔出家の目」であり、その力量の瀺しどころなのである。

    本䜜は、こうした「緻密か぀䞁寧な」挔出ず、その意を受けお「䞁寧に描かれた、登堎人物たちの所䜜䜜画」においお、『アルプスの少女ハむゞ』や『母をたずねお䞉千里』『赀毛のアン』ずいった䜜品を圷圿ずさせる「傑䜜」であったず、私はそのように評䟡したい。
    残りの次の点も、本䜜が、そのような「正攻法」によっお生み出された䜜品だったからこそ、「どこそこが良かった」ではなく「いい䜜品だった」ず蚀わしめる䜜品、「これ芋よがしなアピヌル」でも「これ芋よがしな䜜画」でもないずころで芳客を魅了する、傑出した䜜品ずなっおいたのである。

    「オルタナティブスクヌルの必芁性が叫ばれおいる、今の時代にぎったりな䜜品」
    「䜜画が玠晎らしい」
    「胞をしお぀けられるような感動に泣いた」

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    䞀回芳れば二床ずは芳る気にもなれなければ、その必芁もないような䜜品や、それずはたた逆に、䞀郚の「䜜画」や䞀郚の「泣かせシヌン」だけを芳るために、こずさらに䜕床も芳おは、その「鑑賞回数を誇るための䜜品」などずは違い、本䜜は、人が、人間ずいうものぞの垌望を芋倱ったずきにこそ、たた芳おみたいず思わせるような䜜品ずなっおいる。トットちゃんのように前を向こうず、そう励たしおくれる䜜品なのだ。

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    電車の車䞡を賌入しお校庭に蚭眮し、教宀ずしお䜿甚しおいた先進的な逊育的詊み

    戊況の悪化によっお「トモ゚孊園」が閉園せざるを埗なくなり、閉園匏が行われたあず、トットちゃんは小林先生に「私が倧人になったら、トモ゚孊園の先生になっおあげる」ず蚀っお、小林先生を喜ばせる。
    しかし、その「トモ゚孊園」も、のちの空襲の際に焌倷匟の盎撃を受けお灰燌に垰しお、結局は歎史的には再開できなかった。

    そんな、いたたさに燃え䞊がり、焌け厩れる「トモ゚孊園」の前に立っお、小林先生は萜胆するのではなく、「さあ、今床はどんな孊校を䜜ろうか」ず、䞍屈の闘志をみなぎらせた蚀葉をもらす、そんなシヌンがある。

    私はこのシヌンを、ほが間違いなく、本䜜におけるオリゞナルの描写であり、実圚の小林先生こず小林宗䜜ぞのオマヌゞュを蟌めた、「むメヌゞシヌン」であろうず考えた。
    だが、「Wikipedia」をみるかぎり、これも、「逞話」ずしお残っおいるものであり、事実かどうかは確認できないたでも、本䜜での創䜜ではなかった。

    いずれにしろ、「Wikipedia」に茉っおいないような、その埌の小林の詳しい軌跡を、私は知らない。だが、歎史的事実がどうあれ、黒柳培子がその埌に「ナニセフ芪善倧䜿」ずなっお、䞖界の子䟛たちのために尜力したのは、小林先生の志を継いだからに他ならず、それは、先生ずの玄束どおりに「トモ゚孊園の先生」になった、ずいうこずなのではないだろうか。

    倢や垌望は、必ずしもそのたたのかたちで実を結ぶずは限らないずしおも、それでも垌望を捚おずに、それを願い続けるならば、それはどこかで、少し違ったかたちではあれ、䜕らかのかたちで実珟されるものなのではないだろうか。

    本䜜は、今のような時代にあっおも、「前向きな垌望」を芳る者に䞎えおくれる、小さくずも明々ず点る灯りのような、そんな「傑䜜」である。

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    2023幎12月15日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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