
ナニモノにもなれなかった人生は、自分らしく生きた証明である。 | 人生のやることリスト#7
「ナニモノにもなれなかった人生は、自分らしく生きた証明である。」
この言葉をくれたのは恩師の先生だった。 その恩師は先月亡くなった。
何故その人を私が恩師と呼ぶかと言えば、学生時代に迷った時にそっと隣にいて寄り添ってくれたその人だからだ。
恩師は決して答えを急がせないし、余計なことは言わなかった。 ただ、いて欲しい時になぜか現れ、何も言わず煙草をふかしていた。
今の時代じゃ考えられないが、当時は新幹線や路線バスでもタバコが吸えた。 大人が隣でタバコを吸うこと自体には抵抗はなかったのだが、不良教師だとは思っていた。
でも、彼は本当に何も言わなかった。
彼は定年まで数学の教師として勤め上げ、余生は田舎で小さな畑で自前で食べるものだけを栽培し、日々暮らしていた。 地元が近かったこともあり、時々顔を出していたが、決して裕福な暮らしとはいえないものの、贅沢な暮らしだなと内心感じていたが、恩師には言わなかった。
そんな私にも娘ができた。 娘は最近「私も将来、ナニモノかになりたい」ということが増えた。
ナニモノ…何かは決まっていないらしい。ただ普通では嫌だというのだ。 笑ってしまう。
私が恩師に相談していたのもまさに同じようなことだった。 受験勉強の夜、ラジオから矢沢永吉をはじめとするロック歌手の曲が流れてきて、私もいつしかその音にハマっていた。
「成り上がり」とか「成金」とか、そんな言葉に憧れて、私もこの人みたいに成り上がってナニモノかになるんだ、と信じていた。
結果は今、タダの父親をしている。 仕事はサラリーマン。暑い夏もスーツに身を包み客のもとに足しげく通って毎日が消費されている。
田舎者なので、スーツを着て仕事をすることには憧れがあった。 自分の父やおじなどは、もっぱら作業着姿で仕事場に軽トラで向かうのが日常だったからだ。
当時は「ナニモノ」かになれたと思ったが、都会に出てみればスーツ姿のサラリーマンこそが「ドノーマル」で、珍しくもなんともない。 つまり「ナニモノ」でもなかった。
結局、そのまま流れに身を任せているうちに、結婚・出産・親の葬式などのライフイベントをこなし、驚くほど一般的な生活になじんでしまった。
そんな私も、先月健康診断で異常が見つかり、再検査したところ、どうやらよくないらしい。 そんなものすらも、ノーマルな生き方、死に方の一つであると感じて苦笑いを浮かべていたところに、恩師の訃報が届いた。
検査入院が長引いていたので通夜には行けなかったが、葬式には参列できた。
恩師からの遺言:
ナニモノにもなれなかった人生は、自分らしく生きた証明である。
それを見たときに、この人は最後まで私に人生というものを教えてくれるのだな、と思った。 悲しくはなかったが、涙が止まらなくなった。
その席には、昔の同級生も多く参列していた。
大工の息子は、工務店で代表を務めているらしい。 いたずら三兄弟の長男は、商社で役員に抜擢されたとか。 走るのが得意だった体力バカは、マイナー競技ながらオリンピック選手の指導員ときたもんだ。
はぁん。 みんなナニモノかになってら。
私だけがナニモノにもなれず。私だけが恩師の言葉に救われてしまったのだと気づいて、少し虚しくなった。
私は、一般的な家に生まれ、一般的な学力で、一般的な学校へ進学し、 一般的な会社で勤め上げ、一般的な病気で、一般的な最期を迎えるというのに。
内心しょぼくれて家に帰ると、娘がYouTubeを見ながら 「私も配信者になりたい」だとか「ダンスを覚えたい」と妻に夢を語っていた。
私にはそれが過去の自分を見ているようで、少し虚しく感じたが、その純粋なまなざしと、真剣な表情をしながらダンスの振り付けを真似している姿を見て「この子ならナニモノにでもなれる」そう思ってしまった。
私が帰宅したのを見ると、娘はパァーっとした笑顔で「お土産ないの!?」とおねだりをしてきた。
その瞬間…
あぁ、私はナニモノにもなれなかったのかもしれないが、この子の父親にはなれたんだな。
胸のつっかえがスッと取れた気がした。
ナニモノにもなれなかった私が、手に入れたもの。
人がめざす「ナニモノか」は、既に誰かが歩んだ人生の到達点であり、 ナニモノかになったと思っても、結局は誰かのナニカでしかないのだとこのとき悟った。
だから恩師の平凡な一生も、恩師らしい人生だったのだろうし。
私の一般的な人生も、私らしい人生だったと言えるのだろう。
この日、私は娘に手紙を書いた。
続く
【続編】何者でもない私からのメッセージ/人生のやることリスト #6

