
ま、……まさかの!?江戸時代ラッパー爆誕!!
……それは、あるコメントからはじまった。
私が書いた別の作品に、ある読者の方がこんな言葉を寄せてくれたのだ。
「江戸時代の『地口(じぐち)』って初めて聞いたけど、ラップみたいですね。ダブルミーニングもあるし!」
その一言が、私の頭の中で強烈な火花を散らした。
……なぜなら、地口とは簡単にいうと江戸時代のダジャレなのだから。
……その地口が、ラップ……!?
……な、…なんだと……!
点と点がつながるような衝撃に突き動かされ、私は気がつけばそれからずっとスマホで検索を繰り返していた。
……自称・江戸研究家を公言している私だが、その視点は盲点だった。
……なぜなら、なぜなら私、……
……恥ずかしながら、地口は最近テレビでしったのだけど(うゎ……プロフでネオ江戸思想家って名乗っておいて恥ずかしいぃ)……
それにだって、地口は「しりとり」みたいな言葉遊びのイメージが強かったから。
——そう、だから、調べれば調べるほど、
……ドンドン、パッ、ドンドン、パッ……
って、画面の向こうから江戸のストリートの重低音(ビート)が響いてくるようだった。
——そう、たとえば、江戸っ子たちが日常的に口にしていた「地口」だ。
「驚き桃の木山椒の木」(おどろき もものき さんしょのき)
「その手は桑名の焼き蛤」(そのては くわなの やきはまぐり)
……これらは単なる親父ギャグではない。七五調のリズム(フロー)に乗せて、心地よく言葉の音をハメていく、紛れもない「ライム(韻)」の応酬だったのだ。
(……えっ、ということはお父さんのギャグもまさかラップ……まさかね)
——さらに衝撃的だったのは、
アニメ『一休さん』でおなじみの「そもさん」「せっぱ」の正体だ。
禅宗の禅問答からきたこの言葉。現代の言葉に翻訳するなら、
先攻の「カモン、お前のスキルを見せてみろ!(そもさん)」に対し、
後攻が「受けて立つぜ、俺のライムでぶち破る!(せっぱ)」と返す、命がけの即興1on1フリースタイルバトルそのものだった。
用意された答えなんてない。その場のひらめきとキレ味鋭い言葉だけで、相手を完全論破(クリティカルヒット)する世界が、何百年も前の日本に実在していた。
……もちろん、江戸時代は現代のような民主主義ではないから、幕府による抑圧的な面はあった。だからこそ彼らは、地口やダブルミーニング(掛詞)という高度なスキルを武器にして、ユーモアのオブラートに毒を包み、お偉いさんをチクリとディスる反骨精神(レベルミュージック)も持ち合わせていた。
——しかし、江戸の真の凄さはそこだけではない。
世界に類を見ない「平和」と、すべての資源が美しくまわる「循環型社会」を完成させていたことだ。
現代の世界、たとえばアメリカなどを見ていると、民主主義だからといって民衆が平和で安心に暮らせるわけではない……痛烈な現実が見えてくる。
……悲しい話だけど……欠陥はどの時代、どの体制にも必ずある。
その中で、250年もの間、人々の命を脅かさず、安心とサステナブルを両立させた江戸のシステムこそ、実は驚異的に素晴らしいものだったのではないか。
明日を生きる安心安全(セーフティネット)があったからこそ、長屋の庶民には笑顔があり、独自の町人文化がこれでもかと花開いた。暮らしをエンジョイできる心の余裕があったからこそ、彼らは「言葉」という最高のエンターテインメントに熱狂できたのだ。
——彼らのライムの根底にあったのは、ただの不満ではなく、平和な社会への愛着と、日々の暮らしをゴキゲンに生き抜く知恵だった。
読者の素朴な一言という「疑問」が、歴史の真実という「学び」に変わった時、私の脳裏に、そう知識のストリートに、真の意味での『江戸時代ラッパー』が爆誕した瞬間だった。
……歴史の教科書に載っている彼らは、ちっとも退屈な過去の人なんかじゃなかった。マイクならぬ「口(くち)」一つで時代を揺らし、平和な社会を最高にクールに生き抜いた表現者たちだ。
なんか江戸時代って、ううん、ご先祖さんって昔からクールでカッコよかったんだね。
……じゃ、ウチのパパも昔は……まさかね……。
※本作は▼國學院大學と、noteでコラボコンテスト
「#疑問が学びに変わるとき」応募作品です。
▼同時応募作品はこちら