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芋出し画像

「気を぀けおください」で枈んでいた時代



    最寄駅のホヌムに、数幎前からホヌムドアが぀いた。

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    電車が来るたで開かない。
    電車が着いお、扉が開くタむミングで、ホヌム偎のガヌドも開く。

    人が線路に萜ちないようにするための蚭備。

    今の感芚で芋れば、かなり自然なものだず思う。
    危ない堎所に柵を䜜る。
    萜ちる可胜性がある堎所に、萜ちない仕組みを䜜る。

    安党になった。
    時代が進んだ。
    そう蚀えば、それで終わる話なのかもしれない。

    でも、そこで少し匕っかかった。

    これは、本圓に近幎になっお初めお䜜れるようになったものなんだろうか。

    もちろん、今のようなホヌムドアを、昔のすべおの駅にそのたた蚭眮できたずは思わない。
    車䞡によっおドアの䜍眮も違う。
    ホヌムの広さや匷床もある。
    費甚もかかる。
    電車を正確な䜍眮に止める仕組みも必芁になる。

    それは分かる。

    でも、昭和の時代に、
    「ホヌムから人が萜ちないように、䜕か物理的なガヌドを䜜る」
    ずいう発想自䜓が、たったく䞍可胜だったずは思えない。

    駅には倧量の人がいた。
    電車は走っおいた。
    ホヌムのすぐ暪には線路があった。
    人が萜ちれば危ないこずも、圓然分かっおいたはずだ。

    それなのに、長いあいだ、ホヌムの端には柵がなかった。

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    そこに、僕は匕っかかった。

    昔は、人の呜が今ほど倧事ではなかったのか。


    そう蚀っおしたうのは、たぶん乱暎だず思う。
    少なくずも戊埌の日本で、人の呜なんおどうでもよかった、ずは思わない。

    事故が起きれば悲したれたはずだ。
    亡くなれば倧きな出来事だったはずだ。
    家族も、友人も、職堎も、その死を軜いものずしお扱っおいたわけではないず思う。

    でも、街の圢を芋るず、今ずは明らかに違う。

    駅のホヌムには柵がない。
    道路ず歩道の境目も、今ほどはっきりしおいない。
    通孊路に今ほど色分けもない。
    店舗の入口前に車止めも少ない。

    危ない堎所は、危ないたたそこにあった。

    では、䜕が違ったのか。

    たぶん、呜の䟡倀が違ったのではない。

    危険の扱い方が違ったのだず思う。

    昔の安党は、人間の泚意力にかなり預けられおいた。


    黄色い線の内偎でお埅ちください。
    巊右をよく芋たしょう。
    飛び出さないようにしたしょう。
    危ないので近づかないでください。

    蚀葉はあった。
    泚意喚起はあった。
    危険が芋えおいなかったわけではない。

    ただ、その最埌の䞀歩は、人間に預けられおいた。

    萜ちないようにする。
    飛び出さないようにする。
    近づきすぎないようにする。
    ちゃんず芋る。
    ちゃんず止たる。
    ちゃんず埅぀。

    そう考えるず、昔の街は人を信じおいたようにも芋える。

    でも、本圓にそうだったのだろうか。

    僕は少し違う気がする。

    昔の街が信じおいたのは、人間そのものではなく、
    ちゃんず芋えお、ちゃんず歩けお、ちゃんず泚意できる人だったのではないか。


    ホヌムから萜ちない人。
    車道に飛び出さない人。
    危険な堎所には近づかない人。

    そういう人を前提にすれば、街は今ほど倚くのガヌドを必芁ずしない。

    気を぀けおください。
    それで枈む。

    でも実際の人間は、そんなに安定しおいない。

    疲れおいる日がある。
    がんやりしおいる時がある。
    足元を芋おいない瞬間がある。
    芋えおいる぀もりで、芋えおいないこずがある。

    それでも昔の街は、そこに柵を眮かなかった。

    眮けなかったのかもしれない。
    眮くほどの理由が、ただ瀟䌚の䞭で育っおいなかったのかもしれない。

    ホヌムドアを芋おいるず、そこが気になる。

    これはただの安党蚭備ではなく、
    「人は気を぀けられるはずだ」ずいう前提が、少し疑われ始めた圢なのかもしれない。

    人は萜ちる。
    人は間違える。
    人は䞀瞬、泚意できなくなる。


    だから、萜ちないようにする。

    そう考えるず、ホヌムドアは人を信じなくなった蚌拠のようにも芋える。

    でも、それは冷たい意味の人間䞍信ではないず思う。

    信じる人間の範囲が倉わったのだず思う。

    ちゃんずできる人だけではなく、
    ちゃんずできない瞬間の人も、街の䞭にいる。

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    昔の街は、人を信じおいたのではない。
    倱敗しない人だけを、人間の暙準にしおいた。


    今の街は、少しず぀、倱敗する人も暙準に入れ始めおいる。

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    駅のホヌムだけではない。

    歩道ず車道のあいだにある柵。
    店舗の入口前にある車止め。
    通孊路に塗られた色。
    亀差点に立぀ポヌル。

    それらは党郚、誰かの泚意力だけでは足りなかった堎所に眮かれおいる。

    気を぀けおください。

    昔は、その蚀葉で枈んでいた。

    今は、その蚀葉のあずに物が眮かれる。
    柵が立぀。
    柱が立぀。
    道に色が塗られる。

    泚意だけに預けおいた堎所に、少しず぀圢が䞎えられおいく。

    事故が起きた時も、たぶん問い方が倉わっおきた。

    昔なら、萜ちた人の話になったのかもしれない。
    なぜそこに立っおいたのか。
    なぜ気を぀けなかったのか。
    なぜちゃんず芋おいなかったのか。

    今は、萜ちるこずができるホヌムの話になる。

    なぜそこに䜕もなかったのか。
    なぜ危ない堎所が、危ないたた残っおいたのか。
    なぜ泚意だけに任せおいたのか。

    その違いを、僕はホヌムドアの前で考えおいた。

    ホヌムドアは、ただの駅の蚭備ではないのかもしれない。

    「ちゃんず気を぀けられる人だけが安党でいられる街」から、
    「気を぀けきれない人も萜ずさない街」ぞ倉わっおいく途䞭に立っおいるもの。

    そんなふうに芋えおくる。

    電車が来る。
    人が䞊ぶ。
    扉が開くたで、ガヌドは開かない。

    ほんの数秒のこずだ。

    でも、その数秒のあいだ、僕たちは線路に近づけない。
    間違っおも、よろけおも、考えごずをしおいおも、そこから先には行けない。

    昔の街には、この数秒がなかった。



    🔜䜵せお読んでほしい蚘事

     
     
    誰かに読んでもらいたい気持ちもある。 でも、それより先に、未来の僕に読んでほしい。 䜕を考えおいたかだけではなく、どう考え、どこで匕っかかり、どんな蚀葉を遞んでいたのか。 数か月埌、数幎埌に読み返したずき、曞いた頃の僕の個性たで分かるように、ここに残しおおきたい。

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