
……どうしよう、最近、私、変なんです……なんでも江戸“地口”に聞こえちゃうのっ!
——先日、テレビを見ていたら、私の心を激しく揺さぶる言葉に出会いました。
それが、江戸時代に大流行した言葉遊び、「地口(じぐち)」です。
当時は”無駄口”とも呼ばれたこの遊びは——
一言でいえば現代の「ダジャレ」なのですが、江戸の庶民の遊び方はとにかく粋でした。有名なことわざや物語の「音の響き」をあえて別の言葉にハメ変えて、クスッと笑えるユーモアに仕立て上げるのです。
——たとえば「舌切り雀(したきりすずめ)」を「着物切り詰める(きものきりつめる)」に変えてしまうような、今でいう替え歌カルチャーです。
テレビの前で「へぇ、面白い!」と感動したのも束の間。
……その日を境に、私の脳みそに恐ろしい異変が起きました。
例えば、日本語だけでなく、スマホのメニューや駅ナカで見かける英語やカタカナ語を見た瞬間でも、「これ、別の何かに聞こえないか?」と脳が勝手に”地口変換”を始めてしまうんです。
……最近では今よく聞く言葉「コンプライアンス」が、
「今プレイ、焦る?(いや焦るわ!)」みたいに脳内で暴走し始めて……。
さらに、子供の頃から聞いたことあるアニメのタイトル(昔の番組とか実際見たことはないけどね)なども、すべて耳に入ると……
「地口」に自動変換されて聞こえるようになってしまいました。
——たとえば、タツノコプロの名作アニメ『昆虫物語 みなしごハッチ』。
これはまさに、江戸の職人も唸る極上の地口です。
身寄りのない「みなしご」と、ミツバチの「ハチ(8)」、そして英語で孵化を意味する「ハッチ(hatch)」が完璧に掛け合わされています。
——制作者が狙って仕掛けた、令和まで続く言葉遊びの傑作です。
じゃあ、アメリカ生まれのあの名作はどうなんだろう?
私の困った地口脳は、すぐに次のターゲットを見つけました。
そう、あの名作中の名作——
『トム・ソーヤの冒険』です。
……「あいつ誰だっけ? トム? そーや!」
脳内で関西弁のミニコントが勝手に自動再生され、「これも狙った地口なの?」という疑問が止まらなくなりました。
気になって調べてみると、英語の「Sawyer」は単に「木こり」を意味する一般的なアメリカの苗字。
つまり、日本人が勝手に日本語にハメ込んで楽しんでいる、
——「天然モノの地口」だったわけです!
「それ英語の人名やし!」とツッコミを入れつつも、
「ソーヤ、ソーヤ、トム・ソーヤ!」と語呂の良さで親しんでしまう我が国の言語センス、ちょっと愛嬌がありませんか。
テレビをきっかけに始まった私の「地獄耳ならぬ、地口耳!!」は、貪欲に笑い話のネタ探しのつもりで言葉遊びを追いかけていたのですが——
調べていくうちに、この「音に勝手な意味を当てはめる人間の脳の癖」が、笑えない歴史の歯車として使われていた側面にも突き当たりました。
……戦時中の日本では、敵国アメリカのルーズベルト大統領を「ルーズ(緩い)なベルトを締めた間抜けな奴」と呼び、敵国イギリスの首相チャーチルを「『茶散る』だから縁起悪いね」と、新聞や大衆の間で大真面目に嘲笑のネタにしていたのです。言葉の響きだけで敵を侮ろうとした、地口の「黒歴史」です。
耳に入ってきた未知の音に対して、勝手に都合の良い意味を括り付けてしまう人間の脳。それは時に親しみとなり、時に悪意の武器にもなります。
——ですが、この脳の「錯覚」が、
時にハリウッド映画の歴史さえ動かしてしまうから面白いのです。
——その最たる例が、シルヴェスター・スタローン主演の映画『ランボー』です。
実は一作目のアメリカでの原題は『First Blood(最初の血)』という、いかにもシリアスなものでした。
しかし、日本の配給会社は主人公の苗字から『ランボー』という邦題を独断で採用します。画面の中でド派手に暴れ回る男の姿と、日本語の「乱暴(ランボー)」という響きが奇跡的な地口として完全に一致した結果、映画は日本で空前の大ヒットを記録しました。
……驚くべきはここからです。
日本での「ランボー(乱暴)」ブランドの大成功を見た本国アメリカの制作陣は、「このタイトルはいける!」と確信。
なんと二作目からは原題を『Rambo』へと変更し、日本のつけたタイトルを逆輸入したのです。
……原作者がリンゴの品種名から取っただけの「Rambo」が、日本語の地口の引力によって、世界共通のアクションヒーローの代名詞へと変貌を遂げた瞬間でした。
——テレビの前の「へぇ」という小さな疑問。そこから始まった私の探求は、戦時中のプロパガンダを経て、ハリウッドの原題をひっくり返した日本語のパワーへと辿り着きました。
狙って作られたハッチ、勝手に親しまれたトム・ソーヤ、敵意が生んだルーズベルトとチャーチル、自由な翻訳が世界を書き換えたランボー。
……たかが駄洒落、されど地口。
カタカナの名前が耳に飛び込んできたとき、私たちの脳はすでに、次の新しい世界を創り出そうとしているのかもしれない。
……そう思うと、今日も何でも地口に聞こえちゃう私の困った耳も、なんだか少し愛おしくなってくるのです。
※本作は▼國學院大學と、noteでコラボコンテスト
「#疑問が学びに変わるとき」応募作品です。
▼同時応募作品はこちら