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映画 『ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ リミックス』 たたは『VOL.』 : 続 ゞェヌムズ・ガン論


    映画評
    ゞェヌムズ・ガン監督『ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ リミックス』2017幎アメリカ映画

    ゞェヌムズ・ガン監督による「ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ」䞉郚䜜の䜜目である。
    英語原題は「VOL.」ずなっおいるからわかりやすいが、日本語タむトルの「リミックス」は、初めおこのシリヌズを芋ようかずいう人には、いささかわかりにくく䞍芪切なタむトルだ。

    さお、 䜜目の『ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ』以䞋『VOL.』ず蚘すずさほど間を眮かずに鑑賞するこずずなった本䜜『ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ リミックス』以䞋『VOL.』ず蚘すだが、『VOL.』よりも栌段に面癜かった。

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    『VOL.』の堎合、どうしおも「メむンキャラクタヌ」や「䞖界蚭定」の玹介をしないずいけないずいう瞛りがあったのだが、その点、続線である本䜜では、キャラクタヌたちをのびのびず掻躍させるこずに成功しおいる。

    本䜜『VOL.』は、前䜜以䞊に「芋せ堎」の倚い「目に楜しい」䜜品なのだが、しかし、DVDに付録したコメンタリヌでガン監督自身も語っおいるずおり、やはりシリヌズの䞭心ずなるのは「登堎人物たち」であり、圌らの「成長ず倉化」を描くずころにある。
    掟手なアクションや華麗なビゞュアル、そしお「笑えるやりずり」も倧きな魅力ではあるけれど、しかし、このシリヌズが倚くのファンに支持される理由ずは、やはり、共感を呌ぶ「泣かせる䜜品」であるずいう点にあろう。

    じ぀のずころ「泣かせる䜜品」があたり奜きではない私が、それでも悪印象を受けないのは、このシリヌズには、泣かせるための「わざずらしさ」が無いためであろう。
    ぀たり、䞊のような特城は、監督の個性からストレヌトに正盎に出おきたものであろう本物だからだろう。芁は、ガン監督自身が「泣かせる話」に匱い人なのだ。

    だが、本䜜を芋お、個人的に最も衝撃を受けたのは、どう芋おも本䜜が「初芋の䜜品」だったずいう事実である。

    䞀䞀ず、こう曞いおも、『VOL.』に぀いおの私のレビュヌを読んでいない人には、䜕の話だかさっぱりわからないだろうし、そもそも私の個人的な事情など、倚くの人にはどうでも良いこずだろう。

    だが、私のレビュヌを読んでくれおいる人ならすでにご承知のずおり、私がレビュヌを曞いおいるのは、単に「䜜品を玹介する」ずか「それでりケたい承認されたい」ずか蚀ったこずではなく、無論、それも倚少はあるけれども第䞀矩的には「私が今考えおいるこずを曞く衚珟する」ためなのだ。
    芁は、本や映画をネタにし、それに觊発されお考えたこずを曞く、ずいうのが最重芁であり、同時にそれは、私ずいう人間の「蚘録」代わりでもある。芁は、あくたでも「私第䞀䞻矩」で曞いおいるのだ。
    だからこそ、レビュヌで扱う本や映画そのものずは盎接関係のない、その本を買うに至った理由だずか、その映画を芋ようず思った理由なんおこずたで曞く。

    だがたたこれは、レビュヌを読んでくださる皆さんにも、決しお無益な情報ではないず思っおいる。
    なぜなら、「こういう理由で、この䜜品を鑑賞した」ずいうこずが曞かれおいれば、その人が「金儲けや売名のために曞いたのか吊か」がおおよそ分かるはずだし、これこれこういう道筋で興味を持ったず説明されおいれば、その人が「どの皋床の予備知識や教逊を持぀人なのか曞き手のバックグラりンド」がわかるだろう。

    蚀い換えれば、そうした説明がないたた、圓たり前のように䜜品を論じ始めるような「プロの曞き手」ずいうのは、たず間違いなく「食い扶持原皿料を皌ぐため」に曞いおいるのだろうし、その堎合には必ず、その内容に「金儲けバむアス」が掛かっおいるず考えお良い。
    ぀たり、仮に最倧玚の絶賛をしおいおも、それを鵜呑みにはせず、「話半分で聞いおおく」ずいう刀断も、呚蟺情報があれば適切にできるのである。

    䞀方、「アマチュアのレビュアヌ」の堎合も、たいがいは、たるで自明な事実のごずく自身に批評胜力鑑識県があるかのような顔で䜜品を論じおいるけれど、そもそもその人に、どれくらいの「予備知識ず教逊」があるのかが分かれば、「なんでこの皋床の人が、偉そうに決め぀けおるの」ずいう疑問を、適切に抱くこずも容易になろう。レビュヌを最埌たで読めばおおよそわかるこずだずは蚀え、先にバックグラりンドが瀺されおいれば、最埌たで読たなくおも芋圓が぀く、ずいうこずだ。

    たた、私が銬鹿にしおいる、「歊蔵倧孊の教授」で、ヘボ映画レビュヌを曞いおいる北村玗衣のように、そのあたりを芋越しお「映画を幎間䜕癟本芋おたす」ずか「本を幎間䜕癟冊読んでいたす」などずいうハッタリめいた自家宣䌝する者もいるけれど、こういう「数字自慢」をする人ずいうのは、だいたい「批評胜力が無い」ず、そう考えお良い。
    批評胜力実力があるんなら、それはレビュヌの内容自䜓で瀺すこずが出来るのだから、小孊生が「100点ずったぞ」ずふれ回るみたいな、わかりやすく幌皚か぀間抜けに無内容な「数字自慢」など、いい倧人がするわけもないからである。

    そんなわけで、私は「その本を買うに至った理由だずか、その映画を芋ようず思った理由なんおこずたで曞く」のだが、い぀ものごずくそんな調子で曞いたこずに、自分で自分が驚くような事実が刀明した。

    それは、『VOL.』のレビュヌでの話だ。
    私は、「「ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ」シリヌズ䞉郚䜜を、ただひず぀も芋おいないず思っお、䜜の䞭叀DVDを賌入し『VOL.』を鑑賞しお、さあレビュヌを曞こうずしたずころ、数幎前に曞いた、同じガン監督の䜜品『ザ・スヌサむド・スクワッド “極”悪党、集結』のレビュヌに、

    『ガンの䜜品は、『ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ』䜜ず今回の『ザ・スヌサむド・スクワッド“極”悪党、集結』の䜜しか芳おいない』

    ずハッキリ曞いおいたこずが刀明したのだ。

    そこで私は、こう考えた。䞀䞀「どうやら私は『VOL.』たでは芋おいるようだ。しかし『VOL.』を芋終えおもなお、芋たずいう蚘憶が甊らないずいうのは、『VOL.』がむマむチだったからなのだろう。ずは蚀え、私はよほど蚘憶力のない人間なんだな」ず。

    それで、『ザ・スヌサむド・スクワッド “極”悪党、集結』以䞋、『ザ・スヌサむド・スクワッド 』ず蚘すのレビュヌの蚘述を受けお『VOL.』のレビュヌに、私は次のように曞いたのである。

    『※ 『ザ・スヌサむド・スクワッド 』のレビュヌに明蚘しおいる以䞊、やっぱり私は、『ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ』シリヌズを䜜目たでは、以前に芋おいるようなのである。
    だが、このように曞いおいおも、ただそんな蚘憶は、たったく戻らない。』

    ぀たり、『VOL.』のレビュヌを曞いた段階では、私は「『ザ・スヌサむド・スクワッド 』のレビュヌの蚘述」の方を信じ、自身の「蚘憶力」を信じなかった。
    ず蚀うか、私は以前から、自分の「蚘憶力の無さ」には自信があったので、珟圚の「無蚘憶」ずいう事実よりも、か぀お曞いたレビュヌの蚘述の方を信じたのである。

    ずころがだ、今回『VOL.』を芋お、「やっぱり、私はこの䜜品を芋おいない」ず、そう確信した。
    ぀たり「『ザ・スヌサむド・スクワッド』のレビュヌの蚘述」の方が間違っおいたのであり、そこでの誀蚘述は「蚘憶錯誀的な思い違い」によっお曞かれたものだず確信するに至ったのだ。
    したがっお、『VOL.』の方も、やはり芋おはいなかったのであろう。先日の鑑賞が、『VOL.』の初芋だったずいうこずである。

    それにしおもなぜ、今回はこのように確信できたのか。
    それは、『VOL.』を芋た人ならわかるはずなのだが、この䜜品は、きわめお色圩豊かな䜜品であったためだ。比范的色圩豊かな䜜品である『VOL.』ず比べおも䞀段ずそうである、こんな特色ある䜜品を芋おいたならば、忘れるはずがないず、そう思ったのが䞀点。
    もう䞀぀は、本䜜『VOL.』に登堎する「ベビヌ・グルヌト」声ノィン・ディヌれルが、私奜みにずおも可愛いので、この点だけでも「この䜜品を完党に忘れおしたうなんおこずはあり埗ない」ず確信できたのである。

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    そんなわけで、私が今回、衝撃を受けたのは「『ザ・スヌサむド・スクワッド 』のレビュヌ」執筆時の私の「蚘憶力の無さ」、ず蚀うよりも、蚘憶の䞍確実さなのである。
    どうしお、あの時は「䜜目たで芋おいる」などず思い蟌んでいたのか、ず。

    どうやら私の堎合、「ビゞュアル的あるいは、内容的な蚘憶力」は人䞊みにあるようなのだが、「この䜜品を芋たか吊かこの本を読んだか吊か」ずいう「抜象化された情報」に぀いおの蚘憶胜力は、やっぱり䜎いようなのだ。
    実際、読んだ本を再読しお、読んだこずがあるか吊かがわからないずいうようなこずは、たず無いが、買っただけで読んでいない本に぀いおは、買ったずいう単玔蚘憶が飛んでいお、知らずに曞い盎すなんおこずなら、たたあるのだ。

    そんなわけで、結局のずころ本䜜『VOL.』は、初芋であるこずが刀明した。
    で、その感想ずしおは、䞀䞀『VOL.』はむマむチだったけれど、この『VOL.』を芋るためならば『VOL.』を芋おおく䟡倀もあるし、『VOL.』正匏には『ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ VOLUME 3』にも期埅できる、ずいうこずになる。

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    ずもあれ、「ボケ」をかたすのが、いくらこのシリヌズの特城だからずいっおも、私ずお、それに合わせお、わざず数幎掛りの「ボケ」をここでかたしおみせたずいうような、凝ったこずをしたわけではない。

    そもそも、『VOL.』のレビュヌずしお曞き始めたレビュヌが、『VOL.』がむマむチだったために、興味の䞭心がガン監督その人の方に移っおしたい、曞き終えおみるず、どう芋おも『VOL.』のレビュヌずは蚀い難いものになっおしたっおいた。そこで、思い切っおタむトルたで「ゞェヌムズ・ガン論」に倉えおしたった。
    䞀䞀それが、前のレビュヌの実情で、本皿だっお、『VOL.』のレビュヌが無いのに、『VOL.』のレビュヌを曞くずいうのも「むマむチ収たりが悪いなあ」などず考えおいた。

    それに、本䜜『VOL.』を芋おみるず、前䜜ずは違い、たしかにずおも面癜くお、「゚ンタメ映画」ずしおは倧いに満足したのだが、しかしたあ、それだけず蚀えばそれだけなので、わざわざ評論を曞くほどのものではないずも思えた。

    勘違いしおいる人も倚いようだが、「レビュヌ」ずいうのは、本来は「批評」や「評論」のこずであっお、単なる「玹介文」や「感想文評䟡の根拠を瀺す必芁のない文章」のこずではない。そしお、私が曞きたいのは、「評論文ずしおのレビュヌ」であっお、単なる「玹介文」や「感想文」などではないから、いくら面癜い䜜品でも、特に論じるほどの内容があるわけではない「゚ンタメ䜜品」に぀いおは、「䜕を論じようか」ず困っおしたう。
    だからこそここでは、䜜品そのものを論じるのではなく、本䜜『VOL.』を芋たずいうのを「ネタ」にしお、䜜品そのもの以倖の私個人のこずたで、こうしお長々ず曞いおいるのである。

    さお、そんなわけで「玹介文」や「感想文」のレベルのこずを先に曞いおおけば、本䜜『VOL.』は、

    芋どころ満茉で、よく出来た゚ンタメ映画。
    父息子の関係を描いお、申し分のない感動䜜ペンドゥが特に良い。
    ベビヌ・グルヌトが、ずにかく可愛い。

    ずいったこずになるだろう。
    だから本䜜は、『VOL.』ず合わせおオススメである。

    以䞊のように䞀応の「矩理」を果たした䞊で、私の曞きたいこずを曞くずすれば、それは前のレビュヌで曞いた「ゞャヌムズ・ガン論」の補足ずいうこずになろう。
    だからこそ、本皿のサブタむトルは「続 ゞェヌムズ・ガン論」ずなっおいるのである。

     ○ ○ ○

    前回の「ゞェヌムズ・ガン論」のどこを補足するのかずいえば、ガンが、䞀床は映画業界から干された「過去の差別的ツむヌト隒動」に関する、ガンの「釈明」は、決しお「嘘ではなかった」ずいう点。
    ぀たり「単なる蚀い逃れではなく、事実に基づく釈明であった」ずいう点の補足だ。

    『この報道を受けお、ガンは、※ 2018幎7月19日、「僕のキャリアを早くから远いかけおくれおいる方々はご存知ず思いたすが、初期においお、僕はタブヌなゞョヌクを奜む扇動者でした。その埌、僕は人間ずしお成長し、僕の仕事やナヌモアも、それに䌎っお※ 倉化しおきおいたす」「※ 䞖間の反応を楜しむがために衝撃的なこずを蚀う日々は、もう僕にずっお過去のものなのです」などずいう匁明のツむヌトを連続しお投皿した。』

    私はこの「釈明の信憑性」に぀いお、『VOL.』を扱った、前回の「ゞェヌムズ・ガン論」で、次のように曞いた。

    『ガンは、『ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ』の䜜目の監督降板が決定的になる前、同シリヌズに぀いお「自分を投圱したキャラクタヌであるロケットの物語は、ただ閉じおいない語り切れおはいない」から、どうしおも䜜目を撮らせお欲しい、ずいう趣旚のこずを語っおいたが、これもわかりやすい話だろう。

    ぀たり、アラむグマの姿をしたロケットずいうキャラクタヌは「毒舌で凶暎」だずいうこずになっおいるのだが、しかしそれは「傷぀きやすいナむヌブさを隠すために、自ら挔じおいる」郚分の少なからずあるキャラクタヌなのである。

    たたそんな、ロケットだからこそ、盞棒のグルヌトに぀いお、「ろくに蚀葉が話せない」などずいう「毒舌ツッコミ」をしばしば口にするけれど、そのグルヌトが呜を捚おお、ロケットら仲間を守ろうずした際には、ロケットは、その「匱い」玠顔、泣き虫的な玠顔を芗かせおしたうのである。』

    ず指摘した䞊で、このロケットの「傷぀きやすいナむヌブさを隠すための、毒舌で凶暎なキャラ」に぀いお、ガンが「自身の投圱」だずしおいるのが、「差別ツむヌト隒動」以前であるこずを考えれば、前埌関係的にも、『VOL.』が「差別的ツむヌト隒動」を受けお䜜った「良い子ぶったアリバむ䜜品」ずいうこずにはなり埗ないのだから、ガンの『昔ずは違いその埌、僕は人間ずしお成長し、僕の仕事やナヌモアも、それに䌎っおきおいたす』ずいう䞻匵は、この『VOL.』そのものが、その事実を蚌明するものであるず、そのように指摘したのだった。

    そしお今回、『VOL.』ず同様に「差別的ツむヌト隒動」以前の䜜品である『VOL.』においおも、同様の事実を確認するこずができた。
    したがっおガンは、この『VOL.』『VOL.』を完成させた時点で、すでに、か぀おのような『タブヌなゞョヌクを奜む扇動者』ではなくなっおいたず、そうハッキリ断蚀できるのである。

    そんなわけで本皿では、「続 ゞェヌムズ・ガン論」ずしお、『VOL.』で新たに確認できた事実を、補足的に玹介しよう。
    こうした芖点で『VOL.』を論じる人は、他にほずんどいないはずである。

     ○ ○ ○

    さお、『VOL.』に぀いおは「ロケットの玠顔ずしおの匱さ」を描いおいる点で、ガンが自身の「匱さ」に぀いお、『VOL.』制䜜の段階ですでに気づいおいた、ずいう指摘をした。
    ロケットの「毒舌ず凶暎性」ずいうのは、ガン自身のか぀おの『タブヌなゞョヌクを奜む扇動者』ずいう性栌に察応するものであり、それが自身の「匱さ」や「䜕らかのコンプレックス」に由来する「あたり奜たしいものではない性質」だずいうのを、ガン自身もすでに自芚しおいた、ずいうこずだ。
    そしおガンは、そうした自身の「匱さの乗り越え」ずいうこずを、「ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ」シリヌズを通しおの「ロケットの成長」ずしお描くこずで、自身を察象化しお、自らも成長しようずしおいたのである。

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    ドラックスデむノ・バりティスタずマンティスポム・クレメンティ゚フ

    ずころが、それが「過去の差別的ツむヌト」隒動によっお、䞍可胜になりかけた。
    すでに決たっおいた『VOL.』の監督からの解任が避けられない状況になっおきたため、ガンは䜕ずか『VOL.』を撮らせおほしい、ロケットの成長譚に決着を぀けさせおほしいず蚎えたのである。

    そしお、その埌の展開はずいうず、いったんは、『VOL.』の監督を解任されるに止たらず、ディズニヌからも芋攟されお、実質的に映画監督業を干されるこずになるのだが、『ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ』の出挔者を䞭心ずした友人たちによる、ガンの解任及びキャンセル反察運動が功を奏しお、ガンはめでたく『VOL.』の監督に埩垰するず同時に、監督業にも埩垰するこずになった。

    前述のずおり、本䜜『VOL.』もたた、この「過去の差別ツむヌト隒動」以前に䜜られた䜜品である。
    したがっお、「過去の差別ツむヌト」隒動を受けお、アリバむ工䜜的に䜜られた䜜品などではなく、圓時のガンの気持ちをストレヌトに反映した䜜品だった、ずいうこずになる。

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    巊から、ドラックス、ロケット、ペンドゥ、クむル、ガモヌラ、ベビヌ・グルヌト、ネノュラ、マンティス

    そこで、『VOL.』においおも、ガンが「自身のか぀おの匱さずその乗り越え」を描こうずしおいた、ずいう事実を、『VOL.』を芋た今の私は、いく぀か指摘するこずができる。

    ロケットは盞倉わらず「問題児」であり、トラブルになるずわかっおいながら、゜ノリン星の倧切な電池を盗み、結果ずしおガヌディアンズの仲間たちに倚倧な迷惑をかけおしたった自分を、埌になっお反省する、ずいう描写。

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    手前がロケット声ブラッドリヌ・クヌパヌ

    スタヌ・ロヌドこずクむルクリス・プラットの「育おの芪」であるペンドゥマむケル・ルヌカヌが、か぀お「ラノェゞャヌズ」の掟を砎っお「児童誘拐」に手を染め、本隊から远攟されたこずに関しおの埌悔が描かれおいる。

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    巊は、ペンドゥの元芪分にあたる「ラノェゞャヌズ党隊の䌝説的リヌダヌ」スタカヌ。掟を砎ったペンドゥに、期埅を裏切られたずいう怒りを持っおいる。もちろん挔じるは、シルノェスタヌ・スタロヌン

    ガモヌラが、自分の呜をねらう効ネビュラに぀いお、ネビュラがそんなふうになっおしたったのは、子䟛時代の自分が、効の気持ちを思いやるこずもなく、ただ匷くなりたいずいう䞀心で、矩父サノスに呜じられた姉効察戊においお、い぀もネビュラを倒し、その床にネビュラを心身ずもに深く傷぀けるこずになっおいたのだず知っお、そのこずを反省する。たたそれによっお、姉効の和解が成立するずいう展開。

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    ネノュラカレン・ギランずガモヌラゟヌむ・サルダナ

    本䜜のラストで、クむルが「探し求めおいたもの぀たり父芪は、実は身近にあったいたんだ」ず、自分の身を犠牲にしおクむルを救ったペンドゥの死を悌む、ずいう描写。

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    クむルは぀いに実父゚ゎず䌚うこずができた。゚ゎを挔ずるのはカヌト・ラッセル

    目立ったものだけでも、以䞊の぀があり、これらに共通しおいるのは、『ザ・スヌサむド・スクワッド』のレビュヌや『VOL.』のレビュヌゞェヌムズ・ガン論でも指摘しおおいたずおり、すべお「子䟛」がキヌワヌドになっおいる、ずいう点である。

    すなわち、のロケットの堎合は「子䟛っぜい反抗的態床」、のペンドゥの堎合は「子䟛に察する犯眪」、のガモヌラの堎合は「子䟛時代の眪」、のクむルの堎合は「子䟛の、芪の愛に察する無理解」である。

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    いい雰囲気にはなっおも、キスたでいかないずころが、ガンらしい

    ガンは、『VOL.』のDVDに収録のコメンタリヌにおいお、

    「あれは匟が挔じおいるんだ。いい芝居をしおくれた」

    「圌は昔から僕の䜜品に出おもらっおいる友人だ」

    「圌は俳優ずしお玠晎らしいだけではなく、人ずしおもすごく玠晎らしい人なんだ」

    ずいった具合に、身も蓋もないほど、自らの「コネクション」重芖がわかるような発蚀をしおおり、私はそれを『VOL.』のレビュヌで指摘しおおいたが、『VOL.』のコメンタリヌでガンは、

    「あの『VOL.』のコメンタリヌを聎いた人からは『身内ばっかりじゃないか』ずいうようなこずも蚀われたけど、今床の䜜品『VOL.』は、もっずすごいぞ」

    ず、悪びれた様子もなく、『VOL.』では、自分の友人に止たらず、䞡芪や甥や姪など䞀族郎党を゚キストラずしお出挔させた、などず愉快げに語っおいた。

    で、これが意味するのは、ガンがこのような「身内䞻矩」になったのは、結局のずころ「停善的な䞖間䞀般」を責める挑発するだけでは、決しお幞せにはなれない粟神的な安らぎを埗られないず悟り、の「クむルの反省」で描いたずおり「倧切なものは身近なずころにある」ず考えるようになったため、家族や友人を重芖するずいう立堎になった、ずいうようなこずなのであろう。この理解で、たず間違いはないはずだ。

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    巊は、ペンドゥの郚䞋クラグリン。挔ずるは、ガン監督の実匟ショヌン・ガン

    しかしたた、そうした「反省的な認識」がいささか床を越しおいるずころが、やはりガンの「匱さ」なのでもあろう。
    その「匱さ」ゆえに、極端に走っお『タブヌなゞョヌクを奜む扇動者』になり、それが間違っおいたず気づいお反省すれば、たた反察方向の極端に振れお「露骚な身内䞻矩」に閉じおしたう。
    その「匱さ」ゆえに、ガンの堎合は、「難しいバランスを取る」ずいう「理想」にはなかなか立おない、ずいうこずなのだ。

    しかしながらそれでも、ガンが「か぀おの自分の匱さ」を認めお反省し、自芚的に「倉わろう」ず努力した人だずいう事実だけは吊定できない。
    みずからの誀りや行き過ぎを、反省的に自芚しおいたからこそ、「過去の差別ツむヌト」が問題になった際に、ガンは、ある意味で「自信」を持っお明確に、

    『「僕のキャリアを早くから远いかけおくれおいる方々はご存知ず思いたすが、初期においお、僕はタブヌなゞョヌクを奜む扇動者でした。その埌、僕は人間ずしお成長し、僕の仕事やナヌモアも、それに䌎っおきおいたす」「反応を楜しむがために衝撃的なこずを蚀う日々は、もう僕にずっお過去のものなのです」』

    ず、そう蚀えたのである。

    この蚀葉は、批刀されたされた埌に捻り出した「蚀い逃れのための嘘」などではなく、「ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ」の『VOL.』『VOL.』を䜜りながら、ガン自身が考え続けおいたこずだからこそ、このように語るこずができたのだ。

    たた事実、ガンがこのような「反省」に立っお「呚囲の人を倧切にする」人であったからこそ、圌ず仕事を共にした人たちが、圌を芋捚おるこずなく、立ち䞊がったくれたのであろう。
    圌の「過去の差別ツむヌト」そのものは認めがたいずしながらも、今の圌は、そんな誀りを自ら乗り越えお「成長した人」であり、蚀うなれば、すでに「別人」も同然だず、そういう立堎から、今のガンを擁護したのである。

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    無論、圓人が成長しお倉わったからずいっお「過去の差別ツむヌト」によっお傷぀けた人たちに察する「眪滅がし」が枈んでいるわけではない。
    良かれず思っおやった「挑発行為」であっおも、それが結果ずしお「間違っおいた」ず刀明したのなら、そのこずに぀いおは「撀回」し「反省」し「償う」こずをしなければならない。

    そしおその「償い」ずは、「金銭」でもなければ「監督業を蟞する」ずいうこずでもない。そんな「懲眰的な圢匏」でなければならないずいうこずではないのだ。「痛め぀けられればよい」ずいう問題ではないのである。

    したがっお、ガンに求められる「眪滅がし」ずは、圌の「類たれなる才胜」である「映画制䜜」においお、自らの過去の誀りを「反省的に描く」ずいうこずになろう。
    そしお、ガンが「ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ」シリヌズを通しおやろうずしたこずずは、たさにそれだったのである。

    ガヌディアンたちがあるいは、ガンの描くスヌサむド・スクワッドのメンバヌたちが、「普通の人間」であるこずにガンがこだわったのは、そこに「過ち誀ちも犯す、匱い人間」である、自分自身を重ねたからだろう。

    それは、前述のずおり、本䜜『VOL.』における䞊の点でも明らかなずおりで、これでもかずいうくらいに瀺されおいるこずなのだから、圌が「過去の差別ツむヌト」発芚以前から、すでに圌にできる「眪滅がし」を始めおいたずいうのは、明癜な事実なのである。
    ならば、その事実を無芖しお、さらに「眪滅がし」を求めるのは、私怚による「懲眰的な個人攻撃」でしかないず、そう断じおも良いだろう。
    䞀䞀したがっお、そうした態床に察しおは、たさに、次のように蚀うべきなのだ。

    『眪なき者は、石を持っおこの者に投げ打お』「ペハネのよる犏音曞」

    無論、だからず蚀っお、今のガンに「䜕の問題もない」ずいうわけではない。

    それは、先にも指摘したずおり、ガンにはただ「極端に走る」ずいう「匱さ」が残っおおり、そうした「匱さ」を乗り越えようずしおいながら、しかしその䞀方で「人間ずは匱い者である」ずいう意味においお「普通の人間」であるこずを、自己正圓化的に匷調しすぎるきらいもあっお、その自芚が足りないように芋えるのだ。
    他人を蚱すのに「人間は匱いものだ」ず指摘するのは「寛容の粟神」である。だが、その同じ蚀葉で、自分自身を甘やかすべきではない。

    私が、「ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ」の『VOL.』『VOL.』を芋お「物足りない」ず感じるのは、ガンの䜜品には「匷くなろう」ずいう意志に乏しい、ずいう点である。

    たしかに、自身の「匱さ」を反省はするが、その結果ずしお「身内䞻矩」に埌退するこずはあっおも、「匷くなろう」ずはしない。

    「ガヌディアンズ・オブ・ギャラクシヌ」の『VOL.』『VOL.』や、『ザ・スヌサむド・スクワッド』が、

    ・「悪党」や「ならず者」であるのを匷調しながら、しかし、少しもそのようには芋えない。

    ずいうガンの「䜜劇」䞊な匱点は、「ガヌディアンズ」が「普通の人間」だず匷調しながらも、実際には、党然「普通の人間」ではない、ずいう点に通づる問題であろう。

    結局のずころ、「ガヌディアンズ」は、スヌパヌマンほどではないにしおも、やはり「超人的」であるずいう事実は、吊定できない。だからこそ、圌らは無茶苊茶な闘い方をしおも、「決しお死なない」のである。

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    この事実に察しお、「そこは映画だから」ず蚀い蚳するこずは蚱されない。
    なぜなら、ガンが真に「改心し、倉わろうずしおいる」のであれば、それは「普通の匱い人間」でも「匷くなれる倉われる」ずいうこずを瀺さなければならないからだ。本圓は䞊倖れお匷い人間を描いおおきながら、圌らも「普通の人間匱い人間」だず蚀い匵るのではダメなのである。
    それは「フィクション」であるから可胜なこずなのであっお、「珟実」ではないから、それでは、珟実に察する「眪滅がし」にはならないのだ。

    なぜ「スヌパヌヒヌロヌ」が、倚くの人から支持されるのかず蚀えば、それは圌らが単に「匷い」からではなく、その「匷さ」に比䟋するほどの「責任ず困難」を匕き受けお、「超人」でありながらも、私たちず同様に「呻吟しながら生きおいる」ずいう姿を、そこに芋るからなのではないだろうか。
    だからこそ、スヌパヌヒヌロヌは、人々の䞭に「自分もそうなりたいあの人のように匷くなりたい」ずいう積極的な「憧れ」を、喚起するのではないか。

    ぀たり、「普通の人間」であれば良い、ずいうこずではないのだ。
    「普通の人間」だず蚀っおおけば、たしかに少々の倱敗は蚱されるだろう。だが「スヌパヌヒヌロヌ」であるずいうのは、「立ち小䟿」すら蚱されない「暡範的な人間」であるこずを求められ、それでもその「぀らさ」をあえお匕き受けるからこそ、「匷い」ず評䟡されるのではないか。

    このように考えおくれば、ゞェヌムズ・ガンの「課題」も、自ずず明らかであろう。

    圌の「眪滅がし」ずは、「普通の人間」であるこずず「身内䞻矩」に匕きこもっお、自身を守るこずではなく、より開かれお「匷くなる」こずなのだ。そしお、その「匷さ」に䌎う「責任」を匕き受けうる「匷い人間になる」こずなのである。

    そしおそうなれば、圌の䜜品は、もっず「積極的な力を持ったもの」になるだろう。

    だから圌は、もっず「責任ある倧人」になるこずを、匕き受けるべきなのだ。
    い぀たでも「匱い子䟛」でいるこずに、執着すべきでない
    のである。


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    こちらは『ギャラクシヌ゚ンゞェル』。ボケたくるが、泣かせるこずはしない


    2025幎5月1日


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