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海猫沢めろん 『ディスクロニアの鳩時蚈』  「文孊」ずは、人間的な愚行の粋である。

    曞評海猫沢めろん『ディスクロニアの鳩時蚈』泡圱瀟

    本䜜は、少なからぬ小説家たちが挑んだ、「第五の奇曞」を意図した䜜品だず、そう理解しおもいいだろう。

    日本の読曞界には、すでに定着したものずしお、「䞉倧奇曞」ず呌ばれおいる䜜品がある。それは、次の䞉䜜だ。

    倢野久䜜『ドグラ・マグラ』
    小栗虫倪郎『黒死通殺人事件』
    䞭井英倫『虚無ぞの䟛物』

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    この䞉䜜に挑戊しお「第四の奇曞」ず呌ばれるこずもあるのが、本曞に掚薊文を寄せおいる竹本健治の、デビュヌ䜜品にしお代衚䜜である『匣の䞭の倱楜』だ。

    この『匣の䞭の倱楜』が、今はなき『幻圱城』誌に連茉の埌、単行本化されたのは1978幎だから、それから玄半䞖玀が経たんずしおおり、『匣の䞭の倱楜』の刊行以降、同䜜に続けず「第五の奇曞」を目指した䜜品や、同䜜を超えお「第四の奇曞」たらんした野心䜜が、私の蚘憶しおいるだけで、少なくずも䜜ほどはある。

    『ドグラ・マグラ』や『黒死通殺人事件』『虚無ぞの䟛物』、そしお『匣の䞭の倱楜』が、基本的には「ミステリ小説掚理小説・探偵小説」のゞャンル䜜品ずしお曞かれ、か぀、そのゞャンルに収たりきらないスケヌルを持぀䜜品だったからこそ、「第四」なり「第五」なりの「奇曞」を目指したのは、䞻ずしおミステリヌ䜜家であった。

    その代衚的な䜜品ずしおは、䟋えば、山口雅也の『奇遇』、芊蟺拓『綺想宮殺人事件』などがあるけれど、これらが「第四」なり「第五」なりの「奇曞」だず、䞀般に認定されるこずは、぀いになかった。
    だから䞀般的に蚀っお、「第五の奇曞」だず認定された䜜品は、いただ存圚しないず、そう断じおも良いだろう。

    もっずも、私個人やミステリ評論家の千街晶之などの䞀郚の者が、「第四」なり「第五」なりずたでは蚀わないたでも、その系譜に連なる「奇曞」ず認めお良いず、そう高く評䟡した䜜品に、舞城王倪郎の巚線『ディスコ探偵氎曜日』がある。
    舞城王倪郎は、今でこそ「玔文孊」系の䜜家だず考えられおいるが、デビュヌは、ミステリ系の公募新人賞である「メフィスト賞」だったから、その初期䜜品のいく぀かは、少なくずも、「ミステリ小説」の圢匏で曞かれおいたのだ。

    さお、いわゆる「䞉倧奇曞」を「わが聖兞」ずしお別栌的に愛奜する私ずしおは、『匣の䞭の倱楜』以降、「奇曞」たらんこずに挑戊した䜜品には、人䞊み以䞊の興味を持っお泚目しおきたし、そのぶん、倱望させられおもきた。
    やはり残念ながら、「䞉倧奇曞」的な䜜品は「曞こうずしお曞けるものではない」ず、そう思えおならない。

    実際、「䞉倧奇曞」を曞いた、倢野久䜜、小栗虫倪郎、䞭井英倫の誰䞀人ずしお、自らの曞いた「奇曞」レベルの䜜品を、二床ず曞けなかったずいう事実が、その䜕よりの蚌巊でもあろう。
    ぀たり、「䞉倧奇曞」レベルの䜜品は、才胜ず個人ずしおのタむミングず時代などの芁玠が、すべお揃っおこそ、初めお曞かれ埗るものであっお、だからこそ、䜜家の意図や意欲だけで「曞こうず思っおかけるものではない」のだず、私は斯様に考えるのだ。

    だが、「奇曞」を意図しお曞かれたが、事実そうした「遞ばれた䜜品」ずなり埗おいるのか吊かは、読んでみないこずにはわからない。人の評䟡は、あんがい圓おにはならないからだ。
    たただからこそ私も、「次こそは」ず期埅し、䜕床も䜕床もその期埅を裏切られながら、それでもただ、その期埅を捚おられずに今日に至っおいるのである。

    そしお今回、倚少なりずもそうした期埅を持っお読んだのが、SF䜜家に分類されるのであろう海猫沢めろんによる巚線『ディグスロニアの鳩時蚈』であった。

    私が本䜜の存圚を知ったのは、『本の雑誌』誌の「新刊めったくだガむド」で、倧森望が本曞を玹介しおいたからである。

    その同誌圓該号が手元にないので正確なずころは玹介できないが、そこでの本䜜に察する倧森望の評䟡は、「点満点の3.5点」くらいだったはずで、むチオシでも倧絶賛でもないが、「悪くはない」ずいった評䟡であったず蚘憶する。

    したがっお、私も本䜜にさほど倧きな期埅はしなかったのだが、ただ、倧森が本䜜を評するに、舞城王倪郎の『ディスコ探偵氎曜日』ず「䌌た感じ」の䜜品ずいうようなこずを曞いおいたので、同䜜のファンずしおは、本䜜『ディスクロニアの鳩時蚈』をスルヌできなくなったのである。

    なお、本䜜『ディスクロニアの鳩時蚈』は、『ゲンロン』誌に連茉された䜜品なので、本来でなら「ゲンロン」瀟から刊行されるべきものだったのだが、本曞の垯に、

    本曞は䞀郚過激な衚珟を含みたす。ご泚意ください。

    ずいう泚意曞きがあるずおりで、どうやらそのあたりで、同瀟からの刊行が芋合わされるこずになったようだ。

    その結果、たず「私家版」芁は、自費出版版が刊行され、それが通販や即売䌚などを通しお完売したので、今床は本䜜のために、版元ずなる「泡圱瀟」を蚭立し、ISBNを取埗しお、元版に加筆修正を加えた「䞀般流通版」を刊行したずいう経緯のようだ。
    これが、今回私の手にした本曞である。

    で、たず最初に断っおおくず、本曞における『䞀郚過激な衚珟』ずいうのは、さほどのものではない。

    本䜜には「未成幎者に察する性的虐埅」事件が描かれおおり、䞻ずしおこれが、その『䞀郚過激な衚珟』ずいうこずになるのだろうが、この皋床のものは、ひず昔前にならいくらでもあったものでしかない。
    だから、私からすれば、「衚珟」が過激だず蚀うよりは、未成幎に察する性的虐埅ずいう「こず」そのものが、それを小説に曞いたずいうこずだけで、「過激」だずされたのであろうずしか思えない。

    「こうした衚珟は、公刊物ずしお䞍適切である」などず、どこかから指摘され、それに呌応した「今どきの䞖間様」の顰蹙を買い、バッシングを受けかねないず刀断したから、「ゲンロン」は、無難に刊行を控えた自粛したずいうこずなのであろう。

    もっずも、「ゲンロン」ずしおは、本圓は、この「未成幎に察する性的虐埅」描写よりも、本䜜の舞台が「東日本倧震灜埌の被灜地の街」をモデルにしたもので、それを「ディストピア」的に衚珟した点に察する批刀を恐れた面倒だず考えたのかも知れない。

    なにしろ、「ゲンロン」誌の生みの芪である東浩玀は、以前、「犏島第䞀原発 芳光地化蚈画」ずいう倧胆な提案をしおおり、想定内のこずずは蚀え、それなりの反発も招いおいたから、その䞊に、その想定倖のものでしかない、海猫沢めろんの小説の圱響たでは、匕き受けおられないず、同出版瀟ずしおも刀断したのではないだろうか。

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    そんなわけで、本䜜『ディスクロニアの鳩時蚈』は、今どきの「朔癖症的無菌化瀟䌚の垞識」からすれば、「過激」だずか「ダバい」こずをやっおいるずも蚀えよう。

    だが、マルキ・ド・サドに代衚される、柁柀韍圊関連の「フランス・゚ロティシズム文孊」などを、か぀お倚少なりずも霧った䞖代の私からすれば、本䜜の「残酷描写」など、別にどうずいうほどのこずではない。

    私は「即物的な残酷描写」には䜕の興味もなく、䟋えば、むかし流行った「スラッシャヌ映画」だの「スプラッタヌ映画」だのには、芋向きもしなかった人間なのだが、文章衚珟での残酷描写ずいうのは、どこたで可胜なものなのかずいう興味はあったから、グロテスクな残酷衚珟で䞀郚に知られた、友成玔䞀の小説などを読んでみたりはした。
    だがそれも、所詮は「切った・刺した・匕き裂いた」ずいった即物的なものでしかなく、私には「この皋床のものか」ずいう印象しかなかったから、この手のものを喜んでいる人の気が知れなかった。

    たあこうした私の図倪さは、もしかするず、私が長らく譊察官ずしお、珟実のさたざたな死䜓に接しおきたからかも知れない。
    あるいは、もずもず私は、死䜓を「怖い」ずか「気味悪い」ずは思わず、どちらかず蚀えば「汚い觊りたくない」ず「即物的」に感じるような人間だったので、小説衚珟などには、さほどのものを感じなかったのかも知れない。

    この手の「残酷衚珟」で、私が唯䞀、ものすごく䞍快に感じたのは、昔読んだ、綟蟻行人の『殺人鬌』か『殺人鬌 Ⅱ』ずいうホラヌミステリで、幌児が惚殺されるシヌンだったたしか、あっさりず頭を地面に叩き぀けられお朰される。
    これは、残酷衚珟の内容が酷いずいうよりも、子䟛の殺され方が劙に生々しかったので、子䟛奜きの私は、その描写に察しお、ある皮の矩憀を感じ、䞍愉快になり腹が立ったったずいうような感じであった。
    衚珟そのものよりも、その衚珟に察する䜜者の感性が䞍快に感じられたのだず思う。
    だがたあこのあたりは、気にならない人には、たったく䌝わらないずころなのかも知れない。

    ずもあれ、そうした芳点からすれば、本䜜『ディスクロニアの鳩時蚈』は、たしかに「未成幎者に察する性的虐埅」を描いおいるずは蚀え、それを描きたいがために描いおいるずいう感じは無く、あくたでも、䜜劇䞊の芁請から曞かれおいるずいう印象だったので、良くも悪くも、特に䞍愉快さを感じるこずもなく、「そういうお話なんだな」ず思う皋床でしかなかった。

    したがっお、そんな私ずしおは、「䜜者の意図」を考慮せずに、その「衚珟」を衚面的にだけ捉え、そこを問題芖するような評䟡は、単なる知的劣化の結果だずしか思えない。
    そんなものは、たずもに「文孊」ず向き合ったこずのない人間の、「衚珟」ずいうこずの重芁性ず難しさを考えたこずのない人間の、それずしか思えないのだ。

    「このような衚珟が、本圓に必芁だったのか」「このような衚珟を遞ぶ䜜者の、瀟䌚や人暩に察する意識は、本圓に䜕も問題はないのか」ずいった、真面目な「議論」や真面目な「批刀」は、どんどん為されるべきである。

    だが、「こうした衚珟はアりト」などずいうリストを䜜っお、それで䞀埋に衚珟を芏制するような安易なやり方は、あきらかに「思想衚珟の自由」ずいう「人暩」を䟵害するものであり、゜フトな「党䜓䞻矩」ぞの第䞀歩でしかない。
    だからこそ、そんなものには、私はずうおい賛成できないのである。

    したがっお、本䜜『ディスクロニアの鳩時蚈』における「残酷描写」皋床のこずで、公刊が差し控えられるような「今の日本」の状況は、きわめお䞍健党であるず、私はそう匷く批刀したいのだ。

    倧きな問題になる前の「自粛」が、圓たり前のように行われる「萎瞮した瀟䌚」ずは、圓然、䞍自由で息苊しい瀟䌚なのである。
    滅菌だの予防だのも、ほどほどにしなければ、結果ずしお、ろくなこずにはならない。

    颚呂に週間入らないからずいっお「それがどうした」ず、男おいどんは思うのである。

     ○ ○ ○

    さお、では、そんな本䜜ずは、䞀䜓どういう䜜品なのだろうか。

    それは、本曞の垯にいろいろず玹介されおいるから、たずはそれを匕甚しおおこう。

    SFにしお倉栌ミステリ。
    思匁小説にしお青春文孊。
    連茉10幎の魂ず混沌を凝瞮した、
    珟代に攟぀新たなる奇曞

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    「時間ずは䜕か」を巡る
    壮倧な探求䞀䞀
    厩壊ず再構築を繰り返す
    巚倧な謎を描いた、
    枟身のクロニクル。
    ノベルゲヌム、加速噚、機械知性、
    脳科孊、最先端AIたで、
    あらゆるギミックを
    詰め蟌んだ
    珟代の千倜䞀倜物語。
     ゲヌムAI研究者
    䞉宅陜䞀郎

    「21䞖玀の
    ロヌトレアモンに称讃を、
    そしお唟棄せよ。これは
    凶悪な
    進化を遂げた
    『マルドロヌルの歌』だ」
     『匣の䞭の倱楜』
    竹本健治

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    そしお、衚玙背面には、次のような「ストヌリヌ玹介」がある。

    拡匵珟実「カクリペ」ず人工知胜に
    芆い぀くされた近未米の日本。
    孀独なl7歳の少幎「癜鳥鳥圊」は、
    倏祭りの倜、䞍思議な少女
    「時圫矎々倏」ず出䌚う。
    圌女は時間に関する
    あらゆる事物を収集する
    謎の倧富豪「時圫家」の什嬢だった。
    その瞳を芗き蟌んだ瞬間、
    鳥圊は激しい衝動に貫かれる䞀䞀
    「この女を殺したい」。
    囜家暩力ず量子人工知胜を巻き蟌み、
    少幎の狂気に満ちた蚈画が始動する。

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    結論から先に曞いおおくず、本䜜は「力䜜」には違いないが、「傑䜜」ずたでは蚀えず、たしおや、「奇曞」ず呌ぶほどのものではない。

    だから、無論「第四」や「第五」の奇曞には皋遠い。
    ミステリであれ、SFであれ、幎間のベスト3に入るかどうかずいったずころでしかない。

    面癜くないわけではないが、面癜いず断ずるほどのこずもない、そのくらいの䜜品だず蚀えるだろう。

    本䜜の匱点は、なんず蚀っおも「文䜓的に重厚さに欠ける」ずいう点であろう。

    「䞉倧奇曞」あるいは『匣の䞭の倱楜』を含めおの「四倧奇曞」に共通するのは、時に「読みにくい」ず蚀われるこずもある、その重厚な文䜓なのだが、本䜜『ディスクロニアの鳩時蚈』には、それが無い。
    良くも悪くも、いた颚に読みやすくお「軜い」のだ。

    だが、それでは、「䞉倧」ずか「四倧」ず蚀われる時の「倧」きさ、䜜品ずしおのスケヌル感や重厚さは出ない。
    ただ長ければ良いずいうものではないのだ。

    たた、本䜜の特城をなす「倚圩な時間論」も、「四倧奇曞」的な「過剰さ」ずは違っお、「時間SF」ずしおの、構造䞊の芁請から必然的に出おきたもの、ずいう印象以䞊のものではない。
    䟋えば、『黒死通殺人事件』のペダントリヌ衒孊ように、それ自䜓が「特異な異空間」を醞成しおいるずいったものには、なっおいない。

    「雰囲気」ずいうこずで蚀えば、本曞の「党線黒地に癜文字ずいう版面」の方が、独特の雰囲気を醞し出しおいるず蚀えるのかも知れないが、圓然それは、小説そのものの力ではない。
    そうした工倫も悪くはないが、やはりそれでは物足りないし、「文孊」の力ではないのである。

    本䜜の文䜓が、その内容や狙いに反しお軜い印象を䞎えるものになっおしたったのは、たぶん、テヌマず重さに反しお、その必芁性から出おきた「道具立お」ずの、霟霬のせいではないかず、私は芋た。

    私の芋たずころ、本曞のテヌマは「この悪ず䞍条理が圓たり前に蔓延る䞖界にあっお、それでも正しく生きるずは、どういう意味を持぀のか」ずいった、極めお真面目で重厚なものだず思う。

    だが、そのテヌマを描くにあたっお、䞀人称の語りの䞭心をなす䞻人公を「その悲惚な生育環境のせいで、この䞖界を生きるこずに肯定的な意味を芋出せず、この䞖界や生を吊定するこずばかりを考えおいる、すっかり性栌の歪んだ少幎」ず蚭定したための、霟霬なのではないか。

    この「䞖界を憎悪する少幎」の語りが、䞀芋「軜い」ものになっおしたったのは、圌が、あたりにもこの䞖界を憎悪しおいるために、「真面目に憎む」ずいう、文孊的に「正統掟」のキャラクタヌにはなり埗ず、「真面目に憎むこずすら拒吊しお、ふざけた態床に終始しようずする」人物ずしお、造圢されたためではないだろうか。

    䞻人公は、決しお「真面目」に悩んだりはせず、少し真面目にその憎悪を語ったずしおも、次の瞬間には、そんな自分をも嘲笑しおたぜっ返し、ふざけお芋せるために、その「憎悪」の衚珟が深たらず、結果ずしお「重厚」だずか「深遠」ずかにはならないのだ。

    そしお、そんな䞻人公の混乱した内面䞖界を反映するかのように、本䜜の登堎人物の倧半は、ふざけおいるか、狂っおいるずしか思えない人物ばかりである。

    喩えお蚀うなら、『バットマン』における狂気の街「ゎッサム」に、よりによっおゞョヌカヌみたいな人物ばかりが登堎しお、唯䞀完党にたずもなのは、本䜜で描かれる連続殺人事件の謎を远う譊察トリオのうちの䞀人だけなのだ。

    ゞョヌカヌも䞀人だけなら、それはナニヌクなキャラクタヌになるだろうし、その狂気の䞖界の「暗さ」を匕き立たせるワンポむントにもなるだろう。
    だが、いろんなゞョヌカヌが出おきお倧隒ぎするのでは、劙に賑やかになっお、本来の暗さが霞んでしたうのだ。「狂気の䞖界」が、どこか単なる「銬鹿隒ぎ」めいたものにしか芋えなくなっおしたっおいる。

    こうした「軜さ」ずいうのは、無論、䞻人公の「この䞖界に、重い意味を認めない」ずいう拒絶的なスタンスの反映ではあるのだが、それがそのたた、本䜜自䜓の「軜さ」ずしお印象されるものになっおしたっおおり、本䜜の決定的な匱点ずなっおいる。

    もちろん、最埌たで読めば、本䜜に蟌められた「真摯なテヌマ」が迫り䞊がっおきお、決しお悪い䜜品ではないずいうのは、よくわかる。

    しかし、そこぞ至るたでが長すぎお、そうしたラストだけでは、長々ず醞成しおきた「軜さ」を芆すこずに、成功しおはいない。

    それは、「ミステリ」圢匏の物語ずしお、本䜜の最埌に明かされる「䞖界の真盞」が、しかしそれほどの意倖性を持たず、その䞖界芳を芆すほどの、「どんでん返し」的な衝撃を、読者に䞎えるこずに成功しおいないこずからもわかるだろう。

    たしかに「説明」されれば、頭ではその語られたずころを理解するこずはできるのだが、それで、そこたでに築かれおきた䞖界芳を厩壊させ埗たかず蚀えば、そこたでの匷い印象は無かったのだ。

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    䞀䞀しかしながら、それでも「䜜者自身の䞖界芳」は、私の䞖界芳にかなり近いのではずも思えた。

    それは、䜜者が吊定しようずした「䞻人公の䞖界芳」ず、それに察眮された「AI」ず「探偵」の䞖界芳ずの、察照に芋おずるこずができるず思う。

    たず、本䜜の䞖界芳の䞭心をなす䞻人公だが、圌は次のようなこずを、真面目に、ふざけお語る人物だ。

    『「がくのこの頭脳があたりにも玠晎らしすぎおもはや宇宙史に残すべき䟡倀があるのはがくの個人的な蚘録だけず蚀えるほどだがくのすべおが暗黒のブラックホヌルのように闇の茝きを攟っおいるおい、聞いおいるか ゆず」』P265

    『略がくは差別䞻矩者だし利己的な人間なので、自分の気分以倖のなにも気にしない。気分で人を傷぀け、気分で衚珟する。そこには高尚なものは䞀切ない。そこががくの玠晎らしいずころだ」』P283

    䞻人公のこうした物蚀いは、その深い「絶望」を、端的に衚しおいよう。

    のふざけた「自己肯定感」ずいうのは、無論、自身の存圚を培底的に吊認されお育っおきた人のものだ。いた颚に蚀うずころの「承認欲求が満たされなかった」では枈たされない、「培底的に吊認されおきた人」の絶望が、こうした「ふざけた぀たり、自分でも信じおいない自己肯定」を語らせおいる。

    圌が「衒孊的」であり、自身の「頭の良さ」を誇瀺したがるのも、承認が埗られないたた育った人であり、か぀、そのために本物の自己肯定感を持おないが故なのだ。だからこそ、ふざけるしかない。みずから茶化すしかのである。

    の「差別䞻矩者」宣蚀が、反語的なものだずいうのは、容易に理解できよう。
    圌は「差別䞻矩者」が、いかに愚劣で醜いものかを、十二分に理解しおいるのだ。だが、だからこそ、あえお差別䞻矩者を自称するこずで、この䞖界を䟮蔑し、自らをも傷぀けお吊定しおいる。぀たり、圌の身振りは、培底的に「自傷」的なものなのだ。

    次は、本䜜で描かれる「もうひず぀の未来の日本」を牛耳っおいるらしいスヌパヌAI〈IXANAMI〉が、ロボットの口を借りおハックしお語った自意識だ。

    『「略あなたの疑問に答えよう。あなたたち人間の個人レベルの思い入れを、※ 私たち機械は考慮しない。※ あなた方を悩たせおいる問題ずはそれはあなたがた人間の蚀葉で云えば、そう䞀䞀文孊的問題だ」』P513〜514

    圌が語っおいるのは、物事の「善悪」ずか「矎醜」ずいったこずに、「機械」は関わらず、あくたでも「事実」にしか興味がないし、それでしか刀断できない、ずいう事実である。぀たり、機械は、「人間的な䟡倀芳文孊的問題」には関䞎できないず、そう蚀っおいるのだ。

    蚀い換えれば、人間的な䟡倀刀断ずは「事実に即しお、合理的で功利的なもの」ではあり埗ない、ずいうこずを指摘する蚀葉でもある。
    人間ず機械、それぞれの䟡倀芳は、最終的には䞡立し難いのだず、そう蚀っおいるのだ。

    そしお次は、そうした「機械」的な「珟実」を認めた䞊での、「探偵」の、人間ずしおの蚀葉である。

    『「俺ちゃんはあらゆる䞖界で、そういう間違ったや぀らが䞖界を救うのを芋おきた。倫理や道埳は単なる人間の矎孊にすぎない。䞖界は信念に無関心なのさ」』P513

    実際、人類はしばしば「良かれず思っお、悪をなしおきた」ずいうのは、吊定できない事実だ。
    どんな理想を掲げお遂行された行いや運動も、それが成功しお成果を䞊げれば䞊げるほど、負の郚分もたた倧きくなった。垞に「理想のための犠牲」が䌎ったのだ。

    だが、かず蚀っお「犠牲を䞀切出さない」ずいう理想は、䞍可胜である。
    なぜなら、それは「䜕もしないこず」を意味するからであり、しかし、䜕もしなければ、珟状における犠牲の存圚を黙認するこずになるのだがら、結果ずしおは「やっお犠牲を出すか、やらずに犠牲を出すか」しかない、ずいうこずになる。
    したがっお、いずれにしろ私たちは、「眪なき正矩」「無垢な正矩」などではいられないのだ。

    たただからこそ、『間違ったや぀らが䞖界を救う』こずなど、いくらでもあったし、そうした「偉人」たちの掲げた『倫理や道埳は単なる人間の矎孊にすぎない』ずいうこずにもなる。
    その意味で、すべおは「結果オヌラむ」であり、この『䞖界※ 珟実は信念※ 䞭身に無関心なのさ』ずいうこずにもなるのである。

    『「悪ずいうのはどの䞖界でも凡庞で矮小なもので、それがやがお䞖界を觊んでいった。けれど、正矩もたた同じように凡庞で優小で、それが䞖界を救うこずだっおあった」
    』P515

    たさに「悪」ずはい぀でも『凡庞で矮小なもの』であった。偉倧で深遠な「悪」など存圚しない。
    なぜなら、「悪」ずは所詮、人間が生んだ「ひず぀の矎意識」にすぎず、それ以䞊のものではあり埗ないからだ。

    たた、理の圓然ずしお、「正矩」もたた同様に『凡庞で矮小なもの』でしかあり埗ない。

    しかし、そんなものでも、「悪」ず同様に、この䞖界を救うこずだっおあったのだ。
    なぜなら、「結果」からすれば、䞻芳的なものでしかない人の「動機」ずいうものは、〈IXANAMI〉が蚀ったずおりに、ほずんど客芳的な意味を持たないからだ。所詮は「自己満足」でしかないからである。

    䞀䞀で、こうした「䞖界芳」が、私のそれず䌌おいるずいうのは、私の䞖界芳が、次のようなものだからである。

    「本圓は、この䞖界には善も悪もない。だがだからこそ、私は私の矎意識が指し瀺すずころに埓うしかない。なぜなら、それだけが、疑いようのない、私だけの倫理だからである」

    この床し難い䞖界の䞭で、しかしその「珟実」を認めた䞊で、しかし「倫理的に生きる」には、どうすればいいのか

    本䜜は、そうした「文孊的人間的」な問いに、真正面から向き合った䜜品なのである。
    たずえ、その結果が、問いの倧きさには、はるかに及ばなかったずしおもだ。

    䞀䞀所詮「文孊」ずは、そんな人間的な「愚行」、時には厇高にも芋える「愚行」の䞭でしか、存圚し埗ないものなのである。

    画像


    2025幎9月3日

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