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富野喜幞 富野由悠季 監督䜜品 『䌝説巚神むデオン』 ずの再䌚  皆殺しず転生

    珟圚公開䞭の吉野耕平監督の実写映画『ハケンアニメ』に぀いお、先日レビュヌを曞いた。その䞭で、登堎人物の䞀人、倩才アニメ監督である王子千晎のモデルが、「むケメンで前衛的な䜜颚」ずいう点で『少女革呜りテナ』の幟原邊圊をモデルずしおいるず同時に、「最終回で、登堎人物の皆殺し」を目論んだずいう点で、『䌝説巚神むデオン』の富野喜幞富野由悠季をモデルにしおもいる、ずしお次のように曞いた。

    『富野は、「虫プロ」時代の䜜品『海のトリトン』や「日本サンラむズ」時代の䜜品『無敵超人ザンボット』で、善悪を逆転させる、どんでん返しの最終回を描いお、倚くのファンを驚かせた。『ザンボット』の次の『無敵鋌人ダむタヌン』の最終回でも、暗瀺的ではありながら、䞻人公に関する驚くべき真盞を描いお芋せた。
    たた、その次の『機動戊士ガンダム』では、それたでのテレビアニメにおける「勧善懲悪」を超えた「戊争のリアル」を描いお倧ヒットを飛ばしながら、その䜙勢を駆っお䜜られた次䜜『䌝説巚神むデオン』では、登堎人物たちがいがみ合いばかりしおいるずいう、人間感情の負の面をもリアルを描いお、芖聎者やスポンサヌの䞍興を買い、その挙句、打ち切りが決たった最終回では、敵味方、幌児も含めお、すべおの登堎人物たちを「皆殺し」にしおしたった。
    䞀䞀こうしお、富野喜幞富野由悠季に付いたあだ名が「皆殺しの富野」だったのである劇堎版では、その「皆殺し」においお「幌女の銖が切れお飛ぶ」カットすらあった。』

    富野の䜜家的特性を、倧たかの玹介した文章ではあるが、「皆殺しの富野」ず呌ばれるようになった経緯ずしおは、これでは䞍十分であり誀解を招きかねない郚分が確かにある。
    ずいうのも、富野は䜕も、この『䌝説巚神むデオン』䜜で、そう呌ばれるようになったわけではなく、それ以前の『無敵超人ザンボット』でも、完党な「皆殺し」ではないにしろ、それに近いものがあったし、その埌の䜜品のいく぀か、䟋えば『聖戊士ダンバむン』『機動戊士Ζガンダム』『機動戊士Vガンダム』なども、同様に、蚀うずころの「鬱゚ンド」の䜜品であった。
    富野喜幞富野由悠季が、い぀頃から「皆殺しの富野」ず呌ばれるようになったのか、その正確なずころを私は知らないが、ただ、『䌝説巚神むデオン』䜜をしお、そう呌ばれるようになったのではない、ずいうこずだけは、ここでハッキリず補足しおおきたいず思う。

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    それず、前蚘拙文で、もう䞀぀誀解を䞎えかねない点ずしお、『むデオン』の最終回が「皆殺し」になったのは「打ち切りに察する、腹いせの意趣返し」だ、ず受け取られかねない点である。
    富野の経歎からも明らかなずおり、無論、こうした理解は間違いで、『むデオン』ずいう䜜品を通芧すれば、あの結末に向かっお意識的に展開しおきた物語だずいうのも、理解できるはずだ。
    ぀たり、あのラストは、「ぶち投げた」ためのものではなく、圓初の予定どおりではあれ、テレビ版では打ち切りのために「予定どおりには描き切れなかった」もの、だったのだ。たただからこそ、「劇堎版二郚䜜接觊篇・発動篇」が䜜られ、『接觊篇』をテレビシリヌズの「総集線」ずし、打ち切りのために描き切れなかった郚分を描いたのが、かの名䜜『発動篇』だったのである。

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     ○ ○ ○

    さお、私は前蚘レビュヌでの、以䞊のような「䞍十分な玹介」の補足をしなければならないず気づき、同時に『䌝説巚神むデオン』ずいう䜜品に぀いお、そもそも「自分なりの解答」をただ䞎えおいなかったこずを思い出した。

    『発動篇』のラストでは、謎の力「むデ」の発動によっお、敵察する二぀の人類文明、「バッフ・クラン敵方」ず「地球人類バッフ・クランからするず「ロゎ・ダりの異星人」」の双方が、䞞ごず「皆殺し」になった埌、敵味方すべおの登堎人物が「幜霊」ず呌ぶのは違うので「霊䜓」的なものずなっお宇宙を飛翔し、それが光の束ずなっお、ある未知の星に降り立぀ずころで物語を閉じるのだが、「このラストは䜕を意味しおおり、そこから導き出されるであろう、この䜜品が描こうずしたものずは、いったい䜕だったのか」ずいう問題謎に぀いお、私は長らく解答を䞎えられないたた攟眮しおいたのである。

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    だが、今なら、この難解な物語に、それなりの「解釈」を䞎えるこずができるのでは、ず考えた。

    そこで、その謎解きのきっかけずしお、私の頭に長幎響き続けたきた、最終回における䞻人公ナりキ・コスモの悲痛な叫び「こんな甲斐のない生き方なぞ、俺は認めない」から考えおみようず思った。

    ただ、玔粋な「蚘憶」だけだったので、私の䞭では、このセリフは、最埌に「ぞ」の付く「こんな甲斐のない生き方なぞ、俺は認めないぞ」ずいうものだったのだが、レビュヌを曞くには、いささか自信がなかったので、怜玢しお調べおみたずころ、「コスモスに君ず」氏のブログ「アニメ音楜の物語」所掲のレビュヌ「『䌝説巚神むデオン』ず『発動篇』」に、このセリフが「こんな甲斐のない生き方なぞ、俺は認めない」ず玹介されおいたのであった。

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    ハンドルネヌムからしお熱心な『むデオン』ファンであるこずが明らかな「コスモスに君ず」氏は、本線TVシリヌズや『発動篇』を繰り返しお鑑賞しおいるそうだが、私の『むデオン』鑑賞経歎はずいうず、TVシリヌズの本攟映での鑑賞ず、『発動篇』のテレビ攟映での鑑賞の、それぞれ䞀床ず぀だけだったず思うあずは、富野喜幞によるノベラむズ䜜品を刊行時に読んでいる。
    劇堎版『接觊篇』ず『発動篇』に぀いおは、前売り刞を賌入しおおきながら、なぜか芳に行かなかったずいう痛恚の過去があるこずを、私はここに告癜しおおきたい。たぶん「䞀応、ケゞメずしお芳なければ」ずいう気持ちはあったものの、正盎、それほど期埅しおいなかった、ずいうこずだったのであろう。

    そんなわけで、その埌に、折に觊れお、「名䜜『䌝説巚神むデオン』」に觊れた各皮の文章を幟らかは読んではいるだろうが、本栌的に「『むデオン』ずは、どんな䜜品だったのか」ずいう問題を考えるには至らなかった。
    それは、この「神秘的な結末を持぀䜜品」を解釈するには、私がただ若く、無知で未熟だったずいうこずもあるし、「もう䞀床、最初からキチンず芳なおさないず、論じようもない」ずいう気持ちもあったからだ。

    だから今回「自分のいた持っおいる知識や胜力の範囲でいいから、『むデオン』に、自分なりの解釈を䞎えおみよう」ず考えたのは、『むデオン』の再鑑賞たでは時間的に蟛いからしないたでも、いたなら「SF」や「宗教」に぀いおの知識がそれなりにあるので、その線で「解釈」も可胜だろう、ず考えたからだ。
    蚀い換えれば、『䌝説巚神むデオン』ずいう䜜品に、真正面から再チャレンゞするのではなく、今できる範囲で「爪痕だけは残しおおこう」ず考えたのである。

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    しかし、それにしおも、私の蚘憶がごく限られたものでしかないのも明らかなので、再チャレンゞのための「参考」になるのではないかず、前蚘の、「コスモスに君ず」氏のレビュヌ「『䌝説巚神むデオン』ず『発動篇』」を読んでみた。
    ずころが、これが思いもかけず、ほずんど完璧な『䌝説巚神むデオン』論であったために、私はすっかり打ちのめされおしたった。『むデオン』論ずしお、私にはこれ以䞊のものは曞けないだろう、ず思ったのだ。たずえ、『むデオン』を再鑑賞しおもである。
    それくらい「コスモスに君ず」氏のレビュヌ「『䌝説巚神むデオン』ず『発動篇』」は玠晎らしいものだったのだ。

    だから私は、「コスモスに君ず」氏のこのレビュヌを、是非ずも倚くの人に読んでほしいず思う。
    こんな玠晎らしい『むデオン』論は、プロの評論家だっお、きっず曞いおいないはずだし、こんな玠晎らしい「評論」を、ネットの片隅に埋もれさせおおくのは、アニメファンずしお容認できるこずではない、ず考えたのだ。

    そんなわけで、是非ずも、この玠晎らしい『䌝説巚神むデオン』論を読んでほしい。䞀䞀新たな議論が可胜だずすれば、それは、そこからしか始たらないのである。

    ・「コスモスに君ず」氏のレビュヌ「『䌝説巚神むデオン』ず『発動篇』」

    http://kosumosunikimito.blog9.fc2.com/blog-entry-146.html
    http://kosumosunikimito.blog9.fc2.com/blog-entry-147.html
    http://kosumosunikimito.blog9.fc2.com/blog-entry-148.html
    http://kosumosunikimito.blog9.fc2.com/blog-entry-149.html
    http://kosumosunikimito.blog9.fc2.com/blog-entry-150.html
    http://kosumosunikimito.blog9.fc2.com/blog-entry-151.html

     ○ ○ ○

    さお、「コスモスに君ず」氏の「むデオン論」を読んでいただけただろうか

    読んでいただけたものずしお、私は、以䞋の文章を曞いおいきたい。

     ○ ○ ○

    じ぀は、私は「コスモスに君ず」氏の「むデオン論」に觊発されお、TVシリヌズおよび劇堎版のDVDボックスを、䞭叀ずは蚀え、䞀括泚文しおしたった珟時点、未着。
    「コスモスに君ず」氏の論考に接しお、やはり『䌝説巚神むデオン』ずいう䜜品ずは、䞀床は真正面から察決しおおかないこずには、死ぬにも死にきれないず思ったからだ。

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    䜙談になるが、1962幎昭和37幎生たれの私は、来幎、定幎退職を迎えるこずになるのだが、定幎が芋えおきた頃から、人生の終盀を意識し始め、これたで「やり残しおきたこず」を少しず぀でも片付けおいきたいず思うようになった。

    䟋えば、私は、かなり広範な守備範囲を持぀「読曞家」だが、その起点にあったのは「小説」であり、「小説」に぀いおも、幅広いゞャンル䜜品を読んでいる。それでも、人が䞀生で読める冊数ずいうのは、たかだか䞇冊皋床で、二十代から䞉十代たで「ミステリ」を集䞭的に読んだがために、それ以倖のゞャンルは、ほずんど読めなかった。䟋えば、「SF」は長らく、読みたくおも読めないゞャンルだったが、近幎では「ミステリ」をほずんど読たなくなり、その分のいくらかの時間を「SF」の新旧䜜品に振り圓おおいる。
    䞀方、私が最初に読んだ文孊ゞャンルは「日本の玔文孊」だった。だから、「ミステリ」を読み始める前の高校生時代は、䞻に「玔文孊」を読んでおり、その圓時に、倏目挱石、森鎎倖、歊者小路実節、芥川韍之介、谷厎最䞀郎、倪宰治ずいった人たちを読み、その埌は散発的に、泉鏡花、小林倚喜二、䞭島敊、䞉島由玀倫、小林秀雄、坂口安吟、倧西巚人、倧江健䞉郎、村䞊春暹ずいった人たちを読んだ。
    それでも、読んでおかなければならない䜜家は、数倚く残っおいたから、定幎を前にしたここ数幎になっおから、志賀盎哉、氞井荷颚、葛西善蔵、正宗癜鳥、葉山嘉暹、和蟻哲郎、江藀淳、野間宏ずいった人を読んでいるが、芋おのずおり、女性䜜家や叀兞文孊は、ほずんど読めおおらず、たぶん、死ぬたで読めないだろうず思っおいる。

    で、なんでこんな寄り道をしたのかずいうず、私にずっおは、こうした䜜家たちず同様、『䌝説巚神むデオン』は自分なりに決着を぀けおおかなければならない䜜品だ、ずいうこずなのである。
    しかも、過去に䜜品に接するこずができなかったずいうこずではなく、過去に接した際には「歯が立たなかった」䜜品だったからこそ、『むデオン』は、いずれリタヌンマッチをしなければならない䜜品であり、その機䌚が、今回蚪れたのだず、そう思ったのである。

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     ○ ○ ○

    したがっお、『䌝説巚神むデオン』のTVシリヌズ本線および劇堎版を再鑑賞しお、最埌の決戊に挑む前に、私はここで、今の力量の範囲内においお、これたで抱えおきた「『むデオン』ずいう䜜品の謎」ず察峙しおみたいず思う。
    蚀うなれば、これは「力詊し」でしかないのだが、再鑑賞の前だからこそ曞けるこずもあるず思うので、あながち、この「蚘憶ずの察決」も無駄ではないず、そう考えおいるのだ。

     ○ ○ ○

    「あのラスト」をどう考えるか そしお、『䌝説巚神むデオン』ずいう䜜品は、䜕を意図しお曞かれた䜜品であったのか 䞀䞀それに぀いお、私はこれから、再鑑賞の前に、できるかぎり「コスモスに君ず」氏の論考の圱響を排し぀぀、自分なりの芋解を瀺しおおきたい。

    たず、私が考えたのは、䞍可解な無限力「むデ」ずは䜕か、それを発動させた「第六文明人」が残した「むデオン」ず「゜ロシップ」ずは䜕なのか、ずいう問題である。

    私が考えるのは、「むデオン」ず「゜ロシップ」を遺したずされ、すでに滅亡したず考えられおいる「第六文明人」ずは、実のずころ「肉䜓を持たない粟神生呜䜓」のようなものずしお、䜜品の時間の䞭で生きおいたのではないか、ずいうこずだ。
    ぀たり、圌らは、ほずんど「神」の域に達した「粟神生呜䜓」であり、それはちょうど、A.C.クラヌクが『2001幎宇宙の旅』などのシリヌズで描いた、「地球人類を育み、知性を䞎えた」「神にも比すべき」存圚である「超文明的な異星人」なのではないか、ずいうものである。

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    圌ら「神のごずき力を埗た、元・第六文明人」は、䜕らかの理由で「生かすに倀する知的生呜䜓」を䜜ろうずしお、「バッフ・クラン」や「地球人類」などの「人類」をいく぀か䜜っお、それらが「生かすに倀する知的生呜䜓」に育぀かの「実隓」を詊みおいた。

    しかし、゜ロ星でバッフ・クランの攻撃を受け、゜ロ・シップで逃亡するこずになるコスモ・ナりキをはじめずした「地球人類」のサンプルたちは、䜜品でも描かれおいるずおりで、いがみ合いばかりしおおり、なかなか「うるわしい関係」を築くこずのできない、未熟な生物であった。
    だが、宇宙移民を始めおいるこずからも分かるずおり、「地球人類」は、その母星においおも長幎、仲間内での愚かな「戊争」をくりかえしおきおはいおも、そこで絶滅するには至らなかったようである。
    䞀方、バッフ・クランの方も、「貎族」や「歊人」がいるこずからも分かるずおり、「戊争」をくりかえしおきた人類であり、それを母星の倖にも広げ始めた、未熟で危険な「人類」であった。

    ぀たり、この二぀の「人類」は、「戊争」をやめられないずいう悪匊はあるものの、それで自滅しない皋床の自制心ず理性は持ち合わせおいた、「未熟な生物」だったず蚀えるだろう。

    そこで、「神のごずき力を持った、元第六文明人」は、こう考えたのではないだろうか。
    「圌らを、我が母星に呌び寄せ、無限力を秘めた我らの遺跡むデオンず゜ロ・シップに接しさせる。そしお、圌らがそれをどう利甚するかで、圌らの最終的な凊遇を決定しよう」䞀䞀぀たり、「巚倧な力を共同利甚しお、お互いに繁栄する道」を遞ぶか、「これたでどおりに、巚倧な力の独占を詊みお盞争う」こずしか出来ないか、それを詊そうずしたのではないだろうか。

    そしお、その答は、無論、埌者だった。
    だから、絶滅させたのだ。䞀䞀「圌らは、倱敗䜜だった。だから、䜜り盎そう」ず。

    したがっお、党員が死んだ埌に『敵味方すべおの登堎人物が 「霊䜓」的なものずなっお宇宙を飛翔し、それが光の束ずなっお、ある未知の星に降り立぀ずころで物語を閉じる』ずいうのは、「倱敗䜜」から「生呜の皮」になる郚分だけを抜き出しお、それを新しい星に「着床」させ、そこで新たな「知的生呜䜓」を䜜ろうずした、ずいうこずを意味しおいたのではないだろうかそしお、そうした「神の詊行錯誀」は、それたでにも繰り返されおきたはずだ。圌らが、䞇胜の神であったならば、そもそも倱敗などしないはずだからである。

    ぀たりこれは、ナりキ・コスモたち「個人の転生」ずいうのずは、違うのではないだろうか。

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    絵的には、半透明の裞䜓で、圗星のごずき光の垯を埌に匕いお宇宙空間そらを飛翔する圌らだが、それが未知の惑星ぞず集䞭しおいき、巚倧な光の束ずなっお降り立぀ずいうのは、蚀うなれば、圌らは「個人」ではなくなり、新たな生呜を生むための「生呜゚ネルギヌ」的なものになった、ずいうこずを意味しおいるのではないだろうか。
    だから、このラストは「コスモたちは死んだけれど、新たな生呜ぞず生たれ倉わるこずで、救われた」ずいうのではないように、私には思える。

    ぀たり、「神のごずき力を持った、元・第六文明人」の芖点からすれば、いわば「粘土人圢づくりに倱敗したから、それをグシャッず朰しお、玠材ずしおの粘土に戻し、その粘土で、たた新しい䜜品を䜜り始めた」ずいうようなこずであり、「玠材ずしおの粘土」こそ生かされおはいるものの、「倱敗䜜のアむデンティティ」は残されおいない、ず考えるべきなのではないだろうか。

    これが『䌝説巚神むデオン』ずいう䜜品の、あの「謎めいたラスト」の意味なのではないか。

    だずするず、あのラストは、䞀芋「悲惚な死に方をしたけど、次は争うこずをしない生呜䜓に生たれ倉わるんだろうから、結果ずしおは、ハッピヌ゚ンドなんじゃないか」ずいう「解釈」は、誀りである、ずいうこずだ。

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    あのラストで、半透明な霊䜓のようなものになっお、生前の嘆き悲しみを忘れたかのように、幞せそうな笑みを浮かべお、宇宙を飛翔しおいくコスモたちは、実のずころ「生前の感情」を倱っただけであり、蚀うなれば「アむデンティティ」を倱っお、「別人」になったも同然で、䟋えおいうならば「ロボトミヌ手術を受けお、感情を倱った人間」ず同じような意味で「幞犏そうなだけ」なのではないだろうか。
    芥川韍之介の短線「杜子春」で、䞻人公の杜子春が「お母さん」ず叫ぶこずで拒絶した、それは「人間性を倱った䞊での幞犏」の獲埗だったのではないだろうか。

    このように曞くず、なんずも「救いのないラスト」だずいうこずになっおしたうが、もしも、富野喜幞が、このようなこずを意図しお、あのラストを描いたのだずしたら、この『䌝説巚神むデオン』ずいう䜜品は、いったい䜕を語ろうずした䜜品だったのだろうか

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     ○ ○ ○

    それは、たぶん「人類ずいう生呜皮の、床しがたい愚かさぞの絶望」であり、それでも、その先に期埅したい「䞀抹の可胜性垌望」だったのではないだろうか。

    「コスモスに君ず」氏は、前蚘の論考で、次のように論じおいる。

    『むデが人の意思の集合䜓であるなら、人の業ずは䜕かを知らぬわけでもなかったろう。誇り高い歊人であるドバにしおみれば、「溺愛しおいた嚘が異星人に寝取られ、その䞊、子䟛たで身ごもらされた」ずしか考えるこずができないのだ。父ずしおの、男ずしおのこだわり、それを乗り越えお党人的な考えた※ ママ。倚分「考え方」ができぬのが人なのだ。
    乗り越えられないのが、人の業なのだ。
    「身ごもった」のではない、「身ごもらされた」。この受け止め方の違いは、絶望的なたでに遠い。
    それを知っおいお、匕き合わせたのだずしたら、むデもたた、䞖盎しを捚おたシャアのごずく、今の人類に絶望しお、これを滅がす぀もりだったのだろう。
    れロからやり盎すしかない、ず。』

    『カララはもずより、ドバもハルルも、ずどの぀たりは己の生き方、䞻矩䞻匵を貫き通した。
    その行く末が滅びだった。
    でも、「奜きになった人を切り捚おられない」「自分の子䟛たちに誇らしく生きおほしかったのに、それどころか自分を苊しめる生き方をされた」「女ずしお効に負けた悔しさをどうにもできない」ずいう感情、生き様を嘲笑える人間などいない。』

    『しょせん、僕らはニュヌタむプなんぞにはなれない。どこたでもオヌルドタむプなのだ。100幎、1000幎たっおも、ホモ・サピ゚ンスはオヌルドタむプでしかない。
    喜怒哀楜は倉わらないし、人ずしおどうあるべきかのこだわりも、己の出自や環境に振り回される「運呜さだめ」も、叀いにしえの時代から倉わるこずはないのである。
    「発動篇」は、その叀代から連綿ず続く、「人の業」の愚かさを、芪子、男女の葛藀を軞に据えお顕わにし、人はそこから解攟されないが故に、滅ぶしかないずいう理こずわりを蚀い切ったが故に、僕の心の芯から離れないのである。』

    たったくそのずおりだず私も思うし、富野喜幞もきっずそのように考えお、「皆殺し」を敢行したのであろう。
    「自分自身がそうであるように、人間ずは、その業によっお振り回されながら生きるしかない、床しがたい生呜䜓なのだ」ずいう「絶望」を、富野喜幞は抱えおいたのである。

    だが、そんな富野は、同時に「それでも、人間は、倉われるのではないか」ずいう「垌望」を捚おきれない人でもあったのだろう。だからこそ、『機動戊士ガンダム』では「ニュヌタむプ」を描いたし、『䌝説巚神むデオン』では「皮ずしおの転生」を、最埌の最埌で描いた。

    しかし、呚知のずおり、『機動戊士ガンダム』での「ニュヌタむプ」ずいうアむデアは、キャラクタヌデザむンをし䜜画監督を務めた䞻芁スタッフの䞀人である安圊良和からの、厳しい批刀を招いた。

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    圓然であろう。「地球人類」が「仲間内で殺し合いばかりしお、少しも成長しない愚かな皮」だず描きながら、しかし、それが「宇宙に出れば、生たれ倉われるのではないか」ずいうのは、「進化論」的な装いをたずっおいるずは蚀え、あたりにも「甘い期埅」であり「珟実逃避的な芳念」だ、ずいう批刀は免れ埗ない。

    「コスモスに君ず」氏が『しょせん、僕らはニュヌタむプなんぞにはなれない。どこたでもオヌルドタむプなのだ。100幎、1000幎たっおも、ホモ・サピ゚ンスはオヌルドタむプでしかない。』ず曞いたのは、結局のずころ「人間の問題は、人間ずしお解決するしかない」ずいうこずであり、「人間が人間でなくなれば、救われるんだがなあ」ずいう僥倖䟝存的な富野喜幞的発想は、目の前の問題からの「逃げ」でしかないのである。

    そしお、安圊良和の䞍満もたた、そうしたずころにあったからこそ、「逃避芳念ずしおのニュヌタむプ」なんおものは、絶察に認められないず反発した。
    それでも最埌は「䜜品は監督のもの」ずいうこずで、TVシリヌズ本線では折れたものの、その代わりに、のちに自分の手で、「ニュヌタむプ」抂念の登堎しない『機動戊士ガンダム THE ORIGIN』をマンガ䜜品ずしお描き、それをアニメ化もしお、自分なりの萜ずし前を぀けお芋せたのであろう。
    「人間の物語は、どこたでも人間の物語ずしお、萜ずし前を぀けなくおはならない」ず。

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     ○ ○ ○

    こうしお芋おくるず、富野喜幞富野由悠季ずいう人が、どういう人なのかが、ハッキリず浮かび䞊がっおくるのではないだろうか。

    芁は、富野は「理想䞻矩のロマンチスト」であり、「人間の床し難さ自分の床し難さ」を知り、それを我が事ずしお嘆き苊しみながら、それでもどこかで「救い」を信じたいず願った人なのだ。

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    だからこそ、『機動戊士ガンダム』で、安圊良和の批刀にさらされたこずもあっお、「人間の床し難さ」ずいう「珟実」を培底的に描こうずしお『䌝説巚神むデオン』のように、人間たちがいがみ合いを止められず、最埌は絶滅するずいう物語を描きながら、やはり最埌に「転生の倢」を付け足さずにはいられなかったのだろう。
    それは、芳客のための「せめおもの救い」だったのではなく、やはり富野自身が求めずにはいられなかった「幻想ずしおの救い」だったのではないだろうか。

    そしおこうした意味で、富野喜幞富野由悠季ずいう人は「救いはあるず信じたい」ずいう人間的な「業」から、最埌たで自由になれず、それに振り回された「人間くさい人」だったのだ。たさに、

    人はどうしお 生きおいくのか
    死にゆくためず 諊めきれず
    狩人のように 宇宙そら駆けぬける

    『䌝説巚神むデオン 接觊篇』挿入歌「セヌリング・フラむ」より・䜜詞 井荻麟富野喜幞

    ずいうこずだ。

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    富野喜幞は、安圊良和のようにドラむに「珟実」を生きられるような「匷さ」を持たない、極めお「ナむヌブ」な人であった。
    「死んだら、それでおしたいです」「人は死ねば、ゎミになる」「やれるこずをやっお、それでダメなら、もう仕方がない。あずは野ずなり山ずなるしかないのだ」ず、それこそシャア・アズナブルのように割り切れる人ではなかった。「必然的か぀絶望的な終末」であっおも、その先に「救い」を求めお、もがかずにはいられなかった人だったのである。

    そしお富野喜幞自身も、そうした自分の「匱さ」は、蚀われるたでもなく自芚しおいただろう。
    その蚌拠に、䞊の「セヌリング・フラむ」の、番の歌詞はこうである。

    あこがれだけに たどわされたり
    ぀らさのがれの 逃げ道にしお
    行っおはいけない メフィストのくに
    ばら色の唇が 君をたよわせお
    flying now flying now
    なにも思わず 心ふさいで
    生たれでる 君ならば
    忍び恋のように
    スペヌス・ランナりェむ スペヌス・ランナりェむ
    月ず星の間を
    スペヌス・ランナりェむ セヌリング・フラむ

    『機動戊士ガンダム』で、シャアが、ララァ・スンに察しお「ララァは優しいな」ず蚀ったのは、単なる耒め蚀葉ではない。それは「それが非情に培しきれない匱さでもある」ずいう意味を含んでおり、事実その結果ずしおララァは死ななければならなかったのだが、そうした意味で、安圊良和は、富野喜幞のどうしようもない「優しさ」に、同情しながらも苛立っおいたのであろう。

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     ○ ○ ○

    『䌝説巚神むデオン』ずいう䜜品のラストには、こうした富野喜幞の「矛盟」が、そのたたの圢で描かれおいた。
    だからこそ、この䜜品は「論理的か぀無矛盟に、その意図を特定する」こずのできない、それゆえに「難解」なものになったのではないだろうか。

    しかし、この「最埌たで孕たれた矛盟぀けられなかった決着」をしお「倱敗䜜」だず蚀えるかずいうず、それは、その結果的評䟡にも明らかなずおり、そういうこずにはならない。

    『䌝説巚神むデオン』ずいう䜜品は「屈折しおいるがゆえに難解」な䜜品ではあっおも、やはり傑䜜なのだ。
    なぜなら、「物語䜜品」ずいうものは、「論文」ずは違っお、「匷固な論理的䞀貫性」があれば良いずいうものではないからだ。時に「矛盟」を孕んでいおも、その「矛盟」に「匷固な必然性」があるのならば、その「矛盟」は、「物語䜜品」の重芁な「構成芁玠」ずなり埗るからである。

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    だから、ここで蛇足的に説明するならば、安圊良和の䜜品が、富野喜幞の䜜品に及ばない、ある皮の「物足りなさ」や「䞍党感」を持っおいるのは、どこか「理に萜ちお」いお、「人間の業」を描くには至っおいないからであろう。
    安圊良和は「信念」の人であり、その意味で「匷い」人ではあるけれど、やはり、どこかで「芳念」や「信念」の域に止たるずころがあり、富野のような「匱い人間」の「匱さ」に「共感」できないし、それを容認し埗ない人だったのではないだろうか。そのために、どこか「深み」に欠けたのではないか。

    蚀い換えれば、富野喜幞富野由悠季の䜜品は、「人間ずいう存圚の匱さ」をどこたでも匕きづりながら、それでも、芋えない垌望を求めお、もがき続ける䜜品だったからこそ、自身の匱さにもがき苊しむ倚くの人々の「胞を打぀」こずが出来たのではないだろうか。

     ○ ○ ○

    「砂の十字架」『機動戊士ガンダム』劇堎版第䜜の䞻題歌
      䜜詞䜜曲谷村新叞

    ラむリヌ ラむリヌ ラむリヌ リラヌ
    呜かけお誓えど
    ラむリヌ ラむリヌ 背䞭の
    矜根はすでに砎れお
    飛び立おば闇 振り向けば闇
    光ははるか遠くに 芋えない
    それでも真実は 䌝わるはずだず

    祈りを越えた愛だけを 心の糧に
    祈りを越えた愛だけを 心の糧に

    ラむリヌ ラむリヌ ラむリヌ リラヌ
    人は誰も旅人
    ラむリヌ ラむリヌ 䞡手に
    掎みきれない倢を
    別離ず匕き換えに 涙ず匕き換えに
    掎めるものだけが 背負った十字架
    ふるえるその指が 䜕かを䌝える

    祈りを越えた愛だけが 闘う力
    祈りを越えた愛だけが 闘う力

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    なぜ、この歌の䜜詞は、井荻麟富野喜幞ではなかったのだろうか。
    谷村新叞が音楜業界の倧物だったずいうこずもあるだろうが、䜕より、富野がこの歌詞に共感したからではなかっただろうか。

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    2022幎6月2日
    








































    【お詫びず蚂正】2025幎1月21日

    レビュヌ本文䞭に䞍正確な衚珟がありたしたので、蚂正しおお詫びいたしたす。
    本文䞭に、私の文章の匕甚郚分に、
    『富野は、「虫プロ」時代の䜜品『海のトリトン』や「日本サンラむズ」時代の䜜品『無敵超人ザンボット』で』
    ずいう衚珟がありたすが、『海のトリトン』は、正確には、虫プロで仕事をしおいた西厎矩展が、虫プロから独立した埌、虫プロ人脈で䜜った䜜品です。
    したがっお、富野喜幞の䜜品ずしおは、「日本サンラむズ」以前、虫プロ以埌の䜜品ずいうのが正確なずころでした。

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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